学位論文要旨



No 120179
著者(漢字) 川口,奈々美
著者(英字)
著者(カナ) カワグチ,ナナミ
標題(和) メダカのCRHファミリー遺伝子に関する分子生理学的研究
標題(洋)
報告番号 120179
報告番号 甲20179
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2862号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 會田,勝美
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 助教授 良永,知義
 東京大学 助教授 金子,豊二
 東京大学 助教授 兵藤,晋
内容要旨 要旨を表示する

 副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(corticotropin-releasing hormone;CRH)はアミノ酸41個からなる神経ペプチドの一種で、脊椎動物全般に広く存在する。CRHは、下垂体からの副腎皮質刺激ホルモンの分泌を促進し、脳-下垂体-間腎腺(HPI)系を賦活化するばかりでなく、その他の様々なストレス応答に関わる生理的な変化を引き起こすことが知られている。しかし、高等脊椎動物においてもその作用機構には不明な点が多く、魚類における研究は大きく立ち後れているのが現状である。

 CRHは、その構造が非常に類似する分子群とともにCRHファミリーを形成する。これまで、脊椎動物種はCRHファミリーとしてCRHとウロコルチン(Urocortin;Ucn)またはウロテンシンI(UrotensinI;UI)をもつと考えられてきた。しかし近年の目覚ましいゲノム解析の進歩に伴い、哺乳類においてUcn2およびUcn3と呼ばれる新たなCRHファミリー分子が発見されたが、哺乳類以外の脊椎動物でUcn2やUcn3の存在は確認されていない。これらの新規なペプチドもストレス応答に深く関与していると考えられているが、それぞれの担う生理的役割について詳細な知見は乏しい。

 CRHファミリーの機能は、Gタンパク質共役型7回膜貫通受容体であるCRH受容体(CRH receptor;CRH-R)によって介在される。これまで、哺乳類において2種の受容体が同定され、生理的役割の解明が進んできている。近年、魚類においてもCRH-Rが単離されたが、CRH-Rの種類およびその発現部位は魚種により異なり、それらの生理学的機能はまったく解明されていない。

 魚類のストレス応答を理解することは健全な魚類の増養殖を目指す上で極めて重要である。特に種苗生産の現場においては親魚への飼育環境のストレスが大きな問題となっている。CRHファミリーの生理的役割を知ることは魚類のストレス応答を理解する上で重要であるが、CRHファミリーおよびCRH-Rの構成因子の複雑さがその理解を遅らせる原因のひとつとなっている。現在までのところ、哺乳類以外ではひとつの動物種において全てのCRHファミリーとCRH-Rについての研究がなされている例はない。魚類におけるCRHファミリーの生理的役割を明らかにするためには、種内に存在するCRHファミリーとCRH-Rの同定、およびそれらの発現動態の解明が不可欠である。

 本研究では、これらの問題点を解明するためメダカ(Oryzias latipes)を実験モデルに選定した。メダカは、脊椎動物におけるヒトの比較対象として注目されている魚種のひとつであり、ゲノム解析が進んでいるため遺伝子の探索に非常に有利である。さらに、モデル動物としての基盤が整いつつあり、生理作用の検討も比較的容易に行える。以上の理由から、本研究ではメダカのCRHファミリーおよびCRH-Rの構造および発現解析を試みた。

第1章 CRHファミリー遺伝子とその構造

 近年のゲノム解析の進展に伴い、哺乳類ではCRHファミリーに属する4つのペプチドの遺伝子が単離されてきた。しかし、これらの遺伝子が哺乳類以外の脊椎動物にも存在しているのか否かについては不明である。そのような背景のもと、本章ではまず、メダカからCRHファミリーのクローニングを試みた。その結果、メダカからCRH、UIに加えて、あらたに2種類のCRHファミリー遺伝子が単離された。遺伝子のexon/intron構造から、これら4つの遺伝子は同じファミリーに属することが確認された。これらの類縁関係を明らかにするために、分子系統樹の作成およびメダカのドラフトゲノムデータとヒトゲノムデータの間でシンテニー解析を行った。メダカのCRHとUIはヒトのCRHとUcnの間でそれぞれシンテニーが保存されていたが、残りの2つにおいてはシンテニーの保存は確認できなかった。しかし、メダカで新たに得られた2つの遺伝子が分子系統樹から哺乳類のUcn2とUcn3とそれぞれ近縁であったため、本研究ではこれらの遺伝子をメダカにおけるUcn2およびUcn3とした。

第2章 CRHファミリー遺伝子の発現

 CRHファミリーの生理学的機能の違いを解明する上で、それらの発現部位を明らかにし、生理的に異なる条件下でその発現動態を調べる必要がある。そこでまず、メダカの様々な器官におけるCRHファミリー遺伝子の発現の有無をRT-PCRによって検討した。その結果、CRHは脳、生殖腺(雌雄識別せず)、尾部神経分泌系で、UIは脳、鰓、心臓、間腎腺、肝臓、生殖腺(同上)、尾部神経分泌系で、Ucn2は脳、鰓、尾部神経分泌系で、またUcn3は脳、鰓、間腎腺、生殖腺(同上)、尾部神経分泌系で、それぞれ発現が認められた。これらの遺伝子が異なる発現部位を示したことから、CRHファミリーが異なる生理作用をもつことが示唆された。

 CRH遺伝子については、脳を部位ごとに切り分けてRT-PCRを行うとともに、in situハイブリダイゼーションにより、より詳細な発現部位の検討を試みた。その結果、CRH遺伝子は広い範囲に発現し、特に中脳および小脳において強く発現する細胞群が確認された。

 哺乳類では、CRHの発現に影響を与える因子として日周リズムとストレスが知られている。そこで、これらの条件下におけるメダカCRHファミリー遺伝子の発現を調べるとともに、HPI系の活性化の指標として体内のコルチゾル含量を測定した。まず日周リズムによる影響を調べるため、明暗周期(14時間明期、10時間暗期)に馴致したメダカで、明期と暗期にサンプリングを行った。その結果、CRHファミリー遺伝子の中で唯一CRHだけが昼夜で明確な変動を示し、明期に暗期よりも有意に高い値となった。一方、体内のコルチゾル含量もCRHと同様に、明期に暗期よりも有意に高かった。さらにストレスに対する応答性を調べるため、短期的ストレスをメダカに与え、CRHファミリー遺伝子の発現および体内のコルチゾル含量を測定した。追い回しおよび拘束によりメダカに短期的ストレスを与えたところ、いずれのストレス時にも体内のコルチゾル含量は増加した。CRHファミリー遺伝子では、UIだけで発現の上昇がみられたが、この変動はコルチゾルの増加よりも遅れて生じた。以上のことから、明暗リズムに伴う基礎代謝の変動においてはCRHがHPI系の亢進に関与し、短期的ストレスに対してはUIが応答している可能性が示唆された。

第3章 CRH受容体cDNAの検索

 これまでに哺乳類で2種類のCRH-Rが単離されているが、近年、ニジマスで2種の、ナマズでは3種のCRH-Rが単離された。CRH-R1は主に脳および下垂体において発現し、主に中枢でのストレス応答に関わると考えられている。一方、CRH-R2は中枢および末梢の双方で発現することが知られている。しかし、魚類におけるCRH-Rの種類および発現部位については未だ不明な点が多い。本章では、メダカからCRH-Rのクローニングを試みた結果、2種類のCRH-Rが得られた。そのうちのひとつは分子系統樹上でCRH-R1のグループに属し、ナマズにおいて単離されているCRH-R3と高い相同性を示した。また、もう一方の受容体は、既知のCRH-R2と非常に相同性が高く、系統樹上も同じグループに属していた。以上の結果から、本研究において得られた2種類の受容体をメダカにおけるCRH-R1およびCRH-R2とした。

 CRH-Rの発現部位を調べたところ、CRH-R1は脳、心臓、鰓、生殖腺(雌雄識別せず)および尾部神経分泌系において発現が認められたのに対し、CRH-R2の発現は脳、心臓、鰓、生殖腺(同上)、尾部神経分泌系、間腎腺および肝臓において発現が確認された。さらに、脳におけるより詳細な発現部位を検討するため、脳を部位ごとに切り分けRT-PCRを行ったところ、双方の受容体遺伝子は広い範囲に発現していたが、下垂体においてはCRH-R1遺伝子の発現だけが認められた。2つのCRH-R遺伝子の発現パターンが異なっていたことから、これらのCRH-Rは異なる生理的役割をもち、特に下垂体におけるCRHファミリーの作用を介するのはCRH-R1であることが示唆された。しかし、CRHファミリーペプチドのそれぞれの受容体に対する親和性については今後の課題として残された。

 以上の分子生理学的研究により、メダカのCRHファミリーペプチドとその受容体であるCRH-Rの概要が明らかとなった。また、これらの遺伝子の発現変動から生理的役割に関していくつかの有用な知見が得られた。今後、より詳細な研究が行われることにより、メダカを含めた脊椎動物のCRHファミリーの分子進化、機能およびストレス応答への関与の全容が明らかとなることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(corticotropin-releasing hormone;CRH)はアミノ酸41個からなる神経ペプチドで、下垂体からの副腎皮質刺激ホルモンの分泌を促進し、ストレス応答に関わることが知られているが、魚類における研究は大きく立ち遅れている。

 これまで、脊椎動物種はCRHファミリーとしてCRHとウロコルチン(Urocortin;Ucn)またはウロテンシンI(UrotensinI;UI)をもつと考えられてきた。しかし近年、哺乳類においてUcn2およびUcn3と呼ばれる新たなCRHファミリー分子が発見されたが、その他の脊椎動物ではそれらの存在は確認されていない。CRHファミリー分子の機能は、CRH受容体(CRH receptor;CRH-R)によって介在される。魚類においてもCRH-Rが単離されたが、CRH-Rの種類およびその発現部位は魚種により異なり、それらの生理学的機能はまったく解明されていない。

 魚類のストレス応答を理解することは健全な魚類の増養殖を目指す上で極めて重要であるが、CRHファミリーおよびCRH-Rの構成因子の複雑さがその理解を遅らせる原因のひとつとなっている。現在までのところ、哺乳類以外ではひとつの動物種において全てのCRHファミリーとCRH-Rについての研究がなされた例はない。本研究は、ゲノム解析が進んでいて遺伝子の探索に有利であるメダカ(Oryzias latipes)を実験モデルに選定し、CRHファミリーおよびCRH-Rの探索、構造および発現解析を試みたものである。

第1章 CRHファミリー遺伝子とその構造

 本章ではまず、メダカからCRHファミリーのクローニングを試みた。その結果、メダカからCRH、UIに加えて、新たに2種類のCRHファミリー遺伝子が単離された。これらは遺伝子のexon/intron構造、分子系統樹およびメダカのドラフトゲノムデータとヒトゲノムデータの間でのシンテニー解析から、これら4つの遺伝子は同じファミリーに属することが確認された。メダカで新たに得られた2つの遺伝子は分子系統樹から哺乳類のUcn2とUcn3とそれぞれ近縁であったため、本研究ではこれらの遺伝子をUcn2およびUcn3とした。

第2章 CRHファミリー遺伝子の発現

 CRHは脳、生殖腺、尾部神経分泌系で、UIは脳、鰓、心臓、間腎腺、肝臓、生殖腺、尾部神経分泌系で、Ucn2は脳、鰓、尾部神経分泌系で、またUcn3は脳、鰓、間腎腺、生殖腺、尾部神経分泌系で、それぞれ発現が認められた。これらの遺伝子が異なる発現部位を示したことから、CRHファミリー分子は異なる生理作用をもつことが示唆された。CRH遺伝子については、脳の広い範囲に発現し、特に中脳および小脳において強く発現する細胞群が確認された。

 次に日周リズムによる影響を調べた結果、CRHファミリー遺伝子の中で唯一CRHだけが明期に暗期よりも有意に高い値を示した。体内のコルチゾル含量もCRH遺伝子と同様に、明期に暗期よりも有意に高かった。次に追い回しおよび拘束によりメダカに短期的ストレスを与えたところ、いずれのストレス時にも体内のコルチゾル含量は増加した。CRHファミリー遺伝子では、UIだけで発現の上昇がみられたが、この変動はコルチゾルの増加よりも遅れて生じた。以上のことから、明暗リズムに伴う基礎代謝の変動においてはCRHが脳-下垂体-間腎腺系の亢進に関与し、短期的ストレスに対してはUIが応答していることが示された。

第3章 CRH受容体cDNAの検索

 メダカから2種類のCRH-Rが得られた。そのうちのひとつは分子系統樹上でCRH-R1のグループに属し、もう一方は、既知のCRH-R2のグループに属していたことから、これらの受容体をCRH-R1およびCRH-R2とした。CRH-R1は脳、心臓、鰓、生殖腺と尾部神経分泌系において発現が認められたのに対し、CRH-R2は脳、心臓、鰓、生殖腺、尾部神経分泌系、間腎腺および肝臓において発現が確認された。さらに脳を部位ごとに切り分けRT-PCRを行ったところ、双方の受容体遺伝子は広い範囲に発現していたが、下垂体においてはCRH-R1遺伝子の発現だけが認められた。これらの結果、CRH-Rは異なる生理的役割をもち、特に下垂体ではCRH-R1がCRHファミリー分子の作用を介することが示された。

 以上、本論文は、メダカのCRHファミリー分子とその受容体であるCRH-R遺伝子の全てを、魚類で初めて単一種から単離し、これらの遺伝子の発現変動の解析からストレス応答についての新たな知見を得たもので、学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判断した。

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