学位論文要旨



No 120153
著者(漢字) 今井,啓太
著者(英字)
著者(カナ) イマイ,ケイタ
標題(和) 小胞体膜タンパク質による酵母細胞壁構造の制御機構の解析
標題(洋)
報告番号 120153
報告番号 甲20153
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2836号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 徳田,元
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 助教授 足立,博之
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 人類は微生物との共生の上に成り立っている。腸内おいては腸内細菌が有害な細菌の繁殖を妨げる役割を果たし、酒・醤油などといった日本古来の発酵醸造技術も微生物の働きなしには成立しない。しかし、そのような有益な存在である微生物の中には、有害に働いてしまう菌も存在する。特に真菌類による感染症は対処に困難である。真核生物である真菌類に効く薬剤は人にも効いてしまうのがその理由である。そこで抗真菌剤のターゲットとしては、人には存在せず、かつ真菌類にとってその存在が生育に必須な因子を選ぶ必要がある。その一番の候補として考えられるのは細胞壁である。それ故、真菌類の細胞壁を理解することは非常に重要なことである。

 本研究は出芽酵母の細胞壁構造の制御機構の解明を研究の最終目的としている。細胞壁はその強固な外見から「静的」な存在に思われがちだが、外的ストレスや細胞周期に応じてその構造を刻々と変化させる「動的」な存在である。そしてそのダイナミックな変化を引き起こす細胞壁の生合成の調節機構の詳細について十分な理解には未だ至っていない。本研究では、出芽酵母にCongo red耐性を与える小胞体膜タンパク質Rcr1を通して細胞内オルガネラからの細胞壁の生合成の調節機構を解析した。

1.RCR1の取得

出芽酵母erd1Δ株は、糖鎖修飾に欠陥を生じ、細胞壁のグルカン構造のアセンブリーを阻害する薬剤Congo redに対して感受性を示す。erd1Δ株のCongo red感受性を多コピー発現で抑制する遺伝子をスクリーニングした結果、機能未知のORF、YBR005wが取得された。しかし、YBR005wの多コピー発現はerd1Δ株の他の表現型(糖鎖修飾不全、37℃温度感受性、Geneticin感受性)に対する抑制効果はなかった。更には、野生株や様々な細胞壁変異でもYBR005wを多コピー発現させるとCongo redにより耐性になることが分かった。そこでYBR005wをRCR1(resistance to Congo red 1)と名付けた。RCR1の多コピー発現はまた、出芽酵母をCalcofluor耐性にもした。これらの結果と対応するようにrcr1Δ株はCongo redやCalcofluorに対して感受性を示した。

2.RCR1にコードされるタンパク質の特徴

RCR1は213アミノ酸よりなる一回膜貫通型タンパク質をコードしており、酵母に保存されているタンパク質である。また出芽酵母には46%の相同性を持つYDR003wが存在する。我々はこれをRCR2と名付けた。RCR2の多コピー発現はCongo red耐性効果はなく、遺伝子破壊は野生株やrcr1Δ株のCongo red感受性を強める効果もなかった。そのためCongo red耐性効果はRCR1特異的であり、RCR1/2は生育に必須な役割は果たしていないと考えられる。また、間接蛍光抗体染色法及び遠心分画で調べた結果、Rcr1は小胞体に局在することが分かった。これによりRcr1はCongo redに直接働くのではなく小胞体から間接的に細胞壁に影響しCongo red耐性効果を与えていることが考えられる。Rcr1はタイプI型の膜タンパク質でCongo red耐性には膜貫通領域とC末側の細胞質側領域がその機能に十分であった。このためRcr1は小胞体内腔ではなく細胞質側でその機能を果たすことがCongo red耐性効果に必要であると考えられた。興味深いことに、Rcr2のC末側細胞質領域をRcr1のN末から膜貫通領域までと結合したキメラタンパク質もCongo red耐性効果を持っていた。C末側細胞質側領域はRcr1/2間で相同性が高く、2つのタンパク質の間で共通の機能を有する可能性が考えられる。

3.Congo red耐性は細胞壁のキチンと関係している

 出芽酵母の細胞壁のどの構成成分がCongo redに最も感受性が高いかは詳細に解析されていない。そこでEUROSCARFの遺伝子破壊株の中で細胞壁合成に欠陥を持つ変異株約200株のCongo red感受性とRCR1の多コピー発現による耐性効果を網羅的に調べた。その結果、大半の変異株は野生株よりもCongo red感受性になり、そしてRCR1の多コピー発現でCongo red耐性を獲得した。またグルカン合成(FKS1、ROM2、KRE6)、N糖鎖修飾酵素(MNN9、MNN10、HOC1、ANP1)、GPIアンカータンパク質(GAS1)など細胞壁合成において重要な役割を果たす遺伝子の破壊株はCongo redに高感受性を示し、RCR1の多コピー発現でもCongo red耐性にならなかった。一方、キチン合成酵素IIIをコードするCHS3とそのレギュレーター(CHS4〜7)の遺伝子破壊株はCongo redに耐性を示し、RCR1の多コピー発現をしてもそれ以上耐性にはならなかった。出芽酵母における細胞壁のキチンの90%はChs3が合成する。それ故、細胞壁のキチン含量が減少することがCongo red耐性に十分であることが考えられた。細胞壁成分を測定した結果、RCR1多コピー発現株はアルカリ可溶なグルカンは野生株と比べて変化が見られないのに対してキチン含量が減少していることが分かった。また、Congo redに高感受性を示したfks1Δ株などはキチン含量が野生株の3〜4倍増加していた。一方、rcr1Δ株は野生株と比較してキチン含量の増加していた。Calcofluor染色で細胞壁のキチンを観察したところ、野生株ではbud neckとscarが強く、そしてlateral cell wallは弱いが一様に染色されていた。その一方で、RCR1多コピー発現株ではbud neckとscarの染色が観察されたがlateral cell wallの染色がなくなっていた。以上の結果から、Congo redのメインターゲットは細胞壁のキチンであると結論した。そしてこの結果はRcr1は小胞体膜上で細胞壁のキチン含量を調節するレギュレーターの役割を果たしているというきわめて興味深いものである(1)。

4.Rcr1との結合の解析

 前述の結果からRcr1はChs3を調節する機能を持つことが考えられた。しかしChs3を始めChs5、Chs7などレギュレータータンパク質の局在・発現量はRCR1の多コピー発現しても際立った変化はみられない。またRcr1との結合は確認されず、直接結合による阻害効果も考えにくい。Chs3のキチン合成活性は測定系の誤差範囲が大きくRCR1の効果に帰結するのが困難である。以上のことから、Rcrlの分子の側面からキチン合成への影響を解析することにした。

 免疫沈降によりRcr1の結合タンパク質を探索した結果、小胞体のO糖鎖修飾酵素Pmt4、E3ユビキチンリガーゼRsp5を含む3つのタンパク質が共沈した。また、Congo red耐性に必要なC末側細胞質側領域をベイトにしたtwo-hybridスクリーニングからはRSP5、機能未知ORF YNL144cの部分断片が取得された。RSP5とYNL144cの部分断片はまた、RCR2の同領域とも結合した。

 更に、Pmt4とは膜貫通領域で結合しRsp5の3つのWWドメインを含む部分断片はRcr1の分子内に存在する2つのPXY配列(PPSY、PEY)を介して結合すること、YNL144cとの結合にはPPXY配列が必須であることが分かった。しかし、pmt4Δ株においてもRCR1による耐性活性は失われないことや2つのPXY配列を破壊したRCR1は耐性活性を持つことからこれらの結合はCongo red耐性効果には関係がないと考えられる。また、Rcr1の細胞質側領域とRsp5の部分断片との結合はRcr1のPEY配列が必須で、PPSY配列は結合をより強くする効果は持つが、単独ではRsp5との結合は検出されなかった。この結果はPPXYを持つだけではRsp5との結合に不十分であること示唆し、一方でRcr1-Rsp5の結合の特異性をより強調するものである。また、RCR1多コピー発現株では膜局在するRsp5の割合が増加した。Rcr1/2は、Rsp5を小胞,体膜ヘリクルートすることでCongo red耐性とは別の役割をしているとも考えられる。特にRcr1はPmt4と結合することから、Pmt4によるO糖鎖修飾の基質をユビキチン化するなどにも関わっているかもしれない。また、Ynl144cは2個のPPXYと3個のPXY配列を持つ希有なタンパク質であった。Rcr1のPPXY配列が結合に必須なことからも、PPXYを介した結合ネットワークが予想される。

まとめ

多コピー発現により出芽酵母にCongo red耐性を与えるRCR1の解析を通して、Congo red耐性にはキチンが減少することが十分であることを確証する結果を得た。小胞体に局在するキチン合成のネガティブレギュレーターはこれまで発見されておらず、この結果はキチン合成の調節機構の新たな側面を切り開くものと捉えている。またRcr1はPmt4、Rsp5を始め様々なタンパク質との結合することが明らかとなり、これらの結合はCongo red耐性とは別経路における小胞体におけるRcr1/2の役割を示唆している。

(1)Imai, K., Noda, Y., Adachi, H., Yoda, K.(2005)A novel ER membrane protein Rcr1 regulates chitin deposition in the cell wall of Saccharomyces cerevisiae. J. Biol. Chem.(印刷中)
審査要旨 要旨を表示する

 真菌類の生存生育に必須な細胞壁は、環境に接する細胞の最外層として、細胞を守り、形態を規定し、物質の摂取・排出の関門となっている。主成分は多糖類と糖タンパク質であるが、外的環境や細胞周期に応じて動的に変化する。発酵醸造など応用上並びに抗真菌剤の標的として重要でありながら、細胞壁には未解明の点が多い。本論文は、細胞壁に作用する色素への耐性から新規小胞体膜タンパク質Rcr1を発見し、詳細に解析して得た成果をまとめたもので、序論と2章からなっている。

 序論では、細胞壁に関するこれまでの重要な知見をまとめている。

 第一章では、RCR1遺伝子の取得と産物の解析について述べている。出芽酵母erd1Δ破壊株は、糖鎖修飾に欠陥をもち、色素Congo redに高感受性を示す。Congo red感受性を多コピーで抑制する遺伝子として機能未知のYBR005wを取得した。しかし、糖鎖修飾不全などerd1Δ破壊株の他の表現型は抑制されず、野生株や様々な変異株でもCongo red耐性化を認めた。そこで本遺伝子をRCR1(resistance to Congo red 1)と名付けた。これと対応してrcr1Δ破壊株はCongo red高感受性を示した。

 RCR1は213アミノ酸の一回膜貫通型タンパク質をコードする。46%相同のYDR003wが存在し、これをRCR2と名付けたが、RCR1のような機能はなかった。間接蛍光抗体染色及び遠心分画により、Rcr1は細胞壁ではなく小胞体に局在することが分かった。Congo red耐性化には膜貫通領域とC末側の細胞質側領域で十分であった。興味深いことに、Rcr1のC末側細胞質領域をRcr2と交換しても機能を持っていた。

 出芽酵母細胞壁のどの成分がCongo redの真の標的か確定されていなかった。そこで細胞壁に欠陥を持つ遺伝子破壊株約200株を調べたところ、ほとんどは野生株よりCongo red感受性で多コピーRCR1により耐性化した。ところが、細胞壁キチンの90%を合成するキチン合成酵素IIIをコードするCHS3とその制御遺伝子(CHS4〜CHS7)の破壊株はCongo redに耐性で、多コピーRCR1でもそれ以上に耐性化しなかった。RCR1多コピー株の細胞壁では、アルカリ可溶グルカンは変化ないが、キチンが減少しており、rcr1Δ破壊株ではキチンが増加していた。Calcofluor whiteでキチンを染色すると、RCR1多コピー株では出芽環と出芽痕は染色されたが細胞壁全般はほとんど染色されなかった。以上の結果から、Congo redの主標的は細胞壁キチンであると結論した。

 第二章では、Rcr1と結合するタンパク質の研究成果がまとめられている。上の結果からRcr1にChs3を調節する機能があると考えられた。しかしChs3始めChs5、Chs7などの局在と量はRCR1多コピーでも変化せず、Rcr1とのあいだの結合も認められなかった。一方、免疫沈降により、Rcr1と、小胞体のO糖鎖修飾酵素Pmt4及びE3ユビキチンリガーゼRsp5が共沈した。また、Rcr1のC末側細胞質側領域をベイトにしたtwo-hybridスクリーニングでRsp5及び機能未知のYnl144cが取得された。Rsp5とYnl144cはRcr2とも結合した。Pmt4との結合には膜貫通領域が、WWドメインを3つもつRsp5との結合には2つのPXY配列のうちPEYが、Ynl144cとの結合にはPPSYが、それぞれ必須であった。第2の結果はPPXYがRsp5との結合に必要という常識に反するものである。しかし、pmt4Δ破壊株においてもRCR1によるCongo red耐性化がおこり、2つのPXY配列を破壊したRCR1もその機能を持つことから、これらの結合はCongo red耐性には関係がない。但し、RCR1多コピー株では膜局在Rsp5が増加しており、Rcr1は、Rsp5を小胞体膜へリクルートすることで別の役割を果しているとも考えられる。Ynl144cは2個のPPXYと3個のPXY配列を持つ希有なタンパク質で、これらを介したタンパク質結合ネットワークの存在が予想される。

 以上、本論文は、細胞壁キチン量を制御する小胞体の膜タンパク質Rcr1を発見し、性質を解明し、そのタンパク質間相互作用についても多くの新知見を明らかにしたものであって、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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