学位論文要旨



No 120175
著者(漢字) 荒木,亨介
著者(英字)
著者(カナ) アラキ,キョウスケ
標題(和) トラフグT細胞に関する研究
標題(洋)
報告番号 120175
報告番号 甲20175
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2858号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 助教授 金子,豊二
 東京大学 助教授 良永,知義
 日本大学 教授 中西,照幸
内容要旨 要旨を表示する

 近年の水産養殖業の集約化と発展に伴い、次々に起こる新たな疾病の発生による大きな産業的被害が問題となっている。一方、食品安全性に対する意識が高まり、薬剤使用に対する批判もある中、ワクチン、免疫賦活剤、あるいは耐病性育種といった有効な対策は大きく遅れている。この一因として魚類の免疫学に対する理解が極めて不十分である点があげられる。特に抗体を産生するB細胞と共に、免疫系の骨格をなす最も重要な細胞であるT細胞は、細胞表面のT細胞受容体(TCR)が抗原と結合することで様々な形で免疫応答に関わる細胞であるが、魚類においてはその産生器官としての胸腺の存在、また移植片拒絶現象など、T細胞の存在を示唆する報告はあるものの知見に乏しい。さらに哺乳類では、細胞傷害性T細胞、ヘルパーT細胞といったサブセットが知られるが、魚類のT細胞あるいはそのサブセットの識別・単離は未だほとんどなされていない。哺乳類のようなT細胞表面マーカー分子に関する情報、またそれら分子に対する抗体などのツールがまだまだ充実していないためである。本研究はゲノムデータベースが充実しているトラフグを材料に、魚類T細胞およびT細胞サブセットの識別のための基礎的知見の蓄積、および機能の解明を目指したものである。

第一章 トラフグT細胞表面マーカー分子CD3、CD4、CD8のcDNAクローニングと一次構造解析

 哺乳類ではすべてのT細胞表面にTCRと共に発現するCD3分子群、ヘルパーT細胞表面のみに発現するCD4分子、細胞傷害性T細胞にのみ発現するCD8分子群をマーカーとすることで、T細胞およびT細胞サブセットの識別を行っている。そこで、本章ではトラフグゲノムデータベースを利用して、他種のCD3ε鎖、CD3γ/δ鎖、CD4鎖、CD8α鎖、CD8β鎖遺伝子のアミノ酸配列と高い相同性を示す配列をもとにプライマーを設計した。次いで、胸腺由来のcDNAを用いたRACE法によるcDNAクローニングを行い、2つのCD3ε鎖(それぞれCD3ε-1、CD3ε-2とする)、CD3γδ鎖、CD4鎖、CD8α鎖およびCD8β鎖cDNAの塩基配列を決定した。既知の他の脊椎動物のものとホモロジー検索を行った結果、トラフグCD3ε-1およびCD3ε-2は他種のCD3ε鎖と20〜39%の、トラフグCD3γδは他種のCD3γ鎖、CD3δ鎖、およびCD3γδ鎖と20〜39%の、トラフグCD4は他種のCD4鎖と15〜20%の、トラフグCD8αは他種のCD8α鎖と18〜47%の、トラフグCD8βは他種のCD8β鎖との15〜23%の同一性を示した。また一次構造解析の結果、今回単離したすべてのcDNAは細胞外領域、膜貫通領域および細胞質領域から構成される膜タンパクをコードするものであり、それぞれの鎖に特徴的なモチーフが比較的よく保存されていた。このように、T細胞およびT細胞サブセットの機能に関わる主要な細胞表面分子であるCD3、CD4、CD8が一魚種内に存在することがトラフグにおいて初めて示された。このことから、魚類においてもT細胞サブセットが分化しているものと推察された。

第二章 トラフグT細胞表面マーカー分子CD3、CD4、CD8遺伝子の発現解析

 RT-PCR法を用いて、末梢血白血球(PBL)、胸腺、頭腎、体腎、脾臓、腸管、皮膚、鰓、筋肉におけるトラフグCD3ε、CD3γδ、CD4、CD8α、CD8β、およびTCRα鎖の遺伝子発現を調べた。その結果、これらのすべてのT細胞マーカー遺伝子はPBL,リンパ系組織(胸腺、頭腎、体腎、脾臓)、および粘膜組織(腸管、皮膚、鰓)において発現が認められ、筋肉ではいずれの遺伝子も発現は認められなかった。またこれらすべての遺伝子は特に胸腺において強く発現していた。次に、リンパ系組織(胸腺、頭腎、体腎、脾臓)においてin situハイブリダイゼーションを行い、T細胞マーカー遺伝子発現細胞の分布を調べた。頭腎、体腎、脾臓では、組織全体に渡って、陽性細胞が確認された。また胸腺においてはリンパ球が豊富な層、すなわちlymphoid outer zoneと、epitherioid inner zoneにおいて陽性細胞が多数確認された。これらはそれぞれ哺乳類の胸腺の皮質と髄質に相当するものと考えられているが、哺乳類、鳥類と同様に、魚類の胸腺もまたT細胞の成熟器官であることを示すものである。またすべてのT細胞マーカー遺伝子はリンパ球様の細胞に発現が見られたことから、これら遺伝子はT細胞に発現しているものと考えられる。本章における発現解析の結果から、魚類のT細胞は胸腺で分化・成熟し、それらが血管を通ってリンパ系組織などをくまなく巡ることで、生体防御に寄与しているものと考えられる。

第三章 抗体によるリンパ球サブセットの分離

 これまで、魚類T細胞に対する抗体はいくつか報告されてきたが、白血球を抗原として得られたものがほとんどであるため、抗原分子(エピトープ)が明らかになっているものは少ない。近年、ニジマスにおいてTCRα鎖に対する抗体が作製されたが、これを除いて、いまだT細胞およびT細胞サブセットを識別・単離できる抗体は存在しない。そこで本章では第一章で明らかにしたCD分子の情報をもとに抗体の作製を行い、得られた抗体によるリンパ球サブセットの分画を試みた。トラフグCD3ε鎖、CD4鎖、CD8α鎖のアミノ酸をコードする領域のcDNAを哺乳類細胞発現ベクターpcDNA3に組み込み、これらをマウスへの免疫抗原とした。マウス筋肉へのDNA免疫を行った結果、いずれのプラスミド抗原も、マウス筋肉内にトラフグCD分子遺伝子の強い発現を確認することができた。しかし、CD3ε-pcDNAおよびCD4-pcDNA免疫マウスでは血中抗体価の上昇は確認されず、CD8α-pcDNA免疫マウスのみで血中抗体価の上昇を確認できた。次に抗トラフグIgモノクローナル抗体(福井県立大学宮台博士より分与)および得られた抗トラフグCD8α鎖抗血清を用いたマグネティックセルソーティングによりPBLを分画し、各画分における細胞の形態、およびリンパ球細胞表面マーカー遺伝子(TCRα、CD3ε、CD3γ?δ、CD4、CD8α、CD8β、IgL鎖)の発現を調べた。その結果、抗Ig抗体によりB細胞を含む画分とT細胞を含む画分に分画できることが示された。また抗CD8α抗血清により、CD8+T細胞を含む画分と、CD4+T細胞およびB細胞を含む画分に分画することに成功した。本章における解析の結果、魚類で初めてT細胞サブセットを分画する方法を確立した。

第四章 トラフグリンパ球サブセットのマイトジェン応答

 免疫担当細胞としての機能を有するリンパ球は非特異的刺激物質であるマイトジェンの刺激により幼若化を起こして活性化することが知られており、ヒトではこの活性を、細胞性免疫能を評価する重要な指標としている。本章では、リンパ球幼若化試験により数種類のマイトジェンに対するトラフグ白血球の応答性を明らかにし、さらには第三章で確立した細胞分画法を用いて各マイトジェンのリンパ球サブセット選択性の検討を行った。

 トラフグPBLをコンカナバリンA(ConA)、リポポリサッカライド(LPS)、フィトヘマグルチニン(PHA)、ポクウィードマイトジェン(PWM)で刺激培養したのち、5'-bromo-2'-deoxyuridine(BrdU)取り込み法により細胞増殖能を測定した。その結果、すべてのマイトジェンに対してトラフグPBLは応答性を示した。次にマイトジェンで刺激したPBLに対するフローサイトメトリー解析およびRT-PCR解析、抗体により分画した細胞群をマイトジェン刺激したのちの細胞増殖試験を行ったところ、すべての試験においてLPSおよびPWMはIg+細胞を、PHAはCD8+細胞を活性化し、増殖させることが明らかになった。これらの結果からトラフグにおいて、LPSおよびPWMはB細胞マイトジェンであり、PHAはCD8+T細胞マイトジェンであることが示された。LPSおよびPWMは哺乳類のB細胞マイトジェンでもあることから、哺乳類と魚類ではB細胞の活性化機構が同様であることが示されたが、T細胞サブセットに関してはConAがCD8+T細胞を活性化しないなど哺乳類での知見とは多少異なる結果が示されたことから、T細胞の活性化機構においては魚類と哺乳類で何らかの相違がある可能性が示された。

 以上、本研究により、魚類で初めて一魚種内でT細胞およびT細胞サブセットを識別するための基礎的知見が集まった。すべてのT細胞に発現するCD3分子、ヘルパーT細胞のみに発現するCD4分子、細胞傷害性T細胞のみに発現するCD8分子の一次構造の決定およびそれら遺伝子の発現解析により、これら分子はトラフグにおいてもT細胞のマーカーとなることが示された。さらに得られたT細胞マーカー遺伝子情報をもとに作製した抗体を用いて白血球よりT細胞サブセットを分画し、その形態および機能の一端を明らかにした。これまで魚類でもT細胞が関与して生じると考えられる現象(移植片拒絶、各種サイトカイン遺伝子の発現)が確認されているが、T細胞が関わる直接的な証拠はまだ得られていない。近年、トラフグを中心に次々にT細胞に関連したサイトカイン遺伝子が単離されており、これらサイトカイン遺伝子やT細胞マーカー遺伝子の情報を利用した魚類の獲得免疫機構に関する詳細な解析が今後進められ、水産増養殖分野における防疫対策に応用されることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 近年の水産養殖業の集約化と発展に伴い,疾病の発生による大きな産業的被害が問題となっているが,有効な対策は大きく遅れている.この一因として魚類の免疫学に対する理解が極めて不十分である点があげられる.特に抗体を産生するB細胞と共に,免疫系の骨格をなす最も重要な細胞であるT細胞は,細胞表面のT細胞受容体(TCR)が抗原と結合することで様々な形で免疫応答に関わる細胞であるが,魚類においてはその産生器官としての胸腺の存在,また移植片拒絶現象など,T細胞の存在を示唆する報告はあるものの知見に乏しい.さらに哺乳類では,細胞傷害性T細胞,ヘルパーT細胞といったサブセットが知られるが,魚類のT細胞あるいはそのサブセットの識別・単離は未だほとんどなされていない.哺乳類のようなT細胞表面マーカー分子に関する情報,またそれら分子に対する抗体などのツールがまだまだ充実していないためである.本研究はゲノムデータベースが充実しているトラフグを材料にすることで,これまで大きく立ち遅れていた魚類T細胞に関する基礎的知見を数多く得ており,機能の一部も明らかになるなど優れた内容を含んだものである.

 まず初めに第1章として,T細胞表面マーカー分子の一次構造解析について述べている.哺乳類ではすべてのT細胞表面にTCRと共に発現するCD3分子群,ヘルパーT細胞表面のみに発現するCD4分子,細胞傷害性T細胞にのみ発現するCD8分子群をマーカーとすることで,T細胞およびT細胞サブセットの識別を行っているが,これらの配列情報に基づきトラフグゲノムデータベースを利用して,CD3α鎖,CD3γ/δ鎖,CD4鎖,CD8α鎖,CD8β鎖のcDNAクローニングを行い,すべての一次構造を決定している.これは単一魚種では初めてのことであり,魚類においてもすでにT細胞サブセットの分化が起こっていることを示すものとして注目に値する.

 次に第2章として,それらのマーカー分子の遺伝子発現解析を行なった結果について述べている.RT-PCR法を用いて,トラフグCD3α鎖,CD3γ/δ鎖,CD4鎖,CD8α鎖,CD8β鎖,およびTCRα鎖の遺伝子発現が,PBL,リンパ系組織(胸腺,頭腎,体腎,脾臓),および粘膜組織(腸管,皮膚,鰓)において発現していることを認めている.さらに,リンパ系組織においてin situハイブリダイゼーションを行い,T細胞マーカー遺伝子発現細胞の分布を調べ,各組織に陽性細胞が多数分布していることを示している.

 次に,第3章では,細胞表面マーカーに対する抗体の作成と,それによるリンパ球サブセットの分離について述べている.従来,報告されている魚類T細胞に対する抗体は,抗原分子(エピトープ)が明確でないなど,難点が多かった.そもそもCD抗原の解明は,それに対する抗体があってこそ有力なツールとなることから,トラフグCD3α鎖,CD4鎖,CD8α鎖のアミノ酸をコードする領域のcDNAを哺乳類細胞発現ベクターpcDNA3に組み込み,これらをマウスへの免疫抗原として,マウス筋肉へのDNA免疫を試みている.残念ながら,CD8αのみで血中抗体価の上昇を確認でき,それもモノクローナル抗体作成には至っていないが,この抗血清を用いた血球の分離には成功している.この抗血清,および福井県立大学宮台博士が作成した抗トラフグIgモノクローナル抗体を用いて,マグネティックセルソーティングによりPBLを分画し,各画分における細胞の形態,およびリンパ球細胞表面マーカー遺伝子(TCRα,CD3α鎖,CD3γ/δ鎖,CD4鎖,CD8α鎖,CD8β鎖,IgL鎖)の発現を調べた結果,抗Ig抗体によりB細胞を含む画分とT細胞を含む画分に分画できること,抗CD8α抗血清により,CD8+T細胞を含む画分と,CD4+T細胞およびB細胞を含む画分に分画することに成功している.これにより,CD3やCD4に対する抗体がないという制約があるものの,魚類で初めてT細胞サブセットを分画する方法が確立したといえ,今後の機能解析につながる重要な成果と考えられる.

 最後に第4章として,これらの方法で分離したリンパ球サブセットに,リンパ球に対する非特異的刺激物質であり,ヒトでは細胞性免疫能を評価する重要な指標として知られているマイトジェンの刺激に対するリンパ球幼弱化などの反応性の違いを解析している.トラフグPBLをコンカナバリンA(ConA),リポポリサッカライド(LPS),フィトヘマグルチニン(PHA),ポクウィードマイトジェン(PWM)での刺激下で培養し,細胞増殖能を5'-bromo-2'-deoxyuridine(BrdU)取り込み法により測定することで,反応性の試験を行なった結果,トラフグPBLはすべてのマイトジェンに対して応答性を示したという.このマイトジェンで刺激したPBLをフローサイトメトリー解析およびRT-PCR解析,そして抗体により分画した細胞群をマイトジェン刺激したのちの細胞増殖試験を行ったところ,すべての試験においてLPSおよびPWMはIg+細胞を,PHAはCD8+細胞を活性化し,増殖させることが明らかにしている.これらの結果からトラフグにおいて,LPSおよびPWMはB細胞マイトジェンであり,PHAはCD8+T細胞マイトジェンであるとしている.LPSおよびPWMは哺乳類のB細胞マイトジェンでもあることから,哺乳類と魚類ではB細胞の活性化機構が同様であることが示されたが,T細胞サブセットに関してはConAがCD8+T細胞を活性化しないなど哺乳類での知見とは多少異なる結果が示されたことから,T細胞の活性化機構においては魚類と哺乳類で何らかの相違がある可能性が見ている.

 以上のように,本研究は魚類で初めて一魚種内でT細胞およびT細胞サブセットを識別するための基礎的知見を集めることに成功し,T細胞サブセットを分画し,その形態や機能の一端を明らかにするなど,魚類のT細胞に関する基礎的知見を飛躍的に増加させた極めて重要な研究である.こうした成果は,免疫能の評価手法など,水産増養殖分野における防疫対策に応用されることも期待される.よって,審査委員一同,博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた.

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