学位論文要旨



No 120167
著者(漢字) 董,雪松
著者(英字)
著者(カナ) トウ,セッショウ
標題(和) クメン分解酵素群のX線結晶構造解析
標題(洋)
報告番号 120167
報告番号 甲20167
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2850号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 野尻,秀昭
 東京大学 助教授 中村,周吾
 東京大学 助教授 若木,高善
内容要旨 要旨を表示する

 人類は自然界に存在しなかった様々な有害化合物を生み出してきたが、それらの多くは環境中に蓄積し、生態系に悪影響を与えて、深刻な環境問題を引き起こしている。中でも難分解性有機塩素化合物は代表的な難分解性化合物の一つであり、一般的にこのような化合物に対して微生物の分解活性は環境全体からみれば微弱である。実際に微生物を用いた環境浄化(bioremediation)のためには,生分解の代謝経路、関与する酵素と遺伝子の構造、新しい分解能を持つ微生物の自然界での造成の機構、生分解の獲得過程など未解明の部分の本質を明らかにして,強化してやる必要がある。トルエン、キシレンなどの単環式芳香化合物代謝系とポリ塩化ビフェニル(PCB)を含むビフェニルタイプの芳香族化合物代謝系については現在まで最も研究が進んでおり、その代謝経路の解明や代謝酵素の遺伝子解析など多面的に行われてきた。Pseudomonas fluorescens IP01株はトルエンとビフェニルの中間的な化学構造を有するクメン(イソプロピルベンゼン)を唯一の炭素源として資化できる菌として分離された。この株はクメン以外にトルエンやベンゼンなどの単環式芳香族化合物で同様に生育できるのに対し、ナフタレンやビフェニルでは生育できない。本研究では本菌株由来クメン分解系酵素群の初発酸化酵素である1,2-ジオキシゲナーゼ(CumA1A2)、フェレドキシンレダクターゼ(CumA4)及びメタ開裂酵素エクストラジオール型ジオキシゲナーゼ(CumC)のX線結晶構造解析による立体構造の解明を主な目的とし、分子レベルでの反応機構の解明に繋がる基礎的な研究を行った。

1.1,2-ジオキシゲナーゼ(CumA1A2)の結晶構造解析

 CumA1A2はクメン分解系の初発酸化酵素であり、2原子酸素添加反応により、クメンをジヒドロキシジオール体に変換する。CumA1A2の基質特異性はクメン分解系全体の基質特異性を決定する。CumA1A2複合体酵素の結晶化に成功し、SPring-8において最大分解能2.2Åの反射データの収集を行った。その後、naphthalene 1,2-dioxygenase(NDO,PDB:1EG9)をサーチモデルとして、分子置換法で初期位相を決定した。CumA1A2の全体構造はα3β3型のヘキサマー構造を示し、ferredoxin(CumA3)から電子を受け取るRieske[2Fe-2S]クラスターと活性中心であるノンヘム鉄を含んでいた。活性中心のノンヘム鉄とRieske[2Fe-2S]クラスターは同じαサブユニットに存在する。Rieske[2Fe-2S]クラスターを構成する鉄は1つがCys101,Cys121,もう一方はHis103,His124と結合していた。また、ノンヘム鉄にはHis234、His240、Asp388が配位結合していた。Rieske[2Fe-2S]クラスターとノンヘム鉄の位置関係を考えると電子伝達経路はNDOと同様に同一サブユニット内でRieske[2Fe-2S]クラスターから活性中心のノンヘム鉄に伝達されると考えるより、隣のαサブユニットの活性中心に伝達されると考えた方がよいことが分かった。これは、Rieske[2Fe-2S]クラスターの鉄とノンヘム鉄のリガンドの両方と水素結合をしているAsp231を通して行われると見られる。CumA1A2の基質結合ポケットを構成する残基を選択し、NDO、BphA1A2と比較しながら、解析を行った。その中でも特にM232、I326、F378、Y384は基質結合ポケットのサイズや疎水性などを左右すると予測され、CumA1A2の分解活性に影響することが考えられた。

 一般に基質のサイズによって、反応性が異なることから、CumA1A2の立体構造を用いて、モデリングを試みた。クメン、ビフェニルをそれぞれ基質として、基質結合ポケットにdockingした結果、大きいサイズのビフェニルも、基質結合ポケットにうまく入り、反応性を有することが予想された。これは実際にCumAの休止菌体反応から得た結果と一致した。

2.フェレドキシンレダクターゼ(CumA4)のX線結晶構造解析

 CumA4はマルチコンポネント酵素CumAに含まれており、CumA1A2の2原子酸素添加反応時にNADHからの電子はCumA4(フェレドキシンレダクターゼ)を介して、CumA3(フェレドキシン)に渡り、CumA1A2の活性中心の鉄に到達する。CumA4は補酵素がFADを持つ分子量約45kのフェレドキシン還元酵素である。本酵素は非常に不安定で、精製する間に一部のタンパク質は、FADが酵素から脱落して、黄色い呈色が薄くなっていた。そこで、ゲル濾過クロマトグラフィーを用いて、アポ酵素を分離し、精製度の高いCumA4を得ることに成功した。CumA4はハンギングドロップ蒸気平衡拡散法を用いて、25℃で黄色結晶が得られた。高エネルギー加速器研究機構においてデータ収集を行い、2.3Åの分解能のデータを得た。結晶は空間群C2221に属しており、格子定数はa=79.1Åb=178.3Åc=236.8Åα=β=γ=90°であった。既に立体構造が決定されたビフェニル分解系酵素であるBphA4(PDB:1F3P)をサーチモデルとして、分子置換法で初期位相を決定した。この初期位相を基に分子モデルを構築し、立体構造の精密化を進めている(図2)。精密化の途中であるため、詳細な構造はまだ分かっていないものの、現段階の結果から、CumA4はダイマー構造をしており、BphA4と同様、FAD結合ドメイン、NADH結合ドメイン、C末端ドメインを含む3つのドメインからなることが分かった。

3.エクストラジオール型ジオキシゲナーゼ(CumC)のX線結晶構造解析

 CumCは芳香族化合物の分解代謝に重要な鍵酵素である。CumA1A2と同様に酸素添加酵素で、カテコール型ジオール化合物の隣接した水酸基の外側を開裂させ、メタ開裂反応を起こす。反応産物は特徴的な黄色化合物であり、ほとんどの難分解物質はこの段階で微生物に利用されやすくなる。CumCは分子量約270kの8量体酵素であった。CumCの結晶化に成功し、高エネルギー加速器研究機構において最大分解能1.8Åの反射データの収集を行った。本酵素はN末端ドメインとC末端ドメインから構成され、C末端ドメイン内に活性中心のノンヘム鉄を有していた。N末端ドメインとC末端ドメインともβαβββ型モチーフの重複を持つバレル様構造であった(図3)。活性中心を構成するアミノ酸残基はすべてC末端ドメイン内に存在していることから遺伝子重複に生じた2つのドメインのうち、N末端ドメインが進化の過程で活性を失ってしまった可能性が考えられる。CumCの全体構造はドーナツ状の4量体が、上下2段重なって、8量体を形成していた。また、活性中心のノンヘム鉄はHis147、His211、Glu280と配位結合していた。これらの残基は類縁酵素間で完全に保存されており、類縁酵素では共通の活性部位構造を持つことが明らかになっている。立体構造が既に決定されたビフェニル分解系酵素であるBphCの基質複合体構造をもとに基質をモデリングした結果、BphCで明らかになっていた酵素の活性や基質結合に関与と見られるHis196,His261,Tyr270もよく保存され、酵素活性に必須であることから、触媒塩基としての働きをもつHis196はプロトンの引き抜きにより3-イソプロピルカテコールのC2-C3間の芳香環の開裂が起こる可能性が示唆された。Tyr270は直接酵素活性に関わっていないが、3-イソプロピルカテコールのC2の水酸基と水素結合していると見られ、さらに基質のベンゼン環とこれを囲む疎水残基との疎水作用も基質結合の安定化に寄与していると考えられる。

クメン分解経路

図1-1 CumA1A2のリボンモデル

図1-2 CumA1A2のサブユニット間の電子伝達推定経路

図2 精密化途中のCumA4の立体構造

図3 CumCのモノマー構造

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、クメン(イソプロピルベンゼン)を唯一の炭素源として資化できる菌として分離されたPseudomonas fluorescens IP01株の、クメン分解経路に関わる酵素群のX線結晶構造解析による立体構造の解明を主な目的とし、分子レベルでの反応機構の解明に繋がる基礎的な研究を行ったもので、序論のほか3つの章から構成される。

 序論では、芳香族炭化水素により引き起こされる環境汚染の浄化対策として用いるBioremediationが有効であることを述べ、P. fluorescens IP01株のクメン分解酵素系酵素群のうち、初発酸化酵素である1,2-ジオキシゲナーゼ、フェレドキシンレダクターゼ及びメタ開裂酵素エクストラジオール型ジオキシゲナーゼのX線結晶構造解析にを行う意義を述べた。

 第一章では、1,2-ジオキシゲナーゼ(CumA1A2)の結晶構造解析について述べた。CumA1A2はクメン分解系の初発酸化酵素であり、2原子酸素添加反応により、クメンをジヒドオキシジオール体に変換する。CumA1A2の基質特異性はクメン分解系全体の基質特異性を決定する。これまでCumA1A2複合体酵素の結晶化に成功し、最大分解能2.2Åの反射データの収集を行った。その後、naphtalene1,2-Dioxygenase(NDO)をサーチモデルとして、分子置換法で初期位相を決定した。CumA1A2の全体構造はα3β3型のヘキサマー構造を示し、CumA1A2にはFerredoxin Reductase(CumA4)と、Ferredoxin(CumA3)から電子を受け取るRieske[2Fe-2S]クラスターと活性中心であるnon-heme Fe(II)を含んでいた。活性中心のnon-heme鉄とRieske[2Fe-2S]クラスターは同じαサブユニットに存在する。Rieske[2Fe-2S]クラスターを構成するFe(II)はCys101,Cys121,His103,His124と結合していた。また、Fe(II)にはHis234、His240、Asp388が配位結合していた。Rieske[2Fe-2S]クラスターとFe(II)の位置関係を考えると電子は一個のRieske[2Fe-2S]クラスターから、隣のαサブユニットの活性中心にFe(II)伝達されると考えられる。電子伝達の経路はNDOと同様、Rieske[2Fe-2S]クラスターの鉄とFe(II)のリガンドの両方と水素結合をしているAsp231を通して行われると見られる。CumA1A2の基質結合ポケットとなりうる残基を選択し、NDO、BphA1A2と比較しながら、解析を行った。その中特に基質結合ポケットの構成残基であるM232、I326、F378、Y384は基質結合ポケットのサイズや疎水性などを左右することが予測され、CumA1A2の分解活性に影響することが考えられている。

 一般に基質のサイズによって、反応性が異なることから、CumA1A2の立体構造を用いて、モデリングを試みた。クメン、ビフェニルをそれぞれ基質として、基質結合ポケットにSoakingした結果、大きいサイズのビフェニル、基質結合ポケットにうまく入り、反応性を有することが予想された。これは実際にCumAの休止菌体反応から得た結果と一致した。

 第二章では、エクストラジオール型ジオキシゲナーゼ(CumC)のX線結晶構造解析について述べた。CumCは芳香族化合物の分解代謝に重要な鍵酵素である。CumA1A2と同様に酸素添加酵素で、カテコール型ジオール化合物の隣接した水酸基の外側を開裂させ、メタ開裂反応を起こす。反応産物は特徴的な黄色化合物であり、ほとんどの難分解物質はこの段階で微生物に利用されやすくなる。CumCは分子量約270kの8量体酵素であった。本酵素はN末端ドメインとC末端ドメインから構成され、活性中心にノンヘム2価鉄を含み、C末端ドメイン内に活性中心のノンヘム鉄を有していた。N末端ドメインとC末端ドメインともβαβββ型モチーフの重複を持つバレル様構造であった。活性中心を構成するアミノ酸残基はすべてC末端ドメイン内に存在しているから遺伝子重複に生じた2つのドメインのうち、N末端ドメインが進化の過程で活性を失ってしまった可能性が考えられる。CumCの全体構造はドーナツ状の4量体から、上下2段重なって、8量体を形成していた。活性中心のノンヘム鉄はHis147、His211、Glu280と配位結合しており、これらの残基は類縁酵素間で完全に保存されており、類縁酵素では共通の活性部位構造を持つことが明らかである。BphCの基質複合体構造を合わせてモデリングした結果、酵素の活性や基質結合に関与と見られるHis196,His261,Tyr270もよく保存され、酵素活性に必須であることから、触媒塩基としての働きをもつHis196はプロトンの引き抜きにより3-イソプロピルカテコールのC1-C2間の芳香環の開裂が起こる可能性が示唆された。Tyr270は直接酵素活性に関わっていないが、3-イソプロピルカテコールのC2の水酸基と水素結合していると見られ、さらに基質のベンゼン環とこれを囲む疎水残基との疎水作用も基質結合の安定化に寄与していると考えられる。

 第三章ではフェレドキシンレダクターゼ(CumA4)のX線結晶構造解析について述べた。CumA4はマルチコンポネント酵素CumAに含まれており、CumA1A2の2原子酸素添加反応時にNADHからの電子はCumA4(フェレドキシンレダクターゼ)を介して、CumA3(フェレドキシン)に渡り、CumA1A2の活性中心の鉄に到達する。CumA4には補酵素がFADを持つ分子量約45kのフェレドキシン還元酵素である。CumA4はハンギングドロップ蒸気平衡拡散法を用いて、25℃で黄色結晶を得た。高エネルギー研究所において、データ収集を行い、2.3Åの分解能の回折像を得た。結晶は空間群C2221に属しており、格子定数はa=79.1Å b=178.3Å c=236.8Å、α=β=γ=90°であった。BphA4(PDB:1F3P)をサーチモデルとして、分子置換法で初期位相を決定した。この初期位相を基に分子モデルを構築し、立体構造の精密化を進めている。精密化の途中であるため、詳細な構造はまだ分かっていないものの、現段階の結果から、CumA4はダイマー構造をしており、BphA4と同様、FAD結合ドメイン、NADH結合ドメイン、C末端ドメインを含む3つのドメインからなることが分かった。

 以上本論文は、クメン分解系酵素群のCumA1,A2、CumA4、CumCについて構造解析を行い、各酵素の基質との相互作用、反応機構等を検討したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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