学位論文要旨



No 120215
著者(漢字) 矢田,英理香
著者(英字)
著者(カナ) ヤダ,エリカ
標題(和) 骨格筋内脂肪蓄積機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 120215
報告番号 甲20215
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2898号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 小川,博之
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 田中,智
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
内容要旨 要旨を表示する

 骨格筋は多核の筋線維が束になった構造を有する。正常骨格筋の横断面を観察すると、ほとんど筋線維で埋め尽くされているが、筋ジストロフィーや加齢に伴う骨格筋減弱症では、いわゆる"筋線維の脂肪置換"や"間質の脂肪化"とよばれる現象、すなわち筋線維間に脂肪細胞が多数出現することが知られている。また、筋線維間に脂肪細胞が多数出現するという現象は霜降り肉でも見られる。

 生体の様々な組織には組織特異的幹細胞とよばれる細胞集団が存在しており、当該組織の恒常性維持や修復に重要な役割を演じている。筋線維上には筋衛星細胞とよばれる細胞が存在している。この細胞は通常休止状態にあり、特定の細胞系譜に特異的なマーカーの発現は見られないものの、筋線維が損傷すると、損傷部位に近傍の筋線維上の筋衛星細胞が活性化され、分裂増殖を開始する。活性化された筋衛星細胞は筋細胞への決定を受けて筋芽細胞となり、筋芽細胞は最終分化を遂げて融合し多核の筋管細胞となる。筋管細胞はその後、成熟して筋線維となり再生が完了する。これらのことから、筋衛星細胞は筋細胞になることが運命づけられた一種の組織特異的幹細胞であると考えられてきたが、近年の研究により、特定の培養条件下では脂肪細胞、骨細胞、軟骨細胞へも分化する、いわゆる多能性幹細胞としての性質をも併せもつことが明らかとなっている。従って、ある種の条件下で骨格筋内に出現する脂肪細胞は、もともと骨格筋内に存在する筋衛星細胞が何らかの機構により脂肪分化したものである可能性が極めて高い。しかし、生体内で筋衛星細胞の多分化能がいかにして制御されているかについては不明である。そこで本研究では、筋衛星細胞の多分化能のうち、脂肪分化能に着目し、生体内におけるその制御機構を明らかにすることを目的とした。

第1章 筋衛星細胞の初代培養を用いた脂肪分化能評価系の確立

 まず、初代培養の筋衛星細胞が脂肪分化能を有することを確認するとともに、脂肪分化能を定量的に評価する系を確立することを目的として実験を行った。成熟雄ラット(8〜10ヶ月齢以上)の背部及び後肢骨格筋から酵素処理により筋衛星細胞を採取した。筋衛星細胞の初代培養は10%ウシ胎子血清を含む培地(通常培地)で培養した場合、その90%以上が筋細胞マーカー(M-cadherin、desmin、MyoD)を発現しており、培養期間の経過とともにミオシン重鎖陽性を示す多核の筋管細胞が多数出現した。一方、通常培地にインスリン、デキサメタゾン、IBMXを添加した培地(脂肪分化誘導培地)で10日間培養すると、多くの細胞は筋管細胞へと分化したものの、細胞内にオイルレッドO陽性の脂肪滴を含む細胞が新たに出現した。これらの細胞は脂肪細胞のマーカーであるPPARγ、C/EBPαに対する抗体を用いた免疫染色によっても陽性を示し、なおかつPPARγアイソフォームのうち脂肪細胞特異的といわれるPPARγ2の遺伝子発現量も増加していたことから、確かに脂肪細胞であると結論された。また、脂肪前駆細胞株3T3-L1において脂肪分化を促進するPPARγアゴニストであるトログリタゾンを脂肪分化誘導培地に添加して筋衛星細胞を培養したところ、トログリタゾン無添加時に比べてオイルレッドO、PPARγ、C/EBPα陽性細胞のいずれもが有意に増加したことから、筋衛星細胞の脂肪分化は、脂肪前駆細胞が脂肪細胞へと分化するのと共通の機構によるものであると推察された。一方、筋衛星細胞の細胞株として、筋分化の研究にしばしば用いられるマウス筋衛星細胞由来のC2C12や、ラット筋衛星細胞由来のL6を脂肪分化誘導培地にて培養した場合にはトログリタゾン存在下であっても、脂肪細胞の出現は見られなかった。これらの細胞は筋への分化能を指標に選抜されてきたものであり、生体内における筋衛星細胞の脂肪分化能を評価する上では適当ではないと考えられた。

 次に、採取直後には休止状態にある筋衛星細胞が、筋細胞へと分化が決定されたのちに脂肪分化誘導した場合にも脂肪細胞が出現するかについて検討する目的で、通常培地で48時間培養することにより活性化、筋細胞への決定を誘導してから、脂肪分化誘導を行った。この実験条件下でも脂肪細胞は依然として出現し、その出現率も採取直後の筋衛星細胞を脂肪分化誘導した場合と同程度であった。筋衛星細胞の初代培養では脂肪分化誘導により脂肪細胞が出現した条件下でも依然として筋管細胞の形成が見られたこととこの結果から、筋衛星細胞の初代培養には脂肪分化能を有するものや筋分化能しか有さないものといった、潜在的に異なる分化能を持つ細胞集団が混在している可能性が高いと考えられた。

第2章 筋衛星細胞の脂肪分化に影響する因子の解析

 一般に幹細胞の分化は、それが存在する周囲の環境に大きく依存する。従って、筋衛星細胞が骨格筋内に存在する多能性幹細胞であることを考慮すれば、その分化能には周囲に存在する筋線維が影響している可能性が高い。事実、霜降り肉を例に挙げれば、脂肪交雑の生じやすい筋と生じにくい筋が見られる。そこで、本章では筋衛星細胞の脂肪分化が、それが由来する骨格筋により異なるかどうかについて、まず検討した。成熟雄ラット(14ヶ月齢)の背部骨格筋(背筋)、後肢骨格筋であるヒラメ筋、長趾伸筋、前脛骨筋、大腿四頭筋それぞれから筋衛星細胞を採取し、トログリタゾンを添加した脂肪分化誘導培地中で培養した。その結果、オイルレッドOによる染色、C/EBPαの免疫染色いずれを指標にした場合にもヒラメ筋由来の筋衛星細胞で最も高頻度に脂肪細胞が出現し、背筋と長趾伸筋由来での出現は中頻度、前脛骨筋、大腿四頭筋由来では低頻度であった。筋衛星細胞を採取した各骨格筋の筋線維型の分布を調べたところ、遅筋型筋線維の割合と筋衛星細胞に脂肪分化を誘導した場合の脂肪細胞の出現率には極めて高い相関が見られた。また、ヒラメ筋、前脛骨筋それぞれに由来する筋衛星細胞の脂肪分化能の違いは、2日齢の雄ラットや2ヵ月齢、9ヶ月齢の雄ラットを用いた場合でも同様であった。ここで筋衛星細胞を脂肪分化誘導処置することにより脂肪細胞が出現する条件下でも、依然として筋管細胞の形成が見られたことと、脂肪分化能をもつ筋衛星細胞の占める割合と筋衛星細胞が由来する骨格筋の遅筋型筋線維の割合との高い相関関係が示されたことから、脂肪分化誘導条件下で依然として形成される筋管細胞のミオシン重鎖のアイソフォームと脂肪細胞の出現率との間にも相関がある可能性を考えた。最も高い脂肪細胞の出現率が観察されたヒラメ筋由来の筋衛星細胞と、脂肪細胞の出現率が低かった前脛骨筋由来の筋衛星細胞を7日間、通常培地で培養し、形成された筋管細胞の筋線維型を遅筋型、速筋型ミオシン重鎖を認識する抗体を用いてそれぞれ免疫染色した。その結果、ヒラメ筋由来の筋衛星細胞から形成された筋管細胞では遅筋型、速筋型がそれぞれ同程度であったのに対して、前脛骨筋に由来する筋衛星細胞から形成された筋管細胞では、ほぼすべてが速筋型で、遅筋型はほとんど観察されなかった。以上の結果から、筋管細胞が存在する培養条件下では、筋管細胞に由来する液性因子を介して筋衛星細胞の脂肪分化が制御されている可能性が示された。

 これまでの結果から、本研究で用いた筋衛星細胞の初代培養には脂肪分化能の有無という点で異なる集団が混在している可能性、さらに、筋衛星細胞の脂肪分化が筋管細胞に由来する液性因子によって制御されている可能性が示された。前者については骨格筋に存在する筋衛星細胞をクローニングし、個々のクローンについての分化能を調べることにより明らかにできると考えられた。また、後者については、得られたクローンのうち脂肪細胞への分化能を有するものを用いることで、さらに詳細に検討することが可能であると考えられた。そこで、ヒラメ筋から筋衛星細胞を採取し、そのクローニングを試みたところ複数のクローンが得られた。筋分化能を示すクローンは得られなかったものの、脂肪分化能を示すクローンがいくつか得られた。このことは、筋衛星細胞はこれまでの考えとは異なり、すべてが筋細胞へと分化するわけではないことを示唆するものである。得られたクローンのなかでも特に2G11クローンは、脂肪分化誘導なしでも一部の細胞が脂肪分化マーカーを発現するという興味深い特徴を有していたため、これを用いて、筋衛星細胞の脂肪分化が筋管細胞に由来する液性因子により制御される可能性について検討した。その結果、前脛骨筋由来の筋衛星細胞から形成された筋管細胞の培養上清添加によりC/EBPα陽性細胞の割合は著しく減少した。一方、ヒラメ筋由来の筋衛星細胞から形成された筋管細胞の培養上清添加は、逆にC/EBPα陽性細胞の割合を著しく増加させた。この結果から、速筋型筋管細胞からは筋衛星細胞の脂肪分化を抑制する因子が、遅筋型筋管細胞からは筋衛星細胞の脂肪分化を促進する因子が産生されることが示唆された。

 以上、本研究により、骨格筋内に存在する筋衛星細胞は脂肪分化能という点において異なった集団から構成されていることが示された。また、脂肪分化能を有する筋衛星細胞の脂肪分化制御には、周囲に存在する筋線維の筋線維型が大きく関与し、その機構の一つが筋線維に由来する何らかの液性の脂肪分化制御因子によるものであることが判明した。今後、筋線維に由来する脂肪分化制御因子の本態を明らかにすることにより、筋ジストロフィーや加齢に伴う骨格筋減弱症等の各種筋疾患で見られる間質の脂肪化の阻止や、霜降り肉の効率的な生産など幅広い分野への応用が期待できると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 筋線維上には筋衛星細胞とよばれる細胞が存在し、筋線維が損傷すると活性化され、分裂増殖を開始する。活性化された筋衛星細胞は筋芽細胞となり、融合し多核の筋管細胞となる。このことから、筋衛星細胞は筋細胞になることが運命づけられた組織特異的幹細胞であると考えられてきたが、近年の研究により、特定の培養条件下では脂肪細胞、骨細胞、軟骨細胞へも分化する、多能性幹細胞としての性質をも併せもつことが明らかとなっている。しかし、生体内で筋衛星細胞の多分化能がいかにして制御されているかについては不明である。そこで本研究では、筋衛星細胞の多分化能のうち、特に脂肪分化能に着目し、生体内におけるその制御機構を明らかにすることを目的とした。

 まず第1章では、初代培養筋衛星細胞の脂肪分化能を定量的に評価する系を確立することを目的として実験を行った。成熟雄ラットの背部及び後肢骨格筋から採取した筋衛星細胞を通常培地で培養した場合、その90%以上が筋細胞マーカーを発現し、培養期間の経過とともに多核の筋管細胞が多数出現した。一方、脂肪分化誘導培地で10日間培養すると、多くの細胞は筋管細胞へと分化したものの、脂肪細胞のマーカー(PPARγ、C/EBPα)を発現し、オイルレッドO陽性の脂肪滴を含む細胞が新たに出現した。また、トログリタゾンを脂肪分化誘導培地に添加して筋衛星細胞を培養したところ、オイルレッドO、PPARγ、C/EBPα陽性細胞のいずれもが有意に増加した。一方、筋衛星細胞由来の細胞株であるC2C12およびL6を脂肪分化誘導培地にて培養した場合には、トログリタゾン存在下であっても脂肪細胞の出現は見られなかった。

 次に、筋衛星細胞を通常培地で48時間培養することにより活性化、筋細胞への決定を誘導してから、脂肪分化誘導を行った。この実験条件下でも脂肪細胞は依然として出現し、その出現率も採取直後の筋衛星細胞を脂肪分化誘導した場合と同程度であった。この結果から、筋衛星細胞の初代培養には脂肪分化能を有するものや筋分化能しか有さないものといった、潜在的に異なる分化能を持つ細胞集団が混在していることが示唆された。

 第2章では、筋衛星細胞の脂肪分化が由来する骨格筋により異なるかどうかについてまず検討した。背部骨格筋(背筋)、ヒラメ筋、長趾伸筋、前脛骨筋、大腿四頭筋それぞれから筋衛星細胞を採取し、脂肪分化誘導培地中で培養した結果、ヒラメ筋由来の筋衛星細胞で最も高頻度に脂肪細胞が出現し、背筋と長趾伸筋由来での出現は中頻度、前脛骨筋、大腿四頭筋由来では低頻度であった。各骨格筋の筋線維型の分布を調べたところ、遅筋型筋線維の割合と脂肪細胞の出現率には高い相関が見られた。そこで、最も高い脂肪細胞の出現率が観察されたヒラメ筋由来の筋衛星細胞と、脂肪細胞の出現率が低かった前脛骨筋由来の筋衛星細胞を7日間通常培地で培養し、形成された筋管細胞の筋線維型を遅筋型、速筋型ミオシン重鎖を認識する抗体を用いてそれぞれ免疫染色した。その結果、ヒラメ筋由来の筋衛星細胞から形成された筋管細胞では遅筋型、速筋型が同程度であったのに対して、前脛骨筋に由来する筋衛星細胞から形成された筋管細胞では、ほぼすべてが速筋型であった。以上の結果から、筋管細胞に由来する液性因子を介して筋衛星細胞の脂肪分化が制御されている可能性が示された。

 次に、ヒラメ筋から筋衛星細胞を採取し、そのクローニングを試みたところ複数のクローンが得られた。得られたクローンのなかでも特に2G11クローンは、脂肪分化誘導なしでも一部の細胞が脂肪分化マーカーを発現するという特徴を有していたため、これを用いて、筋衛星細胞の脂肪分化が筋管細胞に由来する液性因子により制御される可能性について検討した。その結果、前脛骨筋由来の筋衛星細胞から形成された筋管細胞の培養上清添加によりC/EBPα陽性細胞の割合は著しく減少した。一方、ヒラメ筋由来の筋衛星細胞から形成された筋管細胞の培養上清添加は、逆にC/EBPα陽性細胞の割合を著しく増加させた。

 以上、本研究により、骨格筋内に存在する筋衛星細胞は脂肪分化能という点において異なった集団から構成されていることが示された。また、脂肪分化能を有する筋衛星細胞の脂肪分化制御には、周囲に存在する筋線維の筋線維型が大きく関与し、その機構の一つが筋線維に由来する何らかの液性の脂肪分化制御因子によるものであることが判明した。本研究の結果は、筋ジストロフィーや加齢に伴う骨格筋減弱症等の各種筋疾患で見られる間質の脂肪化の阻止や、霜降り肉の効率的な生産など幅広い分野への応用が期待できると考えられ、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものとして認めた。

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