学位論文要旨



No 120181
著者(漢字) 長濱,幸生
著者(英字)
著者(カナ) ナガハマ,ユキオ
標題(和) 形態およびrRNA塩基配列を用いた渦鞭毛藻Prorocentrum属底生性種の分類学的研究
標題(洋)
報告番号 120181
報告番号 甲20181
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2864号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福代,康夫
 東京大学 教授 寺崎,誠
 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 助教授 武田,重信
 長崎大学 教授 松岡,數充
内容要旨 要旨を表示する

 渦鞭毛藻は単細胞微細藻類の一群であり、沿岸域に多く、魚貝類斃死を伴う赤潮や各種魚貝毒の原因種を多く含むことでも知られている。渦鞭毛藻には水中に漂在する浮遊性種と、海藻類や海底基盤の表面に付着したり、その付近で生活する底生性種があり、大部分の属は浮遊性種のみであるが、本論分の題材としたProrocentrum属など、浮遊性種と底生性種をともに含む属がわずかにある。Prorocentrum属の浮遊性種は赤潮の原因となることもあって多くの研究がなされていたが、底生性種は1980年代初めまでは関心をもたれず、シガテラ魚毒との関連が示唆されるなど、毒物質を生産する種が多くあることがわかってから、分類や生態に関する研究が急速になされた生物である。特に分類学的研究に関しては、1990年以降数多くの新種が報告されている。しかし、これらの報告においては新種の記載を急ぐあまり本質的な分類形質の評価がなされず、恣意的に用いられた共通性の乏しい形質で種を分けることが続けられたため、分類学的研究どころか、分布生態調査における種の同定識別においてすら混乱の起こる状態になってしまっている。

 渦鞭毛藻などの単細胞藻類は従来から形態のみを基準とする分類系統研究が行われてきたが、近年はリボソームリボ核酸(rRNA)などの塩基配列の特徴を用いた種や系群の識別、あるいは種内種間関係や系統類縁関係の検討が多くなされ、その有用性も広く認識されてきている。

 そこで、本研究は混乱の多く見られる重要な渦鞭毛藻のProrocentrum属の底生性種について、形態を精査し直すとともにrRNA塩基配列を調べることにより、1)共通の分類基準を定めること、2)分類基準に基づいて記載すること、3)渦鞭毛藻におけるProrocentrum属の系統的位置を解明すること、4)底生性種の主要種であり、世界に広く分布しているP. limaの種内類縁関係と、他種との種間類縁関係を解明することを目的とした。

試料と方法

 世界各地から採取したProrocentrum属の底生性種の培養株と天然試料の合わせて98試料を用いた。形態観察はノマルスキー型微分干渉顕微鏡と走査型電子顕微鏡を用い、前者では細胞の外形と大きさ、細胞内における核とピレノイドの位置、鞭毛孔部の小板の数の観察、後者では細胞表面の模様、間帯の模様、殻板孔の形、鞭毛孔部の小板の数と配置の観察を行った。分子系統解析は、ITS1、5.8SrRNA、ITS2と周辺の一部を含む領域(ITS領域)とSSU rRNAを用いた。

Prorocentrum属の底生性種の形態的特徴の評価

 形態観察の結果から5つの形態的特徴が分類基準として有用であると考えられた。ただ、それらの形態的特徴には種内で安定したものと、不安定なものがあった。

(1) 細胞外形

 細胞外形は種内で不安定で、種内で球形、楕円形、卵形に変化した。ただし細胞後端部が尖るか否かは種内で安定した特徴であった。

(2) 殻板表面の模様

 殻板に模様のある種とない種が存在した。後者では、培養しても殻板に模様がでることはなかった。一方前者では、窪みの数や深さは培養株内で連続的に変化した。従って、それらは分類基準としては下位に位置づけた。殻板の模様は平滑、円形模様、網目模様の3つに大別できた。

(3) 間帯の模様

 細胞の縫合線の両側に発達する間帯の表面模様を、平滑、縫合線に対して並行の縞、縫合線に対して直行する縞の3つに大別することができた。ただ、電子顕微鏡を用いても判別の難しい細胞も多く、分類基準としては下位に位置づけた。

(4) 殻板孔の配置

 すべての種は殻板に孔をもっていた。殻板孔の配列は種ごとに安定しており、散在型、放射型、P. elegans型、P. norrisianum型の4つの型に分けることができた。従って、殻板孔の配置を分類基準の上位に位置づけた。

(5) 鞭毛孔部の形態

 鞭毛孔部には複数の小板があり、小板が組み合わさって鞭毛孔と補孔を形成している。鞭毛孔部の形態は小板の枚数と配置により決まり、それらは種に安定であった。小板に発達することがある孔や仕切り構造の数、隆起の大きさは種内で多様だった。従って、鞭毛孔部の小板の枚数と配置を分類基準の上位に位置づけた。鞭毛孔部の形態はすくなくとも9型に分けることができた。

形態的特徴によるProrocentrum属の底生性種のグループ分け

 Prorocentrum属の底生性種のいくつかの形態的特徴は複数の種に共通しており、それらの形態的特徴を用いることにより、同属内の種をいくつかのグループに分けることができた。第1段階のグループ分けには、殻板孔の配列を用いたが、多くの種が散在型に含まれるため、散在型のみ鞭毛孔部の小板の数により2つに分けた。第2段階ではそれぞれのグループ内を鞭毛孔部の小板の配置を用いて分けた。

グループ1:散在型で8枚の小板をもつ

 P. lima型:P. hoffmannianum、P. lima、P. maculosum、P. reticulatum、P. sabulosum

 P. ruetzlerianum型:P. ruetzlerianum

グループ2:散在型で9枚の小板をもつ

 P. concavum型:P. concavum、P. foraminosum、Prorocentrum sp.Type Ravenna

 P. panamensis型:P. panamensis

 P. borbonicum型:P. borbonicum

グループ3:放射型

 P. emarginatum型:P. emarginatum

 P. rhathymum型:P. caribbaeum、P. rhathymum

 P. clipeus型:P. clipeus

Prorocentrum sp.Type Takamatsu型:Prorocentrum sp.Type Takamatsu

グループ4:散在型でも放射型でもない

 P. norrisianum型:P. norrisianum

 さらに、P. lima型、P. concavum型、P. rhathymum型に属する種を殻板表面の模様を用いて分けることができた。

形態に基づく種のグループ分けと分子系統による類縁関係解析結果の比較

 形態によって分類したProrocentrum属の種間関係をSSU rRNAで分子系統解析した結果(図1)、Prorocentrum属は複数のクレードに分かれた。クレードのひとつはP. limaとP. maculosumからなり、別のクレードはP. concavumとP. sp. Type Takamatsuからなり、また別のクレードはP. rhathymumとP. mexicanumからなっていて、これらのクレードの分化は先に述べた鞭毛孔部の型によるグループ分けと一致した。クレード内では殻板孔の配置は一定であったが、散在型の孔は複数のクレードに分散していた。各クレードには殻板の模様が平滑な種と円形の窪みをもつ種が存在しており、殻板の模様は鞭毛孔部の形態や殻板孔の配置よりも変化に富む特徴であることが遺伝的にも明らかになった。複数の培養株を分析に供したP. limaとP. rhathymumはそれぞれ単系統を形成し、分子系統解析と先に述べた形態によるグループ分けが種レベルでも一致することが示された。

 単系統を形成したP. limaを異なる地域から得て、種内類縁関係をITS領域とSSU rRNAを用いて分子系統解析した結果はよく一致した。それらの樹状図をみるとP. limaは採取された場所ごとに類縁性が高く、太平洋クレード、カリブ海クレード、大西洋クレードの3つに分かれた。しかし、クレード内の類縁関係は解明できなかった。P. limaの形態的特徴を3つのクレードごとに検討したが、形態的特徴と遺伝的クレードに相関はみられなかった。

 Prorocentrum属内の遺伝的種間類縁関係と形態分類がよく一致したので、より高次の分類である渦鞭毛藻におけるProrocentrum属の系統的位置解明するために22属32種のSSU rRNAで分子系統解析を試みた。その結果、Prorocentrum属は多系統であり、渦鞭毛藻における系統的位置は解明できなかった。

考察

 Prorocentrum属の底生性種の形態を、殻板だけでなく鞭毛孔部を含めて比較した結果、分類基準として殻板孔の配置と鞭毛孔部の形態、核の位置、ピレノイドの有無、殻板の模様と定めることができ、さらにその基準に基づきこれまでに報告されていた22種を17種にまとめることができた。同時に本研究に用いた試料中に、これまでに報告のない2種を確認できた。分類基準として用いた形態的特徴の中でも鞭毛孔部の形態は、多くの種が識別できる特徴であることがわかった。鞭毛孔部の小板の枚数は培養株でも安定しており、さらに光学顕微鏡を用いて観察できることから、Prorocentrum属の底生性種の種同定が容易になることが期待できる。

 渦鞭毛藻全体の分子系統解析ではProrocentrum属は複数の目の中で多系統群を形成しており、系統的位置を解明することはできなかった。Prorocentrum属内の分子系統解析の結果は鞭毛孔部の形態と殻板孔の配置が遺伝的にも安定した形質であることを示していた。すなわち本研究で定めた分類基準が遺伝的にも支持されたと考える。広い範囲に生息するP. limaを分子系統解析した結果、P. limaが遺伝的に太平洋、カリブ海、大西洋の3つのクレードに分かれることが明らかになったが、各クレード内の類縁関係を解明することはできなかった。より詳しい類縁関係を解明するにはゲノム全体の多型から推定することが有効であると考える。

図1.SSU rRNAの塩基配列をベイズ法により系統解析して得たProrocentrum属の種間類縁関係

審査要旨 要旨を表示する

 渦鞭毛藻は単細胞微細藻類の一群で、水中に漂在する浮遊性種と、海藻や海底基盤の表面に付着したり、その付近で生活する底生性種がある。渦鞭毛藻の大部分の属は浮遊性種のみを含むが、本論文の題材としたProrocentrum属は浮遊性種と底生性種を含んでいる。浮遊性種の分類については長い研究の歴史があるが、底生性種は1980年代にシガテラ魚毒との関連が示唆されてから急速に研究が進み、特に1990年以降に数多くの新種が報告されている。しかし、これらの報告では本質的な分類形質の評価なしに種を分けることが続けられたため、種の同定識別において混乱が起きている。

 渦鞭毛藻では形態のみを基準とする分類系統研究が行われてきたが、近年はrRNAなどの塩基配列の特徴を用いた分類系統関係の検討が多くなされ、その有用性も広く認識されてきた。

 本研究は、混乱の多く見られるProrocentrum属の底生性種について、形態を精査し直すとともにrRNA塩基配列を調べることにより、1)分類基準を定めること、2)分類基準に基づいて記載すること、3)渦鞭毛藻におけるProrocentrum属の系統的位置を解明すること、4)底生性種の主要種であり、世界に広く分布しているP. limaの種内類縁関係と、他種との種間類縁関係を解明すること、を目的としたものである。

 研究には、世界各地から採取したProrocentrum属の底生性種の培養株と天然試料の合わせて98試料を用い、形態観察は光学顕微鏡と電子顕微鏡、分子系統解析はITS領域とSSU rRNAを用いた。その研究成果は以下のとおりである。

Prorocentrum属の底生性種の分類基準

 形態観察の結果から次の5つの形態的特徴が分類基準として有用であるとした。

(1) 細胞外形:細胞外形は種内で不安定で、種内で球形、楕円形、卵形に変化した。ただし細胞後端部が尖るか否かは種内で安定した特徴であった。

(2) 殻板表面の模様:平滑、円形模様、網目模様の3つに大別した。

(3) 間帯の模様:平滑、縫合線に対して並行の縞、縫合線に対して直行する縞の3つに大別した。

(4) 殻板孔の配置:すべての種の殻板に孔があった。殻板孔の配列は種ごとに安定しており、散在型、放射型、elegans型、norrisianum型の4つの型に分けられた。

(5) 鞭毛孔部の形態:鞭毛孔部には複数の小板があり、小板が組み合わさって鞭毛孔と補孔を形成している。鞭毛孔部の形態は小板の枚数と配置により決まり、少なくとも9型に分けられた。

形態的特徴によるProrocentrum属の底生性種のグループ分け

 殻板孔の配列、鞭毛孔部の小板の数と小板の配置の形態形質を基に4グループ10型に分けることができた。グループ1は散在型で8枚の小板をもち、lima型5種とruetzlerianum型:1種を含む。グループ2は散在型で9枚の小板をもち、concavum型4種、panamensis型1種、borbonicum型1種を含む。グループ3は放射型の殻板孔をもち、emarginatum型1種、rhathymum型2種、clipeus型1種、Takamatsu型1種が含まれる。残るグループ4は散在型でも放射型でもなく、ruetzlerianum型1種が含まれる。

形態に基づく種のグループ分けと分子系統による類縁関係解析結果の比較

 形態によって分類したProrocentrum属の種間関係を、SSU rRNAを用いた分子系統解析結果と比較したところ、Prorocentrum属は複数のクレードに分かれ、これらの分化は形態的特徴によるグループ分けと一致した。また、分子系統解析と先に述べた形態によるグループ分けが種レベルでも一致することが示された。

 底生性Prorocentrum属の代表種P. limaを異なる地域から得て、種内類縁関係をITS領域とSSU rRNAを用いて分子系統解析した結果、両者はよく一致した。それらの樹状図をみるとP. limaは採取された場所ごとに類縁性が高く、太平洋クレード、カリブ海クレード、大西洋クレードの3つに分かれた。

 以上本研究は、有毒有害種を含むProrocentrum属の底生性種に関し、分類基準を殻板孔の配置と鞭毛孔部の形態、核の位置、ピレノイドの有無、殻板の模様と定め、その基準に基づきこれまでに報告されていた22種を17種にまとめると同時に、未報告2種も含めて分類を再編したものある。この成果により、Prorocentrum属の底生性種の生物学、生態学、毒化学に関する研究を実施するための基準が築かれ、今後の水圏生物科学の発展に資するところが極めて大であると考えられた。よって、審査委員一同は本論文をもって、本研究の申請者長濱幸生君が博士(農学)の学位を授与するに値する研究者であると判断した。

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