学位論文要旨



No 120200
著者(漢字) 井上,隆
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,タカシ
標題(和) 福岡県三里松原海岸のいそ波帯における魚類群集の構造
標題(洋)
報告番号 120200
報告番号 甲20200
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2883号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐野,光彦
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 黒倉,壽
 東京大学 助教授 岡本,研
 東京大学 助教授 山川,卓
内容要旨 要旨を表示する

 砂浜海岸は地球上の氷結しない海岸線の約4分の3を占めており,沿岸生態系を理解するうえで,欠くことのできない場所のひとつであると考えられる.ところが,砂浜海岸は単調な環境という生物学者の先入観や,波浪が厳しく,調査が困難といった理由から,そこではこれまであまり研究が行われてこなかった.しかし,近年,少しずつ研究が行われるようになり,砂浜海岸のいそ波帯(波の砕ける場所から汀線付近までの領域)には,多くの仔稚魚が生息することがわかってきた.また,東南アジアでは,サバヒー養殖の種苗となる浮遊仔魚がいそ波帯で多量に採集されている.

 いそ波帯には自然の構造物がないため,生息環境としては単調にみられがちだが,波浪によって生じる地形変化や,隣接する河川などの影響が組み合わさり,複雑な生息環境が構築されている.しかし,いそ波帯において魚類と生息環境との関係を扱った研究は少ないのが現状である.

 そこで本研究では,福岡県三里松原海岸のいそ波帯において,物理環境と無脊椎動物の分布の特徴を把握したうえで,そこに生息する魚類の種組成,種数,個体数などを季節ごとに調べ,魚類群集の構造を明らかにすることを目的とした.また,いそ波帯と,それに隣接する他の生息域の魚類群集を比較することにより,いそ波帯の魚類群集構造にはどのような特徴がみられるのかも明らかにした.調査は2002年と2003年の5月,8月,11月の各月に行った.

物理環境

 三里松原海岸のいそ波帯内には,異なった微地形をもつ3地点,すなわち向岸流が生じる地点(以下,向岸流地点),離岸流が生じる地点(離岸流地点),河口に隣接する地点(河口隣接地点)が存在していた.そこで,これら3地点間で,水質と底質にどのような違いがみられるのかを明らかにするため,各月において物理環境調査を行った.

 その結果,河口隣接地点では,河川の影響を受け,塩分がどの月においても,他の2地点より低くなる傾向がみられた.また,中央粒径値と強熱減量も他の2地点とは異なる傾向が認められた.一方,離岸流地点では,他の2地点よりも砕波が生じにくいため,どの月においても濁度が低くなっていた.

 このように,いそ波帯の3地点間では,隣接河川や離岸流の影響を受けることによって,水質(塩分と濁度)や底質(中央粒径値と強熱減量)に違いがみられることが明らかとなった.

無脊椎動物群集の構造

 いそ波帯における無脊椎動物の分布パターンを明らかにするために,いそ波帯内の3地点において,浮遊性,表在性,および埋在性の無脊椎動物の各月における出現状況を調べ,それらを3地点間で比較した.

 調査期間を通して,いそ波帯全体でみると,浮遊性無脊椎動物ではカイアシ類(カラヌス類やキクロプス類など),表在性無脊椎動物ではアミ類(アルケオミシス属とハマアミ属)が量的に優占していた.一方,埋在性無脊椎動物の個体数は少なく,ほとんど採集されなかった.カラヌス類はどの月においても,河口隣接地点に多く分布しており,8月に最も多く採集された.また,アミ類のうち,アルケオミシス属は5月の離岸流地点で多く,一方,ハマアミ属は河口隣接地点で多い傾向にあった.

 このように,いそ波帯の主要な無脊椎動物であるカラヌス類,アルケオミシス属アミ類,およびハマアミ属アミ類の分布量は,3地点間で異なることが明らかとなった.

魚類の食性

 いそ波帯に生息する各魚種の食性を明らかにするために,19種533個体の消化管内容物を精査した.7種において成長に伴う食性の変化が認められたため,各魚種において,食性が同じような体長範囲をユニットとして区分し,各ユニットにおける各餌項目の体積百分率をもとにクラスター分析を行った.

 その結果,本調査地のいそ波帯魚類は動物プランクトン食(12ユニット),底生甲殻類食(8ユニット),デトリタス食(2ユニット),多毛類食(2ユニット),魚類食(2ユニット),および昆虫食(1ユニット)の6つのグループに分類することができた.そのうち,動物プランクトン食魚と底生甲殻類食魚の占める割合が高かったことから,動物プランクトンと底生甲殻類は本調査地のいそ波帯魚類にとって重要な餌となっていることが示唆された.

魚類群集の構造

 いそ波帯における魚類群集の構造を明らかにするために,向岸流地点,離岸流地点,および河口隣接地点において,魚類を地曳網(長さ26m,深さ2m,目合4mm)で各月ごとに採集し,3地点間で比較した.

 調査期間を通して採集された魚類は,いそ波帯全体で26科32種734個体であった.その多くが稚魚であったことから,本調査地のいそ波帯は稚魚の成育場として機能している可能性が示唆された.

 採集した魚類の種数と個体数は,いずれの地点においても5月と8月に多く,11月に少なかった.しかし,地点間の違いはどの月においても認められなかった.また,3地点において,各年の各月にみられた魚類群集をクラスター分析したところ,それらは季節ごとに大きく3つに分かれたが,地点ごとには分けることができなかった.これらの結果より,本調査地の魚類群集の構造は季節では異なるものの,地点間では異ならないことがわかった.したがって,3地点間では,水質や底質,さらには魚類の主要な餌(カラヌス類やアミ類)の密度が異なっていたが,そのような生息環境の違いは,いそ波帯魚類群集の構造に影響を及ぼさないことが明らかとなった.

 一方,上述したように,いそ波帯魚類群集の構造は顕著な季節変動を示した.そこで,その変動要因を解明するために,いそ波帯魚類の各種をその出現時期に基づいて滞在種,季節的回遊種,一時的来遊種の3つのグループに分けて解析を行った.滞在種とは,採集を行ったほぼすべての月に出現したもの,季節的回遊種は2002年と2003年の両年において,ある決まった月に出現したもの,一時的来遊種は出現した月に一定の傾向がなく,一時的に来遊してきたと考えられるものとした.この解析から,季節的回遊種と一時的来遊種の種数と個体数は5月と8月に多く,逆に,11月に少なくなることがわかった.したがって,本調査地のいそ波帯における魚類群集の季節変動は,季節的回遊種と一時的来遊種の出現の多寡に起因していることが示唆された.また,両グループの出現パターンは,いそ波帯魚類群集の構造を決定する要因のひとつであると考えられた.

いそ波帯と他の生息域との魚類群集構造の比較

 三里松原海岸には,砂浜域以外に,礫浜域や河口域が隣接して存在していた.そこで,砂浜域のいそ波帯魚類群集が他の生息域のものと構造的にどの程度,異なっているかを明らかにするために,これら3つの生息域間で魚類群集の構造を比較した.

 その結果,いそ波帯における魚類群集構造は,他の生息域のものと明瞭に異なっていることが判明した.これは,優占種を含め,種組成がそれぞれの生息域で違っているためであった.したがって,いそ波帯の魚類群集は,礫浜域や河口域など,隣接する他の生息域のものと比べ,独自の群集構造をもっていることが明らかとなった.

砂浜海岸の保全

 近年,我が国を含め,多くの国々においては,海岸浸食によって砂浜海岸は消失する傾向にあり,深刻な社会問題となっている.砂浜海岸のいそ波帯は,本研究でも示唆されたように,稚魚の成育場となっている可能性が高く,そこには水産上有用な魚種の稚魚が出現することが知られている.また,いそ波帯の魚類群集構造は,近隣の生息域のものとは異なった,独自の群集構造をもつことも本研究でわかった.したがって,水産有用種を含めた魚類の成育場を確保し,さらには,沿岸域における魚類の多様性を維持するためにも,砂浜海岸の消失を早急に食い止め,それを保全する必要があると考える.

審査要旨 要旨を表示する

 砂浜海岸は地球上の氷結しない海岸線の約4分の3を占めており,沿岸生態系を理解するうえで,欠くことのできない場所のひとつである。しかし,砂浜海岸のいそ波帯(波の砕ける場所から汀線付近までの領域)において,魚類と生息環境との関係を扱った研究はほとんどないのが現状である。そこで本研究は,福岡県三里松原海岸のいそ波帯において,物理環境や無脊椎動物の分布が魚類群集の構造にどのような影響を与えるのか,また,その群集構造は他の生息域のものとどの程度,異なるのかということを野外調査によって明らかにしようとしたものである。本研究結果の概要は以下のとおりである。

物理環境

 三里松原海岸のいそ波帯内には,異なった微地形をもつ3地点,すなわち向岸流地点,離岸流地点,河口隣接地点が存在していた。そこで,これら3地点間で,水質と底質にどのような違いがみられるのかを調べた。その結果,河口隣接地点では,河川の影響を受け,塩分がどの月においても,他の2地点より低くなる傾向がみられた。また,中央粒径値と強熱減量も他の2地点とは異なる傾向が認められた。一方,離岸流地点では,他の2地点よりも砕波が生じにくいため,どの月においても濁度が低くなっていた。このように,いそ波帯の3地点間では,水質や底質に違いがみられることが明らかとなった。

無脊椎動物群集の構造

 いそ波帯における無脊椎動物の分布パターンを明らかにするために,いそ波帯内の3地点において,浮遊性,表在性,および埋在性の無脊椎動物の各月における出現状況を調べ,それらを3地点間で比較した。調査期間を通して,いそ波帯全体でみると,浮遊性無脊椎動物ではカラヌス類,表在性無脊椎動物ではアミ類が量的に優占していた。一方,埋在性無脊椎動物の個体数は少なく,ほとんど採集されなかった。カラヌス類はどの月においても,河口隣接地点に多く分布しており,8月に最も多く採集された。また,アミ類のうち,アルケオミシス属は5月の離岸流地点で多く分布していた。このように,いそ波帯の主要な無脊椎動物であるカラヌス類やアミ類の分布量は,3地点間で異なることが明らかとなった。

魚類の食性

 いそ波帯に生息する各魚種の食性を明らかにするために,19種533個体の消化管内容物を精査した。その結果,本調査地のいそ波帯魚類は動物プランクトン食,底生甲殻類食,デトリタス食,多毛類食,魚類食,および昆虫食の6群に分類することができた。そのうち,動物プランクトン食魚と底生甲殻類食魚の占める割合が高かったことから,動物プランクトンと底生甲殻類は本調査地のいそ波帯魚類にとって重要な餌となっていることが示唆された。

魚類群集の構造

 いそ波帯における魚類群集の構造を明らかにするために,向岸流地点,離岸流地点,および河口隣接地点において,魚類を地曳網で各月ごとに採集し,3地点間で比較した。その結果,魚類の種数と個体数に地点間の違いは認められず,種組成も似ていることがわかった。したがって,3地点間では,水質や底質,さらには魚類の主要な餌(カラヌス類やアミ類)の密度が異なっていたにもかかわらず,そのような生息環境の違いは,魚類群集の構造に影響を及ぼさないことが明らかとなった。

 しかし,その一方で,魚類群集の構造は明瞭な季節変化を示すことがわかった。種数と個体数は5月と8月に多く,11月に少なかった。これは,季節的回遊種と一時的来遊種の出現の多寡に起因していることが示唆された。

いそ波帯と他の生息域との魚類群集構造の比較

 砂浜域のいそ波帯魚類群集が,隣接する他の生息域(礫浜域と河口域)のものと構造的にどの程度,異なっているかを明らかにするため,これら3つの生息域間で魚類群集の構造を比較した。その結果,いそ波帯における魚類群集構造は,他の生息域のものと明瞭に異なっていることが判明した。これは,優占種を含め,種組成がそれぞれの生息域で違っているためであった。

 以上,本研究は砂浜域における魚類群集の構造を詳細に解明したものであり,これらの成果はいそ波帯魚類の生態のみならず,砂浜海岸の保全に関する今後の研究の発展に寄与するところが少なくない。よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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