No | 120176 | |
著者(漢字) | 植木,暢彦 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ウエキ,ノブヒコ | |
標題(和) | 魚類ミオグロビンの構造安定性に関する分子生物学的研究 | |
標題(洋) | Molecular biological studies on the structural stability of fish myoglobins | |
報告番号 | 120176 | |
報告番号 | 甲20176 | |
学位授与日 | 2005.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第2859号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 水圏生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | ミオグロビン(Mb)は筋細胞中に存在し、分子状酸素を貯える分子量約15,000の球状タンパク質である。Mb分子は一般に8つのα-ヘリックス構造を含み、N末端側からそれぞれセグメントA-Hと名づけられる。魚類のMbは哺乳類のものと比べて非常に不安定であり、自動酸化や凝集を起こしやすいことが知られている。このような不安定性は魚類の生息環境に密接に関連するものと考えられる。魚類では一般に環境水温に応じて体温が変化するために、タンパク質の構造が概して不安定である。また、Mbの変性は筋肉の色調に直接反映されるため、特にマグロ類などMb含量の高い赤身魚では著しい褐変を伴うことがあり、有効利用上の大きな障害となっている。しかし、魚類Mbの不安定性および魚種間の安定性の違いについて、分子レベルでの解明はこれまでほとんど行われていなかった。 本研究はこのような背景の下、特にMb含量の高いサバ科魚類、すなわち、メバチThunnus obesus、クロマグロThunnus thynnus、キハダThunnus albacares、カツオKatsuwonus pelamisおよびマルソウダAuxis rocheiのMbにつき、その構造と安定性の関連性を明らかにすることを目的として行われたもので、成果の概要は以下の通りである。 MbのcDNAクローニングと一次構造解析 これまで一次構造についての情報がなかったメバチおよびマルソウダのMbにつき、それぞれの普通筋(速筋)からcDNAをクローニングし、アミノ酸配列を演繹した。両魚種MbのcDNAは444bpの翻訳領域を有し、147アミノ酸をコードしていた。しかし、非コード領域についてはメバチで5'側に81bp、3'側に267bp、マルソウダではそれぞれ75および247bpと、わずかながら両魚種で差が認められた。 演繹アミノ酸配列につき、他の魚類、哺乳類および軟体類のMbと比較した結果、サバ科魚類のMb間ではアミノ酸同一率が非常に高く(76.0-100.0%)、哺乳類(39.5-49.0%)および軟体類(16.6-21.4%)との同一率は低かった。特に、メバチとクロマグロのMbではコード領域の塩基配列にわずかな差が認められたもののアミノ酸配列がまったく同じであり、またメバチとキハダのMbでは2残基の置換しか認められなかった。そのほか、例えば、カツオMbのAla13,Lys90,Gln91や、マルソウダMbのGly49,Gly62,Gln112など、それぞれのMbに特異的なアミノ酸置換が認められた。一方、ヘムとの結合に重要な遠位His60および近位His89は上記のすべてのMbで保存されていた。 さらに近隣接合法を用いた系統解析によって、メバチおよびマルソウダのMbはサバ科魚類Mbで形成されるクラスターに属することが判明した。また、メバチはクロマグロと、マルソウダはカツオと、それぞれ最も近縁であることが示唆された。 サバ科魚類Mbの熱安定性 前述した5種類のサバ科魚類の血合筋(遅筋)から精製したMbにつき、示差走査熱量分析(DSC)によって遷移温度(Tm)を、また円二色性(CD)分析によってα-ヘリックス含量の温度依存的変化を調べ、安定性を比較した。Tm値はカツオ(79.9℃)>クロマグロ(78.6℃)>キハダ(78.2℃)>メバチ(75.7℃)>マルソウダ(75.0℃)の順であった。上述のように、メバチとクロマグロのMbではアミノ酸配列がまったく同じであり、メバチとキハダのMbでは2残基の置換しか認められていないにもかかわらず、その安定性は互いに明確に異なっていた。また、魚類MbのTm値は対照のウマ心臓Mb(84.2℃)と比べていずれも低く、サバ科魚類Mbの不安定性が明らかにされた。 一方、いずれのMbにおいてもα-へリックス含量は測定温度の上昇とともに減少した。10℃における含量はカツオMbで最も高く(44.8%)、マルソウダMbで最も低かった(34.5%)。他の3魚種のMbについては、いずれも約40%と大きな差は認められなかった。これらの結果から、わずかなアミノ酸配列の変異がMbの安定性に少なからぬ影響を及ぼすこと、一次構造が同じでも高次構造の違いや翻訳後修飾等により安定性が異なることが示唆された。 翻訳後修飾に関する検討 メバチ、キハダおよびマルソウダMbをリシルエンドペプチダーゼで限定分解して得られた断片につき、MALDI-TOFマススペクトロメトリーにより翻訳後修飾の有無について検討した。キハダMbの消化断片を解析した結果、ペプチド101-108(N末端からの残基番号)に何らかの修飾がある可能性が示されたが、その同定には至らなかった。一方、メバチおよびマルソウダのMbでは、N末端のMetが除去され、次のAlaがアセチル化されていることが明らかとなった。 大腸菌発現系の構築および組換えMbの安定性 メバチ、クロマグロおよびマルソウダのMbにつき大腸菌発現系を構築した。すなわち、pGEX-2Tベクターを用いてGST融合タンパク質としてヘミンの存在下、可溶性画分に組換えMb(rMb)を過剰発現させ、アフィニティーカラム,スロンビンによるGSTの除去などの手法により、高純度のrMbを得た。ヘミンの添加により、精製中に起こるタンパク質分解が抑制され、さらにフォールディングが促進されることを見出した。 このようにして得られた3つのrMbにつき、α-ヘリックス含量の変化およびSoret帯吸収を指標として変性剤の尿素および塩酸グアニジン(GdnHCl)に対する耐性を調べ、安定性を比較した。他方、血合筋から精製したnative Mbについても同様に安定性を調べ、一次構造との関連性について検討した。その結果、マルソウダrMbで変性剤に対する安定性が最も低く、またメバチおよびクロマグロのものは同程度の安定性を示した。さらに、10℃におけるα-ヘリックス含量もマルソウダrMbで最も低く(29.0%)、他のrMbでは35%前後とほぼ同程度であった。これらの値はいずれの魚種でもnative Mbに比べて5%程度低く、rMbの脆弱さが示唆された。他方、native Mbの変性剤に対する耐性はクロマグロで最も高く、メバチおよびマルソウダで低かった。 メバチMb変異体の作成と安定性の比較 メバチMb cDNAにつき、PCRを用いて点変異DNAを作成し、大腸菌発現系で次の5種類の点変異体Mbを調製した。すなわち、カツオMbのみに変異が認められた部位を置換した変異体P13A、マルソウダMbのみに変異が認められた部位を置換した変異体A62G、メバチとキハダのMb間で異なる2残基のいずれか、あるいは両方を置換した変異体I21M、V57IおよびI21M/V57Iにつき、前項と同じ方法でα-ヘリックス含量の温度依存的変化および変性剤に対する耐性を調べた。 5種類のMb変異体のSoret帯吸収は尿素濃度4.0-6.0MおよびGdnHCl濃度1.25-2.0M付近で急激に減少し、ヘムの解離に伴う高次構造の崩壊が示唆された。メバチ野生型rMb(WT)の尿素およびGdnHCl変性における自由エネルギー-〓〓、それぞれ3.74および2.37kcal/molと比べて変異体P13Aではそれぞれ4.78および2.84kcal/molと安定で、α-ヘリックス含量もすべての温度域でWTより常に高かった。逆に、変異体A62Gの変性剤に対する耐性は上記の順にそれぞれ2.76および2.10kcal/molとWTに比べて著しく低く、α-ヘリックス含量も常に低かった。Pro13はセグメントAに位置し、α-へリックス構造の形成を阻害していると考えられる。他方Ala62は、ヘムとの結合に重要な遠位His60を含み疎水性のヘムポケット形成に関わるセグメントEに位置している。これらのことから、Mbの構造安定性に重要な領域に存在するアミノ酸残基を置換すると、ヘリックス形成能や疎水性のわずかな変化によっても、Mb分子全体の安定性が影響を受けることが示唆された。 一方、変異体I21Mの安定性(上述した変性剤に対する自由エネルギー-〓〓はそれぞれ3.67および2.35kcal/mol)はWTと類似していた。これに対して、変異体V57I(それぞれ3.88および2.53kcal/mol)および変異体I21M/V57I(それぞれ3.90および2.60kcal/mol)は両変性剤に対してWTよりも安定であった。また、これら2つの変異体のα-ヘリックス含量は35.0-52.5℃においてWTに比べて高かった。これらの結果から、メバチおよびキハダのnative Mbの安定性はI21Mの置換よりもV57Iの置換の影響を大きく受けることが示唆された。この結果はVal57がセグメントEに位置することが原因と考えられた。 以上、本研究により、新たに2種類のサバ科魚類Mbの一次構造が明らかにされた。さらに、点変異体を用いた実験から、α-ヘリックス形成部位や疎水性のヘムポケット周辺など、Mbの構造安定化に重要な領域では、わずか1残基のアミノ酸置換がMbの安定性に影響を及ぼす場合があることが明らかとなった。これらの結果は、サバ科魚類Mbにおいてアミノ酸同一率が高いにもかかわらず、その安定性が明確に異なる理由の一端を示すもので、比較生化学上ならびに食品化学上、資するところが大きいと考えられる。 | |
審査要旨 | ミオグロビン(Mb)は筋細胞中に存在し、分子状酸素を貯える分子量約15,000の球状タンパク質である。魚類のMbは哺乳類のものと比べて不安定で、自動酸化や凝集を起こしやすい。また、Mbの変性は筋肉の色調に直接反映され、とくにマグロ類などMb含量の高い赤身魚では有効利用上の大きな障害となっている。しかし、魚類Mbの不安定性および魚種間の安定性の違いについて、分子レベルでの解明はこれまでほとんど行われていなかった。 本研究はこのような背景の下、とくにMb含量の高いサバ科魚類、メバチThunnus obesus、クロマグロThunnus thynnus、キハダThunnus albacares、カツオKatsuwonus pelamisおよびマルソウダAuxis rocheiのMbにつき、その構造と安定性の関連性を明らかにすることを目的として行われたもので、成果の概要は以下の通りである。 これまで一次構造についての情報がなかったメバチおよびマルソウダMbをcDNAクローニングし、アミノ酸配列を演繹した。他の魚類、哺乳類および軟体類Mbの演繹アミノ酸配列と比較した結果、サバ科魚類のMb間ではアミノ酸同一率が高く(76.0-100.0%)、哺乳類(39.5-49.0%)および軟体類(16.6-21.4%)との同一率は低かった。とくに、メバチとクロマグロMbではアミノ酸配列が同一で、メバチとキハダMbでは2残基の置換しか認められなかった。 前述した5種類のサバ科魚類の血合筋から精製したMbにつき、示差走査熱量分析(DSC)によって遷移温度(Tm)を、また円二色性(CD)分析によってα-ヘリックス含量の温度依存的変化を調べ、安定性を比較した。Tm値はカツオ(79.9℃)>クロマグロ(78.6℃)>キハダ(78.2℃)>メバチ(75.7℃)>マルソウダ(75.0℃)の順であった。また、魚類MbのTm値は対照のウマ心臓Mb(84.2℃)と比べていずれも低く、サバ科魚類Mbの不安定性が明らかにされた。 一方、10℃におけるα-ヘリックス含量はカツオMbで最も高く(44.8%)、マルソウダMbで最も低かった(34.5%)。他の3魚種のMbについては、いずれも約40%と大きな差は認められなかった。これらの結果から、わずかなアミノ酸配列の変異がMbの安定性に少なからず影響を及ぼすこと、一次構造が同じでも高次構造の違いや翻訳後修飾等により安定性が異なることが示唆された。 キハダおよびマルソウダMbにつき、質量分析により翻訳後修飾についての検討を行った結果、キハダMbでは、ペプチド101-108(N末端からの残基番号)に何らかの修飾がある可能性が示されたが、その同定には至らなかった。一方、マルソウダMbでは、N末端のMetが除去され、次のAlaがアセチル化されていることが明らかとなった。 メバチ、クロマグロおよびマルソウダMbにつき大腸菌発現系を構築し、これら3魚種の組換えMb(rMb)につき、α-ヘリックス含量の変化およびSoret帯吸収を指標として変性剤の尿素および塩酸グアニジンに対する抵抗性を調べ、安定性を比較した。他方、血合筋から精製したnative Mbについても同様に安定性を調べた。その結果、rMbではマルソウダで安定性が最も低く、またメバチおよびクロマグロのものは同程度の安定性を示した。native Mbの安定性はクロマグロで最も高く、メバチおよびマルソウダで低く、前述のDSCおよびCD分析の結果と一致した。また、いずれの魚種でもnative Mbに比べてrMbの方が不安定であった。 次に、メバチのMbをもとに5種類の点変異体Mb、すなわち変異体P13A、I21M、V57I、A62GおよびI21M/V57Iを調製し、上述の方法で安定性を比較した。その結果、メバチ野生型rMb(WT)と比べて変異体P13Aでは安定性が高く、変異体A62Gでは低かった。一方、変異体I21Mの安定性はWTと同程度であった。これに対して、変異体V57IおよびI21M/V57IはWTよりも安定であった。これらの結果から、α-ヘリックス形成部位や疎水性のヘムポケット周辺など、Mbの構造安定化に重要な領域では、わずか1残基のアミノ酸置換がMbの安定性に影響を及ぼす場合があることが明らかとなった。 以上、本研究は、新たに2種類のサバ科魚類Mbの一次構造が明らかにした。さらに、点変異体を用いた実験から、α-ヘリックス形成部位や疎水性のヘムポケット周辺など、Mbの構造安定化に重要な領域では、わずか1残基のアミノ酸置換がMbの安定性に影響を及ぼす場合があることが明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
UTokyo Repositoryリンク |