学位論文要旨



No 120192
著者(漢字) 横川,誠一郎
著者(英字)
著者(カナ) ヨコカワ,セイイチロウ
標題(和) アガロースのゲル化過程の光散乱解析
標題(洋)
報告番号 120192
報告番号 甲20192
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2875号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野,拡邦
 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 教授 太田,正光
 東京大学 助教授 竹村,彰夫
 東京大学 助教授 和田,昌久
内容要旨 要旨を表示する

 アガロースは紅藻から熱水抽出される寒天の主構成多糖である。寒天/アガロースの熱水溶液は40℃以下に冷却すると流動性を失いゲル化する。このゲルを再融解するためには90℃以上に加熱する必要がある。この顕著な熱履歴のため常温では非常に安定なゲルを得る事ができ、この特徴を生かして古くから食品や培地、クロマトグラフィーの担体など様々な分野で利用されている。また、多糖として簡単な構造を持つアガロースゲルの特性とゲル化機構については食品や医学といった実用の観点以外にも研究の理想的なモデルを作成するという寒天からも広く研究されてきた。一般的に生体高分子の水溶液からのゲルは分子のコンフォメーション変化とその会合によって形成される。アガロースにおいては水溶液の冷却時におきるコイル-ヘリックス転移とヘリックス同士の凝集が提唱されている。このヘリックス同士の融解とゲル化に顕著な熱履歴を生じるとされている。このヘリックスについてはダブルヘリックスが提唱されていたが、近年アガロース分子が安定なシングルヘリックスを形成することが発見された。また、ゲル化が白濁する性質から相分離が起こるとされており、この機構に関してはスピノダル分解(核生成を伴わない相分離)が提唱されており多くの研究者がこれに賛同している。しかし、これとは異なる結果も報告されており依然としてゲル化の機構は解明されていない。これらのゲル化機構を解明しようとする研究は非常に早い冷却速度もしくは高温から低温にquenchした際の時間変化についてのみ行われており、温度に対応する分子の詳細な知見について調べた研究例は報告されていない。本研究ではアガロースの分子レベルでのゲル化機構に関する基本的知見を得るため、注意深く熱履歴を制御し、光散乱測定および動的粘弾性測定を行った。

 第二章では高温溶液中での分子及び溶液の状態を調べた。散乱光強度の角度及び濃度依存性を調べることでZimmプロットを作成し重量平均分子量、第二ビリアル係数、慣性半径を決定した。これまでにアガロースのZimmプロットを出している文献は無いため、アガロースの分子量決定に広く用いられているNaSCNを添加し水素結合を阻害した状態での粘度測定との結果より得られた分子量と対比したところよい一致を示した。また動的光散乱法から0.6%以下では分子の並進拡散に対応する単一の減衰モードが確認されるが、0.8%を超えると二つの減衰モードが現れた。速いモードは擬似ゲルの協同拡散を遅いモードは絡み合いの並進拡散を表している。このことからつまり、0.6〜0.8%が65℃での本研究に用いたアガロース分子の重なり合い濃度(C*)であると考えられる。

 第三章ではゲル化における冷却速度の影響について調べた。1%(w/w)のアガロース熱水溶液を異なる速度で冷却した場合、速い冷却では一段階でのゾル-ゲル転移を起こすが、遅い冷却ではゲル化が二段階で進行することが光散乱測定および動的粘弾性測定で確認された。どちらの手法でも良い一致が見られた。動的粘弾性測定では61℃から貯蔵弾性率が増加し始め50-40℃で貯蔵弾性率と損失弾性率がほぼ一定で周波数依存性のない状態を経た後、貯蔵・損失弾性率が共に急激に上昇してゲル化が完了した。散乱光強度の位置依存性測定からは65℃では完全な溶液状態なので散乱光強度は時間・空間的に平均化されるが、61℃以下になると会合が始まるために時間-空間的に顕著な揺らぎを生じ、平均値は温度の低下と共に上昇していく。50-38℃では61-51℃での揺らぎの最大値に落ち着くと共に揺らぎが消失した。37℃以下になると散乱光強度が急激に増加しゲル化が完了する。最終的なゲルでは不均一構造が凍結されているために顕著な揺らぎが生じる。散乱光強度の角度依存性から得られる相関長においては61℃以下になると会合が始まることで系に粗密が生じ相関長は大きくなる。50-40℃では粗密が十分に発達した結果、それ以上大きくなることができないため一定値を示し二回目の転移に対応して網目が収縮することで相関長は小さくなる。動的光散乱から得られる時間-強度相関関数においてはこの1%(w/w)は分子鎖の重なり合い濃度C*以上に相当するため、高温で2つの特徴的な減衰モードが確認される。速いモードは擬似ゲルの協同拡散を遅いモードは濃度揺らぎの並進拡散を表している。61℃以下では遅いモードが長時間側に移行していき、50-40℃では遅いモードが測定限界よりも長時間側に移行することでゲル的な相関関数を示すようになる。40℃以下になると初期振幅が減少し、30℃以下では全く減衰を示さなくなる。これはアガロースの網目構成要素が非常に硬いことを示しているまた、ここで確認されたゾル(61℃以上)とゲル(35℃以下)の中間状態を再融解させるためには93℃以上に加熱する必要がある。このことから60℃以下ではZipper-likeな会合が生じていると考えられる。

 第四章ではこの中間状態が発現するような遅い冷却におけるアガロースの濃度依存について調べた。この結果、分子鎖の重なり合い濃度を境界としてゲル化挙動が大きく異なることが確認された。重なり合い濃度以下ではゲル化は一段階で起こり、転移温度は38℃〜34℃であった。これは動的粘弾性測定及び、各種光散乱法で一致している。重なり合い濃度を超えると第三章で述べた現象が起こるが、濃度の増加に伴い中間の散乱光強度の揺らぎが消失して一定値を示し、貯蔵弾性率と損失弾性率が等しくなる温度領域が高温側に移動していく。3%(w/w)近くになると動的粘弾性測定からは高温側での遅いゲル化と40℃付近での速いゲル化として区別されるが、光散乱法では区別ができなくなる。この理由として動的光散乱法での時間-強度相関関数では高濃度になると絡み合いの並進拡散を示す遅い現酢印モードが長時間側に移動していき、2.4%(w/w)では高温で既にゲル状の相関関数を示していることが考えられる。これらの結果から高温から冷却していった際のアガロース水溶液の濃度-温度状態図を作成し、ゲル化機構について考察した。重なり合い濃度以下では冷却により分子鎖が収縮することで分子鎖の接触確立が減少するため会合はほとんど起こらない。θ温度に達すると分子鎖が急激に凝集してゲル化が起こる。重なり合い濃度以上では高温で濃度揺らぎが存在しており、約60℃以下になると運動性が抑制されている濃度揺らぎ近傍で優先的に会合が起こり、この会合体が成長し空間を満たすことで擬似的なゲル状態になると考えられる。更に冷却が進みθ温度に達すると重なり合い濃度以下の場合と同様に急激な凝集が起こりゲル化が完了する。更に濃度が高くなり3%に達すると高温溶液は60℃以下で起こる会合とθ温度で起こる凝集は動的粘弾性測定からは前者が遅いゲル化、後者は速いゲル化として区別されるが、光散乱測定からは区別されない。

 第五章ではゲルの冷却条件におけるゲルの構造の違いを動的粘弾性測定及び光散乱測定から調べた。まず、ゲルの時間-強度相関関数が重なり合い濃度を境に変化することに着目した。多くの高分子ゲルにおいてはゲルの網目を反映する協同拡散による速い減衰モードが確認されることが知られている。重なり合い濃度以下ではこのようなモードが確認されたが、重なり合い濃度以上ではこのようなモードは確認されなかった。この速いモードは一般のゲルで見られる協同拡散に似ているが低濃度でしか現れないことから、別の運動様式によるのかも知れない。そこでゲル化限界濃度(0.05〜0.1%)付近ではすべての分子がゲル化に関与するという予想に基づき、動的光散乱測定を行いこのモードに関する知見を得ることにした。まず重なり合い濃度以下の系では中間状態を生じないので、ゲル化点(38℃)以上では分子の状態に変化を生じていないと考え、ゲル化限界に近い0.1%の溶液を95℃から40℃に急冷した後、1℃毎に1日の安定化を行いながら冷却し、時間-強度相関関数を測定した。その結果、ゲル中に速いモードは確認されなかった。 また0.1%の熱水溶液を25℃に急冷した際の時間変化ではゲル化初期には速いモードは残存していたが、時間が経つにつれ減少していき、最後には消失した。これらの結果から、ゲル中に存在する速いモードは網目の協同拡散ではなく、ゲル化に関与しなかった分子であると推測された。次にアガロース0.001〜3%の熱水溶液を急冷した試料と徐冷した試料の散乱光強度と相関長を測定した。急冷した試料は濃度に応じて散乱光強度は増大していき、ゲル化限界濃度より高濃度側で散乱光強度の揺らぎが確認された。徐冷した試料の散乱光強度の濃度依存性は急冷の場合と同じ傾向を示すが、平均値が若干高いことと全濃度域に渡り散乱光の揺らぎが生じる点が異なる。このことから徐冷試料にはゲル化限界以下でも不均一構造ができていることを示している。また、ゲルにおける散乱光強度およびその揺らぎが濃度と共に増加することから散乱体はゲルの網目ではなくより大きな大きさのドメインであると考えられる。

相関長は急冷・徐冷試料共にゲル化限界濃度に相関長の極大が見られた。また徐冷試料では急冷よりも約10倍程度大きな相関長が得られた。多くの高分子ゲル系においてはゲル化限界濃度以下での相関長は会合体の大きさを、ゲルでは網目の大きさを反映すると考えられている。しかしピーク値は104〜105nm程度とゲルの網目サイズと考えるにはあまりにも大きいことから、ドメインがゲルの網目的な役割を果たしていることが示唆される。また、安定化が長いほどゆっくりとした構造形成が起こりより大きなドメインや不均一構造が形成されることがわかった。

審査要旨 要旨を表示する

 アガロースは紅藻から熱水抽出される寒天の主構成多糖であり、その熱水溶液は40℃以下に冷却すると流動性を失いゲル化する。このゲルを再融解するためには90℃以上に加熱する必要がある。この顕著な熱履歴のため常温では非常に安定なゲルを得ることができる。

 アガロースのゲル化においては水溶液の冷却時におきるコイル-ヘリックス転移とヘリックス同士の凝集が提唱されている。ヘリックスについてはダブルヘリックスが提唱されていたが、近年アガロース分子が安定なシングルヘリックスを形成することが発見された。また、ゲル化が白濁する性質から相分離が起こるとされており、この機構に関してはスピノダル分解が提唱されている。しかし、これとは異なる結果も報告されており依然としてゲル化の機構は解明されていない。これらのゲル化機構を解明しようとする研究は非常に早い冷却速度もしくは高温から低温にquenchした際の時間変化についてのみ行われており、急冷、徐冷過程での温度に対応する分子の詳細な知見について調べた研究例は無い。

 本研究では、熱履歴を制御して光散乱による新規な測定および動的粘弾性測定を行い、アガロースの分子レベルでのゲル化機構に関する基本的知見を得ることを目的としている。本報告は6章より構成されている。以下に各章における研究の概要を示す。

 第1章において研究の背景と目的を述べた後、第2章では、高温溶液中での分子および溶液の状態を散乱光強度の角度及び濃度依存性から検討している。重量平均分子量、第二ビリアル係数、慣性半径を決定するとともに、この分子量がアガロースの分子量決定に広く用いられている粘度測定の結果と良い一致を示すことから測定法の妥当性を確認した。また、動的光散乱法から減衰モードの濃度依存性を詳細に検討し、擬似ゲルの協同拡散と絡み合いの並進拡散を示す重なり合い濃度(C*)が存在することを明らかにした。

 第3章では、1%(w/w)のアガロース熱水溶液を異なる速度で冷却した場合のゲル化における冷却速度の影響について動的散乱および粘弾性から検討している。急冷では一段階でのゾル-ゲル転移を起こし、徐冷ではゲル化が二段階で進行することを確認した。また、散乱強度の位置依存性の検討および散乱光強度の角度依存から得られる相関長の検討からゾルおよびゲルの構造を明らかにした。そして、ゾル(61℃以上)とゲル(35℃以下)の中間状態ではZipper-likeな会合が生じていると推定した。

 第4章では、中間状態が発現するようなアガロースの濃度依存性についてC*の観点から検討している。徐冷過程においてはC*以下でゲル化は一段階で起こり、転移温度は38℃〜34℃であるのに対し、C*を超えると二段階ゲル化が起き、濃度の増加に伴い中間の散乱光強度の揺らぎが消失して一定値を示すことを確認した。そして、3%(w/w)近くでの高温側での遅いゲル化と40℃付近での速いゲル化は、動的粘弾性測定からは区別されるが、光散乱法では区別ができなくなることを見出し、その理由を分子鎖の接触確率による会合との関連で説明した。

 第5章では、ゲルの時間-強度相関関数がC*を境に変化することに着目し、協同拡散モードの有無からゲル中の分子挙動を検討している。C*以上では共同拡散が見られないのに対し、以下ではこのモードが確認された。ゲル化限界濃度(0.05〜0.1%)付近ではすべての分子がゲル化に関与するという仮定の下に検討を行った結果、ゲル中に拡散モードは確認されなかった。このことから、ゲル中の拡散モードは網目によるものではなく、ゲル化に関与しなかった分子によるものと考えられた。また、徐冷試料にはゲル化限界以下でも不均一構造ができており、散乱体はゲルの網目ではなくより大きなドメインであることが示唆された。

 多くの高分子ゲル系においてはC*以下の相関長は会合体の大きさを、ゲルでは網目の大きさを反映すると考えられている。しかし、徐冷では約10倍程度大きな相関長が得られたことから安定化が長いほどゆっくりとした構造形成が起こり大きなドメインや不均一構造が形成されると判断した。このことはゲルのドメインが網目的な役割を果たしていることを示唆している。

 第6章は上記結果の総括である。

 以上の様に本研究は、古くから食品や培地、クロマトグラフィーの担体など様々な分野で利用されている天然高分子アガロースに関して、従来未検討であった徐冷におけるゾル-ゲル変換過程を動的粘弾性法および光散乱法を用いて急冷過程と比較検討し、そのメカニズムの違いを明らかにしたものである。本研究により得られた基礎的知見はアガロースの新規な用途展開に大きく貢献することが明らかである。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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