学位論文要旨



No 120209
著者(漢字) 蕪木,由紀子
著者(英字)
著者(カナ) カブラギ,ユキコ
標題(和) スギ花粉アレルゲン特異的免疫療法に関する研究
標題(洋)
報告番号 120209
報告番号 甲20209
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2892号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 辻本,元
 理化学研究所 グループリーダー 阪口,雅弘
 東京大学 助教授 久和,茂
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
内容要旨 要旨を表示する

 スギ花粉症は日本で最も重要なアレルギー疾患の1つであり、国民の約10%が発病していると考えられている。現在のスギ花粉症治療の中心は薬物療法であるが、あくまで症状を抑えるだけで薬によって花粉症が完治するものではない。唯一の根治的な治療法として減感作療法がある。この減感作療法は、スギ花粉アレルゲン抽出液を注射することからアレルギー治療用ワクチン(アレルゲンワクチン)と考えられているが、その作用機序はまだ明らかになっていない。この減感作療法は数年以上の長期にわたる頻回の注射が必要であること、投与後アナフィラキシーショックのような全身性のアレルギー副反応が起こることなどの欠点があり、日本ではあまり普及していない。そのため、簡便で安全な、新しい治療用ワクチンの開発が望まれている。

 現在、スギ花粉症の原因となるスギ花粉の主要アレルゲンとして、Cry j 1およびCry j 2の2つのタンパクが同定されている。スギ花粉症患者の90%程度がCry j 1とCry j 2の両方に対する特異的IgE抗体を保有し、残りの患者もどちらかのアレルゲンに対する特異的IgE抗体を持っている。このIgE抗体の産生は、Th1およびTh2型免疫応答のバランスにより調節される。すなわち、CD4陽性T細胞は、産生するサイトカインによりTh1およびTh2細胞の2つの種類が存在する。Th1細胞から産生されるIFN-γは、アレルゲンに対するIgEを抑制するが、Th2細胞から産生されるIL-4は、IgE産生を誘導する。このように、Th1およびTh2細胞は互いにサイトカインの産生誘導や産生抑制をすることでバランスを保っていると考えられている。

 本研究では、Th1型の免疫応答を誘導するCpG DNAにスギ花粉アレルゲンを結合したワクチン(CpG DNA-Cryl1)を作製し、スギ花粉症治療のためのワクチン開発を行った。この微生物由来のメチル化されていないCpGのDNA配列[5'-シトシン(C)-グアニン(G)-3']は、樹状細胞やマクロファージなどの抗原提示細胞を活性化し、IL-12を産生する。このIL-12はNK細胞等を刺激しIFN-γ産生を誘導することや、ナイーブCD4陽性T細胞に作用してTh1への分化を促進することが報告されている。そこで、CpG DNA-Cry j 1の抗原提示細胞に対するIL-12の産生能を調べるため、ナイーブマウスの脾臓細胞にCpG DNA-Cry j 1刺激を行い、IL-12の産生について検討した。この刺激によってIL-12の産生が誘導され、陰性対照のGpCDNA-Cry j 1刺激ではIL-12の産生は認められなかった。さらに、このワクチンのアレルゲン性をCpG DNAと結合していないCry j 1と比較したところ、そのアレルゲン性が約1/50になることが示され、CpG DNAを結合させることにより、著しくアレルゲン性を低下させることがわかった。

 次に、このCpG DNA-Cry j 1ワクチンがマウスにおいて、Cry j 1特異的にIgEの抑制を誘導するかについて検討した。ワクチン接種したマウスは、対照群と比較して、有意にCry j 1特異的にIgE産生を抑制した。さらに、ワクチン接種したマウスはCry j 1特異的なIgG2a産生を誘導し、Th1型の抗体産生が認められた。ワクチン接種したマウスは、対照群と比較してCry j 1特異的に脾臓細胞のIL-5産生を抑制し、Cry j 1特異的にIFN-γの産生を有意に誘導した。しかしながら、Cry j 1特異的なIL-4産生においては、すべての接種群で有意な差は認められなかった。ワクチン接種によりTh2型サイトカインのIL-5の産生抑制が見られたことや、Th1型サイトカインであるIFN-γの産生が認められたことなどから、Cry j 1特異的にTh1型の免疫反応が誘導されることが示された。これまでに、卵白アルブミンやブタクサアレルゲンにCpG DNAを結合したワクチンが作製され、マウスの実験でアレルゲン特異的なTh1型の免疫反応が誘導されることが報告されており、本研究の結果とよく一致していた。CpG DNAにアレルゲンを結合させたワクチンは、Th1型の免疫応答を誘導することやCry j 1アレルゲンと比較して、アレルゲン性が大幅に減弱していることから、減感作療法に代わるワクチンとして有効であると考えられる。

 上述したスギ花粉アレルゲンタンパクにCpG DNAを結合させたワクチンよりも、さらに安全性の高いワクチンの開発を目指して、T細胞エピトープにCpG DNAを結合させたワクチンの開発を行った。スギ花粉アレルゲンは、T細胞に反応するT細胞エピトープとIgE抗体と反応するB細胞エピトープが存在する。一般的にアレルゲン性のないT細胞エピトープをアレルギーに対するワクチンとして使用することにより、アレルゲン性がなくなり、接種による副反応の危険性も非常に小さくなると考えられている。さらに、副反応の危険がないため、減感作療法と比較して一度に大量のペプチドを接種できるため、治療期間も短くなると期待されている。

 そこでCry j 1のT細胞エピトープペプチド275YKKQVTIRIGSKTSSS290にCpG DNAを結合させたワクチン(CpG DNA-ペプチドワクチン)を作製し、マウスを用いてワクチンの有効性を検討した。このペプチドワクチン接種したマウスは、対照群と比較してCry j 1特異的にIgE産生を抑制する傾向が認められ、Cry j 1特異的にIgG2a産生を誘導する傾向も示された。また、サイトカイン産生においてもワクチン接種したマウスは、対照群と比較してCry j 1特異的にIFN-γ産生を誘導する傾向が見られたが、Cry j 1特異的なIL-4産生においては、すべての接種群で差は認められなかった。これらの結果により、ペプチドワクチン接種したマウスは、Th1型の免疫応答を誘導するIFN-γやIgG2aの産生が認められたことやIgE産生の抑制が見られたことから、Cry j 1特異的なTh1型免疫反応の誘導傾向があることが示された。ペプチドにCpG DNAを結合させたワクチンはこれまで報告されていないが、本研究で用いたCpG DNA結合ペプチドワクチンはTh1型免疫反応の誘導能を有し、さらに副反応が起こりにくいワクチンとしてスギ花粉症の治療に対しての有効性が示唆された。

 スギ花粉症は、サルやイヌにおいても自然発症することが報告されている。スギ花粉症を自然発症したイヌにおいては、スギ花粉症特有の鼻炎症状を示すことは少なく、アレルギー性皮膚炎が主な症状となっている。マウスにおいては、スギ花粉症症状を伴うモデルの報告がなく、これまではスギ花粉特異的なIgE抗体およびサイトカイン産生でその治療法の評価を検討してきた。そのため、これらの動物はスギ花粉症の治療研究の動物モデルとして、大いに期待されている。実際に、スギ花粉アレルゲン遺伝子を組込んだプラスミドがDNAワクチンとしてスギ花粉症自然発症犬に接種され、スギ花粉症症状の改善に効果があることが報告されている。CpG DNAを結合させたペプチドワクチンの検討をイヌの花粉症モデルにおいて行うためには、イヌにおけるエピトープ解析が必要である。すでに、イヌにおけるCry j 1のT細胞エピトープ解析研究が報告されているが、Cry j 2のT細胞エピトープ、Cry j 1およびCry j 2のシークエンシャルなB細胞エピトープについてはまだ報告されていない。

 これらのT細胞およびB細胞エピトープを解析することにより、イヌにおいてスギ花粉症を抑制するペプチドワクチンの開発が可能になると考えられた。本研究においてはその予備的研究として、スギ花粉アレルゲン感作犬におけるスギ花粉アレルゲンのシークエンシャルなB細胞エピトープを解析した。最初に、Cry j 1およびCry j 2アレルゲンにおけるオーバーラッピングペプチドを作製し、スギ花粉感作犬の血清中IgEとの反応性を検討した。その結果、実験的スギ花粉感作犬12頭の血清中IgEはCry j 1およびCry j 2由来のすべてのペプチドにおいて、IgE反応性を示さなかった。そのため、これらのスギ花粉感作犬において、Cry j 1とCry j 2のシークエンシャルなB細胞エピトープは存在しない可能性が示唆された。これまでに、ヒトやサルにおいては、Cry j 1のシークエンシャルなB細胞エピトープの報告はないが、BALB/cマウスにおいてCry j 1のB細胞エピトープが同定され,145VHPQDGDA152であることが報告されている。このマウスのB細胞エピトープは、T細胞エピトープと異なっていた。一方、ヒトのスギ花粉症患者、サル、マウスにおいてペプチド124KWVNGREI131がCry j 2のB細胞エピトープとして報告されている。このB細胞エピトープもヒト、サル、マウスにおいてT細胞エピトープと異なっていた。

 本研究で作製したCpG DNA結合スギ花粉アレルゲンワクチンおよびCpG DNA結合ペプチド接種において、Th1型の免疫反応を誘導することが示され、またアレルギーを誘導するTh2型の免疫応答を抑制することも示唆された。さらに、CpG DNA結合ペプチドワクチンの有効性をスギ花粉症犬で検討するために、スギ花粉アレルゲン感作犬においてCry j 1およびCry j 2のB細胞エピトープを解析したところ、シークエンシャルなエピトープが存在しない可能性が示唆された。近年、スギ花粉アレルゲンと生体との免疫学的反応性の研究が飛躍的に進んできた。さらに、自然発症のスギ花粉症ニホンザルやイヌの研究が進み、治療に対するモデル動物として用いられ始めた。スギ花粉症の治療においてブレイクスルーとなる、安全で簡便な根治的治療法の開発の条件が整ってきたと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、スギ花粉アレルゲンに特異的な免疫反応を利用した基礎的研究成果から、スギ花粉症の新しい治療および予防法について論じている。スギ花粉症はアレルギー疾患の一つであるが、現在の治療の中心は薬物療法である。唯一の根治的な治療法として、スギ花粉アレルゲン抽出液を注射する減感作療法がある。しかしこの減感作療法は長期にわたる頻回の注射が必要であること、投与後アナフィラキシーショックのような全身性のアレルギー副反応が起こることなどの欠点がある。そのため、簡便かつ安全な新しい治療用ワクチンの開発が望まれている。Th1型の免疫応答を誘導するCpG DNAに着目し、これをスギ花粉の主要アレルゲンタンパク質、Cry j 1およびCry j 2に結合させたワクチンの有効性について主に検討している。論文は序論に続き、四章で構成されている。

 序論では、我が国におけるスギ花粉症の現状、その発症メカニズム、現在行なわれている治療法の有効性と限界について論じている。アレルギーがT細胞の機能に依存し、Th1およびTh2細胞のバランスが最も重要な点としている。アレルギー抑制にはTh1型免疫反応の誘導が大切で、スギ花粉アレルゲンにTh1型の免疫応答を誘導するCpG DNAを直接結合したワクチンの可能性を論じ、本研究の目的を明確にしている。

 第1章では、CpG DNAにスギ花粉アレルゲンを結合したワクチンの有効性をマウスを用いて検討し、その有効性を示した。CpG DNA-Cry j 1でナイーブマウスの脾臓細胞刺激すると顕著にIL-12の産生が誘導された。このワクチンのアレルゲン性はCry j 1と比較したところ、約1/50であった。CpG DNAを結合させることにより、Cry j 1のアレルゲン性が著しく低下した。このワクチンを接種したマウスは、有意にCry j 1特異的にIgE産生を抑制し、IgG2a産生を誘導した。さらにCry j 1特異的に脾臓細胞のIL-5産生の抑制とIFN-・の産生の誘導が認められた。これらの結果は、Cry j 1特異的にTh1型の免疫反応が誘導されることを示している。CpG DNAにアレルゲンを結合させたワクチンは、Th1型の免疫応答を誘導することやCry j 1アレルゲンと比較して、アレルゲン性が大幅に減弱していることから、有効な治療法および予防法への可能性を示した。

 第2章では、T細胞エピトープにCpG DNAを結合させたワクチンの開発を行った。一般的にアレルゲン性のないT細胞エピトープをワクチンとして使用することにより、接種による副反応の危険性も小さくなると考えられている。Cry j 1のT細胞エピトープペプチドにCpG DNAを結合させたワクチンを作製し、マウスを用いて有効性を検討した。このペプチドワクチン接種したマウスは、Cry j 1特異的にIgE産生を抑制し、IgG2a産生を誘導した。また、IFN-・産生を誘導するが、IL-4産生には影響がなかった。これらの結果はTh1型免疫反応の誘導を示している。これまでに、ペプチドにCpG DNAを結合させたワクチンの報告はない。本研究で初めてCpG DNA結合ペプチドワクチンがTh1型免疫反応の誘導能のあることを示した。副反応が起こりにくいワクチンとしてスギ花粉症の治療への有効性が示唆された。

 第3章では、スギ花粉症感作犬を用いて、Cryj 1とCryj 2のB細胞エピトープについて論じている。イヌはスギ花粉症を自然発症するが、ヒト特有の鼻炎症状を示すことは少なく、アレルギー性皮膚炎が主な症状である。マウスはスギ花粉症症状を伴わず、花粉特異的なIgE抗体およびサイトカイン産生でその治療法を評価してきた。そのため、イヌはスギ花粉症の治療研究のモデルとして期待されている。しかし、イヌにおけるCryj 1およびCry j 2のシークエンシャルなB細胞エピトープについてはまだ明らかになっていない。スギ花粉感作犬におけるアレルゲンのシークエンシャルなB細胞エピトープを解析した。Cry j 1およびCry j 2アレルゲンのオーバーラッピングペプチドを作製し、スギ花粉感作犬の血清中IgEとの反応性を検討した。実験的スギ花粉感作犬12頭の血清中IgEはいずれのペプチドにおいて、IgE反応性を示さなかった。イヌにおけるCryj 1およびCryj 2のシークエンシャルB細胞エピトープは存在しない可能性が示された。

 第4章で本研究を総括し、CpG DNA結合スギ花粉アレルゲンおよびペプチド接種が、Th1型の免疫反応を誘導し、Th2型の免疫応答を抑制する機構についてまとめている。また、治療法および予防法としての本ワクチンの有効性について論じている。さらに、犬におけるCry j 1およびCry j 2のB細胞エピトープ解析の結果を踏まえ、動物種によるアレルギー反応の多様性と今後の研究の問題点を提示している。

 以上、本論文はCpG DNA結合スギ花粉アレルゲンのワクチン有効性を明らかにし、新しい免疫療法の可能性を示している。学術上および応用上の貢献は少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク