学位論文要旨



No 120216
著者(漢字)
著者(英字) Kremenska,Yuliya
著者(カナ) クレメンスカ,ユリヤ
標題(和) テラトーマ形成におけるエピジェネティックスに関する研究
標題(洋) Epigenetic Studies on Teratoma Formation
報告番号 120216
報告番号 甲20216
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2899号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 特任教授 八木,慎太郎
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 中山,裕之
 東京大学 助教授 田中,智
 東京大学 特任助教授 服部,中
内容要旨 要旨を表示する

序論

 幹細胞研究は再生不能な臓器や疾患の治療を目的とした再生医療の分野で注目されている。それは様々な疾患臓器の機能不全の補完に最適な分化多能性を持つ幹細胞がつくりだされることが期待されるからである。中でも、胚性幹細胞(ES細胞)は初期発生における全ての胚葉系細胞(内胚葉、外胚葉、中胚葉)に分化できる幅広い分化能を有するため、その研究に現在最も大きな期待が寄せられているが、反面、異常細胞の発生など大きな危険性も併せ持つ。そこで近年、再生医療分野での新しいアプローチとして成体に存在する幹細胞の研究が注目されている。成体幹細胞で最もよく研究されている造血幹細胞は骨髄に分布し、各種血球の前駆細胞および免疫細胞に分化できる。また、骨髄には骨髄間質幹細胞(BMSC:多能性成体前駆細胞)が存在し、この細胞はマウス胚盤胞への注入により脳を含む多くの胚体細胞系譜に分化しうる。成体臓器へ移植した際に、骨髄由来細胞が骨格筋細胞、心筋細胞、内皮細胞、肺、胃、皮膚、神経外胚葉細胞へ分化することがすでに確認されている。これらの細胞の再生医療への応用は秒読みの段階にあるが、その分化多能性や正常性はES細胞と併せてよく評価される必要がある。

 DNAメチル化は発生と細胞分化に必須であり、哺乳類では主に連続するCG二塩基配列(CpG配列)のシトシンにおこる。CpGアイランドと呼ばれる、CpG配列が密に存在する領域は、哺乳類のゲノム上では約半数の遺伝子の近傍に存在しているので、ゲノムワイドにCpGアイランドのメチル化状態を調べることによってゲノムワイドな遺伝子領域のメチル化を調べることができる。

 本研究では、再生医療への応用も視野に入れた幹細胞のエピジェネティック評価基準を示すために、ES細胞や成体幹細胞のような分化多能性を持つ幹細胞がどのようなDNAメチル化プロフィールを持つか、また、ES由来のEBおよびテラトーマが正常な発生段階と同様のエピジェネティック状態にあるかどうかをゲノムワイドなDNAメチル化解析によって評価した。

第一章 テラトーマ形成においてES細胞は異常な分化様式を示す

 第一章では、まずES細胞由来テラトーマの形態的および遺伝子発現解析を行った。ES細胞から胚様体(EB; embryoid body)への分化過程は初期胚の分化過程をよく模倣しているとされ、哺乳類の初期発生における細胞系譜決定の試験管内モデルとして利用されている。また、ES細胞および胚性生殖細胞は腹腔内でテラトーマを形成する能力を持つ。幹細胞の分化能の体系的な評価方法がないために、従来まではテラトーマ形成能がES細胞の分化能の指標として示されてきたが、本来テラトーマは偶発的な分化の連続による不規則な分化細胞の集まりである。これら分化モデルが本当に自然発生過程のモデルとなりうるかどうかについても慎重に検討する必要がある。マウスの腹腔内に形成されたテラトーマには、内胚葉、外胚葉および中胚葉系細胞をそれぞれ含む、少なくとも12種の分化細胞が存在した。その中には、形態および遺伝子発現から、次に示すように異常なものも含まれた。まず、腫瘍性細胞である腎芽腫細胞がみとめられた。また、テラトーマ中に栄養膜巨細胞様の細胞が見られ、この細胞が巨細胞特異的遺伝子であるPL-1と海綿状栄養膜細胞およびグリコーゲン細胞特異的な遺伝子であるTpbpを共発現していることを発見した。さらに、テラトーマでは多分化マーカー遺伝子であるOct-4が高発現していた。このようにES細胞のテラトーマへの分化の結果として、正常発生では見られないような異常な細胞分化が起こることが示された。さらに、形成されたテラトーマのNotIを指標としたRLGS法を用いたDNAメチル化解析により、異常なメチル化状態を持つ領域の存在が認められた。

第二章 ES細胞とBMSCの分化可能性の違いはゲノムワイドDNAメチル化状態の違いにより定義できる

 第一章ではES細胞におけるCpGアイランドのDNAメチル化状態は領域および細胞の分化状態に特異的なパターンを示すことを明らかにした。CpG配列は組織特異的遺伝子のプロモーター領域にも存在し、そのメチル化は主に発現を抑制することで、遺伝子発現の可能/不可能に影響する。発生および細胞分化過程はDNA配列の変化を伴わないが、ゲノムワイドなDNAメチル化状態はそれらの各段階において刻々と変化し、分化状態に特異的なゲノムDNAメチル化プロフィールを形成する。従って、細胞特異的マーカー遺伝子の発現解析や形態の評価だけではなく、ゲノムワイドにDNAメチル化状態を調べることが分化状態の評価として適していると考えられる。

 さて、ES細胞とBMSCはともに様々な体細胞に分化できるが、それらの分化能には相違点と類似点がある。まずBMSCからのテラトーマ形成を試みたが、テラトーマは形成されなかった。よって、テラトーマ形成の可否はES細胞とBMSCの相違点の1つであるといえる。一方、BMSCから、試験管内で神経細胞、星状細胞および乏突起神経膠細胞の前駆細胞であるclonogenic神経幹細胞様への分化を誘導した。形態および遺伝子マーカー発現により、誘導された細胞がES細胞由来神経細胞と同様の特徴を持つことを示した。

 そこで、2種の幹細胞をもちいて、RLGS法によるゲノムワイドなDNAメチル化状態の解析を行った。BMSCでES細胞と異なるメチル化状態を持つ領域(T-DMR)が、解析した既知のT-DMR259領域中85領域発見された。従って、この85領域のメチル化状態が、2種の幹細胞の分化能の相違に関与していると考えられる。

第三章 T-DMRはテラトーマ形成における分化異常の指標となる

 第一章で観察されたような分化異常が起こることから、ES細胞がテラトーマを形成する過程で起こる現象は、正常な胚発生と異なっている可能性がある。また、第二章に見られたように、キメラ胚では同じ細胞種に分化できる各幹細胞のDNAメチル化状態に差があることから、テラトーマ形成に伴うDNAメチル化状態の変化は、正常な細胞分化過程における変化様式と異なっている可能性がある。そこで第三章ではCpGアイランドにおけるDNAメチル化状態のゲノムワイドな解析により、正常発生とモデル発生過程それぞれにおけるES細胞の段階特異的なメチル化パターンの変遷を調べた。

 その結果、ES細胞から胎仔および成体組織への正常な発生過程とES細胞からEBを経てテラトーマへと分化するモデル発生過程との比較で、13箇所のT-DMRにおいて全く逆のメチル化状態を示すことを見出した。このうちのひとつは、全ゲノム配列データを用いた模擬的RLGS法(Vi-RLGS)によって、Non-erythroid alphaII-spectrin遺伝子領域であることがわかった。この遺伝子の転写開始領域にCpGアイランドが存在し、RT-PCRによりこのT-DMRのメチル化状態が遺伝子発現に影響することを確認した。以上、正常発生とモデル発生過程のDNAメチル化状態の変化を比較することにより、ES細胞分化の評価基準となるT-DMRを同定することができた。

総論

 本研究は、正常な胚体細胞系譜であるとされるES細胞から、従来分化モデルとされてきたテラトーマ形成の過程で、通常は起こらない異常な細胞への分化の結果、腎芽腫細胞や栄養膜細胞などが生じること、未分化マーカー遺伝子の異常な発現が起こることを示し、ES細胞が分化誘導方法によって正常発生と異なる分化過程を経ることを示した。また、同じES細胞を起点としてEBからテラトーマに至るモデル発生過程の各段階におけるゲノムDNAメチル化パターンの変化は、ES細胞と正常に発生した胚体、成体を比較した際のメチル化パターンの遷移と異なることが明らかになった。DNAメチル化改変が自然発生と異なる様式で起こることから、細胞の分化能も変化し、予期しない細胞分化が起こっていることが考えられる。従ってDNAメチル化の観点からは、テラトーマ形成は忠実な胚発生モデルとは言い難い。

 本研究では、多分化幹細胞であるES細胞とBMSCの間の、分化能の相違点(テラトーマ形成能)および類似点(神経幹細胞への分化)を示した。ES細胞とBMSCをゲノムワイドなDNAメチル化状態において比較すると、異なるメチル化状態を示すT-DMRが多く見出され、これはテラトーマ形成能を含むES細胞とBMSCの分化能の違いに関与していると考えられる。また、Non-erythroid alphaII-spectrin遺伝子領域を含む13領域を、今後ES細胞の正常な分化を判定するためのDNAメチル化のチェックポイントとして提示した。再生医療への応用を考えると、ES細胞だけでなく他の成体幹細胞も視野に入れて解析を行い、より適した幹細胞を探求していく必要がある。本研究において初めて示されたBMSCのゲノムワイドなメチル化パターンは、今後の再生医療に関する研究において、成体幹細胞のエピジェネティック解析の基盤として貴重な情報となる。本研究は、ゲノムワイドなDNAメチル化情報が細胞の分化可能性の判断基準として重要であることを示し、判断基準となる有用な基盤情報を示した。

審査要旨 要旨を表示する

 幹細胞研究は再生不能な臓器や疾患の治療を目的とした再生医療の分野で注目されている。中でも、胚性幹細胞(ES細胞)は初期発生における全ての胚葉系細胞(内胚葉、外胚葉、中胚葉)に分化できる幅広い分化能を有するため、ES細胞の研究に現在最も大きな期待が寄せられている。同様に、再生医療分野での新しいアプローチとして成体に存在する幹細胞の研究も注目されている。成体幹細胞で最もよく研究されている造血幹細胞は骨髄に分布し、各種血球の前駆細胞および免疫細胞に分化できる。また、骨髄には骨髄間質幹細胞(BMS細胞:多能性成体前駆細胞)も存在し、成体臓器へ移植した際に、骨格筋細胞、心筋細胞、内皮細胞、肺、胃、皮膚、神経外胚葉細胞へ分化することも報告されている。細胞の分化の基礎には、細胞の種類に依存した遺伝子発現の記憶の変化がある。DNAメチル化は哺乳類では主に連続するCG二塩基配列(CpG配列)のシトシンにおこることが知られている。多くの場合、メチル化されたゲノム領域は不活性となり、遺伝子発現の記憶装置の1つとなっている。本論文は、再生医療への応用も視野に入れた幹細胞のエピジェネティック評価基準を示すために、ES細胞や成体幹細胞のような分化多能性を持つ幹細胞がどのようなDNAメチル化プロフィールを持つか、また、ES細胞由来の胚様体(embryoid body,EB)およびテラトーマが正常な発生段階と同様のエピジェネティック状態にあるかどうかをDNAメチル化解析によって評価したもので、以下の3章より構成されている。

 第1章では、ES細胞由来テラトーマの形態的観察および様々なマーカー遺伝子の発現が調べられた。ES細胞からEBへの分化過程は初期胚の分化過程をよく模倣しているとされ、哺乳類の初期発生における細胞系譜決定の試験管内モデルとして利用されている。また、ES細胞および胚性生殖細胞は動物に移植することでテラトーマを形成する。マウスの腹腔内に形成されたテラトーマには、内胚葉、外胚葉および中胚葉系細胞をそれぞれ含む、正常細胞と思われる少なくとも12種の分化細胞が形態的観察で確認された。ところが、腎芽腫細胞や栄養膜巨細胞様の細胞など、明らかに異常細胞も含まれていた。これらの細胞について、細胞マーカーや分化マーカー遺伝子(Oct-4、PL-1、Tpbp遺伝子など)発現をしらべ、正常発生では見られないような異常な細胞分化が起こることが示された。また、CpGアイランドに焦点をあてたゲノムワイド解析で、ES細胞およびEBは特異的なDNAメチル化プロフィールを示すことが示された。

 第2章では、BMS細胞とES細胞の多分化能の比較が行われた。培養下では、BMS細胞は神経細胞、星状細胞および乏突起神経膠細胞の前駆細胞であるclonogenic神経幹細胞様細胞への分化が誘導され、ES細胞と同様な分化多能性の特徴を持つことが示された。しかし、ES細胞とBMS細胞のテラトーマ形成能を調べた結果、BMS細胞からはテラトーマは形成されないことが判明し、異常細胞の出現の可能性が低いことも示された。ES細胞とBMS細胞はともに様々な体細胞に分化できるが、それらの分化能には相違点と類似点が存在するのである。そこで、BMS細胞およびES細胞のゲノムワイドDNAメチル化プロフィールの解析が行われ、BMS細胞でES細胞と異なるメチル化状態を持つゲノム領域(T-DMR)として、既知の259領域のT-DMR中85領域が同定された。

 第3章ではES細胞から胎仔および成体組織への正常な発生過程とES細胞からEBを経てテラトーマへと分化するモデル発生過程におけるDNAメチル化プロフィール比較より、13領域のT-DMRにおいて逆のメチル化状態を示すことが見出された。このうちの1つのT-DMRは、全ゲノム配列データベースを基にしたコンピュータ上のRLGS法(Vi-RLGS)によって、Non-erythroid aII-spectrin遺伝子領域であることがわかった。この遺伝子の転写開始領域にCpGアイランドが存在し、RT-PCRによりこのT-DMRのメチル化状態が遺伝子発現に影響することが確認された。

 本研究では、ES細胞とBMS細胞の分化能およびゲノムワイドDNAメチル化情報に焦点をあて研究したもので、ES細胞とBMS細胞の分化に新たな概念を提供した。さらに、今後の再生医療に関する幹細胞研究において、エピジェネティック解析が基盤として貴重となることを示した。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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