学位論文要旨



No 120162
著者(漢字) 吉沢,洋一
著者(英字)
著者(カナ) ヨシザワ,ヨウイチ
標題(和) Hydrogenovibrio marinusに対する二酸化炭素濃度の影響
標題(洋) Effect of carbon dioxide concentration on Hydrogenovibrio marinus
報告番号 120162
報告番号 甲20162
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2845号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 若木,高善
 東京大学 助教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 植物をはじめ、藻類や多くの独立栄養細菌はカルビン回路を用いて炭酸固定を行っている。この回路の鍵酵素の一つであるRibulose-1,5-bisphosphate carboxylase/oxygenase(RubisCO)は、二酸化炭素を有機物に変換する炭酸固定反応を触媒する。ほとんど全ての生物が最終的にこの反応に依存しているため、RubisCOは地球上で最も重要な酵素と言っても過言ではない。

 細菌においては、I型(8個のラージサブユニットと8個のスモールサブユニットからなる)とII型(ラージサブユニットのみからなる)の典型的な二種類のRubisCOに加え、近年のゲノム解析によりアーキアに存在するIII型やBacillus属に見出されたRubisCO活性を持たないが一次構造がI型と類似しているIV型の存在が明らかにされている。RubisCOの合成や酵素活性には数多くの要因が関与しており、例えば、Ω値(炭酸固定反応と副反応であるオキシゲナーゼ反応の反応特異性の比)、遺伝子発現制御、カルボキシソーム形成などが挙げられる。ある生物のRubisCOにはその酵素に特有のΩ値があり、この値が高いほどオキシゲナーゼ反応に対して炭酸固定反応の反応効率がよいため、高酸素存在下においても二酸化炭素を選択的に取り込むことができ、低二酸化炭素濃度に適応していると言える。RubisCO遺伝子の発現は多くの場合、すぐ上流逆向きに位置するLysR様転写制御因子によって制御されている。また、カルボキシソームはシアノバクテリアと数種の化学独立栄養細菌に存在する細胞内小胞であり、RubisCOを内部に隔離することでRubisCOの炭酸固定効率を高めていると考えられている。

 Hydrogenovibrio marinus MH-110株は、海水から単離された絶対独立栄養性水素細菌であり、カルビン回路を用いて炭酸固定を行っている。MH-110株は、2種類のI型(CbbLS-1とCbbLS-2)と1種類のII型(CbbM)の、合計3種類のRubisCOを持っている。これまでに各RubisCOのΩ値は決定されており、またそれぞれの遺伝子も既に単離されている。しかし、生体内におけるこれら3種のRubisCOの役割分担は不明であり、いまだ炭酸固定機構の全体像は明らかとなっていない。そこで本研究では、H. marinusの炭酸固定に関する知見を深めることを目的とし、RubisCO遺伝子クラスターの構造の解明、異なるCO2に応答して発現するRubisCOの解析に加え、遺伝子クラスターの構造から明らかとなったカルボキシソーム遺伝子群の分子生物学的解析、さらにはCO2濃度依存的に発現する遺伝子の探索を行った。

2.3種類のRubisCO遺伝子クラスターの構造

 独立栄養細菌では、RubisCO遺伝子は他のカルビンサイクルに関わる遺伝子とクラスターを形成していることが多い。そこでH. marinusの3種類のRubisCO遺伝子クラスターの構造を調べた。既に単離されているRubisCO遺伝子の部分断片をプローブとしてサザンハイブリダイゼーションを行い、この結果をもとにゲノムライブラリーを作製し、各RubisCO遺伝子の周辺を含むクローンのスクリーニングを行った。得られたクローンの塩基配列を決定し、相同性検索を施した。その結果、cbbLS-1の上流にはcbbR1、下流にはcbbQ1、cbbO1が、cbbLS-2の下流にはカルボキシソームの殻タンパク質をコードする遺伝子群(csoS2,csoS3,ORFA,ORFB,csoS1C,csoS1A,csoS1B)とそれに引き続く3つのORFが、cbbM領域には既に知られている上流のcbbRm、下流のcbbQmの他、cbbOm、カーボニックアンヒドラーゼcanが発見された。cbbQ1、cbbO1、cbbQm、cbbOmはRubisCOの翻訳後修飾、安定化に寄与すると考えられているタンパク質をコードする遺伝子である。

3.CO2濃度応答によるRubisCOとカルボキシソームの発現

 複数のRubisCOを持つ細菌では、異なるRubisCOの発現はCO2濃度に依存することが知られているため、異なるCO2濃度(15%、2%、0.15%、0.03%)における本菌の3種類のRubisCOの発現を調べた。各CO2濃度下で小型のジャーファーメンターを用いて培養し、細胞から細胞粗抽出液を調製し、immunoblottingを行った。一次抗体には、各RubisCOを特異的に認識するポリクローナル抗体を用いた。CbbLS-1とCbbLS-2は相同性が高いため、相互認識しないようにスモールサブユニットのN末端アミノ酸付近で異なる配列をもとに設計したオリゴペプチドから合成した抗Cbb-S1ペプチド抗体、抗Cbb-S2ペプチド抗体を使用した。CbbMについては、精製タンパク質から作製された抗CbbM抗体を使用した。その結果、15%ではCbbMのみが、2%ではCbbMに加えてCbbLS-1が、0.15%ではCbbLS-2とCbbMが、そして0.03%では3種類全てのRubisCOが発現していた。また、転写レベルでの発現をRT-PCRによって確認したところ、immunoblottingの結果と一致したため、これらの発現は転写レベルで制御されていることが示された。同時にcbbLS-2下流のカルボキシソーム遺伝子の発現も調べたところcbbLS-2の発現パターンと一致したことから、カルボキシソームが形成されていることが予測された。そこで透過型電子顕微鏡を用いて細胞観察を行ったところ、低CO2濃度(0.15%、0.03%)で培養した菌体ではカルボキシソームの特徴である六角形の細胞内小胞が多数確認された。

4.カルボキシソームオペロンとカルボキシソーム遺伝子破壊株の解析

 低CO2濃度下で特異的に発現するcbbLS-2とカルボキシソーム遺伝子群の転写解析をRT-PCRにより行った。PCR産物が各遺伝子間を重複するようにプライマーを設計し、ランダムプライマーを用いて合成されたcDNAを鋳型としてPCRを行った。その結果、csoS1CAB領域が増幅されなかったことからこの遺伝子の上流に別の転写開始点があることが示唆された。プライマーエクステンション法によって転写開始点を決定したところ、csoS1Cの上流に二つの転写開始点を見出した。以上の結果より、カルボキシソーム遺伝子クラスターは、単一のオペロンではなく二つのオペロンから構成されることが示された。

 また、低CO2濃度においてカルボキシソームが必須であることをカルボキシソーム遺伝子破壊株を構築することによって調べた。cbbLS-2のすぐ下流のcsoS2遺伝子にカナマイシン耐性遺伝子を挿入することでカルボキシソーム遺伝子破壊株dCS2を構築した。dCS2株は、高CO2濃度(15%、2%)では野生株と変わらぬ生育を示したが、低CO2濃度(0.15%、0.03%)では生育できなかった。各RubisCOの発現パターンを調べたところ、低CO2濃度において、CbbLS-2の発現は野生株と同等であったがCbbLS-1の発現が上昇していた。さらに電子顕微鏡を用いて低CO2濃度で培養したdCS2株の観察を行ったところ、カルボキシソームは確認されなかった。従って、低CO2濃度での生育にはRubisCOのみならずカルボキシソームが必須であることが示された。さらにカルボキシソーム遺伝子下流に存在するbfr遺伝子についても破壊株dBFを構築し、その機能を調べた。その結果、各CO2濃度における生育とRubisCOの発現パターンはdCS2株と同様であったが、電子顕微鏡観察ではカルボキシソームの形成異常と考えられる繊維状の構造が見られた。したがって、bfrまたはその下流の二つの機能未知のORF(極性効果によって影響を受ける)のいずれかがカルボキシソームの形成に関与していることが示唆された。

5.異なるCO2濃度での遺伝子発現の違いの解析

 CO2濃度の違いによって細胞にどのような変化が生じるのかを遺伝子の発現パターンの変化により解析した。手法は、RNA Arbitrarily Primed(RAP)PCR法を用いた。まず、高CO2濃度(15%)と低CO2濃度(0.15%)で培養した菌体から全RNAを抽出し、ランダムプライマーを用いて逆転写反応を行い、それぞれのRNAからcDNAを合成した。このcDNAを鋳型として、20種類の異なるarbitrary primerを用いてPCRを行い、PCR産物をアガロースゲル電気泳動により分離した。上の二つの条件で培養したサンプルのPCR産物を隣り合わせに泳動し、バンドパターンの比較を行うことで、CO2濃度特異的に発現しているRAP-PCR断片が検出される。次に、CO2濃度特異的に増幅したRAP-PCR断片を切り出して、再度同じ条件でPCRを行い、PCR産物をTAクローニングし、塩基配列を決定した。その塩基配列をもとに相同性検索を行った結果、低CO2濃度特異的に発現する遺伝子の中で炭酸固定と関係するものの中にカルボキシソーム遺伝子があった。また、多くの独立栄養細菌において、RubisCO遺伝子の転写を制御しているCbbRをコードする遺伝子と相同性のある遺伝子が見つかった。これは、MH-110株が保有する既知の2つのcbbRとは異なる新規な遺伝子であった。RAP-PCR法によって単離された遺伝子が実際にCO2濃度依存的に発現しているかどうかをdot blot hybridizationによって確認した。採取したRNAをメンブレンにブロットし、RAP-PCR産物をRI標識したものをプローブとして、ハイブリダイゼーションを行った。その結果、新たに発見したcbbRが低CO2濃度で特異的に発現していることが確認された。そこで、この遺伝子を含む約6.9kbのEcoRI断片のクローニングを行った。全塩基配列を決定したところ、5'側がカルボキシソーム遺伝子の下流と一致した。すなわち、この断片はカルボキシソーム遺伝子下流の断片であり、新たなcbbRはcbbLS-2の約10kb下流に位置する。そこで本遺伝子をcbbR2と命名した。cbbR2は316アミノ酸をコードする951bpのORFであり、翻訳アミノ酸配列はCbbR1、CbbRmとそれぞれ約39%、約42%の相同性を示した。さらに、異なるCO2濃度での発現を調べたところ、0.15%と0.03%で発現が見られ、cbbLS-2およびカルボキシソーム遺伝子と発現パターンが一致することが分かった。また、この遺伝子の領域について転写解析を行ったところ、上流に存在する二つの遺伝子とオペロンをなしていることが明らかとなった。

6.まとめ

 本研究では、3種類のRubisCO遺伝子クラスターの構造を明らかにし、異なるCO2濃度下での各RubisCOの発現を調べた。CbbMは高CO2濃度で主要な発現を示し、一方、CbbLS-2は低CO2濃度でのみ発現が見られた。CbbLS-1はそれらのRubisCOによる炭酸固定が十分でない場合に発現し補助的な役割をすると考えられる。また、低CO2濃度下において効率的に炭酸固定を行うためにはCbbLS-2のみならず、カルボキシソームが必須であることが示された。そして、カルボキシソーム遺伝子クラスターの下流に存在する3つの遺伝子もカルボキシソームの形成に関与していることが示唆された。その具体的な機能を解明することは今後の課題である。また、cbbLS-2の約10kb下流に同定された転写制御因子CbbR2は、cbbLS-2とカルボキシソーム遺伝子の転写を制御している可能性が考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 Ribulose-1,5-bisphosphate carboxylase/oxygenase(RubisCO)は、カルビン回路の中の鍵酵素であり、二酸化炭素を有機物に変換する炭酸固定反応を触媒する。ほとんど全ての生物が最終的にこの反応に依存しているため、RubisCOは地球上で最も重要な酵素と言っても過言ではない。また、微生物による炭酸固定反応は地球上の炭素循環の中で一翼を担っているため、分子レベルでの炭酸固定反応の発現制御等の解析は重要である。本研究では、二酸化炭素濃度を唯一の炭素源として生育する絶対独立栄養性水素細菌Hydrogenovibrio marinus MH-110株を用いて、二酸化炭素濃度がMH-110株に及ぼす影響について研究を行っている。本論文は、第1章の序論、第6章の結論を含む6章から構成されている。

 第2章では、MH-110株が保有する3種類のRubisCOの遺伝子クラスター構造を解明しており、cbbLS-1の上流には、RubisCOの転写制御因子であるcbbR1、下流にはRubisCOの翻訳後構造の安定化に寄与すると考えられる遺伝子cbbQ1、cbbO1を、cbbLS-2の下流にはカルボキシソームの殻タンパク質をコードする遺伝子群とそれに引き続く3つのORFを、cbbMの下流に存在する既知のcbbQmのさらに下流にcbbOm、カルボニックアンヒドラーゼをコードする遺伝子canを同定したことが述べられている。

 第3章では、CO2応答によるRubisCOとカルボキシソームの発現について解析を行っている。より具体的には、異なるCO2濃度(15%、2%、0.15%、0.03%)において、3種類のRubisCO発現をタンパク質レベル、転写レベルで解析した結果がまとめられている。高CO2濃度(15%、2%)で主に炭酸固定を行うCbbM、低CO2濃度(0.15%、0.03%)で炭酸固定を行うCbbLS-2、それら二つの炭酸固定活性を補填するCbbLS-1と、各RubisCOの発現パターンが異なることから炭酸固定に適した環境が異なることが示唆されている。また電子顕微鏡観察によって、低CO2濃度で培養した菌体にはカルボキシソームが多数観察され、低CO2濃度におけるカルボキシソームの重要性が指摘されている。

 第4章では、カルボキシソームオペロンとカルボキシソーム遺伝子破壊株の解析を行っている。cbbLS-2とカルボキシソーム遺伝子群の転写解析はRT-PCRによって行われ、その結果からカルボキシソーム遺伝子クラスターは、二つのオペロンから構成されることが示されている。そしてプライマーエクステンション法によって、カルボキシソーム遺伝子クラスター内部の転写開始点が決定された。

 また、カルボキシソーム遺伝子の一つであるcsoS2の破壊株(dCS2)とカルボキシソーム遺伝子下流の機能未知の遺伝子bfrの破壊株(dBF)を構築し、それらの解析を行っている。両破壊株とも低CO2濃度では生育できない、高CO2要求性の変異株であることが示された。各RubisCOの発現パターンを調べており、低CO2濃度では、両破壊株ともCbbLS-2の発現に加え、CbbLS-1の発現が上昇していることが明らかとされた。さらに、低CO2濃度で培養した両破壊株の電子顕微鏡観察を行い、カルボキシソームは確認されなかったことからカルボキシソームが必須であることが示された。また、dBFではカルボキシソームの形成異常と考えられる繊維状の構造が見られたことから、bfrまたはその下流の二つの機能未知のORFもカルボキシソームの形成に関与していることが示唆された。

第5章では、CO2濃度の違いによって細胞にどのような変化が生じるのかを遺伝子の発現パターンの変化により解析している。RNA Arbitrarily Primed(RAP)PCR法によって、MH-110株が保有する既知の2つのcbbRとは異なる第3のcbbRが単離されたことが述べられている。この遺伝子は、低CO2濃度で特異的に発現していることが確認された。また、新規cbbRを含むDNA断片のクローニングを行った結果、cbbLS-2の約10kb下流に位置することが示されたため、新規遺伝子をcbbR2と命名している。さらにこの遺伝子産物とcbbLS-2のプロモーターの結合能を調べており、結合することが示唆されている。

 以上、本研究は絶対独立栄養細菌における炭酸固定の複雑なメカニズムの一端を解明したものであり、これまで研究例のなかった単一の細菌において、in vivoにおける3種類のRubisCOの発現パターン解明、低CO2濃度で重要な役割を担うカルボキシソームの分子生物学的解析、新たなcbbR2遺伝子の同定、と多くの基礎的知見を得たものであり、学術上非常に有意義な研究である。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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