学位論文要旨



No 120203
著者(漢字) 高田,直也
著者(英字)
著者(カナ) タカダ,ナオヤ
標題(和) 熱帯アジアにおける農薬の使用実態と制度に関する研究
標題(洋)
報告番号 120203
報告番号 甲20203
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2886号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 川島,博之
 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 教授 小林,和彦
 東京大学 教授 井上,真
 東京大学 助教授 山川,隆
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は「農薬」の問題に対処する社会科学的研究への要請に応える試みである。すなわち、「環境」と「食の安全」という観点から、主として熱帯アジア地域における農薬使用実態と制度について、現地調査によって得た事実を通じて問題の所在を明らかにした。また、農薬問題への対応としてインドネシアで実施されている総合的病害虫防除(Integrated Pest Management;IPM)及び有機農業の動向について考察した。

1.日本における農薬利用と農薬問題

 第1章では日本における農薬利用と農薬問題についてレビューし、近代農法における農薬の位置付けと農薬の諸問題を整理した。有機合成農薬の登場は病虫害防除にとって画期的であったが、その反面で有機合成農薬が様々な問題を引き起こしたことを忘れてはならないことを述べた。また、近年の無登録農薬問題、輸入農産物の残留農薬問題を端緒に農薬取締法の改正、食品安全基本法の整備などの対策が取られ、「食の安全」の確保に向けた取り組みが強化されていることに触れた。こうした行政の取り組みにより、今後は科学的根拠に基づく食品に関する情報が今まで以上に提示されることが予想されるが、送られてくる情報を鵜呑みにしたり、氾濫する情報にただ振り回されたりするのではなく、生命や健康に関わる問題には自らの判断で対処するための知識と知恵が消費者サイドにも求められている。

2.バングラデシュにおけるDDT使用問題

 第2章においてバングラデシュにおけるDDTの使用問題について論じた。まず、農薬購入先として販売免許を持つ販売店のみから農薬の購入を行っている農家は全体の6割に満たない状態であり、販売免許のない商店から農薬購入を行っている農家が多く存在するという問題が指摘された。無免許商店からの農薬購入は隣国から密輸されたバングラデシュでは使用が禁止されている農薬を誤って入手する可能性があるだけでなく、適切な農薬散布に関する助言を受けることができないという点で危険な農薬散布につながる恐れがある。次に、農民の農薬散布方法は危険に満ちている点が浮き彫りとなった。調査した範囲では、素手による農薬散布を行っている農民が多く見受けられた。農民レベルにおいては情報の不完全により、現在でも誤ってDDTが使用される状況にあった。現在では、幸いDDTの入手が困難な状況にあるため、DDTの散布が日常的に行われている農場は少なくなっている。しかし、ほとんどの農民がDDTに対して持ち合わせている知識は「害虫を防除でき、長時間効果がある農薬である」というものに過ぎないのが現状であることが示された。

3.東南アジアにおける農薬利用の現状

 第3章では、日本と経済的な結びつきの強い東南アジア諸国のうち、フィリピンとタイに関する農薬の使用実態と制度をそれぞれ考察した。フィリピンの調査地では、野菜の栽培に農薬が多く使用される傾向にあることが示されたものの、問題となるような農薬の利用は確認されなかった。フィリピンの農薬管理体制は法的には整備が進められているものの、農薬分析のために必要な試薬類を購入する資金が不足していることから、実際に農薬容器に記載されたラベルに合致する有効成分が含まれているか、については議論の余地が残されている。特に、価格の比較的安い農薬については、このことが懸念されることから、注視していく必要がある。タイで現在も合法的に使用できるcarbofuranとparathion methylは急性毒性、魚毒性等で問題点の多い農薬である。農薬販売店、農家に対する調査からも、carbofuranとparathion methylの使用は一般的に行われていることが示されているが、農家の農薬に関する知識は限定的であることから、危険性の高い農薬の管理体制としては不十分である。フィリピン、タイに共通する課題として、流通している農薬の品質をいかに担保していくか、農薬の適切な利用に向けた技術普及をいかに進めていくかが指摘された。すなわち、開発途上国の農薬管理制度は先進国の制度と類似しているものの、十分に機能しているわけではない。農薬管理上の問題は資金や専門家の不足によるモニタリング体制の不備であり、農村での問題は農薬使用者の農薬に対する知識不足と代替農薬の価格が高いことである。また、先進国では禁止されている農薬も一部合法的に使用が認められていることを確認した。

4.インドネシアにおける農薬問題への対応

 第4章はインドネシアにおける農薬問題への対応について考察した。まず、IPMの概要とインドネシアにおいて国家プロジェクトとして推進されたIPMについて論じた。IPMと同時期に日本の援助によってインドネシアに導入された発生予察システムは病害虫の発生初期の段階における防除を目指すもので、より少ない農薬によって防除を可能にするものであった。このため、病害虫発生予察システムはインドネシアにおけるIPMの成功の鍵であることが示された。一方、IPMプロジェクトによって全国の農村でFarmers' Field School(FFS)が行われ、農民に減農薬あるいは無農薬栽培が取り入れられた。これを契機にインドネシアではジャワ島中部を舞台に有機農業が展開された。ヨーロッパ諸国のように環境政策と有機農業との間に密接な関連は認められないものの、IPMプログラムの一環として行われたFFSは有機農業の展開に一定の役割を果たしたと言える。また、有機栽培米の流通が確立されたこと、有機認証制度が確立されていないにもかかわらず「食の安全」を意識した中流以上の階級の需要により有機農産物にプレミアムがつくようになってきたことが近年の農産物価格低迷に対抗し、付加価値をつけようと努力する農業者がこぞって有機農産物栽培に参入しようとする動機になっている。しかしながら、インドネシアには有機認証制度がなく、ジョグジャカルタの消費者は有機認証なしに販売者や有機農業グループを信頼しているのが現状である。インドネシアの有機農産物は生産者と消費者の信頼の上に成り立っているが、悪徳業者の出現によって信頼が揺らぐ事態に直面することを防ぐ目的からも有機認証制度の構築が求められる。

 以上、本論文は「地球環境問題」と「食の安全」という側面から、主として熱帯アジア諸国の農薬問題について考察したものである。第5章では本研究を総括するとともに、残された研究課題を記述した。ここでは、既存の研究では対処できなかった熱帯アジア地域における農薬問題を扱うに際しては現地における資料収集から行う必要があり、農薬のリスクを定量化するには至っていない点と遺伝子組み換え作物導入による農薬削減への検討を今後の課題とした。

審査要旨 要旨を表示する

 熱帯アジア地域における農薬の管理制度とその使用実態について、これまで系統的な研究は行われていない。本論文は、現地調査によって得た情報を元に、熱帯アジアにおける農薬の管理制度を整理すると共に、その問題点を明らかにしたものである。熱帯アジアでも農薬問題が広く認識される中、その対策としてインドネシアで実施した総合的病害虫防除(Integrated Pest Management;IPM)及びインドネシアでの有機農業の実態にも検討を加えている。

1.日本における農薬利用と農薬問題

 第1章では日本における農薬利用と農薬問題についてレビューし、近代農法における農薬の位置付けと農薬の諸問題を整理している。有機合成農薬の登場は病虫害防除にとって画期的であったが、その反面、有機合成農薬が様々な問題を引き起こしたことが整理されている。近年の無登録農薬問題、輸入農産物の残留農薬問題を端緒に農薬取締法の改正、食品安全基本法の整備などの対策が取られ、「食の安全」の確保に向けた取り組み強化についても、その位置付けが明らかにされている。

2.バングラデシュにおけるDDT使用問題

 第2章においては、バングラデシュにおけるDDTの使用について論じられている。農村での聞き取り調査から、バングラデシュでは、農薬購入先として販売免許を持つ販売店のみから農薬の購入を行っている農家は全体の6割に満たないことを明らかにしている。販売免許のない商店から農薬購入を行っている農家が多く存在する。また、ほとんどの農民がDDTに対して持ち合わせている知識は、「害虫を防除でき、長時間効果がある農薬である」というものに過ぎない。無免許商店からは、密輸されたDDTなど、バングラデッシュでも使用が禁止されている農薬が入手可能であり、現在でも水田にDDTが使用される可能性があることが報告されている。

3.東南アジアにおける農薬利用の現状

 第3章では、日本と経済的な結びつきの強い東南アジア諸国のうち、フィリピンとタイにおける農薬の制度と使用実態について考察している。フィリピンの農薬管理体制は法的には整備が進められているものの、農薬分析のために必要な試薬類を購入する資金が不足していることから、実際に農薬容器に記載されたラベルに合致する有効成分が含まれていない可能性が指摘されている。

 タイで合法的に使用できるcarbofuranとparathion methylは、急性毒性、魚毒性等で問題点がある農薬である。わが国では使用が禁止されている。しかし、農薬販売店、農家に対する調査から、carbofuranとparathion methylが、一般的に大量に使用されている事実が明らかにされている。

 開発途上国の農薬管理制度は先進国の制度と類似しているものの、十分に機能しているわけではない。農薬管理上の問題は、資金や専門家の不足によるモニタリング体制の不備であり、農村での問題としては、農民の農薬に対する知識不足を指摘している。また、先進国では禁止されている農薬も、合法的に使用が認められ、実際に大量に使用されていることを確認している。

4.インドネシアにおける農薬問題への対応

 第4章では、開発途上国における農薬問題への対応例として、インドネシアの取り組みについて考察している。まず、IPMの概要と、インドネシアにおいて国家プロジェクトとして推進されたIPMについて論じられている。IPMと同時期に、日本の援助によってインドネシアに導入された発生予察システムは、病害虫の発生初期の段階における防除を目指すもので、より少ない農薬によって防除を可能にするものであった。病害虫発生予察システムはインドネシアにおけるIPMの成功の鍵であることが報告されている。

 一方、IPMプロジェクトによって全国の農村でFarmers' Field School (FFS)が実施され、農民に減農薬あるいは無農薬栽培が奨励された。これを契機に、インドネシアではジャワ島中部を舞台に有機農業が展開されている。ヨーロッパ諸国のように環境政策と有機農業との間に密接な関連は認められないものの、IPMプログラムの一環として行われたFFSは有機農業の展開に一定の役割を果たしたことを明らかにしている。

 また、「食の安全」を意識した中流階級が増加したことにより、有機農産物にプレミアムがつくようになり、有機農産物栽培が拡大してゆく過程についても、検討が行われている。現在、インドネシアには有機認証制度がない。インドネシアの有機農産物は、販売者や有機農業グループに対する信頼のみの上に成り立っている。悪徳業者の出現によって信頼が揺らぐことを防ぐ意味でも、有機認証制度の構築が求められることを指摘している。

 以上、本論文は、これまで、ほとんど明らかにされてこなかった熱帯アジアにおける農薬の制度と使用実態について、精力的な現地調査を行い、その結果得られた情報を整理・考察しているが、これは学術上、また食の安心安全が叫ばれる今日、応用上においても価値が高い。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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