学位論文要旨



No 120195
著者(漢字) 福田,聖
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,サトル
標題(和) フッ素系化合物による紙の撥水・撥油性発現機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 120195
報告番号 甲20195
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2878号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 教授 飯塚,尭介
 東京大学 教授 小野,拡邦
 東京大学 教授 空閑,重則
 東京大学 助教授 江前,敏晴
内容要旨 要旨を表示する

 フッ素系化合物は表面エネルギーが非常に小さく、優れた撥水・撥油能力を持つ。本研究では、水溶性で低分子量型のフッ素系撥水・撥油化剤を適切な方法で紙に添加することで、紙に撥水性と撥油性を同時に且つ効率良く付与する手法を検討した。また、その過程で紙が撥水・撥油性を発現するメカニズムを様々な観点から解明した。現在、食品や機械装置等の包装材料には合成高分子系材料が多く利用されているが、フッ素系化合物で適切に撥水・撥油化処理を施した紙・パルプ系材料に代替できる様になれば、石油資源の枯渇や廃棄処理といった資源や環境等の諸問題で解決の一助となり得る。更にプラスチック系フィルムや金属箔等で複合化する従来の紙系材料の液体バリア化の手法から脱却することでリサイクル処理が容易になり、自然界で再生産が可能な新たな生物素材材料へと展開できる様になる。

 本研究では、ペルフルオロアルキル鎖を2本有するリン酸ジエステル構造を持つDPFP(diperfluoroalkylethyl phosphate)をフッ素系撥水・撥油化剤として採用した。このDPFPをカチオン性リテンション・エイドであるPAE(polyamideamine-epichlorohydrin resin)と共にパルプ懸濁液に添加する内添処理によって手すきシートを作製した。シートの撥水性及び撥油性は、ステキヒト・サイズ度試験及びキット試験で評価した。シート中のDPFP定着量は、酸素フラスコ燃焼法とフッ化物イオン選択電極法を組み合わせた手法で測定した。シート表面上のDPFP被覆率は、X線光電子分光法(XPS)で評価した。

 PAEを併用しないと、DPFPは殆どパルプ繊維上に定着せずシートの撥水・撥油性が全く得られなかった。PAEを併用することで、DPFPのシート中定着量がDPFP添加量にほぼ比例して増大し、シートの撥水・撥油性が向上した。これは水中でアニオン性となるDPFPが、同じくアニオン性であるパルプ繊維に対してカチオン性高分子であるPAEを介した静電気的相互作用によって定着することを示している。

 DPFP内添シートの撥水・撥油性の程度は、シートの作製条件に大きく影響した。特に、DPFPよりもPAEを先にパルプ懸濁液に添加すること、DPFP添加後のパルプ懸濁液の攪拌時間を1分程度に抑えることや作製したシートは105℃でオーヴン加熱をすること等の各条件が揃わないと、充分な撥水性が発現しなかった。一方、何も添加せずに抄紙したシートをDPFP溶液に含浸すると、DPFPのみを強制的にシートに定着させることは出来たが、シートの撥油性は発現しても、撥水性は殆ど示さなかった。この様に、DPFPを添加した紙は水よりも油を弾きやすく、一般に固体は水よりも油に濡れやすいという通常の濡れの理論に反する点で興味深い上、新たな材料の機能性付与に展開できる可能性がある。しかし、その一方で、DPFPの撥水性能が紙系材料上では発揮されにくいことをも示している。

 DPFPは、パルプ懸濁液中で一旦PAE上に定着しても、攪拌による剪断力で脱離しやすい。また、DPFPはパルプ懸濁液の水道水中に含まれるカルシウムイオン等のカチオン成分によって、速やかに且つ不可逆的に凝集化しやすい。そのため、パルプ懸濁液の過度の攪拌がシート中DPFP定着量の減少やDPFP定着分布の不均一化を招き、シートの撥水・撥油性の低下に繋がる。また、アニオン性のDPFPは、PAEのカチオン部位が電荷比1:1のイオン結合で定着できる限界を越える量まで定着したことから、DPFP分子は会合体や凝集体を形成しながらPAE上に定着する機構が考えられる。この様に、DPFPが水中で不可逆的に凝集するのを抑え、PAEに均一に効率良く定着させることが、DPFP内添シートの撥水・撥油性の向上に繋がる。

 PAEの代わりにPDADMAC(poly(diallyldimethylammonium chloride))等の他のアミン系高分子もリテンション・エイドとしてDPFP内添シートを作製した。その結果、シートの撥水性については結局PAEを使用したシートが最も効率良く効果を発揮した。この原因として、シートを加熱してシート上のPAEのアゼチジニウム環が開環した後、DPFPのリン酸基と化学反応することで、PAE-DPFP間の親水的なイオン結合がリン酸エステル結合に変換し、フッ化炭素鎖による撥水効果がシート中で効率良く発揮されたという機構が考えられる。この仮説の確証を得るために、DPFP溶液をPAE若しくはPDADMACの各溶液と混合して得られたDPFP-PAE及びDPFP-PDADMAC各凝集物によるモデル実験を行った。その結果、DPFP-PDADMAC凝集物は加熱しても撥水性が低いままだったが、DPFP-PAE凝集物は105℃で加熱することで撥水性が大幅に向上した。しかし、この凝集物試料について赤外分光分析(FT-IR)、固体リン核磁気共鳴分析(31P-NMR)やフッ素系溶媒による抽出実験等を行ったが、加熱によってDPFPとPAEの間で新たにリン酸エステル結合が形成される証拠は確認されなかった。従って、DPFP-PAE凝集物の撥水性が向上する機構は、当初想定した仮説とは異なるという結論に達した。ただ、アゼチジニウム環を付加したPEI(polyethyleneimine)をリテンション・エイドとしてDPFP内添シートを作製したところ、通常のPEIで作製したDPFP内添シートよりも撥水性が効率良く発現したことから、少なくともPAEのアゼチジニウム環にDPFPの撥水性能を促進する効果があることが再確認された。

 DPFPと同じフッ化炭素鎖を側鎖に有するポリアクリル酸エステルのフィルムは、フッ化炭素鎖がパッキング構造を形成して結晶性を示すことで撥水効果が大きく向上することが一般に知られているが、DPFP内添シートについても同様の機構が適用されるのか検討した。先に調製したDPFP-PAE凝集物のX線回折分析では、上述の高分子フィルムと全く同じ様に2θ=18°付近に回折ピークが現れた。DPFP原液を凍結乾燥した試料ではこの回折ピークが現れないことから、DPFP分子がPAEとイオン結合を形成することでフッ化炭素鎖がパッキング構造を形成して外界に配向したものと推測される。また、示差走査熱量分析(DSC)から、このフッ化炭素鎖のパッキング構造は95℃前後で消失することが示された。一方、PAEとDPFPを内添したシートをフッ素系溶剤の蒸気で処理すると、撥水性が大幅に向上した。同様に、DPFP-PAE凝集物をこの蒸気で処理すると先の回折ピーク強度が相対的に増大したことから、蒸気処理したシート中では一部のDPFPのフッ化炭素鎖が外界に配向する様になって撥水性が向上したと結論できる。更に、シートを95℃の熱水に浸漬すると一旦シートの撥水性が大きく減少したが、その後シートをオーヴンで加熱すると撥水性が回復した。これはフッ化炭素鎖の配向が熱水中で乱れたり、その後空気中で再加熱して配向性を回復したりしたことで、シートの撥水性が変動したものと思われる。DPFP内添シートの撥油度はDPFP定着量やシート表面のDPFP被覆率によってほぼ一意的に定まるのに対して、撥水挙動はこういったファクターだけでは説明し得なかった。そこで、このDPFPのフッ化炭素鎖の配向性という新たな観点を加えることで、DPFP内添シートの撥水挙動の説明を補えるものと考える。

 PAEの代わりに硫酸アルミニウムをリテンション・エイドとして作製したDPFP内添シートは撥水・撥油性が非常に低かったが、DPFPとアルミニウムの凝集物自体は優れた撥水性を示していた。そこで、パルプ懸濁液に硫酸アルミニウムを添加して4時間攪拌した後に、水道水で洗浄するというパルプの前処理工程を行ってからPAEとDPFPを内添したシートを作製したところ、硫酸アルミニウム使用量に応じて撥水・撥油性が大幅に増加及び減少することを見出した。DPFPやPAEの代わりに他の一般的な撥水化剤やリテンション・エイドを使用して作製したシートでも、同様に撥水性が大きく変動した。また、パルプ懸濁液に硫酸アルミニウムを加えて4時間攪拌した後にパルプ繊維を洗浄せずに直接PAEとDPFPを添加して作製したシートでは、撥水・撥油性は増加せずに一方的に減少した。この様に、撥水・撥油性は大幅に変動したが、DPFPやPAE等のシート中定着量は殆ど一定だった。そこでXPS分析を行った結果、DPFP被覆面積が拡大・縮小する挙動に合わせて撥水性及び撥油性が増大・減少していることが明らかになった。また、DPFPの代わりに別の撥水化剤を内添したシート表面を電子顕微鏡で観察したところ、過剰のアルミニウム成分によって撥水化剤粒子が凝集している様子が確認された。従って、抄紙前の工程を通してパルプ繊維上に定着したアルミニウム成分が、最終的にDPFP等の撥水化剤の定着分布を制御していると結論した。

 この様に、DPFPを適切な方法で紙に添加することで、紙の撥水・撥油性を向上できることを見出した。しかし、フッ化炭素鎖の撥液能力を考えれば、更に撥水性を向上できる筈である。また、リテンション・エイドを内添したシートをDPFP溶液に含浸しても、撥水・撥油性を発現できることが明らかになった。今後は新たなタイプのフッ素系化合物を導入することや硫酸アルミニウムによるパルプの前処理を含めたシート作製条件を工夫する等して、紙の撥水・撥油性をより効率良く発現できるように更なる検討が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 フッ素系化合物は表面エネルギーが極めて小さく、優れた撥水・撥油能力を持つ。本論文では、水溶性で低分子量型のフッ素系撥水・撥油化剤を適切な方法でセルロース系パルプ懸濁液中に添加することで、抄紙工程を経てシート状に成形される紙に撥水性と撥油性を同時に且つ効率良く付与する手法を検討した。また、その過程で紙が撥水・撥油性を発現するメカニズムを様々な観点から解明した。現在、食品や機械装置等の包装材料には合成高分子系材料が多く利用されている。しかし、本論文の成果により、フッ素系化合物を用いて効率的に撥水・撥油化処理を施した紙・パルプ系材料を、新たな生物分解性の機能性包装材料等として転換、展開できることになる。

 本研究では、ペルフルオロアルキル鎖を有するリン酸ジエステルDPFPをフッ素系撥水・撥油化剤として採用し、このDPFPをパルプ懸濁液に添加する内添処理によって手すきシートを作製し、シートの撥水性および撥油性、シート中のDPFP含有量(定着量)、シート表面上のDPFP被覆率を評価した。

 まず、DPFPの内添処理では、カチオン性の荷電を有する水溶性高分子凝結剤であるポリアミンポリアミドエピクロロヒドリン樹脂(PAE)を併用しないと、DPFPは殆どパルプ繊維上に定着せず、当然ながらシートの撥水・撥油性が全く発現しない。一方、PAEを併用することで、DPFPのシートへの定着量がDPFP添加量にほぼ比例して増大し、シートの撥水・撥油性が向上した。これは水中でアニオン性となるDPFPが、同じくアニオン性であるパルプ繊維に対してカチオン性高分子であるPAEを介した静電気的相互作用によって定着する機構により説明できた。DPFP内添シートの撥水・撥油性の程度は、シートの作製条件に大きく影響した。特に、DPFP添加後のパルプ懸濁液の攪拌時間、作製したシートの加熱処理等が撥水性の発現に必要であった。

 DPFPは、パルプ懸濁液中でパルプ繊維に定着しているPAE上に一旦は定着しても、攪拌による剪断力で脱離しやすい。また、DPFPはパルプ懸濁液中に含まれるカルシウムイオン等のカチオン成分によって、速やかに且つ不可逆的に凝集しやすい。そのため、パルプ懸濁液の過度の攪拌は、シート中DPFP定着量の減少、DPFP定着分布の不均一を招き、結果的にシートの撥水・撥油性の低下に繋がる。また、DPFP分子は程度の差はあるが、ある程度の会合体や凝集体を形成しながらPAE上に定着する機構が明らかになった。

 PAEの代わりに他の水溶性のカチオン性高分子類を用いて、DPFPの定着剤としての効果を比較した。その結果、シートの撥水性発現については、PAEが最も効率良く効果を発揮した。この原因をモデル実験、赤外分光分析(FT-IR)、固体リン核磁気共鳴分析(31P-NMR)、フッ素系溶媒による抽出実験等を含む種々の観点から検討した。その結果、PAEを定着剤として用いるDPFP添加シートの撥水性の発現機構は、PAE中に存在している自己架橋性のアゼチジニウム環構造が関与していることが明らかになった。更に、DPFP内添シートについて、紙中のDPFP成分のフッ化炭素鎖の規則的な配列構造形成と撥水性発現効果の関係を検討した。DPFPとPAEからなる凝集-沈殿物のX線回折分析から、2θ=18°付近に回折ピークが現れ、紙中のDPFP分子がPAE分子とイオン結合を形成することでフッ化炭素鎖が規則的な構造を形成し、その結果、シートの撥水性の発現機構が示された。

 PAEの代わりに硫酸アルミニウムをパルプへの定着剤として作製したDPFP内添シートは撥水・撥油性が極めて低かった。しかし、パルプ懸濁液に硫酸アルミニウムを添加して4時間攪拌した後に、水道水で洗浄するというパルプの前処理工程を行ってからPAEとDPFPを内添したシートを作製したところ、硫酸アルミニウム使用量に応じて撥水・撥油性が大幅に増加および減少することを見出した。そこで、上記の処理を行ったシートの表面分析を行った結果、DPFP被覆面積が増大・減少する挙動に合わせて撥水性および撥油性が増大・減少していることが明らかになった。従って、パルプ繊維上に定着したアルミニウム成分が、最終的にDPFP等の撥水化剤の定着分布を制御していると結論した。この様に、DPFPを適切な方法で紙に添加することで、紙の撥水・撥油性を向上できることを見出した。

 以上の様に、本論文の結果はフッ素系化合物の内添処理による紙・モールド材料の撥水・撥油処理に関する基礎的および応用的な知見を得ることができ、今後のセルロース系生物材料の機能化、表面の効率的改質処理技術の展開に大きく貢献することができる。従って、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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