学位論文要旨



No 120170
著者(漢字) 田原,美智留
著者(英字)
著者(カナ) タハラ,ミチル
標題(和) 熱帯雨林樹種若木の光変化に対する順化反応
標題(洋) Acclimation responses of rainforest tree saplings to light change
報告番号 120170
報告番号 甲20170
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2853号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寳月,岱造
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 大澤,雅彦
 東京大学 教授 丹下,健
 森林総合研究所 室長 石田,厚
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の目的

 植物の生育地の光環境は、その生涯を通して一定であることは稀であり、特に林冠構成樹種の実生や若木は林冠にたどりつくまでに何回かの光環境の変化を経験すると言われている。林冠木の落枝や倒木などによって林冠にギャップが形成されると、実生や若木は弱光環境から強光環境への劇的な光環境変化にさらされる。光の増加は光合成量の増加につながるため、林床の実生や若木にとって成長する重要な機会になる。一方、ギャップ形成時におこる過剰な光エネルギー照射が、葉温上昇や水分欠乏等を介して、逆に光合成を低下させる場合もある。従って、林床の実生や若木が成長できるかどうかは、ギャップ形成後の強光環境に順化して十分な光合成をおこなえるかどうかにかかっている。

 森林では一般に複数の樹種が共存しており、その共存を可能にするメカニズムは森林生態学の重要な課題の一つである。東南アジアの熱帯雨林ではとりわけ多種の樹木が共存しているが、そのメカニズムはよくわかっていない。森林では、樹木の更新にはギャップ形成が重要な役割を果たしている。従って、ギャップ形成時の光環境変化に対する反応が樹種ごとに多様なためにニッチェ特性が多様化し、それによって多種の樹木の共存が可能になることも考えられる。このような可能性を検討するためには、複数の樹種について、光環境変化に対する稚樹の順化過程を調べることが重要である。一方、熱帯造林地では、下刈りや上木の伐開によってフタバガキ科樹木等の造林木稚樹の光環境を整えることが、成長促進のために不可欠な作業として行われている。それぞれの造林樹種について、光環境変化に対する稚樹の順化過程を調べることは、その意味でも重要であろう。

 そこで本研究では、フタバガキ科樹種を含むいくつかの熱帯樹種の稚樹を弱光環境から強光環境へと移動させ、個葉レベルでの光阻害とその回復過程の種間差を調べた。また、個体レベルでの順化反応の種間差も生理的変化と形態的変化の両面から調べた。

 本論文は3つの実験(2〜4章)からなっている。2章ではまず、光阻害とその回復過程を葉片レベルと個葉レベルで比較した。さらに、光変化後の個葉の角度の変化から、形態的な光保護機構を調べた。3章では、個葉レベルの光合成の順化と個体レベルの葉の回転に関する種間差を調べ、個体レベルの成長について考察した。4章では、蒸散の増大に対する葉と根の生理的・形態的反応を調べ、個体レベルでの順化反応を考察した。最後に5章で、光変化後の個体の光利用と水利用に関する順化過程を述べ、東南アジア熱帯雨林での多樹種共存メカニズムについて、熱帯樹木の光環境変化に対する順化反応の多様性という観点から総合的に考察した。

2.方法および結果

研究材料は、2章でS leprosula、S. pauciflora(極相樹種)と光要求性が高いGmelina arborea、3章でS. gratissima、S. leprosula、S. smithiana、S. pauciflora(極相樹種)、4章でS. acuminata、S. balangeran、S. johorensis、S. multiflora (極相樹種)とMacaranga giganteaとTorema orientalis (先駆樹種)を用いた。

 2章では、強光に対する光化学系IIの耐性を実験室条件で葉片を用いて調べ、野外の自然状態で個葉が急激な光変化を受けたときの光阻害反応と比較した。また、光化学系IIの耐性に対する葉齢(展開途中の若い葉と展開後の成熟葉)と高温(44℃;全天光下での最高葉温度)の影響を調べた。葉片を用いた光化学系IIの耐性は、実験室で、葉片を一定温度(36℃)に保ちながら、1900μmolの強光を1時間照射し、光化学系IIの阻害の程度とその後の回復能力の経過を調べた。野外では、被陰環境下で生育させた若木を強光下に移動させ、直後の光阻害と20日間の回復過程を調べた。高温による光阻害の悪化は、すべての種で見られた。葉片を44℃に保ちながら強光照射を一時間行うと、36℃で照射を行ったときよりもFv/Fmの低下の程度は大きくなり、一晩暗適応させた後の回復はより小さかった。若い葉と成熟葉で光化学系IIの耐性を比較すると、S. leprosulaとS. paucifloraでは若い葉と成熟葉で同じような傾向を示したが、G. arboreaでは、成熟葉よりも若い葉で耐性は高かった。野外での長期間の光阻害反応の結果は、葉片での生理的な耐性と必ずしも一致していなかった。葉片レベルでは、S. leprosulaとS. pacufloraの若い葉と成熟葉は一晩暗適応後は同じような回復を示したが、野外での長期間の測定では、若い葉は成熟葉よりも光阻害の程度は小さかった。さらに、その若い葉と成熟葉の光阻害の差は、13日目まで徐々に大きくなっていった。この結果の不一致は、若い葉で光化学系IIを修復するD1プロテインの合成能力が高いことによるかもしれない。また、葉片レベルでは、G.arboreaの成熟葉は若い葉よりも耐性が低かったけれども、野外の長期間の実験では、成熟葉の光阻害は若い葉よりもわずかに減少しただけだった。光変化から2日後、G. arboreaの成熟葉は、もともと強光下で生育していた成熟葉の傾斜角度と同じような角度を示していた。この葉片レベルと野外の個葉レベルでの結果の不一致は、葉の傾斜角度による形態的な光保護作用によるものだろう。葉の傾斜角度の変化による形態的な光保護機構は、長期的な光照射に対して光阻害を回避する上で重要である。

 3章では、光の急激な増加に対する葉の生理的順化能力と成長について調べた。相対光量子速密度7%の被陰条件下で育成したフタバガキ科Shorea属4種の若木を、林冠ギャップ形成を模して全天下に移し、その直後の個葉の光化学系IIの最大収率の阻害の程度、最大光合成速度の変化、その後3ヶ月間の出葉と落葉、個体の相対成長速度を調べ、比較した。その結果、被陰環境下で生育していた葉が突然強い光にさらされると、すべての樹種の葉で光化学系IIの不活性化が起こったがその後徐々に回復し、12日後には光変化前の値の約70-80%まで回復した。光阻害と同様に、最大光合成速度は光変化後すべての種で低下したが、11日後には光変化前の値まで回復した。一方、クロロフィル濃度はすべての種で低下したままであった。光変化後、明るい光環境下に適応した新葉の出葉速度はS. leprosulaのみで有意に増加した。落葉速度はS. paucifloraのみで有意に増加した。光変化から3ヵ月後のシュートあたりの葉数は、S. leprosulaとS. gratissimaで多かった。シュートあたりの新葉の割合は、S. leprosulaで71%、S. paucifloraで91%、S. gratissimaで33%、S. smithianaで37%であった。光変化後の成長速度は、S. leprosulaとS. gratissimaで有意に増加し、S. paucifloraとS. smithianaでは増加せず、S. paucifloraは減少傾向が見られた。個体レベルでの成長の変化は、新葉の出葉速度と旧葉の落葉速度と関係があった。個体あたりの相対的な葉の獲得速度と光変化後の成長速度に正の関係が見られた。これらの結果から、光増加後の若木の順化過程では、短時間でおこる個葉レベルの生理的回復能力と長時間でおこる旧葉と新葉の入れ替わりによる個体レベルでの光合成増大が重要であり、同じような生理的回復能力を持っている種の間では、葉の回転が早くより多くの葉を維持する種が高い成長速度を持つことが明らかとなった。

 4章では、光の増加によって高くなった蒸散速度に対応して、植物体の吸水器官である根と蒸散器官である葉が、個体レベルでどのように生理的・形態的に順化するのかを調べた。蒸散速度の増加による水ストレスを回避するために、生理的には根の通水性を増大させたり、土壌から葉への水移動を促進するために葉の水ポテンシャルを低下させたりすることが考えられる。葉の水ポテンシャルの減少に対する浸透調節は、葉の膨圧維持に貢献しうる。形態的には、蒸散面積に対する水吸収に関わる細根面積の比は個体レベルの水バランスを保つ上で重要である。本実験でも、弱光環境から強光環境へのポットの移動実験を行い、水利用の観点から順化反応を調べた。さらに大きいギャップに適応した先駆樹種2種と、小さいギャップに適応した極相樹種4種の種間で光増加に対する反応の大きさを比較した。強光環境へ移動後、単位葉面積あたりの蒸散速度は増大したが、単位細根面積あたりの通水性(Lpr)は低下した。Lprは塩化水銀IIの短時間処理に対し感受性があることが知られており、本研究では、Lprを2つの要素(細胞間経路と細胞外経路)に分けた。強光環境へ移動後、細胞外経路のLprはほとんどの種で変化しなかったのに対し、細胞間経路のLprはすべての種で低下した。このことから、Lprの低下は根におけるアクアポリンの機能低下に関係していると結論した。強光環境へ移動後、葉の水ポテンシャルの指標である水飽和の葉の浸透ポテンシャルが低下した。また、葉重比(葉重/葉面積)と細根面積/葉面積の両方が、ほとんどの種で増加した。このことから、葉の生理・形態レベルと個体の水収支において、Lprの低下が補償されたと結論した。すなわち、光増加に対する蒸散の増大に対して、個体レベルの水分状態は、地上部と地下部の間の調和された反応によって調節されたと言える。極相樹種と先駆樹種のような光利用特性の異なる種で、水利用に関する反応の仕方は同じであったが、変化の大きさが違うことがわかった。生理的には、先駆樹種は極相樹種よりもLprの低下が大きく、より効果的な浸透調節を示した。形態的には、先駆樹種は極相樹種よりも細根面積/葉面積を増加させた。

3.考察

 弱光環境から強光環境へ変化した時の光要求性が高い樹種や反応の可塑性が大きい先駆樹種は、比較的安定して明るいギャップの中心部や大きいギャップに適していると予想される。一方、極相樹種のように光要求性が低い樹種や反応の可塑性が小さい樹種は、小さい光変化を繰り返すようなギャップの辺縁部や小さいギャップに適しているだろう。本研究では、これら熱帯樹種の強光に対する順化特性が、ギャップ形成時のニッチェに対応していることがわかった。このことは、ギャップに更新する樹木の樹種構成が、光環境を左右するギャップサイズに依存して決まることを示唆しており、強光順化反応の樹種間差が熱帯雨林で多くの樹種が共存する主要な原因の一つであるという仮説を支持している。なお、熱帯地域での造林稚樹育成では、一般的に寒冷紗下での育苗や定期的下刈り等、光環境を整える管理方法が用いられている。本研究で得られた結果は、このような熱帯造林のための基礎資料になるものでもある。

審査要旨 要旨を表示する

 森林では一般に複数の樹種が共存しており、その共存を可能にするメカニズムは森林生態学の重要な課題の一つである。東南アジアの熱帯雨林ではとりわけ多種の樹木が共存しているが、そのメカニズムはよくわかっていない。森林では、樹木の更新にはギャップ形成が重要な役割を果たしている。ギャップ形成時には、急激な光照射エネルギーの増加が起こるため、林床の実生や若木が成長できるかどうかは、ギャップ形成後の強光環境に順化して十分な光合成をおこなえるかどうかにかかっている。従って、ギャップ形成時の光環境変化に対する反応が樹種ごとに多様なためにニッチェ特性が多様化し、それによって多種の樹木の共存が可能になることも考えられる。本研究では、このような可能性を検討するために、複数の樹種について光環境変化に対する稚樹の順化過程を調べた。

 本論文は序論(1章)、3つの実験(2〜4章)および考察(5章)からなっている。1章では、既往の研究報告をまとめ本研究の意義と目的を示した。

 2章では、S leprosula、S. pauciflora(極相樹種)と光要求性が高いGmelina arboreaで、光照射急増による強光阻害とその回復過程を、光合成過程および葉の傾斜について調べ、種間で比較した。また、葉齢と高温の影響も調べている。その結果、光阻害と回復はすべての種で見られたが、傾斜角度に関する反応は、G. arboreaの成熟葉と他の2種とでは異なっていた。この結果は、葉の傾斜角度の変化が、光阻害を回避する光保護機構として働く可能性を示している。

 3章では、被陰条件下で育成したフタバガキ科Shorea属4種、S. gratissima、S. leprosula、S. smithiana、S. pauciflora(極相樹種)の若木を林冠ギャップ形成を模して全天下に移し、光合成特性の変化、葉の出葉-落葉回転および個体の相対成長速度を調べ、種間で比較した。その結果、すべての樹種で光合成の強光阻害と回復が見られた。しかし、新葉の出葉速度と落葉速度には種間差が見られ、光変化後の個体あたりの葉の獲得速度と相対成長速度には正の相関が見られた。これらの結果は、同じような生理的能力をもつ種間では、葉の回転が早くより多くの葉を維持する種が高い成長速度を持つことを示している。

 4章では、S. acuminata、S. balangeran、S. johorensis、S. multiflora(極相樹種)とMacaranga giganteaとTorema orientalis(先駆樹種)で、光の増加によって高くなった蒸散速度に対し、個体レベルでどのように生理的・形態的に強光順化するのかを調べ、種間で比較した。その結果、強光環境へ移動後、全ての種で単位葉面積あたりの蒸散速度は増大したが、細根表面積あたりの通水性および葉の浸透ポテンシャルは低下した。通水性の低下は、先駆樹種の方が極相樹種よりも大きかった。一方、葉の相対的厚さおよび細根表面積/葉面積が、ほとんどの種で増加した。細根表面積/葉面積の増加は、先駆種の方が極相種より大きかった。これらの結果は、強光下での蒸散増大にともない、地上部と地下部のバランスが、個体レベルの水分状態を良好に維持する方向で生理的にも形態的にも調節されること、また、先駆樹種の方が極相樹種よりその調節反応が大きいことを示している。

 5章では、全ての実験結果を総括し、本研究によって示された熱帯樹木の生理的、形態的強光順化反応の種間差が、熱帯林の種多様性をもたらすメカニズムの一端を担っていることを結論している。

 本研究のように熱帯樹木の強光順化反応を検討した例は稀であり、その意味で価値が高い。特に、形態的側面から熱帯樹木の強光順化反応とその種間差を詳細に捉えた研究はなく、独創性が高い。また本研究は、各熱帯樹種の多様な強光順化特性がギャップ形成時のニッチェ多様性を生みだし、それが熱帯雨林での多種共存を可能にするという仮説に対し、実験的根拠を与える貴重な研究といえる。

 なお、熱帯では、寒冷紗下での育苗、定期的下刈りや上木の伐開によってフタバガキ科樹木等の造林木稚樹の光環境を整えることが、造林稚樹育成上不可欠な作業として行われている。各造林樹種について、光環境変化に対する稚樹の順化過程を調べることは、その意味でも重要である。本研究で得られた結果は、このような熱帯造林のための基礎資料としても、資するところ大なるものである。

 以上、本研究の成果は、学術上応用上重要な知見である。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものであると判断した。

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