学位論文要旨



No 120214
著者(漢字) 福嶋,俊明
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,トシアキ
標題(和) インスリン様成長因子の細胞増殖活性を調節するシグナル分子複合体の新しい機能の解析
標題(洋)
報告番号 120214
報告番号 甲20214
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2897号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 西原,真杉
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

 成長因子のシグナル伝達において、タンパク質チロシンリン酸化は、伝達系の初期段階で中心的な役割を果たす。すなわち、成長因子が細胞膜上の受容体に結合すると、受容体内蔵型チロシンキナーゼが活性化し、受容体自体や基質タンパク質がチロシンリン酸化される。続いて、これらのタンパク質のチロシンリン酸化モチーフにSH2ドメインを有するシグナル分子が結合し、それを契機に下流シグナル経路が活性化される。インスリン様成長因子(IGF)のシグナル伝達もこの例にもれず、IGF-I受容体キナーゼによる受容体基質(IRS)のチロシンリン酸化と、それに続くSH2ドメインを有するPI 3-kinase(PI3K)の結合・活性化などが、IGFの生理活性発現に重要な役割を果たす。

 IGFは、多くの細胞の増殖や分化を誘導する活性を有し、in vivo系では動物の成長に必須なホルモンである。IGFの特徴の一つは、その生理活性が他のホルモンや成長因子によって増強される点である。我々は、ラット甲状腺細胞FRTL-5において、甲状腺刺激ホルモン等によってcAMPシグナル伝達系をあらかじめ長時間活性化(cAMP前処理)すると、IGF-Iの細胞増殖活性が増強されることを見出し、この分子機構の解明を進めてきた。その過程で、cAMP刺激に応答して125kDa付近の新規シグナル分子(p125)がチロシンリン酸化され、これがPI3Kと結合し、更にcAMP依存性PI3Kの活性化がIGF-Iの増殖活性の増強に必須であることを明らかにしてきた。一方、我々は、cAMP前処理がIGF-I刺激に応答したIGF-I受容体キナーゼの活性化に影響しないにも関わらず、IGF-I依存性のIRS-2チロシンリン酸化を増強し、その結果IRS-2に結合するPI3Kが著しく活性化し、このIGF-I依存性PI3K活性化が相乗的な増殖誘導に必須な役割を果たすことも見出している。

 そこで、本研究では、このモデル細胞を用いて、p125やIRS、IGF-I受容体などのチロシンリン酸化タンパク質を介して形成されるPI3Kを含むシグナル分子複合体の活性の調節について明らかにし、これらの複合体がcAMPシグナルとIGFシグナルによる細胞周期進行の制御に果たす役割を解明することを目的とした。

1)cAMP刺激およびIGF-I刺激に応答した細胞周期制御因子の調節

 G1期からS期への細胞周期進行には、Cyclin D、Eの増加とp27Kip1など抑制因子の減少による、CDKの活性化が必須である。そこで、cAMP前処理後IGF-Iで刺激した際に、これら細胞周期制御因子の量や活性がどう調節されるか解析した。その結果、Cyclin D1、EのIGF-I依存的な増加とp27Kip1のIGF-I依存的な減少が、cAMP前処理によって促進され、これらの変動によってCDKが相乗的に活性化、細胞周期がS期へ進行することが明らかとなった。そこで、cAMPとIGF-Iで刺激した際にみられるCyclin D1の相乗的増加とp27Kip1の相乗的減少の分子機構について解析したところ、Cyclin D1は、cAMP前処理によってIGF-I依存的なmRNAの増加が促進されると同時に、cAMP前処理によって翻訳活性が上昇する結果、相乗的なタンパク質の増加が起こることがわかった、これに対し、p27Kip1は、cAMP前処理によってIGF-I依存的なユビキチン化が増加し、その結果、著しく分解が促進されることが明らかとなった。

2)p125-PI3Kシグナル分子複合体が細胞周期進行の制御に果たす役割

 cAMP刺激に応答したPI3Kの活性化機構を明らかにするため、cAMP刺激に応答してチロシンリン酸化されPI3Kに結合する新規シグナル分子、p125の同定を行った。cAMP長時間処理した細胞の抽出液を抗リン酸化チロシン抗体で免疫沈降し、SDS-PAGEで分離後、PMF法によって同定した。pl25は膜局在に重要なPHドメインや多数のチロシンリン酸化モチーフを有する新規シグナル分子(AU041783)で、PI3KのSH2ドメインが結合するモチーフを有していた。

 次に、cAMP刺激に応答したPI3K活性化が細胞周期進行の制御に果たす役割を明らかにするため、cAMP前処理時にPI3K阻害剤を添加し、薬剤を除去後IGF-Iで刺激し、Cyclin D1のmRNA量やタンパク量、およびp27Kip1のユビキチン化やタンパク量の変動を解析した。その結果、阻害剤を加えることにより、cAMP前処理後のIGF-I刺激で著増するCyclin D1タンパク量が、IGF-I単独処理時のレベルまで低下することがわかった。この際Cyclin D1 mRNA量には阻害剤の影響がなかったことなどから、cAMP刺激に応答したPI3Kの活性化はCyclin D1の発現を翻訳段階で促進すると結論した。

3)IRS-2-PI3Kシグナル分子複合体が細胞周期進行の制御に果たす役割

 次に、cAMP前処理によるIGF-I依存性IRS-2チロシンリン酸化の増強機構を解析した。まず、cAMP長時間処理した細胞のIRS-2を免疫沈降し、IGF-I受容体チロシンキナーゼを用いてin vitroでチロシンリン酸化したところ、cAMP処理しない場合に比べチロシンリン酸化が増強された。この結果から、IRS-2はcAMP処理によって何らかの修飾を受け、IGF-I-I受容体によってチロシンリン酸化されやすくなることが明らかとなった。次に、cAMP処理した細胞の抽出液をゲル濾過クロマトグラフィーで分離したところ、IRS-2は700kDa以上のタンパク複合体を形成していることを見出した。また、IRS-2免疫沈降物を高塩濃度の緩衝液で処理してタンパク複合体を分離し、その後in vitroチロシンリン酸化反応に供すると、cAMP処理によるチロシンリン酸化の増強がなくなった。これらの結果は、IRS-2のチロシンリン酸化の増強にはIRS-2を介したタンパク複合体の形成が必須であることを示している。そこで、cAMP処理によってIRS-2と相互作用する分子の同定を試みた。cAMP処理した細胞よりIRS-2を免疫沈降し、共沈降するタンパク質をPMF法によって同定した。その結果、ユビキチンリガーゼNedd4など複数のタンパク質がIRS-2と相互作用することが明らかとなった。特に、Nedd4はアダプター分子Grb10を介してIGF-I受容体と相互作用することが報告されているので、cAMP刺激に応じたNedd4とIGF-I受容体、Nedd4とIRS-2の相互作用について調べた。その結果、Nedd4とIGF-I受容体の相互作用はcAMP刺激の有無に関わらずみられたが、IRS-2との相互作用はcAMP刺激により増加した。これらの結果は、cAMP刺激に応答してNedd4がIRS-2をIGF-I受容体にリクルートし、IRS-2のチロシンリン酸化を増強する可能性を強く示している。他の結果も併せ、cAMP長時間刺激に応答してNedd4などとIRS-2の相互作用やIRS-2のセリンリン酸化がおこり、IRS-2は、よりIGF-I-I受容体にチロシンリン酸化されるようになると結論した。

 続いて、IGF-I刺激に応答したPI3K活性化が細胞周期進行の制御に果たす役割を明らかにするため、cAMP前処理後、IGF-I処理時にPI3K阻害剤を添加し、Cyclin D1のmRNA量やp27Kip1のユビキチン化などに及ぼす影響を解析した。その結果、IGF-I刺激に応答したPI3Kの活性化は、Cyclin D1 mRNAの増加やP27Kip1のユビキチン化に必須であることが明らかとなった。Cyclin D1のmRNAの増加やp27Kip1のユビキチン化がIRS-2のチロシンリン酸化とよく相関することを併せ、IRS-2下流のPI3Kシグナルがこれらの変動を引き起こすと考えられた。

4)IGF-I受容体-PI3Kシグナル分子複合体が細胞周期進行の制御に果たす役割

 IGF-I刺激によるIRSのチロシンリン酸化は一過的で、刺激後数分で脱リン酸化により基底レベルに戻るが、対照的に、IGF-I受容体のチロシンリン酸化はG1期にわたって持続することを見出した。この際、チロシンリン酸化したIGF-I受容体にPI3Kが直接結合し、IGF-Iに依存した長期のPI3K経路の活性化を引き起こしていることが明らかとなった。

 このIGF-I刺激による長期PI3K活性化が細胞周期進行の制御に果たす役割を明らかにするため、IGF-I処理時間の途中でIGF-Iを培養液から除去、あるいはPI3K阻害剤を添加すると、G1後期にCyclin D1が高いレベルで維持できなくなり、S期への進行が阻害されることがわかった。他の結果も併せると、IGF-Iに依存してIGF-I受容体が持続的にチロシンリン酸化され、これに結合するPI3Kの活性化がG1期にわたって続き、この活性化がG1後期のCyclin D1のレベルを維持することが、S期への細胞周期進行に必要であると考えられた。

 このように、本研究では、p125、IRS-2、IGF-I受容体という異なるチロシンリン酸化タンパク質がPI3Kを含むシグナル分子複合体を形成し、これらが合目的的に連携して機能することによりcAMPシグナルとIGFシグナルの合流による細胞周期進行が可能となる、という全く新しい機構を明らかにすることができた。

審査要旨 要旨を表示する

 インスリン成長因子(IGF)は、多くの細胞の増殖や分化を誘導する活性を有し、in vivo系では動物の成長に必須なホルモンである。IGFの特徴の一つは、その生理活性が他のホルモンや成長因子によって増強される点である。ラット甲状腺細胞FRTL-5は、甲状腺刺激ホルモン等によってcAMPシグナル伝達系をあらかじめ長時間活性化(cAMP前処理)すると、IGFの細胞増殖活性が増強されることが見出されており、IGFシグナルの増強機構を明らかにするためには、格好の細胞モデルと考えられている。そこで、本論文は、FRTL-5細胞を用いて、cAMP前処理に応答して起こるIGFの増殖誘導活性の増強の分子機構を、チロシンリン酸化タンパク質を介して形成されるシグナル複合体の機能の観点から明らかにしたもので、序章、本論が4章、そして、総合討論からなる。

 まず、序章では、本研究の背景および意義を概説し、本研究の目的と本論文の構成について述べている。

 G1期からS期への細胞周期進行には、cyclin D、Eの増加とp27Kip1など抑制因子の減少による、cyclin-dependent kinase(CDK)の活性化が必須であることが知られている。そこで、第一章では、cAMP前処理後IGF-Iで刺激した際に、これらの細胞周期制御因子の量や活性がどう調節されるか解析している。その結果、cyclin D1、EのIGF-I依存的な増加とp27Kip1のIGF-I依存的な減少が、cAMP前処理によって促進され、これらの変動によってCDKが相乗的に活性化、細胞周期がS期へ進行することが明らかとなった。

 FRTL-5細胞を用いたこれまでの研究で、cAMP長時間刺激に応答してPI3-kinase(PI3K)が活性化され、この活性化がcAMP前処理によって起こるIGF-Iの増殖誘導活性の増強に重要な役割を果たしていることが明らかにされている。そこで、第二章では、このPI3K活性化機構を明らかにするために、cAMP刺激に応答してチロシンリン酸化されPI3Kに結合する新規シグナル分子、p125の同定を行った。その結果、p125は、膜局在に重要なPHドメインや多数のチロシンリン酸化モチーフを有する新規シグナル分子(AU041783)で、PI3KのSH2ドメインが結合するモチーフを有していることが明らかとなった。また、PI3K阻害剤を用いた解析から、cAMP長時間刺激によって活性化されるPI3Kは、cyclin D1の発現を翻訳段階で促進することを見出した。

 FRTL-5細胞では、cAMP前処理によって、IGF-I受容体キナーゼ基質のひとつ、IRS-2のIGF-I依存性チロシンリン酸化が増強されることがわかっており、第三章では、IRS-2のチロシンリン酸化増強機構とその生理的意義について検討している。その結果、IRS-2は、cAMP経路の長時間刺激に応答して、セリンリン酸化される、更に、ユビキチンリガーゼNedd4など複数のタンパク質と相互作用し、これらの修飾により、IRS-2は、よりIGF-I受容体にチロシンリン酸化されるようになることを発見した。IRS-2のチロシンリン酸化の増強は、チロシンリン酸化されたIRS-2と相互作用しているPI3Kの活性化の増強を誘導するが、このPI3K活性化は、cyclin D1 mRNAの増加、そして、p27Kip1のユビキチン化による分解促進に必須であることが明らかとなった。

 第四章では、IGF-I受容体と相互作用するPI3Kの役割について解析している。まず、IGF-I刺激によるIRSのチロシンリン酸化は一過的であるが、IGF-I受容体のチロシンリン酸化はG1期にわたって持続することを見出した。この際、チロシンリン酸化したIGF-I受容体にPI3Kが直接結合し、IGF-Iに依存した長期のPI3K経路の活性化を引き起こす。このPI3Kの活性化により、G1後期のcyclin D1のレベルが維持され、S期への細胞周期進行が可能になることが明らかとなった。

 総合討論では、それぞれのチロシンリン酸化タンパク質を介して形成されるPI3Kを含むシグナル複合体の形成機構、特徴や生理的意義について考察している。

 このように、本研究では、p125、IRS-2、IGF-I受容体という異なるチロシンリン酸化タンパク質がPI3Kを含むシグナル分子複合体を形成し、これらが連携して機能することによりcAMPシグナルとIGFシグナルの合流による細胞周期進行が可能となる、という新しい機構をはじめて明らかにしたもので、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位として価値あるものと認めた。

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