学位論文要旨



No 120224
著者(漢字) 郡山,尚紀
著者(英字)
著者(カナ) コオリヤマ,タカノリ
標題(和) 組換えイヌジステンパーウイルスのリーシュマニアワクチンおよびデリバリーベクターとしての応用
標題(洋) Applications of recombinant CDVs as leishmania vaccines and a delivery vector
報告番号 120224
報告番号 甲20224
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2907号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐知,恵子
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 講師 小原,恭子
内容要旨 要旨を表示する

 ジステンパーはイヌにおける代表的なウイルス性伝染病で、呼吸器系、消化器系、中枢神経系で病変が診られる致死率の高い疾病として知られている。原因となるイヌジステンパーウイルス(CDV)は麻疹ウイルス、牛疫ウイルスなどと共に、パラミクソウイルス科(Paramyxoviridae)モービリウイルス属(Morbillivirus)に分類される。最近までCDVが属する一本鎖マイナス鎖RNAウイルス(モノネガウイルス)では、ゲノムcDNAクローンから感染性ウイルスを作出することができなかった。しかし、1994年に狂犬病ウイルスにおいて初めて感染性ウイルス作出系(リバースジェネティクス系)が開発され、著者らの研究グループも1999年に世界で初めてCDVリバースジェネティクス系の開発に成功した。リバースジェネティクス系により、ウイルス構成遺伝子の欠失や交換、変異の導入や外来遺伝子の挿入を行った組換えウイルスの作出が可能になった。その結果、性質の異なるウイルス株での遺伝子解析の比較だけではわからなかった、病原性の決定機序や特異的な宿主を決定する機構等のウイルス学上重要な問題の解明に大きく寄与することとなった。さらに、液性免疫だけではなく細胞性免疫を誘導する優れた特性を生かしたウイルスベクターの開発やその応用も盛んに進められている。

 本研究ではまず、蛍光蛋白EGFP (Enhanced green fluorescent protein)発現組換えCDVを用いて、イヌ海馬におけるCDVの感染動態の解析を行った(第1章)。次にCDVデリバリーベクターへの応用例として、CDVリバースジェネティクス系により抗酸化酵素Superoxide dismutase 1(SOD1)発現組換えウイルスを作出し、その評価を行った(第2章)。そして、リーシュマニア感染症に対する2価ワクチンベクターとして、リーシュマニア抗原発現組換えCDVを作出し、イヌに対する感染実験を行いその有効性を検討した(第3章)。また、CDVの基礎的な研究として、CDV P蛋白のモノクローナル抗体を作出し、その性状の解析を行った(第4章)。最後にCDVゲノムの性状を電子顕微鏡下での解析から新たな知見が得られたのでその報告も行った(第5章)。

第一章:EGFP発現CDVを用いたイヌ海馬におけるCDV感染動態の解析

 イヌのCDV感染症では中枢神経系への感染が多く認められるが、中枢神経系におけるCDVの感染拡大様式は明らかにされていなかった。本章では、感染細胞で蛍光を発するEGFP-CDVをイヌ海馬スライスに感染させ、中枢神経系でのCDVの感染動態を解析した。ビブラトームでスライス状にした海馬スライスを器官培養して3週間後にウイルス液を滴下し自然感染させた。感染動態は共焦点顕微鏡下で蛍光を指標として経時的に観察した。CDV感染後、24時間目には既に蛍光が観察され経時的に周囲の細胞へと伝播した。ニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトに対する特異的マーカー抗体でそれぞれ免疫染色を行ったところ、感染細胞の80%以上がニューロンであることが明らかになった。ニューロンでの感染動態を経時的に観察したところ、シナプスを介して隣接するニューロンに感染していることがわかった。ニューロンでのウイルス膜蛋白の動態を特異抗体を用いた免疫染色で調べたところ、FとHはニューロン全体に分布しているのに対して、Mは細胞体の他に一部の軸索やシナプスでのみ発現がみられた。感染3ヶ月目に海馬スライスを電子顕微鏡下で観察したところ、シナプス末端でリボヌクレオキャプシドの蓄積がみられ、更にシナプス外にウイルス粒子を観察することができた。これらの結果から、CDVは中枢神経系ではシナプス末端からシナプス外にウイルス粒子を放出し、隣接するニューロンのシナプスを介してウイルスの侵入・伝播が起こると考えられた。

第二章:デリバリーベクターとしてのCDVの利用:抗酸化治療に向けたイヌSOD1発現組換えCDVの作出

 酸化ストレスは神経障害の主な原因と考えられ、標的細胞への抗酸化酵素SODの導入は効果的な治療法の一つとして期待されている。本章ではCDVリバースジェネティクス系によりイヌSOD1発現組換えウイルスの作出を行った。イヌSOD1遺伝子をクローニングし、CDVリバースジェネティクス系に従ってウイルスレスキューを行い、SOD1-CDVの作出に成功した。感染細胞でのCPEの形状やウイルス増殖曲線は元株Yanaka株と比較し顕著な相違は認められなかった。western blotとSOD活性測定により感染細胞でSOD活性を持つ機能的な蛋白が十分量発現していることがわかった。第1章では、CDVはニューロンに対して高い感受性があることが明らかになった。本章での結果から、SOD1-CDVはニューロンに感染し機能的なSOD1を産生するデリバリーベクターとしての有用性が示唆された。

第三章:CDVおよびリーシュマニア感染症に対する組換えCDV二価ワクチンの開発

 リーシュマニア原虫症はサシチョウバエを媒介昆虫とし、ヒトやイヌ等に感染して皮膚および内臓に重篤な病巣を形成する人獣共通感染症である。ヒトでは熱帯の発展途上国を中心に毎年4千万人以上の感染例が報告されている。この保有宿主ともなるイヌで感染を防ぐことはヒトリーシュマニア症の対策としても有用と考えるが、未だ有効なワクチンは開発されていない。本章では、原虫に対する有効な多価ワクチンの開発を目的として、リーシュマニア抗原を発現する組換えCDVの作出を試みた。リーシュマニア抗原としてTSA,LmSTI1を選択し、CDVリバースジェネティクス系により組換えCDV (TSA-CDV,LmSTI1-CDV)の作出に成功した。これまでに作出成功したLACK-CDVと同様、この2つの組換えCDVは元株Yanaka株と比べ、ウイルス増殖速度・CPEの形状に顕著な差異は認められなかった。特異抗体を用いた解析により、組換えCDV感染細胞において抗原蛋白の発現が確認できた。これら組換えCDVを6週齢の幼犬に静脈内接種したところ、体温・リンパ球数・臨床所見においても変化がなく、組換えCDVは病原性がなく安全であることが証明できた。CDVワクチンとしての有効性は既にLACK-CDV接種犬がCDV強毒株チャレンジに対して完全な抵抗性を示したことから証明している。リーシュマニアチャレンジ実験では、リーシュマニア接種後10週目まで、接種部位で形成される結節の大きさを指標としてリーシュマニア増殖抑制能を検討した。抵抗性誘導能はLACK-CDVで最も顕著であったが、TSA-CDV,LmSTI1-CDV,LACK-CDVを混合して接種したイヌでは結節形成の増大を抑制するのみでなく消失も早め、有効性を示した。これらの結果から、本章で作出した組換えCDVはリーシュマニア症に対する多価ワクチンとしての有効であると考えられた。

第四章:CDV P蛋白に対するモノクローナル抗体による認識部位の検索

 モービリウイルスゲノムは6つの構成遺伝子をコードし、その一つであるP遺伝子からはP、V、Cの蛋白が翻訳される。P蛋白はこれまでウイルスの転写や複製に必要であることが知られているが最近病原性の発現に関わっていることが報告されている。本章では、P蛋白の機能解析ツールとしてCDV Yanaka株P蛋白に対するモノクローナル抗体を作出しその解析を行った。PとV蛋白は一部同一のアミノ酸配列を持つため、P特異的な領域について組換え蛋白を作出し、常法に従ってハイブリドーマを作出して、最終的に7つのモノクローナル抗体を得た。これら抗体間の交差反応性を調べたところ、2つのグループ(I: 13Ea,52G,36Ba,42Ba,99Bb,II: 33Ba,36E)に分かれた。更にモービリウイルス間での交差反応性を調べたところ、I型はYanaka株と系統的に近縁なハクビシン由来CDV Haku93株とHaku00株と、更に99Bb以外のI型はRPV (RBOK株,L株)とも反応し、I型は更に2つに分けられることがわかった。一方、得られた抗体は全てCDV Snyder Hill株,Onderstepoort株及びMV Edmonston株,HL株に対して反応を示さなかった。以上の結果から、P蛋白特異的領域には少なくとも三つの抗体認識部位が存在することがわかった。

第五章:CDV粒子内ゲノムの電子顕微鏡学的解析

 モービリウイルスでは、ウイルスゲノムの動態や形態学的な性状は感染細胞内に比べて、ウイルス粒子内についてはよくわかっていない。本章ではウイルス粒子内にパッケージングされたCDVゲノムの形態学的性状について解析を行った。感染細胞から放出されるウイルス粒子を濃縮した培養液からショ糖密度勾配を用いて超遠心分離で分画し、ウイルス分画を電子顕微鏡下で解析した。ウイルス粒子に取り込まれるウイルスゲノム全長はこれまで報告されていた1000nmよりも極めて長いものが多く観察され、一つのウイルス粒子内に複数のウイルスゲノムが取り込まれている可能性が示唆された。更にフィラメント状のウイルスゲノムは主に直径が太いタイプ(long filamentous type: LF)で、一部で、細いタイプ(small filamentous type: SF)が存在することがわかった。第4章で作出したCDV P蛋白に対するモノクローナル抗体を用いて免疫電子顕微鏡法で解析したところ、P蛋白はSFの表面には存在せず、一方LF上では全体を覆っていることがわかった。これらの結果から、ウイルス粒子内にパッケージングされたウイルスゲノムは多様な形態を構成していることが明らかになった。

 本研究では、CDVリバースジェネティクス系によって作出した組換えEGFP-CDVによる中枢神経系でのCDV感染動態の検索、デリバリーウイルスとして利用可能なイヌSOD1発現する組換えCDVの作出、更に有効な二価ワクチンウイルスとしてリーシュマニア抗原を発現する組換えCDVの有用性を示すことができた。一方将来的にはより安全で有効なウイルスベクターの開発のためにもCDVの基礎的な研究を行い、病原性やウイルス複製に関与するCDV P蛋白に対するモノクローナル抗体を作出し、電子顕微鏡解析によりウイルス粒子内のゲノムの形態で新しい知見を得ることができた。本研究成果は、CDVの基礎的な新知見のみならずウイルスベクター開発を大きく進展させる有用な知見や成果を与えるものであると考える。

審査要旨 要旨を表示する

 ジステンパーはイヌにおける代表的なウイルス性伝染病で、呼吸器系、消化器系、中枢神経系に感染して全身症状を示す致死率の高い疾病として知られている。原因とされるイヌジステンパーウイルス(CDV)は近年、これまで自然宿主と考えられていなかった動物(大型ネコ科獣、海棲哺乳類)への感染が報告され、その重要性は大きくなってきている。一方、著者らの研究グループは1999年に世界で初めてCDVリバースジェネティクス系の開発に成功し、さらなる応用へ向けての基礎研究を進めている。本研究第一章において、感染細胞で蛍光を発するEGFP-CDVを用いて中枢神経系でのCDVの感染様式を器官培養海馬スライスで解析した。CDVは主にニューロンに感染しシナプスを介して隣接するニューロンに感染していることを明らかにし、電子顕微鏡での解析では、シナプス末端でリボヌクレオプロテインの蓄積およびシナプス外のウイルス粒子を確認した。これらの結果から、著者はCDVが中枢神経系ではシナプス末端からシナプス外にウイルス粒子を放出し、隣接するニューロンのシナプスを介してウイルスの侵入・伝播が起こることを示唆した。第二章ではCDVリバースジェネティクス系によりイヌSOD1発現組換えウイルスの作出を行い、レスキューされたSOD-CDVは感染細胞において活性を持つ機能的なSOD1を十分量発現していることを示した。酸化ストレスは神経障害の主な原因と考えられ、SOD-CDVは神経細胞に抗酸化酵素SOD1を発現させる効果的な治療用ベクターとしての有用性が示唆された。第三章では組換えCDVの有用性についてさらにワクチンベクターとしての応用の可能性も検討した。ここで標的としたリーシュマニア原虫症はヒトやイヌ等に感染して皮膚および内臓に重篤な病巣を形成する人獣共通感染症であり、この保有宿主ともなるイヌで感染を防ぐことはヒトリーシュマニア症の対策としても有用と考えられる。そこで著者らは未だ有効なワクチンのないリーシュマニアと近年流行型CDVとに対する有効な多価ワクチンの開発を目的として、リーシュマニア抗原を発現する組換えCDVの作出を試みた。リーシュマニア抗原としてTSA,LmSTI1を選択し、CDVリバースジェネティクス系により組換えCDV (TSA-CDV,LmSTI1-CDV)の作出に成功した。リーシュマニアの攻撃実験に対する抵抗性誘導能は今回作出したTSA-CDVとLmSTI1-CDVに既に作出したLACK-CDVを混合して接種したイヌでもっとも優れており、結節形成の増大を抑制と消失を早め流効果を示した。この結果とLACK-CDVがイヌでの病原性CDVによる攻撃試験に対して防御能を示したことを合わせて考えると、これらの組換えCDVはCDV及びリーシュマニアに対する多価ワクチンとして有用であると推測された。第四章では、CDVの病原性のコントロールを研究するために必要名ツールとしてPタンパクに対するモノクローナル抗体作製を試みた。P蛋白はこれまで分かっていたウイルスの転写や複製に重要であることに加え、最近病原性の発現に関わっていることが報告されている。そこでCDV Yanaka株P蛋白に対するモノクローナル抗体を作出した結果、得られた7つのモノクローナル抗体は2つの抗原部位を認識するグループに分けられた。更にモービリウイルス間での交差反応性を調べたところ、CDVに対しては近年分離株とのみ反応がみられ、牛疫ウイルスに反応するものも見られた。第五章ではこれまでに詳細な解析の行われていないCDVの微細形態の解析を行った。これまでに作出された組換えウイルスの性状の変化が微細構造の変化と関連する報告があるが、CDVにおいてはこの基礎となる解析が行われていなかった。そこでCDVのウイルス粒子形態やその内部のゲノムRNA-タンパク複合体(RNP)の電子顕微鏡による解析を行っていたところ、これまで示されてきた100-300nmよりも大きなウイルス粒子が観察され、複数のウイルスゲノムが取り込まれている可能性が明らかになった。また、ウイルス粒子内にパッケージングされているRNPには径の異なるRNPが存在することも明らかにし、ウイルス粒子内のウイルスゲノムは多様な形態を構成していることを示した。

 本研究によって得られた知見はリバースジェネティクスを用いたモノネガウイルスの生物学的性状の解析およびそのベクターとしての応用に大いに役立つと考えられる。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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