学位論文要旨



No 120185
著者(漢字) 梁,春実
著者(英字) Liang,Chun-Shi
著者(カナ) リョウ,シュンシツ
標題(和) メダカ速筋ミオシン重鎖遺伝子の温度依存的発現調節に関する研究
標題(洋)
報告番号 120185
報告番号 甲20185
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2868号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 助教授 渡辺,俊樹
 東京大学 助教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

 魚類など水圏に生息するほとんどの生物は変温生物で、体温は環境水温に支配される。生体内といえども化学反応は温度に依存して変化することから、魚類の代謝や運動能力は環境水温によって大きな影響を受けるはずである。しかしながら、コイCyprinus carpioやキンギョCarassius auratusに代表される広温域性魚類は、季節的に大きく変化する環境水温に対しても馴化し、代謝の恒常性を維持する。筋細胞においては、夏にはMg2+-ATPase活性の低い速筋ミオシンアイソフォームを、冬には同活性の高いアイソフォームを発現して遊泳能力を一定に保つ。この変化は、ミオシン重鎖遺伝子の転写レベルで制御されていることが明らかにされているが、各遺伝子の発現調節機構など詳細は未だ明らかでない。一方、発生や遺伝研究のモデル生物であるメダカOryzias latipesもコイやキンギョと同様に幅広い温度域で生息可能である。また、種々の遺伝子工学技術が確立され、転写調節機構の研究に適しているが、温度適応機構に関する分子レベルの研究はほとんど行われていない。

 本研究はこのような背景の下、まず10℃および30℃馴化メダカの筋原繊維Mg2+-ATPase活性を測定して比較した。次に、メダカ速筋ミオシン重鎖cDNAをクローニングし、その馴化温度依存的な遺伝子発現パターンを調べた。さらに、メダカ速筋ミオシン重鎖遺伝子族のゲノム構造を調べるとともに、10℃および30℃で主に発現するミオシン重鎖遺伝子の転写調節領域の構造と転写活性の解析を行ったもので、得られた研究成果の概要は以下の通りである。

1.メダカ速筋ミオシン重鎖cDNAクローニングと馴化温度依存的な遺伝子発現パターン

 約1年齢の10℃および30℃に馴化した市販メダカ(平均体長3.3cm)の体幹部筋肉より筋原繊維を調製し、Mg2+-ATPase活性を測定した。その結果、10℃馴化メダカは1.10±0.06μmol Pi・min-1・mg-1と測定され、30℃馴化メダカの0.94±0.05μmol Pi・min-1・mg-1の1.17倍と有意に高かった(P<0.05)。

 次に、約1年齢の10℃および30℃馴化HNI近交系メダカ(平均体長2.6cm)の体幹部筋肉よりcDNAライブラリーを構築し、速筋ミオシン重鎖cDNAの3'翻訳および非翻訳領域をコードするプローブを用いてスクリーニングした。その結果、m-10-1、m-10-2およびm-30-1〜m-30-5の計7種類の成体速筋型ミオシン重鎖cDNAを単離することができた。m-10-1、m-10-2、m-30-1およびm-30-2は非常によく類似した配列を有し、塩基同一率は95〜98%を示したが、m-30-3〜m-30-5は他のクローンと3'非翻訳領域が著しく異なり、塩基同一率は76〜86%であった。

 さらに、各ミオシン重鎖cDNAで保存された塩基配列をプローブに、ランダムに10℃および30℃馴化メダカcDNAライブラリーをスクリーニングし、各cDNAの出現頻度を調べた。その結果、10℃馴化メダカはm-10-1およびm-10-2を、30℃馴化メダカはm-30-1およびm-30-2を主成分として発現することが明らかとなった。これら4つのcDNAクローンは両cDNAライブラリーで検出されたが、m-30-3〜m-30-5は30℃馴化メダカcDNAライブラリーでのみにみられた。以上の結果から、メダカもコイと同様に温度馴化に伴って異なる速筋ミオシン重鎖遺伝子を発現して環境温度の変化に適応することが示唆された。

2.メダカ速筋ミオシン重鎖遺伝子族の構造解析

 HNI近交系メダカのゲノムbacterial artificial chromosome(BAC)ライブラリーを対象に、メダカの各速筋ミオシン重鎖cDNAの3'翻訳および非翻訳境界領域で保存性の高い463bpをプローブにコロニー・ハイブリダイゼーションを行った。得られた陽性クローンにつき、上述のプローブでサザンブロット解析を行い、前節で単離した全てのcDNAクローンの相当遺伝子を含み、末端領域の塩基配列が互いに重複した2個のBACクローンを選び、ショットガンライブラリー法を用いて296kbpの全塩基配列を決定した。本BACクローンには11個の速筋ミオシン重鎖遺伝子が含まれており、5'側から順にmMyHC-1〜mMyHC-11と名付けた。各ミオシン重鎖遺伝子につき、エキソン・イントロン構造解析を行い、エキソン部分の塩基配列をcDNAのそれと比較したところ、mMyHC-1/m-30-4、mMyHC-2/m-30-3、mMyHC-3/m-10-1、mMyHC-6/m-10-2、mMyHC-7/m-30-1、mMyHC-9/m-30-2およびmMyHC-11/m-30-5と対応することが明らかとなった。さらに、遺伝子特異的プライマーを用いてRT-PCRを行ったところ、mMyHC-5も実際に発現する新規ミオシン重鎖遺伝子であった。これらの遺伝子はいずれも41エキソン/40イントロンから構成され、第1〜3および41エキソンは非翻訳領域を含んでいた。一方、mMyHC-4は第6エキソンに相当する部分に終止コドンが挿入され、mMyHC-8は第18〜25エキソンに相当する領域のみ存在した。また、mMyHC-10は第41エキソンが欠損していることから、以上の3種のミオシン重鎖遺伝子は偽遺伝子と判断された。各ミオシン重鎖遺伝子の翻訳開始点から終止点までのcDNA塩基配列および演繹アミノ酸の同一率は、それぞれ91〜98%および93〜99%であった。

 次に、各遺伝子の第3エキソンまで含む5'上流域5kbpの相同性を比べた結果、2つのグループに大別された。グループ1はmMyHC-3、mMyHC-6、mMyHC-7およびmMyHC-9を含み、対応するcDNAクローンは10℃あるいは30℃馴化メダカで主成分として発現するものであった。このグループには新規遺伝子mMyHC-5と偽遺伝子mMyHC-4が含まれた。グループ2はmMyHC-1、mMyHC-2およびmMyHC-11と、当該ゲノム上5'および3'端側に位置し、対応するcDNAクローンは30℃でのみ発現するタイプであった。なお、このグループには偽遺伝子mMyHC-10が含まれた。

3.10℃および30℃型ミオシン重鎖遺伝子の転写調節領域の解析

 各ミオシン重鎖遺伝子の転写開始点より6kbp上流域の範囲にある転写因子結合配列を調べた。その結果、MyoDファミリーが結合するE-box、myocyte-specific enhancer factor 2(MEF2)ファミリーの結合配列、カルシニューリン依存的に筋特異的遺伝子の転写を活性化するnuclear factor of activated T cells(NFAT)の結合配列、CCAAT/enhancer-binding proteinが結合するCCAAT box、および基本転写因子群が結合するTATA boxなどが含まれていた。前述のように、各ミオシン重鎖遺伝子は5'上流域を含めてかなり高い相同性を示すにもかかわらず、転写因子結合配列の位置は著しく異なり、5'上流域が各ミオシン重鎖遺伝子の温度依存的な転写調節に密接に関連することが示唆された。

 そこで、10℃馴化メダカで主成分として発現し30℃馴化メダカで発現量が少ないmMyHC-6/m-10-2、さらに30℃馴化メダカで最も多く発現し10℃馴化メダカで発現量の少ないmMyHC-7/m-30-1をそれぞれ、10℃型および30℃型遺伝子とし、その5'上流から種々の長さのDNA断片および突然変異体を調製してpGL3-Basic Vectorのルシフェラーゼ遺伝子の上流に組込み、レポーターアッセイ用プラスミドを構築した。次に、構築したプラスミドを10℃および30℃馴化メダカの骨格筋に注入し、各温度で1週間飼育してルシフェラーゼ活性の測定に供した。その結果、10℃型遺伝子の10℃馴化メダカにおける転写活性には-966〜-957のMEF2結合配列および-613〜-608のEboxが重要であること、30℃型遺伝子の30℃馴化メダカにおける転写活性には-960〜-951のMEF2結合配列が重要であること、が示された。また、10℃型遺伝子の5'上流域は10℃馴化メダカでの、30℃型遺伝子のそれは30℃馴化メダカでの遺伝子発現に主に機能することが確かめられた。

 以上、本研究は、メダカもコイやキンギョと同様に温度馴化に伴って異なる速筋ミオシン重鎖遺伝子を発現して遊泳運動の恒常性を維持することを示唆した。また、メダカ296kbpのゲノム領域内に、3個の偽遺伝子を含む11個もの速筋ミオシン重鎖遺伝子がクラスターを形成していることを明らかにした。さらに、10℃型および30℃型遺伝子の5'上流域につき、E boxやMEF2結合配列など、それぞれ10℃および30℃馴化メダカにおける転写活性の発現に重要な領域を特定し、メダカの温度適応分子機構の一端を明らかとしたもので、これらの成果は比較生理生化学上に資するところが大きいものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 変温生物である魚類の体温は環境水温に支配され、代謝や運動能力は環境水温によって大きな影響を受ける。しかしながら、コイCyprinus carpioやキンギョCarassius auratusに代表される広温域性魚類は、環境水温に対して馴化し、代謝の恒常性を維持する。この変化は、ミオシン重鎖遺伝子の転写レベルで制御されていることが明らかにされているが、その詳細に関しては不明な点が多い。このような背景の下、本研究では、メダカOryzias latipesを対象に速筋ミオシン重鎖遺伝子の馴化温度依存的な発現、ゲノム構造および5'上流調節領域について調べたもので、得られた研究成果の概要は以下の通りである。

 序論に続く第1章では、速筋ミオシン重鎖の馴化温度依存的な発現を調べた。まず、10℃および30℃馴化メダカの体幹部筋肉より筋原繊維を調製し、Mg2+-ATPase活性を測定してメダカも温度馴化に応じてミオシンの組成を変化させることを明らかにした。次に、10℃および30℃馴化HNI近交系メダカの体幹部筋肉よりcDNAライブラリーを構築し、速筋ミオシン重鎖cDNAの3'翻訳領域をコードするプローブを用いてスクリーニングを行った。その結果、m-10-1、m-10-2およびm-30-1〜m-30-5の計7種類の成体速筋型ミオシン重鎖cDNAが単離された。次に、10℃および30℃馴化メダカ体幹部筋肉cDNAライブラリーをランダムにスクリーニングし、3'翻訳および非翻訳領域の塩基配列を調べて各クローンの出現頻度を調べたところ、10℃馴化メダカはm-10-1およびm-10-2を、30℃馴化メダカはm-30-1およびm-30-2を主成分として発現した。

 第2章ではHNI近交系メダカのゲノムBACライブラリーを対象に、各速筋ミオシン重鎖cDNAで保存性の高い3'翻訳および非翻訳境界領域をプローブにコロニー・ハイブリダイゼーションを行い、得られた陽性クローンにつき、上述のプローブでサザンブロット解析を行った。すべての速筋ミオシン重鎖遺伝子を含む2個のBACクローンを選んで296kbpの全塩基配列を決定した結果、mMyHC-1〜mMyHC-11の11速筋ミオシン重鎖遺伝子が単離され、エキソン部分の塩基配列をcDNAのそれと比較したところ、mMyHC-1/m-30-4、mMyHC-2/m-30-3、mMyHC-3/m-10-1、mMyHC-6/m-10-2、mMyHC-7/m-30-1、mMyHC-9/m-30-2、mMyHC-11/m-30-5および新規機能ミオシン重鎖遺伝子mMyHC-5であった。これらの機能遺伝子はいずれも41エキソンと40イントロンから構成された。一方、mMyHC-4は第8エキソンに終止コドンが挿入され、mMyHC-8は第18〜25エキソンのみ存在した。また、mMyHC-10は第41エキソンが欠損していることから、以上の3種のミオシン重鎖遺伝子は偽遺伝子と判断された。

 第3章では、10℃馴化メダカで主成分として発現し30℃馴化メダカで発現量が少ないmMyHC-6/m-10-2、30℃馴化メダカで最も多く発現し10℃馴化メダカで発現量の少ないmMyHC-7/m-30-1をそれぞれ10℃型および30℃型遺伝子とし、5'上流から種々の長さのDNA断片および突然変異体を調製してpGL3-Basic Vectorのルシフェラーゼ遺伝子の上流に組込み、レポーターアッセイ用プラスミドを構築した。構築したプラスミドを10℃および30℃馴化メダカの骨格筋に注入し、各温度で1週間飼育してルシフェラーゼ活性の測定に供した結果、10℃型遺伝子の10℃馴化メダカにおける転写活性には-966〜-957のMEF2結合配列および-613〜-608のE boxが重要で、30℃型遺伝子の30℃馴化メダカにおける転写活性には-960〜-951のMEF2結合配列が重要であった。

 以上、本研究は、メダカもコイと同様に温度馴化に伴って異なる速筋ミオシン重鎖遺伝子を発現して代謝の恒常性を維持することが明らかにした。さらに、296kbpのゲノム領域に3個の偽遺伝子を含む11個もの速筋ミオシン重鎖遺伝子がクラスターを形成していることを示し、5'上流域のE boxやMEF2結合配列が10℃型および30℃型遺伝子の転写活性に重要なことなどを示唆したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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