学位論文要旨



No 120199
著者(漢字) 池田,岳郎
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,ガクロウ
標題(和) 食感性モデルに基づく新食品設計手法の開発
標題(洋)
報告番号 120199
報告番号 甲20199
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2882号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相良,泰行
 東京大学 教授 谷田貝,光克
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 食品総合研究所 食品物理機能研究室長 神山,かおる
内容要旨 要旨を表示する

 食品に対するおいしさや食嗜好を何らかの理工学的手法で計測し、定量化された再現性や客観性の高い情報を得るシステムが確立されることになれば、食品産業分野での新食品の開発やプロダクトマネージメント、さらにはマーケティングなどの戦略に革新的な改善がもたらされるものと期待される。このようなシステムを構築するためには、食品が保有している物質的・情報的属性とこれらの属性に対する人の心理的要因を抽出して、これら相互の関連性を明らかにし、最終的には人の食にまつわる多様な感情の動態、すなわち「食感性」を定量化しなければならないと考えられる。

 食嗜好と摂食に関わる要因は、食品の有する多様な機能を評価する必要性から、これまで主として社会科学的側面から整理されてきた。しかしながら、製品設計や製造条件の最適化などの量的関連性が重要なテーマにおいては、これらの要因分類は、具体的に要因の内容を表す変数とその評価方法、またそれら変数間の関数の取扱いが不明瞭であることから、定量的モデルとして利用するには不十分であると考えられた。ここに、おいしさに関わる要因の量的関連性を扱うことに特化した新しいモデルの開発が必要と考えられた。

 このモデルに基づく新しい分析手法は、従来の官能評価手法のみでは不可能であった、消費者が求めている香味、テクスチャおよび機能性を明らかにし、それを製品として実現する機能、換言すれば「消費者の嗜好と製品設計との架け橋を与える」機能を果たすことが期待される。これは、従来から行われてきた高効率な大量生産を主体とした生産者を起点とする商品開発・生産方式に代わる、消費者起点工学および生産(Consumer-oriented Engineering and Production)に求められている手法であると考えられた。

 本研究の目的は、食行動における感情変化をシステム化して定量的に取り扱う数理モデルとして「食感性モデル」を提案し、これに基づく「食感性モデリング」による消費者起点の品質評価や設計、さらには製造条件の最適化などに利用する手法を開発することにある。具体的に提案した内容は、「食感性モデル」の基本的なコンセプト、おいしさを感じるメカニズムに関与する諸要因の抽出、これらの要因に対する感性変数の定義と要因間の相互関係を定量化するための感性関数などである。

 モデル構築において、まず、おいしさに関わる諸要因の量的関連性を記述する観点から、おいしさを摂食場面において生起する感情と捉え、この感情生起に関連を持つ要因を、認知心理学や認知科学における感情の計算モデルを参考にし、知覚的要因、要求的要因、および認知的要因の3つに大別した。次に、知覚的要因として作用する食品の属性として、実際に食べる可食部分の物理化学的属性である内的属性(Intrinsic Attribute)を定義した。また、認知的要因として作用する属性として、食品や飲料の製品に付随する情報的属性である外的属性(Extrinsic Attribute)を定義した。また個人の要求的要因として、知覚される品質の好ましさに関する判断基準である嗜好(Preference)と、食品を選択する際に認知されたイメージの好ましさの判断基準である態度(Attitude)を定義した。

 個人が食品を摂食する場面において、上述の要因の相互作用によりおいしさ(Pleasantness)が生じると考えた。おいしさが生じる過程において、人の脳内には味、香り、テクスチャなどの品質を指す知覚(Perception)と、視聴覚情報から生じる表象であり、固有の事物を指す認知(Cognition)が生じると考え、これら因子の因果関係および量的関連性を考慮して新たに「食感性モデル」を開発した。このモデルは、摂食場面において個人が食行動の短時間に感じる感情変化を、システム化して定量的に取り扱う数理モデルであり、各因子を変数ないし係数と定めることにより、因子間の関連性を関数として記述することが可能である。このモデルの特徴は、従来の官能評価手法などに比べて、個人による嗜好の相違や、製品パッケージから得られる付加情報など、より多様な要因を扱える点にある。

 食感性モデルを実際の製品データへ適用する際に採用した手法には、各因子を代表する変数の抽出・選択に有用な因子分析などの統計解析手法があり、また、重回帰分析(MRA)、階層型ニューラルネット(ANN)および多次元スプライン補間などの関数近似手法がある。以下に、食感性モデルに基づく新食品設計手法および最適製造条件の探索手法の有効性を検討した結果を述べた。

 第一に、近年市場拡大の著しい緑茶飲料を供試材料として、製品設計における食感性モデリングの有効性を検討した。とくに、消費者の社会的属性による嗜好の相違を定量的に比較し、それぞれの消費者に最適な香味設計を導出した。さらに、緑茶飲料の製品パッケージが知覚品質に与える影響を明らかにし、その重要性を評価した。

 食感性モデルを適用するデータとして、緑茶飲料の内的属性を機器計測により、知覚とおいしさを官能評価により評価した。機器計測では、ガスクロマトグラフ(GC)および高速液体クロマトグラフ(HPLC)を用いた成分分析を行い、官能評価では、味、香りおよびおいしさを7点尺度により記述的に評価した。統計解析では、官能評価データの因子分析により緑茶飲料の香味知覚因子を抽出した。またMRAとANNを用いて外的属性から知覚およびおいしさに至る関数を明らかにした。

 その結果、緑茶飲料の知覚は4因子(飲みやすさ、本格感、香り、甘み)により構成され、飲みやすさ因子の嗜好度への影響度が高いことを明らかにした。さらに得られた関数に基づくシミュレーションにより、社会的属性の異なる消費者ごとに望ましい香味強度と成分配合を明らかにした。例えば、女子高・女子大生は、花香成分を多く含み甘味の感じられる緑茶飲料を好み、社会人男性は、旨味成分を多く含みコクの感じられる緑茶飲料を好むことなどを明らかにした。以上の結果から、社会的な属性の異なる消費者ごとの、緑茶飲料の嗜好と望ましい成分配合の導出において、食感性モデリングが有用であることを確認した。また、異なる製品パッケージを用いた実験データに食感性モデルを適用し、緑茶飲料製品のパッケージすなわち外的属性が、知覚品質とおいしさに与える影響を定量的に明らかにすることが可能であることを確認した。

 第二に、呈味成分に着目し、特徴的な知覚品質を実現するような最適配合の導出における食感性モデリングの有効性を検証した。食嗜好との関連性の大きい苦味(ビター)成分と甘味成分に着目し、これら2成分を主成分とするビター飲料を対象として、両成分濃度3水準の組合せによる9つの供試サンプルを作製した。ここで、内的属性は両成分の濃度とし、知覚およびおいしさは官能評価により定量的に評価した。その結果、味強度と嗜好度との相関係数から、甘味およびすっきり感はおいしさと正の関連性を有することを明らかにした。また甘味成分濃度が高く、苦味成分濃度の低い配合により、甘味増強効果が得られることを明らかにした。これに対し、すっきり感は甘味成分と苦味成分との交互作用により生じ、苦味成分濃度が低く、甘味成分濃度が中水準の配合により、最も高いすっきり感が知覚されることを明らかにした。

 以上の結果から、食感性モデリングにより、おいしさに影響する個別の味について、それぞれ最大値を与える成分配合を明らかにし、また複数の味を同時に高水準とする配合を算出することが可能となった。これは、製品コンセプトとの適合性や製品差別化の観点から、例えば「甘味を抑えてすっきり感が感じられる成分配合」のように、特徴的な味を重視した成分配合を求めることも可能であることを意味する。また、同飲料に対して薬のイメージが認知されるときおいしさが有意に低いなど、認知されたイメージがおいしさに与える影響を評価する際にも有用であることを確認した。

 第三に、香気成分に着目し、一般に味よりも複雑性の高い香りについて最適配合を導出する際の、食感性モデリングの有効性を検討した。乳化液状ゴマドレッシングの市販品および試作品を供試材料として、その内的属性は、減圧連続蒸留抽出法(SDE)および固相マイクロ抽出法(SPME)により香気成分を抽出し、GCと人の嗅覚による香りの質と強度の評価を組み合わせたGC匂い嗅ぎ法(GC/O)により計測した。また知覚およびおいしさは官能評価により評価した。得られたデータに食感性モデルを適用することにより、香気成分と知覚品質およびおいしさとの関連性を明らかにし、とくに胡麻の香りを特徴付ける香気成分を特定した。

 官能評価データの因子分析により、知覚品質を構成する7つの香味因子を導出した。またMRAにより、とくにおいしさへの影響が大きい因子が「煎り胡麻感」、「後味の濃さ」および「まろやかさ」であることを明らかにした。香気成分とこれら知覚因子との相関を調べることにより、硫黄含有成分が知覚品質に大きな影響を与え、おいしさを増加させる効果があることを確認した。この結果から、食感性モデリングが香気成分の設計にも有効であることを明らかにした。

 これらの結果より、本研究で新しく提案した「食感性モデル」は、食品固有の属性を起点とし、ヒトの知覚・嗜好および認知・態度などの経路を介しておいしさに至る過程を定量的に解析する手法として有用であり、食品を対象とした多面的な新製品設計にも適用可能であることを実証した。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、食行動における感情変化をシステム化して定量的に取り扱う数理モデルとして「食感性モデル」を提案し、これに基づく「食感性モデリング」による消費者起点の品質評価や設計、さらには製造条件の最適化などに利用する手法を開発した。具体的に提案した内容は、「食感性モデル」の基本的なコンセプト、おいしさを感じるメカニズムに関与する諸要因の抽出、これらの要因に対する感性変数の定義と要因間の相互関係を定量化するための感性関数などである。以下に、食感性モデルに基づく新食品設計手法および最適製造条件の探索手法の有効性を検討した結果を述べた。

 第一に、近年市場拡大の著しい緑茶飲料を供試材料として、製品設計における食感性モデリングの有効性を検討した。とくに、消費者の社会的属性による嗜好の相違を定量的に比較し、それぞれの消費者に最適な香味設計を導出した。さらに、緑茶飲料の製品パッケージが知覚品質に与える影響を明らかにし、その重要性を評価した。

 食感性モデルを適用するデータとして、緑茶飲料の内的属性を機器計測により、知覚とおいしさを官能評価により評価した。機器計測では、ガスクロマトグラフ(GC)および高速液体クロマトグラフ(HPLC)を用いた成分分析を行い、官能評価では、味、香りおよびおいしさを7点尺度により記述的に評価した。統計解析では、官能評価データの因子分析により緑茶飲料の香味知覚因子を抽出した。またMRAとANNを用いて外的属性から知覚およびおいしさに至る関数を明らかにした。

 その結果、緑茶飲料の知覚は4因子(飲みやすさ、本格感、香り、甘み)により構成され、飲みやすさ因子の嗜好度への影響度が高いことを明らかにした。さらに得られた関数に基づくシミュレーションにより、社会的属性の異なる消費者ごとに望ましい香味強度と成分配合を明らかにした。以上の結果から、社会的な属性の異なる消費者ごとの、緑茶飲料の嗜好と望ましい成分配合の導出において、食感性モデリングが有用であることを確認した。

 第二に、呈味成分に着目し、特徴的な知覚品質を実現するような最適配合の導出における食感性モデリングの有効性を検証した。食嗜好との関連性の大きい苦味(ビター)成分と甘味成分に着目し、これら2成分を主成分とするビター飲料を対象として、両成分濃度3水準の組合せによる9つの供試サンプルを作製した。結果として、味強度と嗜好度との相関係数から、甘味およびすっきり感はおいしさと正の関連性を有することを明らかにした。また甘味成分濃度が高く、苦味成分濃度の低い配合により、甘味増強効果が得られることを明らかにした。これに対し、すっきり感は甘味成分と苦味成分との交互作用により生じ、苦味成分濃度が低く、甘味成分濃度が中水準の配合により、最も高いすっきり感が知覚されることを明らかにした。

 以上の結果から、食感性モデリングにより、おいしさに影響する個別の味について、それぞれ最大値を与える成分配合を明らかにし、また複数の味を同時に高水準とする配合を算出することが可能となった。

 第三に、香気成分に着目し、一般に味よりも複雑性の高い香りについて最適配合を導出する際の、食感性モデリングの有効性を検討した。乳化液状ゴマドレッシングの市販品および試作品を供試材料として、その内的属性は、GCと人の嗅覚による香りの質と強度の評価を組み合わせたGC匂い嗅ぎ法(GC/O)により計測した。また知覚およびおいしさは官能評価により評価した。得られたデータに食感性モデルを適用することにより、香気成分と知覚品質およびおいしさとの関連性を明らかにし、とくに胡麻の香りを特徴付ける香気成分を特定した。

 官能評価データの因子分析により、知覚品質を構成する7つの香味因子を導出した。またMRAにより、とくにおいしさへの影響が大きい因子が「煎り胡麻感」、「後味の濃さ」および「まろやかさ」であることを明らかにした。香気成分とこれら知覚因子との相関を調べることにより、硫黄含有成分が知覚品質に大きな影響を与え、おいしさを増加させる効果があることを確認した。この結果から、食感性モデリングが香気成分の設計にも有効であることを明らかにした。

 これらの結果より、本研究で新しく提案した「食感性モデル」は、食品固有の属性を起点とし、ヒトの知覚・嗜好および認知・態度などの経路を介しておいしさに至る過程を定量的に解析する手法として有用であり、食品を対象とした多面的な新製品設計にも適用可能であることを実証した。以上の審査結果から、審査委員一同は本論文の学術的な独創性と実用的な有用性を高く評価し、博士学位論文として価値あるものと認めた。

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