学位論文要旨



No 120217
著者(漢字) 岡山,太郎
著者(英字)
著者(カナ) オカヤマ,タロウ
標題(和) 犬および猫におけるGfi-1(Growth factor independence-1)遺伝子に関する分子細胞生物学的研究
標題(洋) Molecular and Cellular Biological Studies on Gfi-1 (Growth factor independence-1) Gene in the Dog and Cat
報告番号 120217
報告番号 甲20217
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2900号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 西村,亮平
 東京大学 助教授 大野,耕一
内容要旨 要旨を表示する

 近年、診断技術の進歩と動物の寿命の延長の結果、腫瘍性疾患に罹患する動物が増加しており、小動物臨床において大きな問題となっている。犬や猫のコンパニオンアニマルとしての位置づけが確立されるにつれ、飼い主の動物に対する意識や獣医療に対する要求も変化してきている。動物のクオリティー・オブ・ライフの向上と余命の延長のため、腫瘍性疾患に対するより有効性の高い診断・治療技術の開発への要求度は益々高くなっていると言える。その実現のためには対象疾患の病態に関する詳細な理解が必要不可欠であり、小動物の獣医学においては、腫瘍発生における分子病態に関する研究が必要とされている。

 Gfi-1 (Growth factor independence-1) 遺伝子は、さまざまな標的遺伝子の転写を制御することにより、細胞の増殖や生存に関与するproto-oncogeneであることが知られている。その発現タンパクはzink-finger ファミリーに属する55 kDの転写因子であり、C-末端に存在する6つのzink-fingerモチーフにより塩基配列特異的に標的DNAに結合する。N-末端に存在するSNAGドメインはこの分子に特徴的なドメインであり、Gfi-1による転写制御活性に不可欠である。

 Gfi-1遺伝子は、当初、ラットのインターロイキン-2 (Interleukin-2,IL-2) 依存性リンパ系細胞株において、Moloney murine leukema virus (MoMuLV) の感染が細胞をIL-2非依存性に形質転換させる際に、MoMuLVのゲノムへのインテグレーションによってその発現が増強される標的遺伝子として単離された。その後、Gfi-1はリンパ系細胞の成長因子であるIL-2への細胞の依存性を低減させることや、シグナル伝達因子であるSTAT3の活性を抑制する因子であるPIAS3を抑制することにより、細胞増殖を促進することが示された。このように、マウスおよびラットといった実験動物において、Gfi-1は細胞のアポトーシスを抑制するとともにその増殖を促進する役割を果たすことによりリンパ系腫瘍発生の分子病態に関与することが示されている。

 一方、Gfi-1は通常の免疫細胞や血液細胞の分化および増殖においても重要な役割を果たすことが報告されている。Gfi-1遺伝子のノックアウトマウスでは骨髄球系および単球系細胞の分化の異常が認められるが、クロマチン免疫沈降法による解析の結果、Gfi-1は、細胞のアポトーシスや細胞周期の制御などに関わるさまざまな遺伝子の発現を統合的に制御することによって、骨髄球系細胞の分化を制御することが示された。さらにGfi-1は、造血幹細胞の増殖と分化を抑制することにより、その未分化な状態と自己複製能を保持することに重要な役割を果たすことが示された。

 そこで私は、小動物の腫瘍性疾患における分子病態の解明のため、犬および猫の腫瘍性疾患の発症機構におけるGfi-1の関与について以下のような一連の研究を行った。第1章では犬および猫におけるGfi-1遺伝子の分子クローニングを行い、さまざまな正常組織および腫瘍細胞株におけるGfi-1遺伝子の発現を検討した。第2章では、猫のIL-2依存性リンパ系細胞株を用い、さまざまな濃度のIL-2の存在下で培養を行うことにより、Gfi-1の機能を検討した。第3章では、遺伝子特異的に発現の抑制を引き起こすRNA干渉法を用い、犬の肥満細胞腫由来細胞株におけるGfi-1の機能を解析した。

第1章 犬および猫のGfi-1 遺伝子の分子クローニングとその発現

 Gfi-1は、様々な遺伝子の発現を制御することにより腫瘍発生や細胞の分化に関与することが知られている。犬および猫においてGfi-1遺伝子に関する研究を遂行するための基礎的知見を得るため、犬および猫のGfi-1遺伝子の分子クローニングを行った。はじめに、ヒト、マウスおよびラットのGfi-1 遺伝子の塩基配列において相同性の高い部分を基にしたプライマーを作成し、reverse transcription-polymerase chain reaction (RT-PCR) 法および3' および5'-rapid amplification of cDNA ends (RACE) 法により、犬および猫のGfi-1 遺伝子cDNAの全塩基配列を決定した。これらの遺伝子からコードされる犬および猫のGfi-1タンパクはいずれも422アミノ酸残基からなり、ヒト、マウスおよびラットのGfi-1タンパクと86.5 - 91.2%の相同性を示した。犬および猫のGfi-1タンパクにおいても、他の種において認められるSNAGドメインおよび6つのzink-fingerドメインが保存されていることが示され、犬および猫のGfi-1が他の種のそれらと同様の機能を有することが示唆された。次に、犬および猫のさまざまな正常組織と腫瘍細胞株から抽出したRNAを鋳型として、RT-PCR法によりGfi-1 遺伝子の発現を検討した。その結果、Gfi-1 遺伝子の発現は犬および猫の胸腺、リンパ節、脾臓、骨髄といったリンパ系および造血系組織において強く発現しており、これら組織において何らかの生理的な機能を担っていることが示唆された。また、犬および猫のリンパ腫細胞株においてもGfi-1 遺伝子の強い発現が認められ、犬と猫におけるリンパ腫の腫瘍発生への関与が示唆された。さらに、Gfi-1 遺伝子の発現は犬の肥満細胞腫、骨肉腫および乳腺腫瘍に由来する複数の細胞株においても認められた。本章における研究により、犬および猫のGfi-1 遺伝子に関する基礎的な知見が得られ、以下の研究を遂行することが可能となった。

第2章 猫のIL-2依存性リンパ系細胞株におけるGfi-1遺伝子の発現様式の解析

 リンパ腫は、猫において最も発症頻度の高い悪性腫瘍であり、小動物臨床における最も大きな問題の一つである。ネコ白血病ウィルス(Feline leukemia virus,FeLV)の感染によるリンパ腫については、比較的詳細にその分子病態が解析されており、FeLVによる外来myc遺伝子の導入またはFeLVのゲノムへの挿入によるmyc遺伝子の発現増強が腫瘍発生に寄与していることが報告されている。しかし、FeLVの感染によらないリンパ腫における腫瘍発生機構に関してはほとんど報告がない。そこで私は、マウスおよびラットにおいてリンパ腫発生への関与が示されているGfi-1のネコのリンパ系細胞における機能を、IL-2依存性のネコのリンパ系細胞株であるKumi-1をさまざまな濃度のIL-2の存在下で培養することにより検討した。IL-2を含まない培地でKumi-1細胞を2日間培養したところ、アポトーシスを起こした細胞集団とアポトーシスを免れた細胞集団が認められた。この時のGfi-1 遺伝子の発現をreal-time (RT-) PCR 法により定量した結果、IL-2非存在下においてアポトーシスを免れた細胞におけるGfi-1 遺伝子の発現量は、IL-2存在下の細胞におけるものよりも有意に高かった。このことから、Gfi-1はネコのリンパ系細胞のIL-2非存在下での生存に関わることが示唆された。さらに、アポトーシス関連遺伝子として知られているBaxおよびBcl-xLの発現をreal-time PCR 法により定量したところ、IL-2非存在下でアポトーシスを免れた細胞においてはIL-2存在下で培養した細胞と比べてBax遺伝子の発現量が増加していることが示されたが、Bcl-xL遺伝子に関しては両細胞集団の間にその発現量の差は認められなかった。以上のことから、Gfi-1は抗アポトーシスに働くBcl-xL遺伝子の発現を直接あるいは間接的に調節して保持することにより、Bax遺伝子の発現増強によって誘導されるアポトーシスに対して細胞に抵抗性を付与している可能性が示唆された。成長因子に依存せずに生存・増殖する性質は、腫瘍細胞が自立的な増殖能を獲得するために必要不可欠であるが、Gfi-1はネコのリンパ系細胞のIL-2非依存的な増殖を促すことにより、ネコのリンパ腫の腫瘍発生に関与するものと考えられた。

第3章 RNA干渉法を用いた犬の肥満細胞腫細胞株におけるGfi-1の機能の解析

 肥満細胞腫は、犬の皮膚に発生する腫瘍の11 - 27%を占め、犬の腫瘍性疾患の臨床において最も重要な疾患の一つである。犬の肥満細胞腫の腫瘍発生における分子病態については、肥満細胞の分化と生存に必須の成長因子であるstem cell factor (SCF) のレセプターをコードする遺伝子であるc-kit遺伝子の変異に伴う自己活性化が報告されている。この変異によりSCFレセプターは活性化の状態を持続し、細胞における増殖と生存のシグナルを持続的に伝えることによって腫瘍発生に関与することが示されている。c-kit遺伝子の変異は犬の肥満細胞腫の自然発症例のおよそ30 - 50%において検出されることが報告されているが、c-kit遺伝子の変異の他には腫瘍発生に関与する分子機構は報告されていない。そこで私は、ラットおよびマウスのリンパ腫発生に関与するとともに細胞の増殖とアポトーシスに関わる遺伝子の転写を制御する転写因子であるGfi-1に注目し、Gfi-1が犬の肥満細胞腫の腫瘍発生に関与する候補分子であると仮説を立てた。このGfi-1の機能を解析する手段として、目的の遺伝子に特異的なshort-hairpin RNA (shRNA) をコードする遺伝子を細胞に導入することによって標的遺伝子の特異的発現抑制を引き起こす、RNA干渉法を用いた。犬の肥満細胞腫細胞株であるLUMC細胞にGfi-1遺伝子特異的なshRNA発現ベクターを導入したところ、Gfi-1遺伝子の発現量が減少することが示された。そこで、Gfi-1遺伝子発現を抑制した細胞の増殖率を定量したところ、その増殖が有意に促進されていることが明らかとなった。これらGfi-1遺伝子発現を抑制した細胞において、各細胞周期における細胞の割合をフローサイトメーターを用いて解析したところ、コントロールと比較してG2/M期の細胞の割合が多く、G0/G1期の細胞の割合が減少していた。また、アポトーシス関連遺伝子であるBax遺伝子、Bcl-2遺伝子およびBcl-xL遺伝子の発現をreal-time PCR法により定量したところ、Gfi-1遺伝子の発現を抑制してもこれらの遺伝子の発現量に変化が認められないことが示された。以上のことから、Gfi-1は、犬の肥満細胞腫由来細胞株において、細胞周期の進行を負に調節し、細胞の増殖に抑制的に働く因子であることが明らかとなった。この結果は、Gfi-1が造血幹細胞の分化と細胞増殖に関して抑制的に働いて造血幹細胞を未分化な状態に維持するとともに自己複製能を保持するために必須の分子であることを示した最近の報告における所見と類似するものと考えられた。細胞が未分化な状態を維持して自己複製能を保持することは細胞の恒久的な増殖に重要であり、それはすなわち細胞の腫瘍性増殖に必須な形質と考えられる。したがってGfi-1は、犬の肥満細胞腫において細胞の分化と増殖を抑制することにより、腫瘍発生の分子病態に関与しているものと推察された。

 以上のように、本論文は腫瘍発生や細胞分化に関与する転写因子をコードするGfi-1遺伝子に関する研究を犬および猫において遂行するための基礎的な知見を提供するとともに、動物のリンパ腫および肥満細胞腫におけるGfi-1の腫瘍発生への関与を示唆するものである。本論文は、小動物におけるGfi-1の腫瘍発生への関与に関する研究を通じて、特定の分子の病態への関与を解析する研究においてRNA干渉法によって直接的に解析する研究手法の有用性を示したものであり、小動物獣医学におけるさまざまな疾患の分子病態の解明を目的とした今後の分子細胞生物学的研究に新しい方向性を拓いたものである。

審査要旨 要旨を表示する

 申請者は、小動物臨床において最も大きな問題である腫瘍性疾患の分子病態に着目し、癌原遺伝子であるGrowth factor independence-1 (Gfi-1)遺伝子の、犬および猫における分子クローニングと、猫のリンパ球および犬の肥満細胞腫由来細胞株における機能解析といった一連の分子細胞生物学的研究を行った。

 第一章では、犬および猫のGfi-1遺伝子の分子クローニングを行った。その結果、犬および猫のGfi-1遺伝子のcDNAの全塩基配列が明らかとなり、予測されたアミノ酸配列はこれまでに報告されているヒト、マウスおよびラットのそれらと86.5 - 91.2 %の相同性を持つことが示され、この分子の機能に必須のドメインが保存されていることが明らかとなった。また、Gfi-1遺伝子の発現を犬と猫の正常組織において検討した結果では、リンパ節、脾臓、骨髄といった免疫系および造血系組織においてその発現が認められ、これらの組織においてなんらかの生理的な機能を有することが示唆された。また、リンパ腫、肥満細胞腫、骨肉腫、乳腺腫瘍に由来するいくつかの細胞株においてもGfi-1遺伝子の発現が認められた。以上のことから、今後犬および猫においてGfi-1遺伝子に関する研究を遂行するための基盤となる知見が提供された。

 第二章では、猫のIL-2依存性リンパ系細胞株であるKumi-1細胞を用い、猫のリンパ球におけるGfi-1遺伝子の機能の解析を行った。Kumi-1細胞をIL-2の非存在下で培養したところ、フローサイトメトリーを用いた解析の結果、IL-2を加えて培養した場合に比べてアポトーシスを起こしている細胞の割合が約2倍に増加していた。このときのGfi-1遺伝子の発現量をリアルタイムPCR法により定量したところ、アポトーシスを免れて生存している細胞では、IL-2を加えて培養した細胞に比べ、有意に高いGfi-1遺伝子の発現が認められた。さらに、アポトーシス関連遺伝子であるBaxおよびBcl-xL遺伝子の発現量をリアルタイムPCR法により検討した。IL-2を加えずに培養した細胞においてはIL-2を加えて培養した細胞に比べBax遺伝子の発現増加が見られたが、同時にBcl-xL遺伝子の発現量に変化がなかったことから、Bcl-xL遺伝子がBax遺伝子の発現増強に対して拮抗的に作用し、細胞の生存に関与したものと考えられた。以上のことから、Gfi-1遺伝子は、猫のリンパ球のIL-2非存在下でのアポトーシスに対して抑制的に働き、細胞の生存に関与していることが示された。ここで認められた知見は、細胞が増殖因子の存在によらず不死化し、自律的な生存、増殖能の獲得につながるものと考えられ、細胞の腫瘍化における病態の中の一つの構成要素をなす可能性のあるものと考えられた。以上のことからGfi-1遺伝子の猫のリンパ腫における腫瘍発生への関与の可能性が示唆され、今後臨床サンプルを用いた解析を含め、さらに多面的に検討する必要があるものと考えられた。

 第三章では、RNA干渉法を用い、犬の肥満細胞腫由来細胞株であるLUMC細胞におけるGfi-1遺伝子の機能を解析した。第一章で得られた犬のGfi-1遺伝子の配列から選択された標的配列に対するshort-hairpin RNAを、レトロウィルスベクターによってLUMC細胞に導入した。リアルタイムPCR法によってGfi-1遺伝子の発現量を検討したところ、約50 %の発現抑制が確認された。この時の細胞の増殖率をWST-1の代謝産物を用いた比色法により検討したところ、コントロール細胞に比べて有意に増殖が亢進していることが示された。また、フローサイトメトリーによって細胞周期について検討したところ、Gfi-1遺伝子の発現が抑制された細胞では、コントロール細胞に比べてG0/G1期にある細胞の割合は減少し、G2/M期にある細胞の割合は増加しており、Gfi-1遺伝子の発現抑制によって細胞周期が促進されたことが示された。以上のことから、Gfi-1遺伝子は犬の肥満細胞腫由来細胞株において、細胞周期を抑制的に調節していることが明らかとなった。ここで認められた知見は、過去の報告において、Gfi-1遺伝子が造血幹細胞の増殖と分化を抑制することにより造血幹細胞の未分化性を維持し、自己複製能を保持するために重要な役割を担うことを示した報告と類似する点があるものと考えられた。この形質は、未分化性を保持することによって増殖能を失わずに恒久的な増殖能をもたらすという観点から言えば、細胞の腫瘍化の病態にも関与するものである。したがって、Gfi-1遺伝子が犬の肥満細胞腫において細胞周期を抑制的に制御することが、細胞の恒久的な増殖能の獲得に寄与している可能性が示された。

 本研究は犬と猫におけるGfi-1遺伝子の基盤的知見を提供するとともに、腫瘍発生における分子病態への関与の可能性を示し、犬と猫の腫瘍発生機構の解明へ新たな側面からの知見を提供したものである。また、従来の研究手法に加えRNA干渉法といった最新の研究手法を導入するなど、特定の遺伝子の機能解析を対象とした今後の獣医学における分子生物学的研究に、新しい方向性を示したものである。以上のことから審査委員は申請者を博士(獣医学)の学位を受けるに必要な学識を有するものと認め、合格と判定した。

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