学位論文要旨



No 120225
著者(漢字) 玉原,智史
著者(英字)
著者(カナ) タマハラ,サトシ
標題(和) バンド3欠損牛の赤血球膜グライコフォリンCに関する研究
標題(洋)
報告番号 120225
報告番号 甲20225
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2908号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 小川,博之
 東京大学 教授 西原,真杉
 東京大学 助教授 松木,直章
 北海道大学 教授 稲葉,睦
内容要旨 要旨を表示する

 膜貫通蛋白質とアンカー蛋白質との結合は、膜骨格と細胞膜との間を連結し、赤血球膜の物理的安定性を決定する要因と考えられている。これまでに、ヒトや動物において赤血球の遺伝性疾患の解析とそのターゲット分子の生化学的な解析が行われ、現在のところ、バンド3-アンキリン-スペクトリン間の結合、グライコフォリンC-4.1蛋白質-スペクトリン/アクチン間の結合の二つが膜の安定性に貢献する主要な要素と考えられている。黒毛和種牛の遺伝性バンド3欠損症は、バンド3遺伝子のナンセンス変異(R664X)に起因し、ホモ接合体牛の赤血球では完全にバンド3蛋白質が欠失している。この赤血球においては、バンド3-アンキリン-スペクトリン間の連結が完全に消失し、その結果膜の安定性が著しく低下し、遺伝性球状赤血球症を呈する。しかしながら、最低限の膜の安定性は保持されており、その安定性に貢献する要素として、もう一つの連結であるグライコフォリンC-4.1蛋白質-スペクトリン/アクチン間の結合が想定される。牛4.1蛋白質の解析では、そのN末端30 kDa領域が細胞膜に対する主な結合部位であることが明らかになっている。しかしながら、そのターゲットと想定される牛グライコフォリンCに関してはその性状ならびに発現いずれについて全く明らかにされていない。そこで本研究において、まず第1章では、cDNAおよびゲノムDNAを解析し、牛グライコフォリンC分子の同定と、その遺伝子多型について検討した。第2章では、その蛋白質性状、ならびに発現について解析し、さらに第3章では、バンド3欠損症牛赤血球における発現と膜骨格との連結を解析し、グライコフォリンCの意義について検討した。

第1章牛グライコフォリンC分子の同定と遺伝子多型

 牛の骨髄cDNAから、ヒトのグライコフォリンCの配列をもとに作製したプライマーを用いたPCRによって、牛グライコフォリンC cDNAの部分断片(144 bp)を得た。その塩基配列をもとに、3'-RACE反応および5'-RACE反応を行って、牛グライコフォリンCの全長(922 bp)のcDNA配列を決定した。得られた塩基配列から推定される牛グライコフォリンCは、109個のアミノ酸残基からなる分子量11,830の分子で、その膜貫通領域および細胞内領域はヒトのグライコフォリンCと相同性が高かった(69.2%および78.7%)。また、4.1蛋白質との結合領域および、C末端のPDZ-結合モチーフは極めてよく保存されていることから、牛赤血球において、グライコフォリンCと4.1蛋白質およびp55との結合が存在すると推測された。一方、細胞外領域は、ヒトと大きく異なっていたが、セリン残基やスレオニン残基に富んでおり、O-型結合糖鎖修飾を受けうると推測された。ゲノムDNAの解析から、牛グライコフォリンC遺伝子は2つのexonと1つのintronから構成されることが明らかになった。牛グライコフォリンC遺伝子の5'上流領域の解析の結果、人グライコフォリンC遺伝子の5'上流領域と類似し、GATA配列、TATA box、CAAT box、CACCC box、Sp-1結合配列がクラスターを形成していた。牛赤血球膜に対して、ヒトグライコフォリンCの4.1蛋白質結合領域に対する抗体でイムノブロットを行ったところ、約36 kDaの位置に特異的な反応が認められた。また、その反応強度は個体によって異なり、デンシトメトリー解析の結果、反応の強い群(6.64 ± 0.40)、中等度の群(3.80 ± 0.84)、弱い群(< 0.2)の3群に分けられた。この反応性の違いの原因を明らかにするため、遺伝子多型の解析を行った。その結果、コード領域では、11番目(CCG あるいは CAG)、249ならびに254番目(GCG GAG AAC あるいは GCC GAG AGC)の塩基に、非コード領域では、414番目(ACG あるいは ACT)の塩基において遺伝子多型が存在することが明らかとなった。そのうち、11番目は4番目のアミノ酸残基(Pro4 あるいは Gln4)、254番目は85番目(Asn85 あるいは Ser85)のアミノ酸残基の多型を導くものであった。ゲノムDNAの遺伝子型と抗ヒトグライコフォリンC抗体の反応性を照らし合わせたところ、254番目の塩基がA/A(アミノ酸残基ではAsn85/Asn85)の個体は反応が弱い群、G/G (Ser85/Ser85)の個体は反応が強い群、A/G(Asn85/Ser85)の個体は中等度の群と、遺伝子多型と抗ヒトグライコフォリンC抗体の反応性が完全に相関した。

第2章牛グライコフォリンC分子の蛋白質性状と発現

 1章で明らかになった、85番目アミノ酸残基の多型をふまえ、セリン型(bGPCS85)および、アスパラギン型(bGPCN85)について、以下の解析をおこなった。まず、牛グライコフォリンCと、4.1蛋白質間のin vitroでの結合をIAsysTMシステムを用いて解析した。GST-融合牛グライコフォリンC細胞内領域組み換え体と牛4.1蛋白質N末端30 kDa領域組み換え体は特異的に結合し、Scatchared解析によって求められた平衡解離定数K(D)はセリン型で0.18 ± 0.01 μM、アスパラギン型で0.36 ± 0.02 μMと、いずれも4.1蛋白質と高い親和性で結合すると考えられた。つぎに牛グライコフォリンCの細胞内領域を抗原とした抗体を作製し、その抗体を用いて健康牛個体の赤血球膜における牛グライコフォリンCの発現を解析した。その結果、牛グライコフォリンCは85番目アミノ酸残基の多型によらず同等に発現し、また主要な膜蛋白質量にも差が認められないことが明らかになった。COS-7発現系の解析では、bGPCS85およびbGPCN85はいずれも蛋白質として翻訳され、糖鎖修飾を受けて細胞膜に移行することが明らかとなった。これらの結果から、牛グライコフォリンCは、85番目アミノ酸残基の多型によらず、蛋白質として産生され、赤血球膜に発現し、4.1蛋白質と結合すると考えられた。また、牛骨髄細胞に対する免疫蛍光染色の結果、牛グライコフォリンCはバンド3を発現している細胞ならびにバンド3の発現の認められない細胞いずれにも発現していた。

第3章バンド3欠損牛赤血球膜におけるグライコフォリンCの発現と膜骨格との連結

 前章までの結果を前提に、バンド3欠損症牛3個体の赤血球と健康個体の赤血球についてグライコフォリンC、4.1蛋白質、ならびに膜骨格の構成蛋白質であるスペクトリンとアクチンの発現量を比較検討した。一定量のスペクトリンに対するグライコフォリンCおよび4.1蛋白質の発現量は、バンド3欠損3個体で正常個体よりそれぞれ増加していた(166〜252%および175〜239%)。一方、アクチンの発現量は健康個体と差が認められず(95〜117%)、バンド3欠損個体の赤血球では膜骨格構成蛋白質の発現量と比較して、グライコフォリンCと4.1蛋白質の発現量が相対的に増加していることが明らかとなった。また、グライコフォリンCの発現量と4.1蛋白質の発現量の比は、バンド3欠損個体と健康個体との間に差は認められず(0.89〜1.10)、牛赤血球ではグライコフォリンCと4.1蛋白質の発現量には相関性があると考えられた。ついでバンド3欠損牛赤血球におけるグライコフォリンCと膜骨格との連結について検討した。マウス赤血球で報告されている赤血球内のCa2+濃度を上昇させることで膜骨格とグライコフォリンCとの結合を外す実験系で検討したところ、その形態に著明な変化は認められなかった。また膜骨格との連結をC12E8処理における不溶画分に含まれるグライコフォリンC量で評価したところ、バンド3欠損個体の赤血球では、ヒト赤血球やマウス赤血球とは異なり、Ca2+濃度が上昇しても膜骨格からグライコフォリンCが外れなかった。よって、牛グライコフォリンCと膜骨格との連結は、ヒトやマウスと異なり、Ca2+濃度依存性に制御されるグライコフォリンCと4.1蛋白質間の結合ではないと考えられた。またバンド3欠損個体および、健康個体の赤血球ではいずれも、グライコフォリンCの全発現量に対する膜骨格に連結していたグライコフォリンC量の占める割合が、ヒトやマウスより著明に低かった。一方、牛赤血球膜ではグライコフォリンCまたは4.1蛋白質を免疫沈降した際に共沈される4.1蛋白質またはグライコフォリンC量は極めて少なく、グライコフォリンCと4.1蛋白質間との結合はほとんど認められなかった。以上のことから、牛赤血球膜ではアンカー蛋白質である4.1蛋白質の細胞膜への結合対象はグライコフォリンC以外の膜貫通蛋白または脂質と考えられ、バンド3欠損牛の赤血球膜で重要であると想定されるグライコフォリンCの4.1蛋白質を介した膜骨格との結合は、ほとんど意義を持たないものと考えられた。

 以上の結果から、牛グライコフォリンCには、4番目および85番目のアミノ酸残基多型が存在するもののその発現には影響がなく、細胞内領域はヒトと同様の4.1蛋白質に対する親和性をもつことが明らかになった。しかしながら、牛赤血球膜でグライコフォリンCの4.1蛋白質を介した膜骨格との連結はほとんど存在しておらず、バンド3欠損症赤血球で認められる最低限の膜安定性には、グライコフォリンC-4.1蛋白質間の連結を介したものではないことが明らかとなり、他の膜貫通蛋白質あるいは脂質との結合によるものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 黒毛和種牛の遺伝性バンド3欠損症は、新生子期に重篤な溶血性貧血を引き起こし、獣医臨床上重要な疾患である。また、赤血球膜構造の基礎研究の点で、赤血球膜蛋白質異常の一つのモデルとして位置づけられている。本論文では、この赤血球におけるグライコフォリンC-4.1蛋白質-スペクトリン/アクチン間の連結について検討したもので、緒論ならびに総括を除いた以下の3章から構成されている。

 第1章では、牛グライコフォリンCの同定を行った。得られたcDNAの塩基配列から推定される一次構造では、膜貫通領域および細胞内領域はヒトグライコフォリンCと類似し、4.1蛋白質の結合領域およびPDZドメイン結合モチーフは極めてよく保存されており、牛赤血球においても、グライコフォリンCと4.1蛋白質およびp55分子との結合が存在すると推測された。ヒトグライコフォリンCの4.1蛋白質結合領域に対する抗体で、牛赤血球膜に対してイムノブロットを行ったところ、約36 kDaの位置に特異的な反応が認められ、牛グライコフォリンCの存在が確認された。しかしながら、その反応強度には個体によって異なり、遺伝子多型の解析の結果、牛グライコフォリンCの4.1蛋白質結合領域の下流に存在する85番目アミノ酸残基の多型(Ser/Asn)と完全に相関した。このことからこの多型が、4.1蛋白質結合領域を含む細胞内領域の構造に影響を与えていることが推測された。

 第2章では1章で明らかになった、85番目アミノ酸残基の多型をふまえ、牛グライコフォリンC分子の蛋白質性状と発現について検討した。まず、牛グライコフォリンCと、4.1蛋白質間のin vitroでの結合をIAsysTMシステムを用いて解析した。その結果、牛グライコフォリンC細胞内領域と4.1蛋白質N末端30 kDa領域は85番目のアミノ酸残基多型によらず、ヒトと同等に高親和性に結合することが明らかになった。また、赤血球膜ならびにCOS-7細胞発現系の解析の結果、牛グライコフォリンは、85番目のアミノ酸残基多型によらず、蛋白質として翻訳され、糖鎖修飾を受けたのち、赤血球膜表面に発現することが明らかとなった。

 第3章では前章までの結果を前提に、バンド3欠損牛赤血球膜におけるグライコフォリンCの発現と膜骨格との連結について検討した。まず、バンド3欠損症牛3個体の赤血球と健康個体の赤血球についてグライコフォリンC、4.1蛋白質、ならびに膜骨格の構成蛋白質であるスペクトリンとアクチンの発現量を比較検討したところ、バンド3欠損個体の赤血球では健康個体の赤血球と比較して一定量の膜骨格構成蛋白質に対する、グライコフォリンCと4.1蛋白質の発現量が増加していることが明らかとなった。また、グライコフォリンCの発現量と4.1蛋白質の発現量の比は、バンド3欠損個体と健康個体との間に差は認められず、牛赤血球ではグライコフォリンCと4.1蛋白質の発現量には相関性があると考えられた。ついでバンド3欠損牛赤血球におけるグライコフォリンCと膜骨格との連結について検討した。マウス赤血球で報告されている赤血球内のCa2+濃度を上昇させることで膜骨格とグライコフォリンCとの結合を外す実験系で検討したところ、その形態に著明な変化は認められなかった。また膜骨格との連結をC12E8処理における不溶画分に含まれるグライコフォリンC量で評価したところ、バンド3欠損個体の赤血球では、ヒト赤血球やマウス赤血球とは異なり、Ca2+濃度が上昇しても膜骨格からグライコフォリンCが外れなかった。したがって、牛グライコフォリンCと膜骨格との連結は、ヒトやマウスとは異なり、Ca2+濃度依存性に制御されるグライコフォリンCと4.1蛋白質間の結合ではないと考えられた。またバンド3欠損個体および、健康個体の赤血球ではいずれも、グライコフォリンCの全発現量に対する膜骨格に連結していたグライコフォリンC量の占める割合が、ヒトやマウスより著明に低かった。一方、牛赤血球膜ではグライコフォリンCまたは4.1蛋白質を免疫沈降した際に共沈される4.1蛋白質またはグライコフォリンC量は極めて少なく、グライコフォリンCと4.1蛋白質間との結合はほとんど認められなかった。以上のことから、牛赤血球膜では、バンド3欠損牛の赤血球膜で重要であると想定されていたグライコフォリンCの4.1蛋白質を介した膜骨格との結合は、ほとんど意義を持たないものと考えられた。むしろ、アンカー蛋白質である4.1蛋白質の細胞膜への主な結合対象はグライコフォリンC以外の膜貫通蛋白または脂質と考えられ、その結合が、赤血球膜の安定性に関与していると推測された。

 このように、本論文は、牛グライコフォリンC分子の同定、性状を明らかとするとともに、グライコフォリンC分子の膜骨格への連結に関する新しい知見を見いだし、バンド3欠損赤血球における意義を明らかとしたものである。その内容は、獣医学の学術上貢献するものであり、よって、審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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