学位論文要旨



No 120161
著者(漢字) 日高,將文
著者(英字)
著者(カナ) ヒダカ,マサフミ
標題(和) 新規な構造を有する糖質関連酵素のX線結晶構造解析
標題(洋)
報告番号 120161
報告番号 甲20161
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2844号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 鮫島,正浩
 東京大学 助教授 堀内,裕之
 東京大学 助教授 若木,高善
内容要旨 要旨を表示する

 糖質の代謝に関連する酵素(糖質関連酵素)は、触媒能を基に糖加水分解酵素(Glycoside Hydrolase, GH; EC3.2.1群)、糖転移酵素(GlycosylTransferase, GT; EC2.4群)、エステラーゼ、多糖リアーゼの4つのクラスに分類されている。各クラスは、アミノ酸配列に基づいて分類されたファミリーで構成されており、同一ファミリー内に分類される酵素は、立体構造、機能に高い類似性を示すと考えられる。GHは約12000の遺伝子が97のファミリーに、GTは約10000の遺伝子が75のファミリーに分類されている。近年、立体構造の決定や構造予測により、全く異なる機能を有するファミリー間で、立体構造の相同性が見出されてきた。そのため構造未知ファミリーの立体構造を解明することは、そのファミリー内の酵素のみならず、類似構造を有する多くのファミリーに対しても分子進化、触媒反応、基質認識機構などの新たな構造的知見を与えることが期待されている。本研究は、応用面で注目されている構造未知の糖質関連酵素ファミリーGH-42、GT-36を対象としてX線結晶構造解析を行った。これらの新規構造を構造既知ファミリーと比較し、糖質関連酵素の進化的、構造的関連について興味深い知見を得た。

耐熱性β-ガラクトシダーゼ(GH-42)

 β-ガラクトシダーゼは、ラクトースをガラクトースとグルコースに加水分解する酵素である。E. coli由来のβ-ガラクトシダーゼは、ラクトースオペロンを形成するlacZ遺伝子の産物として知られ、α相補と呼ばれる特異な性質を応用した実験などに利用されており、有用酵素の一つとして知られている。近年、乳製品中ラクトースの加水分解活性を利用した乳業への応用が試みられ、工業利用を目指した耐熱性のβ-ガラクトシダーゼが注目されている。好熱性細菌Thermus thermophilus A4由来のβ-ガラクトシダーゼ(A4-β-Gal)は70℃で20時間以上安定な極めて高い耐熱性を有し、アミノ酸配列からGH-42に分類される。GH-42は、その有用性にもかかわらず反応機構、立体構造、触媒残基など不明であった。

 本研究では1H NMRを用いて、A4-β-Galの反応が、加水分解反応の前後で糖アノマーの反転を伴わないアノマー保持型であることを明らかにした。またA4-β-Galの立体構造を、多波長異常分散法(MAD法)を用いて1.6Å分解能で決定した[1]。A4-β-Galの立体構造は、図1に示すようなTIMバレルフォールドを有していた。TIMバレルはGHの構造として最も多いフォールドであり、他のTIMバレル型糖質関連酵素との構造比較から触媒残基(Glu141、Glu312)を決定した。A4-β-GalのTIMバレルフォールドにはGHの進化上、以下の極めて興味深い点を見出された。GH及びGTは、基質と生成物のアノマーの関係から、アノマー反転型と保持型に分けられるが、それぞれ異なる反応機構をとることが知られており、これらの酵素は独立した分子進化を果たしたと考えられてきた。A4-β-Galは保持型酵素であるが、活性中心部位は保持型酵素、骨格となるTIMバレル構造は反転型酵素の構造を持つ、極めて特殊な形状であった。これは、A4-β-Galが反転型酵素と保持型酵素の進化の分岐を示しており、保持型・反転型酵素の構造的・進化的な関連を示す初めての発見であった。

キトビオースホスホリラーゼ(GT-36→GH-94)

 GTは糖-リン酸エステル結合を含む供与体(多くは糖核酸)の高エネルギー結合を利用して受容体にグリコシル基を転移する反応を触媒する。加リン酸分解酵素(EC2.4.1.-)は、糖鎖にリン酸を付加しつつ切断し、糖リン酸を生成する反応を触媒するが、糖-リン酸の結合エネルギーは糖-核酸の結合エネルギーほど高くないため、反応は合成方向にも進む可逆性を有する。従って、加リン酸分解酵素は様々な糖鎖合成に応用できる可能性を持つ。加リン酸分解酵素は触媒能からはGTに分類されるべき酵素(GT-4、GT-35、GT-36)であるが、数種の加リン酸分解酵素はアミノ酸配列の相同性から、GHに分類されている(GH-13、GH-65)。そのため加リン酸分解酵素の分類は非常に複雑であり、また立体構造情報が少ないため、その反応機構やGH、GTとの関係は不明な部分が多かった。

 Vibrio proteolyticus由来のキトビオースホスホリラーゼ(ChBP)はキトビオース(GlcNAc-β(1,4)-GlcNAc)+リン酸〓GlcNAc-α-1-リン酸+GlcNAcの反応を触媒する反転型の加リン酸分解酵素である。ChBPはセロビオースホスホリラーゼ(CBP; Glc-β(1,4)-Glc+リン酸〓Glc-α-1-リン酸+Glc)、重合度3以上のセロオリゴ糖に特異的なセロデキストリンホスホリラーゼ(CDP;(Glc)n+リン酸〓Glc-α-1-リン酸+(Glc)n-1)とともにGT-36に分類されていた。GT-36酵素の多くは、呼吸によりエネルギーを獲得することができない嫌気性生物が有しており、これらの生物では解糖系や脂質合成の初発物質である糖リン酸を、ATP依存的なグルコキナーゼの代わりに加リン酸分解酵素を用いて生成することで、エネルギーを節約していると考えられている。

 本研究ではGT-36の酵素として初めてChBPの立体構造を、MAD法を用いて1.6Å分解能で明らかにした[2]。その立体構造は、既知のGTとは全く異なるフォールドを有する一方、GH-15、GH-65の酵素と相同性を示した(図2)。

また、反転型加リン酸分解酵素として初めて基質(GlcNAc)、リン酸アナログ(硫酸)との三者複合体構造を明らかにした。これらの構造的基盤から、反転型加リン酸分解酵素の反応機構(図3)を明らかにした。この反応機構は、グリコシド結合を求核攻撃する分子がリン酸である点を除けば、反転型GHの反応機構と同じである。以上、ChBPとGHの立体構造、及び反応機構の相同性を踏まえて、GT-36は新たに設置されたGHファミリー(GH-94)に再分類されることになった。これは、GTに分類されていた酵素が立体構造の解明によりGHに再分類された最初の例となった。

セロビオースホスホリラーゼ(GH-94)

 GH-94に分類されるCellvibrio gilvus由来CBP(CgCBP)は、反応機構、基質特異性、オリゴ糖合成への応用に関して、GH-94中最も詳細な解析が行われている酵素である。CgCBPについても結晶化に成功し[3]、ChBPの構造をサーチモデルとした分子置換法を用いて解析を行ったところ、活性中心部位にグルコース、グリセロール、リン酸が結合した立体構造を2.1Å分解能で決定した(図4)。この立体構造から、ChBPの構造解析では得られなかったリン酸の結合に関する知見が得られた。また、ChBPとの立体構造比較から、それぞれの基質特異性を決定している残基が明らかになった。

[1] M. Hidaka et al., Journal of Molecular Biology, 322, 79-91(2002)[2] M. Hidaka et al., Structure, 12, 937-947(2004)[3] M. Hidaka et al., Acta crystallographica Section D, 60, 1877-1878(2004)

図1 A4-β-Galの構造

図2 ChBPの立体構造と類似構造

図3 反転型加リン酸分解酵素の反応(左)と既知の反転型加水分解酵素の反応(右)

図4 CgCBPの構造

審査要旨 要旨を表示する

 糖質の代謝に関連する酵素(糖質関連酵素)は、触媒能を基に糖加水分解酵素(Glycoside Hydrolase,GH;EC3.2.1群)、糖転移酵素(GlycosylTransferase,GT;EC2.4群)、エステラーゼ、多糖リアーゼの4つのクラスに分類されている。各クラスは、アミノ酸配列に基づいて分類されたファミリーで構成されており、同一ファミリー内に分類される酵素は、立体構造、機能に高い類似性を示すと考えられる。GHは約12000の遺伝子が97のファミリーに、GTは約10000の遺伝子が75のファミリーに分類されている。近年、立体構造の決定や構造予測により、全く異なる機能を有するファミリー間で、立体構造の相同性が見い出されてきた。そのため構造未知ファミリーの立体構造を解明することは、そのファミリー内の酵素のみならず、類似構造を有する多くのファミリーに対しても分子進化、触媒反応、基質認識機構などの新たな構造的知見を与えることが期待されている。本論文は、応用面で重要度の高い構造未知の糖質関連酵素ファミリーGH-42,GT-36を対象としてX線結晶構造解析を行い、これらの新規構造を構造既知ファミリーと比較し、糖質関連酵素の進化的、構造的関連について興味深い知見を得ている。

 第1章では、GH-42に属する耐熱性β-ガラクトシダーゼの構造と機能を解明した研究について記述されている。β-ガラクトシダーゼは、ラクトースをガラクトースとグルコースに加水分解する酵素である。大腸菌由来のβ-ガラクトシダーゼは、ラクトースオペロンを形成するlacZ遺伝子の産物として知られ、α相補と呼ばれる特異な性質を応用した分子生物学実験などに利用されており、有用酵素の一つとして知られている。近年、乳製品中ラクトースの加水分解活性を利用した乳業への応用が試みられ、工業利用を目指した耐熱性のβ-ガラクトシダーゼが注目されている。好熱性細菌Thermus thermophilus A4由来のβ-ガラクトシダーゼ(A4-β-Gal)は、70℃で20時間以上安定な極めて高い耐熱性を有し、アミノ酸配列からGH-42に分類される。GH-42は、その有用性にも関わらず反応機構、立体構造、触媒残基など不明であった。本論文では1H NMRを用いて、A4-β-Galの反応が、加水分解反応の前後で糖アノマーの反転を伴わないアノマー保持型であることを明らかにした。またA4-β-Galの立体構造を、多波長異常分散法(MAD法)を用いて1.6Å分解能で決定した。A4-β-Galの立体構造は、TIMバレルフォールドを有していた。TIMバレルはGHの構造として最も多いフォールドであり、他のTIMバレル型糖質関連酵素との構造比較から触媒残基(Glu141,Glu312)を決定した。A4-β-GalのTIMバレルフォールドからGHの進化上、以下の極めて興味深い点を見出した。GH及びGTは、基質と生成物のアノマーの関係から、アノマー反転型と保持型に分けられるが、それぞれ異なる反応機構をとることが知られており、これらの酵素は独立した分子進化を果たしたと考えられてきた。A4-β-Galは保持型酵素であるが、活性中心部位は保持型酵素、骨格となるTIMバレル構造は反転型酵素の特徴を持つ、極めて特殊な形状であった。これは、A4-β-Galが反転型酵素と保持型酵素の進化の分岐を示しており、保持型・反転型酵素の構造的・進化的な関連を示す初めての発見であった。

 第2章では、GT-36に属する加リン酸分解酵素である、キトビオースホスホリラーゼ(ChBP)の構造に関する研究を行っている。加リン酸分解酵素は、糖鎖にリン酸を付加しつつ切断し、糖リン酸を生成する反応を触媒するが、糖-リン酸の結合エネルギーは糖核酸の結合エネルギーほど高くないため、反応は合成方向にも進む可逆性を有する。従って、加リン酸分解酵素は様々な糖鎖合成に応用されている。加リン酸分解酵素は転移反応を触媒するためGTに分類されるべき酵素であるが、一部の加リン酸分解酵素はGH酵素とアミノ酸配列が相同なため、GHに分類されている。そのため加リン酸分解酵素の分類は非常に複雑であり、また立体構造情報が少ないため、その反応機構やGH,GTとの関係は不明な部分が多かった。ChBPはキトビオース(GlcNAc-β(1,4)-GlcNAc)+リン酸←→GlcNac-α-1-リン酸+GlcNAcの反応を触媒する反転型の加リン酸分解酵素である。ChBPはセロビオースホスホリラーゼ(CBP)などとともにGT-36に分類されていた。本論文ではGT-36の酵素として初めてChBPの立体構造をMAD法を用いて1.6Å分解能で明らかにした。その立体構造は既知のGTとは全く異なるフォールドを有する一方、GH-15,GH-65の酵素と相同性を示した。また、反転型加リン酸分解酵素として初めて基質(GlcNAc)、リン酸アナログ(硫酸)との三者複合体を明らかにした。これらの構造的基盤から、反転型加リン酸分解酵素の反応機構が推定された。この反応機構は、グリコシド結合を求核攻撃する分子がリン酸である点を除けば、反転型GHの反応機構と酷似している。以上の結果を踏まえて、GT-36は新設されたGHファミリー(GH-94)に再分類されることになった。これは、GTに分類されていた酵素が立体構造の解明によりGHに再分類された最初の例となった。

 第3章では、ChBPと同じくGH-94に分類されるセロビオースホスホリラーゼ(CBP)の構造解析に関して記述している。CBPは、反応機構、基質特異性、オリゴ糖合成への応用に関して、同ファミリー中最も詳細な解析が行われている酵素である。分子置換法を用い、CBPの活性中心にグルコースとリン酸が結合した立体構造を2.1Å分解能で決定し、ChBPでは得られなかったリン酸の結合に関する知見が得られた。また、ChBPとの立体構造比較から、それぞれの基質特異性を決定している残基が明らかになった。

 以上、本論文は、新規な構造を有する糖質関連酵素を3種決定し、それらの酵素の産業利用・応用上重要な構造基盤を得ることに成功しただけでなく、糖質関連酵素の分子進化に関して重要な基礎的知見を得ている。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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