学位論文要旨



No 120157
著者(漢字) 軸丸,裕介
著者(英字)
著者(カナ) ジクマル,ユウスケ
標題(和) 高等植物におけるジャスモン酸の機能と情報伝達に関する生物有機化学的研究
標題(洋)
報告番号 120157
報告番号 甲20157
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2840号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 助教授 作田,庄平
 東京大学 助教授 鈴木,義人
 東京大学 助教授 野尻,秀昭
内容要旨 要旨を表示する

(1) 序

 病原体の感染を受けた植物では、病原体の細胞表層由来の断片などがエリシターとなって細胞膜表層の受容体と結合し、これにより病原体感染が認識される。そして、これが引き金となって、活性酸素種(reactive oxygen species:ROS)の発生、pathogenesis-related proteinと総称される抗菌性タンパク質の生産、ファイトアレキシンと総称される低分子の抗菌性二次代謝産物の生合成など、様々な抵抗性反応が誘導される。

 我々の研究グループは、イネ液体培養細胞におけるキチンエリシター誘導のファイトアレキシン生産においてジャスモン酸(JA)がシグナル伝達物質として重要な役割を果たしていることを示した。しかし、その一方で、培養細胞ではJA単独でファイトアレキシンの生産は微弱にしか誘導されず、ジャスモン酸(JA)とともに機能する、重要な因子の関与が考えられていた。そこで、本研究では、イネの主要ファイトアレキシンであるモミラクトン類、ファイトカサン類、サクラネチン(図)のLC-MS/MSによる網羅的解析法を確立するとともに、イネの培養細胞や葉におけるそれらファイトアレキシンの生産誘導に、JAとともに関与する因子を追究した。また、JA受容体等のJA結合タンパク質の単離・解析に有用な分子プローブの開発も試みた。

(2) イネのファイトアレキシン生産におけるジャスモン酸と活性酸素種の関与

 イネのファイトアレキシンとしては、geranylgeranyl diphosphateからent-copalyl diphosphate(ent-CDP)、syn-CDPを経由して生合成される、ジテルペン型化合物(それぞれファイトカサン類、モミラクトン類など)とフラボノイド型化合物(サクラネチン)が存在する。

 本研究では、上記主要ファイトアレキシンのLC-MS/MSによる網羅的解析法を検討し、モミラクトンA,B、ファイトカサンA-E、サクラネチンの同時分析が可能となった。これらのファイトアレキシンの生産誘導活性を指標に、キチンエリシター(N-acetylchitooctaose;0.06μM)、スフィンゴ脂質であるセレブロシドエリシター(cerebroside B;14μM)、重金属エリシターであるCuCl2(500μM)、エリシターの下流で機能するシグナル物質であるJA(500μM)の生理活性をイネ(Oryza sativa L. cv. Nipponbare)の培養細胞と葉で測定した。モミラクトン類の生産誘導について、培養細胞における活性強度はキチンエリシター>>セレブロシドエリシター>CuCl2>JAの順であり、葉における活性強度はCuCl2>JA>セレブロシドエリシター>>キチンエリシター(葉にはほとんど浸透しないためほぼ不活性)の順であった。また、培養細胞においてはモミラクトンBが、葉ではモミラクトンAが主要成分であることも示された。ファイトカサン類の生産についても、同様の傾向が認められた。サクラネチンは、一般に培養細胞ではいずれのエリシターでも微弱な生産誘導しか認められなかったが、葉ではCuCl2、JAに対して顕著な生産誘導活性が認められた。

 上記のように、JAは葉では強いファイトアレキシン誘導活性を示したが、培養細胞では微弱な活性しか示さなかった。一方、最近、培養細胞においてキチンエリシターとH2O2を同時投与することによりモミラクトンAの生産が1.5倍程度に促進されることが報告された。葉においては、光合成の過程で恒常的にH2O2等のROSが生産されていると考えると、葉に比べて培養細胞でJAのファイトアレキシン誘導活性が弱かったのは、葉に比べてROSが少ないことがその一因である可能性が考えられた。そこで、培養細胞においてファイトアレキシン生産に対するJAとH2O2の相互作用を検討した。H2O2(10μM)単独処理ではファイトアレキシン誘導活性は認められなかったが、JA(500μM)とH2O2(10μM)を同時処理した場合、モミラクトン類についてはキチンエリシター処理と同等の生産誘導が認められた。このことから、培養細胞におけるモミラクトン類の生産誘導には、JAと活性酸素種の両方が必要であることが示された。また、ファイトカサン類については、微弱な生産誘導しか認められず、モミラクトン類とファイトカサン類では、生産誘導機構に違いがあることも示唆された。

 一方、葉においては、H2O2(10μM)単独処理で、低いレベルのモミラクトン生産誘導が認められたが、JA(500μM)とH2O2(10μM)の同時処理でも相加的な誘導活性がみとめられる程度に過ぎなかった。これは、もともと光照射下の葉ではモミラクトン生産に要求されるROSが必要量に近いレベルで恒常的に供給されており、モミラクトン類の生産レベルはJAに依存しているためかもしれない。ファイトカサン類については、JA、H2O2の同時処理によって、培養細胞の場合と同様に微弱な生産誘導しか認められなかったが、サクラネチンは、CuCl2処理以上の生産誘導が認められた。

(3) ジャスモン酸結合タンパク質の単離・解析に向けた分子プローブの開発

 近年、植物ホルモンの受容体遺伝子として、ETR1(エチレン受容体)、BRI1(ブラシノステロイド受容体)、CRE1(サイトカイニン受容体)等が単離されたことにより、それらのホルモンのシグナル伝達機構に関する研究は飛躍的に進んでいるが、JAについては、受容体はもとより結合タンパク質に関する報告は最近に至るまで殆どない。そこで、受容体の単離を目指し、JA結合タンパク質の単離と解析に有用な分子プローブの開発を行うことにした。JA結合タンパク質の単離・解析に用いる分子プローブとして、比放射性の高い標識体の調製が容易なJA-アミノ酸複合体、JA結合タンパク質のアフィニティークロマトグラフィーによる精製・単離に用いるJA-biotin複合体、酵母three-hybrid systemによるJA結合タンパク質遺伝子の単離にbaitとして用いるJA-dexamethasone(JA-dex)複合体、nonradioactiveでJA結合タンパク質の標識を行うJA-fluoresceine isothiocyanate(JA-FITC)複合体を合成し、イネ伸長抑制活性検定、ダイズ培養細胞phenylalanine ammonia-lyase(PAL)誘導活性検定、葉におけるモミラクトンA誘導活性検定の3種の検定系を用いてそれらの生理活性検定を行った。

 JA-Ala、JA-Val、JA-Leuの3種のJA-アミノ酸複合体については、イネ伸長抑制活性検定で天然型の(-)-JA-L-アミノ酸、非天然型の(+)-JA-L-アミノ酸がほぼ同等の生理活性を示したが、ダイズ培養細胞PAL誘導活性検定では天然型が非天然型よりも高い生理活性を示した。また、モミラクトンA誘導活性検定では、天然型のみが活性を示し非天然型が不活性であった。JA-Ileについては、イネ伸長抑制活性検定で天然型の(-)-JA-L-アミノ酸、非天然型の(+)-JA-L-アミノ酸がほぼ同等の生理活性、ダイズ培養細胞PAL誘導活性検定では天然型が非天然型よりも高い生理活性を示したが、イネファイトアレキシン誘導活性検定ではいずれの光学異性体も不活性であった。JA-Glyは、イネ伸長抑制活性検定、ダイズ培養細胞PAL誘導活性検定でJAに近い高い活性を示した。JA-biotin複合体、JA-dex複合体は、イネ伸長抑制活性、PAL誘導活性で微弱な活性を示したが、JA-FITC複合体は全ての活性検定系で不活性であった。以上の結果より、JA-FITC複合体以外のJA誘導体はJA様活性を有しており分子プローブとしてJA結合タンパク質の単離・解析に有用であると考えられる。また、合成した各誘導体の活性スペクトルが異なることも示された。

(4) まとめ

 本研究によって、イネの主要ファイトアレキシンであるモミラクトン類の生産において、JAとROSがそれぞれ重要な因子として機能していることが示された。また、サクラネチンについてもJAとROSが相乗的に生産を促進していることが確認された。ファイトカサン類については、JAとROSの同時処理ではキチンエリシター単独処理ほどの誘導が見られなかったことから、エリシターシグナルにより誘導されるファイトアレキシン類の生産にはそれぞれに特異的な二次シグナルを介した生産誘導機構が存在する可能性が示された。

 JA結合タンパク質の単離・解析に用いる分子プローブの開発を目的として、JA-アミノ酸複合体、JA-biotin複合体、JA-dex複合体、JA-FITC複合体を合成し、3種の検定系を用いてそれらの生理活性検定を行った。その結果、JA-FITC複合体以外のJA誘導体はJA様の生理活性を有していることが示され、JA結合タンパク質の単離・解析に有用であることが示唆された。また、合成した誘導体の活性スペクトルが異なることから、それぞれの検定系で複数の異なるタイプの受容体が機能している可能性が示された。

図 モミラクトン類、ファイトカサン類、サクラネチンの構造

審査要旨 要旨を表示する

 病原体の感染を受けた植物では、病原体の細胞表層由来の断片などがエリシターとなって細胞膜表層の受容体と結合し、これにより病原体感染が認識される。そして、これが引き金となって、過酸化水素などの活性酸素種の発生、pathogenesis-related proteinと総称される抗菌性タンパク質の生産、ファイトアレキシンと総称される低分子の抗菌性二次代謝産物の生合成など、様々な抵抗性反応が誘導される。

 イネ液体培養細胞においても、キチンエリシター処理によりファイトアレキシン生産が誘導されるが、その反応系においてジャスモン酸(JA)がシグナル伝達物質として重要な役割を果たしていることが示された。しかしながら、培養細胞ではJA単独でファイトアレキシンの生産は微弱にしか誘導されず、ジャスモン酸(JA)とともに機能する、重要な因子の関与が考えられていた。そこで、本論文では、イネの主要ファイトアレキシンであるモミラクトン類、ファイトカサン類、サクラネチンのLC-MS/MSによる網羅的解析法を確立するとともに、イネの培養細胞や葉におけるそれらファイトアレキシンの生産誘導に、JAとともに関与する因子を追究した。また、JA受容体等のJA結合タンパク質の単離・解析に有用な分子プローブの開発も試みた。

 まず、第1章で、ジャスモン酸の生理機能やシグナル伝達、ファイトアレキシン生合成系について概観し、本研究の目的を示した。

 第2章では、LC-MS/MSによるイネの主要ファイトアレキシン類の網羅的解析法を確立するとともに、各種エリシターのファイトアレキシン誘導活性をイネ(Oryza sativa L. cv. Nipponbare)の液体培養細胞及び葉で測定し、確立したファイトアレキシン類の解析法の有用性を確認した。更に、この解析法を用いて、ファイトアレキシン生産にJAと協調的に機能するシグナル因子の探索を試みた。

 培養細胞では、JA単独処理では微弱にしか生産されないが、光照射下の葉ではJA単独処理でも顕著にモミラクトン類が生産されることに着目し、培養細胞では発生しないが光照射下の葉では恒常的に発生している過酸化水素などの活性酸素とJAが協調的に機能している可能性を追求した。その結果、培養細胞にJAと過酸化水素を同時処理するとキチンエリシター処理に近いレベルのモミラクトン類の生産が認められることが示された。また、葉におけるサクラネチン生産においても、過酸化水素とJAの相乗効果が認められた。ファイトカサン類については、JAと過酸化水素を同時処理してもエリシター処理のレベルの1/2程度までの増加しか見られなかった。一方、キチンエリシター処理によりリン脂質から遊離し、過酸化水素誘導活性を示すことが示されているフォスファチジンサンについても、JAとの協調作用があるかどうかを調べた。モミラクトン類、ファイトカサン類については顕著なJAとの相乗効果は認められなかったが、葉におけるサクラネチン生産には過酸化水素以上の相乗効果を示した。こうして、イネの主要3系統のファイトアレキシン類の生合成には、JA、活性酸素を中心としつつも相互に異なる制御機構が機能している可能性が示された。、

 第三章では、JA結合タンパク質の単離・解析に向けた分子プローブの開発を行った。比放射性の高い標識体の調製が容易なJA-アミノ酸(glycine、alanine、b-alanine、valine、leucine、isoleucine)複合体、酵母three-hybrid systemによるJA結合タンパク質遺伝子の単離にbaitとして用いるJA-dexamethasone複合体、JA結合タンパク質のアフィニティー精製に用いるJA-biotin複合体、nonradioactiveでJA結合タンパク質の標識に用いるJA-fluoresceine isocyanate(JA-FITC)複合体を合成し、3種の検定系でそれらの生理活性を測定した。その結果、JA-FITC複合体以外の化合物はJA様の生理活性を示し、分子プローブとして有用である可能性が示された。また、3種の検定系で、合成した化合物が異なる活性スペクトルを示したことから、それぞれの検定系で複数の異なるタイプの受容体が機能している可能性も示された。

 以上、本研究はイネにおけるエリシター誘導のファイトアレキシン生産に過酸化水素がJAと協調的に機能する重要なシグナル因子であることを明らかにするとともに、JA受容体の単離・解析に有用な分子プローブを開発したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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