学位論文要旨



No 120165
著者(漢字) 金,鋒杰
著者(英字)
著者(カナ) キン,ホウケツ
標題(和) 麹菌Aspergillus oryzaeによる異種タンパク質高生産に関する研究
標題(洋)
報告番号 120165
報告番号 甲20165
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2848号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 麹菌Aspergillus oryzaeは日本で清酒、味噌、醤油などの伝統的な醸造に古くから利用されており、またα-アミラーゼなどの酵素生産にも用いられている。さらに、タンパク質を大量に分泌する能力を有することや長年食品製造に使用されてきた安全な微生物であるとの認識から、異種タンパク質生産の宿主としても注目されている。

 A. oryzaeは有性生活環をもたない、分生子が多核であるなどの理由から、その高い有用性にもかかわらず古典遺伝学的な基礎研究の対象としてはほとんど用いられて来なかったが、1987年にA. oryzaeの形質転換系が開発されて以来、遺伝子レベルでの研究が飛躍的に進展した。さらに最近、A. oryzaeのゲノムプロジェクトがほぼ完了し、あらゆる遺伝子を操作することによる育種が可能となっている。しかし、これまでのA. oryzaeの宿主・ベクター系において、2重栄養要求性を用いた最大2ステップの遺伝子操作しか行えず、より多種類の遺伝子を導入あるいは破壊する手法の開発が望まれていた。また、生産量増強のための高発現プロモーターの開発は精力的に行われてきたものの、異種タンパク質分解に関与すると考えられるプロテアーゼ遺伝子の破壊に関する報告は全くなかった。また、今後の分子生物学的研究の発展により操作する遺伝子の数が増加すると予想されることから、より多くのマーカーをもつ宿主・ベクター系の構築が必要であると考えられる。

 本研究では、A. oryzaeの新たな4重栄養要求性宿主・ベクター系を開発し、これを用いて各種プロテアーゼ遺伝子を破壊することにより、異種タンパク質ヒトリゾチームの高生産を試みた。

1.A. oryzaeの新規4重栄養要求性宿主・ベクター系の構築

 酵母などでアデニン要求性株のコロニーが赤色を呈することが知られている。この知見を利用して、2重栄養要求性を持つA. oryzae NS4株(niaD-sC-)より4重栄養要求性株の育種を行った。

 NS4株の分生子をUV処理したのち、生育した約4万のコロニーから赤色のものを選択することにより、12株のアデニン栄養要求性変異株を取得した。一方で、A. oryzaeゲノム情報を用いて、アデニン生合成に関与する遺伝子を検索し、adeA、 adeB遺伝子(Saccharomyces cerevisiae ADE1、ADE2ホモログ)をクローニングした。これらのどちらか一方を導入することで、すべての変異株のアデニン要求性が相補され、コロニーが赤色を呈さなくなったことから、取得した株がadeAあるいはadeB変異株であることが示唆された。実際、相補した遺伝子を該当するアデニン要求性株のゲノムから変異遺伝子をクローニングしてDNAシークエンスを行った結果、一塩基変異または欠失が起こっていることを確認した。これにより、NS4株にアデニン要求性が付与された3重栄養要求性株の取得が確認された。

 次に、3重栄養要求性NSR13株(niaD-sC-adeA-)を用いて、4重栄養要求性株の取得を試みた。Fusion PCR法によりadeA遺伝子をマーカーとしてargB遺伝子破壊DNA断片を作製した。これをNSR13株に形質転換することによりアルギニン要求性を付加したNSA1株(niaD-sC-ΔargB)を取得した。続いて、NSA1株の分生子をUV処理したのち赤いコロニーを選択することにより、アデニン要求性を再度付与した4重栄養要求性NSAR1株(niaD-sC-ΔargB adeA-)を取得した。この株は各マーカー(niaD,sC,argB,adeA)をそれぞれ有するプラスミドにより形質転換されたことから、A. oryzaeにおいて新規の4重栄養要求性宿主・ベクター系の構築に成功した。

2.A. oryzaeの4重栄養要求性株を用いたヒトリゾチーム生産株の育種

 A. oryzaeを用いた異種タンパク質生産において、宿主の分泌タンパク質であるグルコアミラーゼ(GlaA)との融合タンパク質として発現することにより、生産量が上昇することがこれまでに報告されている。しかし他の分泌タンパク質をキャリアーに用いることは検討されていない。α-アミラーゼはA. oryzaeにより最も大量に分泌されるタンパク質であることから、これをキャリアーに用い、異種タンパク質のモデルとしてヒトリゾチームの生産を試みた。α-アミラーゼ(amyB)プロモーターおよびORFの下流にヒトリゾチーム遺伝子をタンデムに2コピー連結したコンストラクトをMultiSite GatewayTMシステムを用いて作製し、それぞれの連結部位にはKex2切断配列を挿入した。この発現プラスミドをAspergillus nidulans sC遺伝子をマーカーとして4重栄養要求性NSAR1株に形質転換した。取得した株の培養上清に対してウエスタン解析を行った結果、予想された分子量のヒトリゾチームが検出された。このことから、ヒトリゾチームはKex2切断配列でプロセッシングされたのち、培地に分泌されたことが示唆された。以降の実験には、生産量が最も高いNAR-2L-7株を用いた。この株について至適生産条件を検討した結果、アルカリ条件下(pH8.0)、5倍に濃縮したDPY液体培地(5×DPY)で最大約11mg/lのリゾチーム生産量を示した。

3.プロテアーゼ遺伝子破壊によるヒトリゾチーム生産量の増加

 リゾチーム生産株NAR-2L-7株を親株として、異種タンパク質の分解に関与する可能性のあるプロテアーゼについて遺伝子破壊株を系統的に作製した。菌体外酸性プロテアーゼ(pepA)、液胞内酸性プロテアーゼ(pepE)、トリペプチジルペプチダーゼ(tppA)、菌体外アルカリプロテアーゼ(alpA))、およびカルパイン様プロテアーゼ(palB)の5種の遺伝子について、Fusion PCR法またはMultiSite GatewayTMシステムを用いて破壊用DNA断片を作製した。これらの断片をadeAマーカーによってNAR-2L-7株に形質転換し、目的の遺伝子破壊株を取得した。遺伝子破壊によるプロテアーゼ活性の変化を検討するために、スキムミルク入りの寒天培地においてハローアッセイを行った。その結果、いずれのpHにおいてもΔalpA株のプロテアーゼ活性が減少したが、他の破壊株においては顕著な変化は見られなかった。

 プロテアーゼ遺伝子破壊株のヒトリゾチーム生産量を5×DPY(pH8.0)液体培地で比較したところ、ΔtppA>ΔpalB>ΔpepE>ΔalpA株の順に生産量の増加が認められた。このうち、ΔtppA株では生産量が約17mg/lまで上昇した。さらに、プロテアーゼ遺伝子を2重に破壊することによる異種タンパク質生産への効果を検討することを目的として、ΔpalB、ΔpepE、ΔalpA株においてtppA遺伝子をargBマーカーにより破壊した。現在、これらのプロテアーゼ遺伝子2重破壊株のヒトリゾチーム活性及びプロテアーゼ活性について検討している。

まとめ

 本研究では、A. oryzaeにおいて初めて4重栄養要求性宿主・ベクター系を開発し、最大4ステップの遺伝子操作を可能にした。また、赤いコロニーを形成するアデニン要求性株の選択とadeA遺伝子をマーカーとした遺伝子破壊を繰り返し、栄養要求性を増やすことに成功した。この手法はアデニン要求性株を繰り返し取得することで原理的には何回もade遺伝子を持つベクターでの形質転換が可能であり、交雑が困難で、かつ宿主・ベクター系が整備されていない他の有用糸状菌での効率的な育種に役立つと期待される。

 さらに、ヒトリゾチーム生産株においてプロテアーゼ遺伝子破壊により、生産量が最大約1.5倍に増加した。これは、A. oryzaeにおいてプロテアーゼ遺伝子破壊によって高等生物由来タンパク質の生産量が上昇した初めての例である。以前に報告されたA. oryzaeによるヒトリゾチーム生産量(1.2mg/l)と比較すると約14倍増加したことから、融合タンパク質としての発現とプロテアーゼ遺伝子破壊の有効性を示すことができた。今後、複数のプロテアーゼ遺伝子破壊、および分泌関連遺伝子の操作をすることにより、A. oryzaeが様々な有用タンパク質生産のためのセルファクトリーとして活躍することが期待される。

1.Jin, F.J., Maruyama, J., Juvvadi, P.R., Arioka, M. and Kitamoto, K. (2004) Adenine auxotrophic mutants of Aspergillus oryzae: Development of a novel transformation system with triple auxotrophic hosts. Biosci. Biotechnol. Biochem. 68, 656-662.2.Jin, F.J., Maruyama, J., Juvvadi, P.R., Arioka, M. and Kitamoto, K. (2004) Development of a novel quadruple auxotrophic host transformation system by argB gene disruption using adeA gene and exploiting adenine auxotrophy in A. oryzae. FEMS Microbiol. Lett., 239, 79-85.
審査要旨 要旨を表示する

 麹菌Aspergillus oryzaeは日本で伝統的な醸造に古くから利用されており、またα-アミラーゼなどの酵素生産にも用いられている。さらに、タンパク質を大量に分泌する能力を有することや長年食品製造に使用されてきた安全な微生物であるとの認識から、異種タンパク質生産の宿主としても注目されている。加えて、A. oryzaeのゲノムプロジェクトが最近完了し、あらゆる遺伝子を操作することによる育種が可能となっている。本論文は、A. oryzaeの新たな4重栄養要求性宿主・ベクター系を開発し、これを用いて各種プロテアーゼ遺伝子を破壊することにより異種タンパク質ヒトリゾチームの高生産を試みたものであり、序章、第1章、第2章、第3章、および総括と展望からなる。

 まず、序論において研究の目的を概説した後、第1章ではA. oryzaeの新規4重栄養要求性宿主・ベクター系の構築について述べている。一般にアデニン要求性株のコロニーは赤色を呈することから、2重栄養要求性を持つA. oryzae NS4株(niaD-sC-)の分生子をUV処理したのち、生育した約4万のコロニーから赤色のものを選択することによりアデニン栄養要求性変異株を取得した。一方で、A. oryzaeゲノム情報を用いてアデニン生合成に関与するadeA、adeB遺伝子(出芽酵母ADE1、ADE2ホモログ)をクローニングした。これらのどちらか一方を上記アデニン要求性変異株に導入したところ、すべての変異株のアデニン要求性が相補され、取得した株がadeAあるいはadeB変異株であること、すなわち3重栄養要求性株であることが確認された。次に、3重栄養要求性NSR13株(niaD- sC- adeA-)を用いて4重栄養要求性株の取得を試みた。adeA遺伝子をargB遺伝子内部に挿入したargB破壊用DNA断片でNSR13株を形質転換し、アルギニン要求性を付加したNSA1株(niaD- sC- ΔargB)を取得した。続いて、NSA1株の分生子をUV処理して赤いコロニーを選択することにより、アデニン要求性を再度付与した4重栄養要求性NSAR1株(niaD- sC- ΔargB adeA-)を取得した。この株は各マーカー(niaD,sC,argB,adeA)をそれぞれ有するプラスミドにより形質転換されたことから、A. oryzaeにおいて新規の4重栄養要求性宿主・ベクター系の構築に成功した

 第2章では、第1章で取得した4重栄養要求性株を宿主に、またα-アミラーゼをキャリアーに用い、ヒトリゾチーム生産株の育種を試みた。α-アミラーゼプロモーターおよびORFの下流にヒトリゾチーム遺伝子をタンデムに2コピー連結した発現プラスミドを作製した。それぞれの連結部位にはKex2切断配列を挿入した。このプラスミドをNSAR1株に形質転換し、その培養上清に対してウエスタン解析を行った。その結果、予想された分子量のヒトリゾチームが検出された。以降の実験には、生産量が最も高いNAR-2L-7株を用いた。この株について至適生産条件を検討した結果、アルカリ条件下(pH8.0)、5倍に濃縮したDPY液体培地(5×DPY)で最大約11mg/lのリゾチーム生産量を示した。

 第3章ではNAR-2L-7株を親株として、異種タンパク質の分解に関与する可能性のあるプロテアーゼについて遺伝子破壊株を系統的に作製し、ヒトリゾチーム生産量の増加を試みた。菌体外酸性プロテアーゼ(pepA)、液胞内酸性プロテアーゼ(pepE)、トリペプチジルペプチダーゼ(tppA)、菌体外アルカリプロテアーゼ(alpA)、およびカルパイン様プロテアーゼ(palB)の5種の遺伝子について、adeAマーカーを用いて遺伝子破壊株を取得した。これらの株におけるヒトリゾチーム生産量を5×DPY(pH8.0)液体培地で比較したところ、ΔtppA>ΔpalB>ΔpepE>ΔalpA株の順に生産量の増加が認められた。このうち、ΔtppA株では生産量が約17mg/lにまで上昇した。さらに、プロテアーゼ遺伝子を2重に破壊することの効果についても検討を行った。

 以上、著者はA. oryzaeにおいて初めて4重栄養要求性宿主・ベクター系を開発し、最大4ステップの遺伝子操作を可能にした。さらに、これを用いてプロテアーゼ遺伝子を欠損したヒトリゾチーム生産株の育種を行い、野性株に比べ生産量が増加することを示した。これはA. oryzaeにおいてプロテアーゼ遺伝子破壊によって高等生物由来タンパク質の生産量が上昇した初めての例である。同様の手法は他の異種タンパク質生産にも適用可能であることから、本論文で得られた知見は学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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