No | 120182 | |
著者(漢字) | 松村,幸一 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | マツムラ,コウイチ | |
標題(和) | ゴンズイの群認識物質に関する研究 | |
標題(洋) | Studies on school recognition substance in the catfish Plotpsus lineatus | |
報告番号 | 120182 | |
報告番号 | 甲20182 | |
学位授与日 | 2005.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第2865号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 水圏生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 生物が備える認識システムは、極めて単純なものから高度に発達したものまで多様である。特に、他個体の認識をはじめとして、複雑なコミュニケーションには特徴的なシグナル、精緻な処理機構、そして行動発現が不可欠になる。シグナルの一つとして化学信号は多数の生物に見られる。例えば、高度な社会性を備えるアリのコミュニケーションは、体表の炭化水素により担われていることが明らかにされ、この研究に基づいてアリ社会が極めて動的なことが示された。同時に、その社会は自律適応型システムと呼ばれ、複雑な数理問題を解決する手段として利用できることも示されている。一方、脊椎動物でも他個体(親子、雌雄、階層、敵味方、そして集団)の認識に匂い物質が関わることが報告されているが、その本体が明らかにされた例はほとんどない。 ゴンズイPlotosus lineatusは孵化直後から同腹個体で構成される群を形成する。この群は他の群と交わった後、すぐにもとの群に戻るが、組み合わせる群によっては、交わったまま一つの安定な群を形成する場合や、分離後に各群由来の特定の個体が新たに群を構成する場合がある。このことから、群の融合と分離は何らかの理由で規定され、融合と分離を繰り返しながら多様な群が持続的に維持される機構が備わっていることが予想される。このような群の認識を司る因子に関して、すでに研究がなされ、以下のことが明らかにされている。(1)ゴンズイは自群の飼育海水や自群個体から採取した粘液に誘引されること。(2)他群よりも自群の海水を選択すること。(3)鼻腔を詰めると自群の匂いを選択できないことから、受容器官が嗅覚であること。これらの結果から、群の認識は化学物質、すなわち群認識物質(school recognition substance、SRS)により担われていることが予想できるが、その本体は明らかにされていない。群認識物質は認識システムや群間相互作用の解明の手掛かりとなり、さらに、生物を模倣した分散型自律システムへの応用が期待できる。そこで本研究ではゴンズイの群認識物質を解明することを目的とした。 1 生物試験法の開発、活性物質の単離、構造決定 これまでのP. lineatusの群認識物質に関する研究では、長方形容器の上流の二箇所からおのおの試料を流し、どちらかを選択させるという方法が用いられてきたが、本法は多量の試料を必要するため、活性物質の単離、同定のための生物試験法として不適切であった。そこで、活性物質に対する行動特性を少量の試料を用いて検出する手法の開発を目指した。まず、自群個体から採取した体表粘液を寒天に混ぜ、それに対する行動を観察した。すると、寒天を通り過ぎた後にすぐさま方向転換して寒天に向かって泳ぐという行動(Turn behavior)が認められた。この行動は群から離れた個体が群に戻る時や、異なる群と交わった後に自群に戻る時にも観察される。そこで、長方形の容器(68×40×15cm)に3cmの深さになるように海水を入れ、容器の片端に粘液を加えた寒天を、他端に試料を加えていない寒天を置き、魚の行動をビデオで5分間記録した。この行動を定量化するにあたり、以下のように活性を定義した。RT=(m/n)×100,m:寒天を通り過ぎた後に5秒以内に戻った回数,n:寒天を通り過ぎた回数,Transformed value(TV,degree)=arcsin(RT/100)1/2,RI={(RTT-RTC)/(RTT+RTC)}×100.RTT:試験寒天側のRT,RTC:試料不添加寒天側のRT。ビデオを再生して計測した結果、粘液の濃度に依存して活性(RI)を検出できたことから、本法は生物試験として使用可能であるものと判断した。次に、本試験法に基づき、活性物質の単離を試みた。P. lineatusの体表粘液をエタノールで抽出し、抽出物を溶媒分画後、各種クロマトグラフィーに付し活性画分を得た。この画分に含まれる化合物を核磁気共鳴と質量分析により調べた結果、脂肪酸組成の異なるホスファチジルコリン(PC)の混合物であることがわかった。さらに、群から海水中にPCが溶出していることも確認した。 2 PC分子種による群認識機構の解析 まず、活性画分(以後PCF)と粘液の活性を濃度応答実験で比較した。5段階の濃度(0.3,0.15,0.075,0.015,0.0015mg PCF/ml agar)で試験を行ったところ、PCFは、体表粘液と同様の濃度依存性および同等の活性を示した。次に、活性画分をホスフォリパーゼA2で処理したところ活性が消失したため、PCがPCF中の活性本体であることが確実になった。ついで、PCFが自他の群の識別に関わるか否かを調べた。すると、自群の粘液やPCFは活性を持つが、他群の粘液やPCFは活性を持たず、PCFが群の識別に関わることが明らかになった。一方、市販の卵黄および大豆由来のPCは活性が認められなかった。以上のことから、活性物質に関して以下の二つの可能性が考えられる。(1)自群由来のPCに含まれ、他群や卵黄および大豆由来のPCには含まれない特定の脂肪酸組成を持つ分子種が活性発現に関わる。(2)PC分子種の組成比が活性に関与する。まず、活性画分を、逆相HPLCを用いて二分し調べたところ、いずれの画分も活性を示さなかった。しかし、両者を混ぜ合わせると、活性は分画前の90%まで回復した。すなわち、活性を保持するには、少なくとも二種類のPC分子種が必要であることがわかり、(2)の可能性が高まった。このことを検証する目的で、PCFに合成PC(16:0-22:6n3,16:0-20:4n6)を添加してPCFのPC分子種の組成を意図的に変え、活性を調べた。合成PCを10,1および0.1wt%の濃度で加えた結果、無添加の時と比べ、それぞれ13-29%、40-47および85-88%の活性を示した。一方、合成PC(16:0-22:6n3,16:0-20:4n6)単独では活性を示さなかった。このことから、PCFの脂肪酸組成が群認識を決定づけていることがわかった。すなわち、PC分子種の組成が群の融合と分離に関与することが示された。 3 PC分子種の組成分析と多変量解析 群ごとのPC分子種の組成を調べるために、定量分析法を確立した。まず、PCをホスフォリパーゼCで処理してジアシルグリセロールに変換し、これを3,5-ジニトロフェニルイソシアネートと反応させて、ジニトロフェニルウレタン誘導体にした。これを、ODSカラム(250×4.6mm)を5本直列に結合し固定相とし、アセトニトリル/イソプロパノール(8:2)を移動相として、検出はUV(254nm)、カラム温度23度という条件下でHPLCを行った。本条件下で認められた約60個のピークのうち19個を選択し、脂肪酸組成を調べた。すなわち各ピークを単離し質量分析に付すと同時に、メタノリシス生成物をGCで分析した。この手法を用いて、36群のPCFの組成分析を行った。いずれの群のPCFも、多数のPC分子種から構成される複雑な組成を示した。 ついで、群間での組成の違いを調べるために主成分分析を行った。まず、各群のPCFにおける前述の19個のピークの相対比を算出した。相対比はZij=ln[Yij/g(Yj)],(Zijは計算後のピーク面積、Yijは群jのピークiの面積;g(Yj)は群jのピークの幾何平均)で変換した。次に、標準化を行い、ヤコビ法で固有値、固有ベクトルを求め、最後に主成分得点、主成分負荷、寄与率を算出した。各群の第一主成分(寄与率51.71%)と第二主成分(14.51%)を二次元マップ上にプロットした。さらに各群を第一主成分得点の順に並べたPC相対比から相関係数(相関係数行列)を算出し、その値に基づいて二次元可視化を行った。この結果、群のPCパターンによる分離が明瞭に確認できた。すなわち、PC分子種の組成が群により異なることを示した。 一方、任意の2群を同一水槽に入れ、融合し続けるか分離するかを行動実験で調べた。7組について調べた結果、4組が分離し、3組が融合した。行動実験前に採取した粘液中のPC分子種の組成に基づき、各組み合わせの相関係数を算出した。融合した群と分離した群で比べると、分離した群の方が融合した群より相関係数が低かった。すなわち、群の融合と分離はPC分子種の組成に依存することが支持された。 以上のようにして、P. lineatusが群独自のPC分子種の組成にもとづいて自他の群を識別していることを明らかにした。今後、組み合わせ実験を重ねれば、群間相互作用のアルゴリズムが明らかになるものと思われる。また、本研究の結果をもとにすれば、群認識物質を利用したP. lineatusの嗅覚および脳内情報表現の研究が可能となった。 | |
審査要旨 | ゴンズイPlotosus lineatusは孵化直後から同腹個体で構成される群を形成する。このような群の認識を司る因子に関して、すでに研究がなされ、以下のことが明らかにされている。(1)ゴンズイは自群の飼育海水や自群個体から採取した粘液に誘引されること。(2)他群よりも自群の海水を選択すること。(3)鼻腔を詰めると自群の匂いを選択できないことから、受容器官が嗅覚であること。これらの結果から、群の認識は化学物質、すなわち群認識物質により担われていることが予想できる。そこで本研究ではゴンズイの群認識物質を解明することを目的とした。 まず、活性物質に対する行動特性を少量の試料を用いて検出する手法の開発を目指した。まず、自群個体から採取した体表粘液を寒天に混ぜ、それに対する行動を観察した。すると、寒天を通り過ぎた後にすぐさま方向転換して寒天に向かって泳ぐという行動が認められた。このをビデオで5分間記録し、定量化した結果、粘液の濃度に依存して活性を検出できた。次に、本試験法に基づき、活性物質の単離を試みた。P. lineatusの体表粘液をエタノールで抽出し、抽出物を溶媒分画後、各種クロマトグラフィーに付し活性画分を得た。この画分は脂肪酸組成の異なるホスファチジルコリン(PC)の混合物であることがわかった。さらに、ゴンズイから海水中にPCが溶出していることも確認した。 活性画分(以後PCF)を用いて濃度応答実験を行ったところ、PCFは、体表粘液と同様に濃度依存性を示した。活性画分をホスフォリパーゼA2で処理したところ活性が消失したため、PCがPCF中の活性本体であることが確実になった。さらに、自群の粘液やPCFは活性を持つが、他群の粘液やPCFは活性を持たず、PCFが群の識別に関わることが明らかになった。市販の卵黄および大豆由来のPCは活性が認められなかった。以上の結果、活性物質による群の識別に関して以下の二つの可能性が考えられた。(1)自群由来のPCに含まれ、他群や卵黄および大豆由来のPCには含まれない特定の脂肪酸組成を持つ分子種が活性発現に関わる。(2)PC分子種の組成比が活性に関与する。 活性画分を、逆相HPLCを用いて二分し調べたところ、いずれの画分も活性を示さなかったが、両者を混ぜ合わせると、活性は回復した。すなわち、活性を保持するには、少なくとも二種類のPC分子種が必要であることがわかった。さらに、PCFに合成PC(16:0-22:6n3,16:0-20:4n6)を添加してPCFのPC分子種の組成を意図的に変たところ、添加量に依存して活性の低減がみとめられた。なお、添加実験に用いた合成PCは活性を示さなかった。以上のことから、PCFの脂肪酸組成が群認識を決定づけていることがわかった。 PC分子種の組成が群れ認識の本体であるなら、群ごとのPC分子種の組成は異ならなければならない。PCの定量分析法を以下のように確立した。まず、PCをホスフォリパーゼCで処理してジアシルグリセロールに変換し、これを3,5-ジニトロフェニルイソシアネートと反応させて、ジニトロフェニルウレタン誘導体にし、これを逆相HPLCで分析した。群れが異なると、クロマトグラムは明らかに異なったが、これを以下のように統計的に解析した。まず、認められた約60個のピークのうち明瞭に分離していて含量の高い19個を選択し、脂肪酸組成を調べた。すなわち各ピークを単離し質量分析に付すと同時に、メタノリシス生成物をGCで分析した。ついで、群間での組成の違いを調べるために36群のPCFに対して主成分分析を行った。まず、各群のPCFにおける前述の19個のピークの相対比を算出し、標準化を行い、ヤコビ法で固有値、固有ベクトルを求め、最後に主成分得点、主成分負荷、寄与率を算出した。この結果、群のPCパターンによる分離が明瞭に確認できた。すなわち、PC分子種の組成が群により異なることを示した。 ついで、PCFの組成をあらかじめ調べた2群が、同一水槽内においた時に融合すか分離するかを調べた。7組について調べた結果、4組が分離し、3組が融合した。PC分子種の組成に基づき、各組み合わせの相関係数を算出した。融合した群と分離した群で比べると、分離した群の方が融合した群より相関係数が低かった。すなわち、群の融合と分離はPC分子種の組成に依存するという傾向が認められた。 このように、P. lineatusが群独自のPC分子種の組成にもとづいて自他の群を識別していることを明らかにした。本知見は魚類における群れ形成の機構を初めて明らかにした画期的な研究で、PC分子種の多様性が個体の識別を司ることを示した初めての例であり、審査委員一同は博士(農学)の学位を与えるにふさわしい内容と判断した。 | |
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