学位論文要旨



No 120196
著者(漢字) 吉田,誠
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,マコト
標題(和) 担子菌のセルロース分解系で生産される酸化還元タンパク質に関する分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 120196
報告番号 甲20196
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2879号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鮫島,正浩
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 助教授 松本,雄二
 東京大学 助教授 和田,昌久
内容要旨 要旨を表示する

木材腐朽担子菌のセルロース分解は一般に、セルラーゼやβ-グルコシダーゼなどの加水分解酵素により進行すると理解されてきた。しかしながら、担子菌のセルロース分解において、酸化還元反応の関与を示唆する幾つかの実験結果が報告され、この過程でセロビオース脱水素酵素(CDH)が見いだされた。CDHはヘムとフラビンをそれぞれ別々のドメイン上に含む菌体外フラボヘム酵素であり、セロビオースの還元末端を酸化しラクトンを生じる反応を触媒することが知られているが、これまでのところ生理的にどのような役割を果たしているかは不明である。そこで、本研究ではCDHの機能解析を行い、その生理的機能を明らかにすることを目指し研究を行った。CDHを解析するにあたり、本研究では分子生物学的手法に注目した。分子生物学的手法は、生化学的手法とは異なるアプローチにより、生命現象に対して新たな切り口から多くの情報を得ることを可能にし、さらに遺伝子組換え技術による酵素の大量生産や変異酵素の作成など酵素学的研究においても不可欠な技術である。しかしながら、CDHに関しては、これまで為されてきた分子生物学的な研究例は非常に限られているのが現状である。そこで本研究では、まずCDHの解析に対して種々の分子生物学的手法を導入することを試みた。さらに、近年のゲノム解析の進行に伴い、遺伝子情報や新規タンパク質の情報を得ることが飛躍的に簡便になり、ゲノミックアプローチといった新たな研究スタイルが出来つつある。そこで本研究では、CDHと異なるセルロース分解に関与する酸化還元タンパク質を新たに見いだすため、担子菌Phanerochaete chrysosporiumのゲノムデータベースを探索し、その結果見いだされたタンパク質の組換え体を生産し、その機能を解析した。

1.担子菌由来セロビオース脱水素酵素遺伝子のクローニング

 ゲノミクスが全盛を迎えつつある昨今、ゲノム解析がなされた生物から目的の遺伝子を簡便にクローニングすることが可能になってきているが、現時点ではゲノム解析が進行している生物はごく僅かであり、多くはクローニングの際に多大な時間とコストを要する。それはCDHの場合も同様であり、これまでにクローニングされてきたcdh遺伝子は全てDNAライブラリーを用いた労力の要する方法でなされたものであった。そこで、本研究では特徴的なアミノ酸配列およびモチーフを利用したcdh遺伝子のPCRによる簡便なクローニング手法を確立することを目指した。種々のCDH間で保存性が非常に高く、しかもCDHの特徴の一つでもあるGMC酸化還元酵素モチーフに着目して縮重プライマーを設計し、それを用いてセルロース培地で生育させたマイタケからcdh遺伝子に相当するcDNA断片を取得することに成功した(Fig.1)。その後、得られた配列情報に基づきRT-PCRおよびRACEを行い、cdh遺伝子全長配列を決定することことに成功した。同様の縮重プライマーを用いて、担子菌P. chrysosporium由来のfirst-strand cDNAからもcdh遺伝子断片が取得できたことから、本ストラテジーは様々な担子菌からのcdh遺伝子クローニングに有用であると見なせた。

2.酵母菌Pichia pastorisによるセロビオース脱水素酵素の異種宿主発現系の構築

 遺伝子工学的手法による酵素の組換え体生産技術は、工業的に有用な酵素を大量に作出することを可能するだけでなく、変異体を用いた生化学研究にも大きく寄与する。そこで本研究では酵母菌Pichia pastorisを宿主としたCDHの異種宿主発現系の構築を試みた。その結果、組換えCDHを活性型で生産することに成功し、しかも、P. chrysosporium培養系で生産された野性CDHや同宿主発現系におけるCDHの約10倍もの効率の生産量を得た(Fig.2)。さらに組換え体の性質を野生型と比較したところ、スペクトル特性、酵素触媒機能、セルロース吸着能全ての点でほぼ同様の結果が得られた。したがって、この発現系の利用が、今後のCDH機能に対する生化学的解析に大きく寄与するものと考えられる。

3.セロビオース脱水素酵素遺伝子の発現挙動

 P. chrysosporiumによりセルロース培養液に分泌されるCDHとBGLは、酵素活性の観点からセロビオースに対して互いに競合することが知られている。したがって、本菌のセロビオース代謝には菌体外BGLによるセロビオース加水分解経路もしくはCDHによるセロビオースの酸化経路が存在することになるが、これまで多くの研究者は加水分解経路のみに注目してきており、酸化経路の役割はほとんど理解されていない。そこで本研究では、bgl遺伝子およびcdh遺伝子のセルロース培養系での発現挙動およびセルロースの構成糖に対する発現応答を調べ、セロビオースに対する加水分解反応と酸化反応の関与についての知見を得ることを目的とした。異なる酵素の遺伝子発現を比較する場合、鋭敏で定量性に優れるmRNAの検出技術が要求されるが、一般によく用いられるノーザンブロット解析や競合PCR解析技術は感度や定量性の問題から、僅かな遺伝子発現の変化を追跡することが難しい。そこで本研究ではリアルタイムPCRの技術を採用した。この技術はPCRの高い検出感度と厳密な特異性および非常に正確な定量性を有することから最近様々な分野で注目されている。この手法を用いて発現解析を試みた結果、これまでセロビオースに作用する主要な酵素であると考えられてきた菌体外bgl遺伝子の発現はセロビオース存在下で抑制され、一方、cdh遺伝子発現は明らかに誘導されることが明らかとなった(Fig.3)。この結果から、セルラーゼにより切り出されたセロビオースはBGLによる加水分解ではなく、CDHによりセロビオノラクトンに酸化されることが示唆された。

4.ヘムドメインの多様性

 CDHは脱水素酵素であることからセロビオースの酸化に伴い電子受容体の還元が起こる。この電子受容体は未だ同定されていないが、このことはCDH以外にもセルロース分解に関与する酸化還元酵素が存在していることを示唆している。そこで、本研究ではP. chrysosporiumのゲノム情報を用いて、セルロース分解における酸化還元反応に関与するタンパク質を探索した。その結果、CDHのヘムドメインと相同性を示し、さらにそのC末端側にフラビンドメインではなく糖質結合モジュール(CBM1)を有する新規のヘムタンパク質Carbohydrate-Binding Cytochrome b562 (CBCyt. b562)が見いだされた(Fig. 4)。このタンパク質を組換え体として生産し、その機能を調べた結果、CBCyt. b562のヘムドメインは電子伝達のみの機能を有するヘムドメインであり、CBM1はセルロースとキチンに強く吸着することが明らかとなった。また、cbcyt. b562遺伝子の発現はカーボンカタボライトリプレッションにより制御されることから、CBCyt. b562は糖代謝に関与する電子伝達タンパク質であることが示唆された。さらに、このヘムドメインに相同性を示す様々な酸化還元酵素遺伝子が糸状菌のゲノム上に見いだされ、そのC末端はRieske centerドメインや膜貫通ドメインなどそれぞれ多様な特徴を有していた。これらの結果は糸状菌が様々な酸化還元システムを獲得するために機能ドメインを組み合わせた分子進化(ドメインシャッフリング)を行ってきたことを示唆していると思われる。また、これらのヘムタンパク質遺伝子は糸状菌のゲノム上にのみ見いだされたことから、糸状菌に特徴的な電子伝達系の存在が示唆された。

Fig.1 Electrophoresis of PCR products. 1, P. chrysosporium grown on glucose culture; 2, P. chrysosporium grown on cellulose culture; 3, G. frondosa grown on glucose culture; 4, G. frondosa grown on cellulose culture.

Fig.2 Course changes of CDH activity in the culture solution of P. pastoris. CDH activity was monitored using cytochrome c as electron acceptor.

Fig.3 Effects of carbon sources on bgl (A) and cdh (B) transcription. The fungus was first cultivated in medium containing 2% glucose for 3 days, then the mycelia were harvested, washed and transferred to culture medium containing 2% glucose, 2% cellobiose or no carbon source. After another 6 h of incubation, total RNA (75 ng) extracted from the mycelium was subjected to real-time quantitative PCR. Each error bar shows the standard error in triplicate tests for each sample.

Fig.4 (A) Multiple alignment of (A) the cytochrome domains of CBCyt. b562 and basidiomycetes CDHs. Bold type indicates possible heme ligands, and conserved cysteines for disulfide bond are underlined. Pch, P. chrysosporium; Tve, Trametes versicolor; Pci, Pycnoporus cinnabarinus; Gfr, Grifola frondosa; Cpu, Coniophora puteana. (B) Multiple alignment of CBCyt. b562 CBM1 with other known CBM1s. Aromatic residues for carbohydrate-binding are black-boxed and conserved cysteines are double-underlined. Tre, Trichoderma reesei; The, Thielavia heterothallica(C) Domain organization of CBCyt. b562 and CDH from Phanerochaete chrysosporium and CBM1-carrying CDH from Thielavia heterothallica.

審査要旨 要旨を表示する

 木材は地球上に存在するバイオマスの90%以上を占めていると言われているが,そのうちの50%近くはセルロースである。したがって,木材の主たる分解者である担子菌によるセルロース分解機構の解明は,基礎学として自然界での炭素循環システムを理解していくために,また応用学としてセルロースの酵素変換などを考えていくために重要な研究課題と位置づけることができる。しかしながら,これまでの担子菌によるセルロース分解に関する研究では,主として酵素の基質特異性および反応速度論的な解析などの生化学的な手法に基づき行われてきており,近年になって進展が著しい分生物学的な解析手法の導入については必ずしも十分に生かされているとは言えない。

 そこで,本論文の申請者は担子菌におけるセルロース分解機構の解析に対して分子生物学的手法を積極的に導入することにより,研究の新展開を図ることを目的に研究を進めた。本論文は全6章から構成されているが,審査の過程では各章の内容を精査し,その上で論文全体の学術性の評価を行った。

 第1章は序論である。ここでは糸状菌由来のセルロース分解酵素に関する既往の知見,さらに担子菌によるセルロース分解および関連酵素に関する既往の知見が良く整理され詳細にわたって解説されている。その上で,本研究の目的を明確に位置づけている。

 第2章では,担子菌のセルロース分解で重要な働きをすると考えられる菌体外酸化還元タンパク質のセロビオース脱水素酵素(CDH)の効率的なクローニング手法の確立について述べている。従来,CDHのクローニングでは,全ゲノムからDNAライブラリーを構築して行ってきたが,申請者はCDHの構造的特徴の一つであるGMC酸化還元酵素モチーフに共通する相同性配列に基づきプライマーを設計し,これを利用したPCRによる簡便なCDHクローニング手法を確立した。また,この手法により食用担子菌マイタケ(Grifola frondosa)からCDH遺伝子をcDNAでクローニングすることに成功した。

 第3章では,酵母菌Pichia pastorisによるCDH遺伝子の異種発現系の構築を試みた。担子菌が生産する菌体外酵素を異種菌株の発現系を用いてCDHのように分子内にフラビンとヘムのような補欠分子属を含む酸化還元酵素を組換えタンパク質として発現させた例はない。申請者は細胞外への組換えタンパク質分泌が容易なこと,さらに糖鎖修飾が過剰にならないことなどのことから酵母菌P. pastorisを適切な発現宿主とすることを考え,担子菌Phanerochaete chrysosporium由来CDHのcDNAを導入した発現ベクターpPIC9KでP. pastoriを形質転換した。その結果,野生CDHとタンパク質構造と酵素活性が同等の組換え体CDHを従来の場合に比べて10倍の効率で生産することに成功した。遺伝子組換え技術を用いたCDHの量産およびCDH変異体生産への可能性を切り開いたことは学術的貢献が大きい。

 第4章では,P. chrysosporiumによるセロビオース代謝系におけるcdhおよびbgl(菌体外β-グルコシダーゼ)遺伝子の発現応答解析にリアルタイムPCR法を用いることを試みた。これまで,長年にわたって本菌が生産する菌体外BGLはセルロース分解によって生成するセロビオースの代謝に重要な働きをしていると考えられてきたが,本研究で明らかにしたセロビオースに対する両遺伝子の発現応答の解析により,bgl遺伝子の発現はセロビオース存在下で抑制され,一方,cdh遺伝子発現は明らかに誘導されることを明らかにした。この結果から、セルラーゼにより切り出されたセロビオースはBGLにより加水分解されるのではなく、CDHによりセロビオノラクトンに酸化されることを支持する分子生物学的な証拠が得られた。

 第5章では,ごく最近に米国エネルギー省Joint Genome Instituteで解読されたP. chrysosporiumのゲノム情報を用いて,新規の菌体外酸化還元タンパク質を発見した。このタンパク質はCDHのヘムドメインと相同性を示し、さらにそのC末端側にフラビンドメインではなく糖質結合モジュールを有することから,Carbohydrate-Binding Cytochrome b562 (CBCyt. b562)と命名した。さらに,このタンパク質を組換え体として生産し,その構造ならびに機能解析を行った結果,CBCyt. b562を介した糖代謝に関与する新規な菌体外電子伝達機構が存在することを示した。

 第6章は本論文の総括であり,申請者が行った一連の分子生物学的手法の導入が担子菌による多様なセルロース分解系の解明に向けて新たな展開をもたらすことを主張している。

 審査委員一同は,以上の内容の学術的貢献は高いと評価し,よって本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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