学位論文要旨



No 120183
著者(漢字) 金,利璟
著者(英字) Kim,Yi Kyung
著者(カナ) キム,イキョン
標題(和) エビ類卵巣の表層胞タンパク質に関する生理生化学的研究
標題(洋) Physiological and biochemical studies on cortical rod proteins in prawn ovary
報告番号 120183
報告番号 甲20183
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2866号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 會田,勝美
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 金子,豊二
 国際農林水産業研究センター 水産部 主任研究員 ワイルダー,マーシー N.
 水産総合研究センター養殖研究所 生産技術部繁殖研究グループ チーム長 奥村,卓二
内容要旨 要旨を表示する

 クルマエビ科およびオニテナガエビ科のエビ類は重要な増養殖対象種として市場価値が高いため、その安定的な増養殖技術の開発が強く望まれている。しかし、エビ類の生殖や成長(脱皮)現象の制御機構については不明な点がいまだに数多く残されている。 エビ類の計画的な増養殖には、人工種苗生産による稚エビの安定供給が不可欠である。しかし、成熟親エビの入手は天然の漁獲物に依存しているため、種苗生産は産卵期のみに限られている。計画的な増養殖を行うには、成熟・産卵の人工統御技術や稚エビの飼育技術の確立が急務であるが、性成熟を促す環境要因や卵形成・産卵の内分泌調節機構などの基礎的な知見の欠如から、有効な成熟促進法を確立するには至っていないのが現状である。

 クルマエビ類では、卵黄蓄積を終えて産卵直前になると、卵母細胞の周辺部に表層胞が形成される。このため、表層胞は完熟卵を判別するための良いマーカーとなっている。本研究では、エビ類の卵巣の表層胞タンパク質に関する基礎的な知見を得ることを目的とした。まず第1章では、クルマエビの表層胞タンパク質(28.6kDaおよび30.5kDa)を精製し、その化学的性質を明らかにした。また、得られたN末端アミノ酸配列をもとに表層胞タンパク質(CRP)cDNAのクローニングを行い、クルマエビCRPの構造を明らかにした。第2章では、表層胞タンパク質産生部位をノザン解析およびin situハブリダイゼーション法により明らかにした。次に、クルマエビ類の成熟機構を理解するため、リアルタイムPCR法によるCRP mRNAおよびビテロゲニン(Vg)mRNAの定量系を確立し、成熟に伴う卵巣のCRP mRNAおよび卵巣および肝膵臓のVg mRNAの動態を調べた。甲殻類では眼柄を切除すると成熟と脱皮が促進されることが知られており、成熟・脱皮制御機構の研究に広く用いられている。そこで、眼柄切除によって成熟を誘起したクルマエビで、CRPおよびVg mRNA量の変化を合わせて検討した。第3章では、表層胞構造を形成しないオニテナガエビの卵巣にも表層胞タンパク質が存在することを示した。オニテナガエビの表層胞タンパク質を単離すると共に、cDNAクローニングによりその一次構造を決定した。以下にその大要を述べる。

第1章 クルマエビ表層胞タンパク質の単離および構造解析

 成熟したクルマエビ卵巣からゲル濾過、逆相HPLCにより2つの表層胞タンパク質、28.6kDaおよび30.5kDa分子を単離・精製した。得られたN末端のアミノ酸配列の解析を行ったところ、28.6kDa分子の1-21残基アミノ酸配列は30.5kDa分子の9-29残基と一致した。BLASTを用いて相同性を調べた結果、28.6kDa分子の29残基中21残基が、また30.5kDa分子の29残基中14残基がクマエビの表層胞タンパク質のN末端アミノ酸配列と一致した。次に、28.6kDa分子に対する抗血清を作成し、免疫染色を行ったところ、成熟期卵母細胞の周辺部に位置する表層胞に陽性反応が認められた。ウェスタンブロット解析では、28.6kDaおよび30.5kDaの両分子は28.6kDa分子抗血清に対して陽性反応を示した。さらに、コンカナバリンAおよびPAS染色で陽性反応を示したことから、両分子は糖タンパク質であることが判明した。これらの結果から、クルマエビの表層胞には28.6kDaおよび30.5kDa分子の糖タンパク質が含まれていることが確認された。次に、N末端アミノ酸配列をもとにCRP cDNAを単離し、その全塩基配列を明らかにした。2種類のcDNAの配列を比較した結果、シグナルペプチドのプロセッシング位置および配列が異なっていた。このことから、2種類のCRPは異なる遺伝子から生じるものと考えられた。両タンパク質には、ともに1ヶ所の糖鎖結合部位が存在した。両分子は表層胞の構成成分であり、受精後にゼリー層を形成すると考えられた。

第2章 クルマエビ卵形成における表層胞タンパク質およびビテロゲニンmRNAの発現動態

 第1章において、クルマエビのゼリー層の前駆体である2種類の表層胞タンパク質(28.6kDaおよび30.5kDa)の一次構造が明らかとなった。得られた2種類のCRP cDNAの塩基配列は非常に類似しているために、本章での発現動態の解析は両者を区別せずに行った。ノーザンブロット解析の結果、CRP遺伝子の発現は卵巣でだけ認められた。検出されたバンドの大きさは約1kbで、第1章で解析を行ったCRP cDNAの長さとほぼ一致した。In situハイブリダイゼーション法により卵巣におけるCRP発現部位を調べたところ、未熟および成熟した卵巣内に見られる発達初期段階の卵母細胞にCRP mRNAが存在することが示された。さらに、成熟に伴うCRPおよびVg mRNAの発現動態を調べるため、リアルタイムPCR法によるCRPおよびVg mRNAの定量系を確立し、各組織のCRPおよびVg mRNA量を測定した。各個体の成熟段階は、最も優勢な卵母細胞の発達段階に基づき、前卵黄形成期、内因性卵黄形成期、前期・後期外因性卵黄形成期および成熟期の5段階に分類した。その結果、CRP mRNA量は前卵黄形成期および内因性卵黄形成期に高い値を示した。一方、卵巣のVg mRNA量は前卵黄形成期に低い値を示したが、内因性卵黄形成期になると有意に増加し、その後減少した。前卵黄形成期および内因性卵黄形成期に低い値を示した肝膵臓のVg mRNA量は、外因性卵黄形成期と成熟期に増加する傾向を示した。以上の結果から、Vg遺伝子の発現の場が卵母細胞の発達に伴い卵巣から肝膵臓に移行することが示された。

 眼柄を切除し成熟を誘起したクルマエビで、卵巣のCRP mRNAと卵巣および肝膵臓のVg mRNAの変化を経時的に調べた。眼柄切除後、生殖腺体重比は徐々に増加し、卵巣内では表層胞タンパク質およびビテリンの蓄積がウェスタンブロット解析により確認された。卵巣のCRP mRNA量は眼柄切除前に最も高い値を示し、眼柄切除後に、徐々に減少した。逆に、眼柄切除前の卵巣のVg mRNA量は非常に低いレベルであったが、切除後には著しく増加した。一方、肝膵臓におけるVg mRNA量に眼柄切除に伴う変化は認められなかった。これらの結果から、卵巣におけるCRP遺伝子の転写は眼柄切除前の未熟な状態ですでに進行しているが、タンパク質への翻訳は切除後に促進されることが推察された。他方、Vg遺伝子は眼柄切除により、卵巣内濾胞細胞でmRNAの発現量が増え、それに伴いタンパク質が合成され、卵母細胞内に蓄積されると考えられた。

第3章 オニテナガエビの表層胞タンパク質の単離および構造解析

 クルマエビ科エビ類の成熟した卵母細胞の特徴として表層胞構造の形成が挙げられるが、オニテナガエビの卵母細胞内にはその構造を欠く。本章では、オニテナガエビの卵巣内にクルマエビCRP抗体に対して免疫陽性反応を示す30kDaタンパク質が存在することを明らかにし、さらにこのCRP様タンパク質のcDNAを単離した。その演繹アミノ酸配列がクルマエビCRPと高い相同性(98%)を示したことから、30kDaタンパク質はオニテナガエビのCRPであると判断し、mrCRPとした。GSIが0.2の個体から摘出した卵巣で、mrCRPの発現がRT-PCRによって確認された。ウェスタンブロット解析では、GSI1.6の卵巣内にCRP抗体に対して免疫反応を示す30kDaのバンドが観察された。さらに免疫組織化学的手法により、GSI0.9の卵巣にCRP抗体と反応するタンパク質を検出した。この発達段階の卵母細胞では、細胞質周辺部にビテリンおよび油球がすでに蓄積され始めていた。存在量の少ないmrCRPは卵黄蓄積に伴い大量のビテリンと油球にマスクされ検出できなくなるが、成熟した卵母細胞内にもmrCRPは蓄積されていると考えられた。以上のことより、表層胞構造を形成しないオニテナガエビにおいても、クルマエビ科エビ類に観察される表層胞タンパク質が卵母細胞で生産されることが始めて明らかとなった。

 以上、本研究では表層胞構造を形成するクルマエビの卵巣から表層胞タンパク質を単離し、cDNAクローニングによりその塩基配列を明らかにした。また、表層胞タンパク質およびビテロゲニンmRNAの定量系を確立し、成熟および眼柄切除に伴う発現動態を明らかにした。さらに、表層胞構造を形成しないオニテナガエビから表層胞タンパク質を単離し、その構造を明らかにした。

 表層胞構造の形成の有無に関わらず、表層胞タンパク質はエビ類の卵母細胞内に普遍的に存在する物質であることがわかった。物質の特性を比較すると、構造、遺伝子発現およびタンパク質合成において極めて類似していた。表層胞は完熟卵判別の良いマーカーとなっていることから、本研究により単離した表層胞タンパク質はエビ類の卵成熟において重要な物質であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 クルマエビ類では、卵黄蓄積を終えて産卵直前になると、卵母細胞の周辺部に表層胞が形成される。このため、表層胞は完熟卵の有無を判別し、さらに産卵の可否を推定するための良いマーカーとなっているが、その化学的性質、構造や生成機構には不明な点が多い。そこで、まず第1章では、クルマエビの表層胞タンパク質(CRP)を精製し、その化学的性質を明らかにするとともに、cDNAクローニングを行い、クルマエビCRPの構造を明らかにした。第2章では、表層胞タンパク質の産生部位をノザン解析およびin situハブリダイゼーション法により明らかにした。次に、クルマエビ類の成熟機構を理解するため、成熟に伴う卵巣のCRP mRNAおよび卵巣および肝膵臓のビテロゲニン(Vg)mRNAの動態を調べた。また眼柄切除によって成熟を誘起したクルマエビで、CRPおよびVg mRNA量の変化を合わせて検討した。第3章では、表層胞を形成しないオニテナガエビの卵巣に表層胞タンパク質が存在するか否かについて検討した。以上、本研究は、エビ類の卵巣の表層胞タンパク質に関する基礎的な知見を得ることを目的としたものである。

第1章 クルマエビ表層胞タンパク質の単離および構造解析

 成熟クルマエビ卵巣からゲル濾過、逆相HPLCにより2つのCRP(28.6kDaおよび30.5kDa分子)を単離した。28.6kDa分子の1-21残基アミノ酸配列は30.5kDa分子の9-29残基と一致した。次に、28.6kDa分子に対する抗血清を作成し、免疫染色を行ったところ、成熟期卵母細胞の周辺部に位置する表層胞に陽性反応が認められた。ウェスタンブロット解析では、28.6kDaおよび30.5kDaの両分子は28.6kDa分子抗血清に対して陽性反応を示した。次にN末端アミノ酸配列をもとにCRP cDNAを単離し、その全塩基配列を明らかにした。2種類のcDNAの配列を比較した結果、シグナルペプチドのプロセッシング位置および配列が異なっていた。このことから、2種類のCRPは異なる遺伝子から生じるものと考えられた。両タンパク質には、ともに1ヶ所の糖鎖結合部位が存在した。両分子は表層胞の構成成分であり、受精後にゼリー層を形成すると考えられた。

第2章 クルマエビ卵形成における表層胞タンパク質およびビテロゲニンmRNAの発現動態

 ノーザンブロット解析の結果、CRP遺伝子の発現は卵巣でだけ認められた。In situハイブリダイゼーション法により、発達初期段階の卵母細胞にCRP mRNAが存在することが示された。さらにCRP mRNA量は前卵黄形成期および内因性卵黄形成期に高い値を示すこと、Vg遺伝子の発現の場が卵母細胞の発達に伴い卵巣から肝膵臓に移行することが示された。

 眼柄切除後、生殖腺は徐々に発達した。卵巣のCRP mRNA量は眼柄切除前に最も高い値を示し、眼柄切除後に、徐々に減少した。逆に眼柄切除前の卵巣のVg mRNA量は非常に低いレベルであったが、切除後には著しく増加した。一方、肝膵臓におけるVg mRNA量に眼柄切除に伴う変化は認められなかった。これらの結果から、卵巣におけるCRP遺伝子の転写は眼柄切除前の未熟な状態ですでに進行しているが、タンパク質への翻訳は切除後に促進されることが推察された。

第3章 オニテナガエビの表層胞タンパク質の単離および構造解析

 オニテナガエビの卵母細胞内には表層胞は出現しないが、本章では、その卵巣内にクルマエビCRP抗体に対して免疫陽性反応を示す30kDaタンパク質が存在することを明らかにし、このCRP様タンパク質のcDNAを単離した。その演繹アミノ酸配列がクルマエビCRPと高い相同性を示したことから、30kDaタンパク質はオニテナガエビのCRPであると判断し、mrCRPとした。GSIが0.2の個体から摘出した卵巣で、mrCRPの発現がRT-PCRによって確認された。ウェスタンブロット解析では、GSI1.6の卵巣にCRP抗体に対して免疫反応を示す30kDaのバンドが観察された。さらに免疫組織化学により、GSI0.9の卵巣にCRP抗体と反応するタンパク質を検出した。以上のことより、表層胞を形成しないオニテナガエビにおいても、クルマエビ類に観察される表層胞タンパク質が卵母細胞で生産されることが始めて明らかとなった。

 以上、本論文は、クルマエビの卵巣から表層胞タンパク質を単離し、構造を決定した後、成熟および眼柄切除に伴う発現動態を明らかにするとともに、表層胞を形成しないオニテナガエビから表層胞タンパク質を単離し、その構造を明らかにしたもので、学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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