No | 120226 | |
著者(漢字) | 中川,貴之 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ナカガワ,タカユキ | |
標題(和) | 犬乳腺腫瘍の転移関連因子に関する研究 | |
標題(洋) | Studies on factors associated with metastasis of canine mammary gland tumor | |
報告番号 | 120226 | |
報告番号 | 甲20226 | |
学位授与日 | 2005.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(獣医学) | |
学位記番号 | 博農第2909号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 獣医学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 乳腺腫瘍は雌の犬で最も多くみられる腫瘍であり、雌犬に発生する全腫瘍の約半数を占めると言われている。犬の乳腺腫瘍は組織学的に良性腫瘍である乳腺腫と良性混合腫瘍および悪性腫瘍である乳腺癌と悪性混合腫瘍に大別され、全体の約50%が悪性腫瘍であると報告されている。良性腫瘍においてはその予後は良好とされているが、悪性腫瘍においては局所リンパ節への転移だけでなく肺、肝臓、腎臓などへの遠隔転移もみられ、これらは予後不良となる。 腫瘍の遠隔転移が成立する過程には、増殖した腫瘍細胞の原発巣からの遊離、脈管内への侵入、二次臓器の血管内皮への接着と血管外への離脱、二次臓器での増殖といった様々な段階があり、その各ステップにおいて接着分子をはじめ様々な因子が関与していると考えられている。代表的なものとして、原発巣からの遊離ではE-cadherinとβ-cateninらによる細胞間接着の減弱が、脈管への侵入には各種Matrix Metalloproteinase(MMP)が、そして二次臓器の血管内皮への接着にはsialyl Lewis X(sLe(x))とE-selectinによる接着とそれに続くintegrinによる接着が挙げられる。人医学領域では乳癌をはじめ様々な腫瘍におけるこれら因子の解析あるいは細胞動態や病態との関連についての研究が進められている一方で、獣医学領域における研究も進められているもののまだまだ不明な点も多い。 そこで本研究では犬乳腺腫瘍における転移機構の解明に向けた基礎的研究として、犬乳腺腫瘍における転移関連因子の検索および発現解析、ならびにin vitro,in vivoにおけるそれらの意義を評価することを目的とした。 第一章では、犬乳腺腫瘍細胞における細胞接着因子をはじめ転移や癌化への関与が示唆されている様々な腫瘍関連因子の発現を、本研究室において樹立された犬乳腺腫瘍由来細胞株を用い検索することとした。本実験に用いた犬乳腺腫瘍細胞株は同一症例の原発巣と転移巣から樹立された細胞株3ペア、計6株(CHMp,CHMm,CIPp,CIPm,CNMp,CNMm)である。これら細胞株よりタンパク質を抽出し、ヒト乳癌においてその発現の変化が確認されている細胞接着因子、細胞周期関連因子、シグナル伝達因子、レセプター、乳癌マーカー等、計24因子についてウェスタンブロット法を用いてそれらの発現解析を行った。その結果、原発巣あるいは転移巣由来といった細胞株の由来の違いによって一定の発現傾向を示した因子はみられなかったものの、sLe(x),14-3-3sigma,cyclinD1,Rb等においてタンパク発現量の差異が認められた。なかでもsLe(x)は遠隔転移巣から分離されたCHMm株でのみ強発現を示し、原発巣あるいはリンパ節転移巣から樹立された細胞株では発現がみられず、検索した細胞株数は少ないものの血行性転移との関連が示唆される興味深い結果が得られた。 第一章の犬乳腺腫瘍細胞株における腫瘍関連因子の発現解析において血行性転移株で強発現のみられたsLe(x)に注目し、第二章では犬乳腺腫瘍細胞におけるsLe(x)の発現とその機能についての検討を行った。sLe(x)は細胞接着分子のひとつであるE-selectinと特異的に結合する糖鎖抗原であり、炎症細胞表面のsLe(x)と活性化された血管内皮細胞上のE-selectinの結合により炎症部位への炎症細胞の接着がはじまるとされている。また同様の現象がsLe(x)を発現する腫瘍細胞と二次臓器の血管内皮との間に起こり、それが腫瘍の遠隔転移につながるのではないかと考えられている。第一章で用いた犬乳腺腫瘍細胞株6株に対する免疫染色を行ったところ、ウェスタンブロット法による結果と同様にCHMm株でのみ細胞膜を中心とした強い発現がみられた。またこの乳腺腫瘍細胞で検出されたsLe(x)の機能を評価するために、sLe(x)陽性細胞株CHMmと同一症例の原発巣から樹立されたsLe(x)陰性細胞株CHMpを用いた血管内皮細胞への接着実験を行った。sLe(x)陽性細胞であるCHMm株はTNF-α添加によりヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)にE-selectinを誘導すると有意にその接着性を増し、一方でsLe(x)陰性株であるCHMpでは接着性に有意な変化はなかった。またCa非存在下では両細胞株とも接着性に変化がなかったため、CHMm株でみられたHUVECに対する細胞接着は、HUVEC上に発現したCa依存性レクチンであるE-selectinと乳腺腫瘍細胞に発現したsLe(x)との結合によるものと考えられた。フロースルーチャンバーを用いた接着実験においてはCHMm細胞がHUVEC表面への接着と分離を細かく繰り返しながら減速し接着していく過程が確認され、これはsLe(x)-E-selectin結合により炎症細胞が血管内皮細胞上で転がるようにみえる現象(ローリング現象)と同様の現象であると考えられた。これらの結果から第一章においてCHMm細胞株で検出されたsLe(x)は細胞膜に発現し血管内皮への接着能を有することが明らかとなり、犬乳腺腫瘍の遠隔転移においてsLe(x)による血管内皮への接着が関与する可能性が示唆された。 第一章および第二章の結果から犬乳腺腫瘍におけるsLe(x)の発現および転移との関連が示唆されたため、第三章では犬乳腺腫瘍自然発症例を対象としsLe(x)の発現の検索および転移予後などとの関連を検討することとした。本学附属家畜病院にて外科的に乳腺腫瘍を摘出された犬56症例の原発乳腺腫瘍組織におけるsLe(x)の発現を検索したところ、約半数の29症例においてその発現がみられた。しかしsLe(x)の発現と、組織型(乳腺腫、乳腺癌、良性混合腫瘍、悪性混合腫瘍)、腫瘍径、臨床病期など臨床データとの有意な関連はみられなかった。健常犬の正常乳腺および乳腺腫瘍症例の非癌部でのsLe(x)発現は陰性であったことから、癌化に伴いsLe(x)が発現することが示唆された。また血清中のsLe(x)濃度はヒト乳癌などにおいて腫瘍マーカーとして用いられており、犬乳腺腫瘍におけるその有用性を評価するための基礎的実験として乳腺腫瘍症例および非腫瘍症例における血中濃度を評価することとした。血清中sLe(x)濃度測定には蛍光免疫測定法を用いた。解析の結果、乳腺腫瘍症例および非腫瘍症例のいずれにおいても血清中sLe(x)濃度は様々な値を示し、その分布にも両群間で有意な差異はみられなかった。犬種によって血清濃度値の分布に差がある可能性が示唆されたが、統計学的評価に十分な症例数を全ての犬種では得る事ができなかった。本実験から犬乳腺腫瘍組織において癌化に伴いsLe(x)が発現していることが示唆されたものの、その発現と転移予後との関連は本実験では明らかではなかった。 第四章ではsLe(x)の発現と犬乳腺腫瘍の転移との関連を評価するための実験動物モデルの作成および肺高転移株の樹立を行った。T,B,NK細胞欠損の免疫不全マウス(C.B-17 SCID-BEIGEマウス)を用い、犬乳腺腫瘍細胞をマウス体幹部皮下へと異種移植し肺に転移巣を形成させる肺転移モデルの作出を試みた。原発巣由来でsLe(x)陰性株であるCHMp株を6週齢のSCID-BEIGEマウスに皮下移植したところ6週間後に肺に転移巣を確認した。転移した肺を初代培養することにより転移した乳腺腫瘍細胞を分離し、新たなマウスへの皮下移植を繰り返すことにより、より肺への転移能の高い転移腫瘍細胞株を樹立することに成功した。3世代目の皮下移植を受けたマウスでは生存期間の短縮がみられ、肺転移結節数の増加や多臓器への転移、また原発腫瘤の自潰がみられるなど、高い転移能や悪性化を示す所見が得られた。3世代までの肺高転移株においてはsLe(x)の発現はみられないものの、単一の親株から得られた転移能や悪性度の異なる各世代の転移細胞株および安定的に肺高転移株を作成できる皮下移植モデルは生体内での転移機構を研究する上で非常に有用であると考えられた。 以上、本研究では犬乳腺腫瘍細胞株に対する各種腫瘍関連因子の解析結果より得られたsLe(x)の特異的な発現に注目し、そのin vitroにおける発現と血管内皮への接着性の評価ならびにin vivoでの発現とその臨床的な意義について自然発症例および実験動物モデルを用い検討を行った。その結果、sLe(x)を発現する犬乳腺腫瘍細胞株の存在とin vitroでの血管内皮への接着性が示され、また自然発症の犬乳腺腫瘍においては癌化に伴いsLe(x)の発現が約半数の症例でみられることが分かった。しかしながらsLe(x)の発現と生体内での転移との関連や臨床的意義は明らかではなかった。今後の研究においては、in vitroではsLe(x)を付加する糖転移酵素の活性の評価や癌化によるsLe(x)発現機序の解明に向けた研究が、in vivoでは遠隔転移組織におけるsLe(x)の発現や継時的な血清sLe(x)濃度値の変動と腫瘍病態との関連に対する検討を含めた広範なプロスペクティブ研究が必要となるであろう。また本研究で作成したマウス転移モデルは今後も継代を続けることによりsLe(x)の発現がみられる可能性が考えられるだけでなく、それにより得られる単一の親株から得られた転移能や悪性度の異なる各世代の転移細胞株に対するMicroarrayなどの網羅的な解析法は非常に興味深い知見をもたらす可能性を秘めており、犬乳腺腫瘍の転移機構に関連する因子について今後もさらなる研究を進めていく予定である。 | |
審査要旨 | 腫瘍の遠隔転移には、原発巣からの遊離、脈管内への侵入、二次臓器の血管内皮への接着と血管外への離脱、二次臓器での増殖といった様々な段階があり、各段階において様々な因子の関与が示唆されている。人医学領域では乳癌をはじめ様々な腫瘍でこれら因子の解析あるいは細胞動態や病態との関連について研究が進められているが、獣医学領域においてはまだ不明な点も多い。 異常を背景に、本論文は犬乳腺腫瘍における転移機構の解明に向けた基礎的研究として、犬乳腺腫瘍における転移関連因子の検索ならびにin vitro、in vivo、実験動物モデルにおけるそれらの役割や意義を検討したものである。 第一章では様々な腫瘍関連因子の犬乳腺腫瘍細胞における発現を、同一犬乳癌症例の原発巣と転移巣より樹立された3ペア計6株(CHMp/m、CIPp/m、CNMp/m)を用い検索した。これら細胞株よりタンパク質を抽出し、人乳癌との関連が示唆されている細胞接着因子、細胞周期関連因子、シグナル伝達因子、レセプター等、計24因子についてウェスタンブロット法により発現解析を行った。その結果、原発や転移巣といった細胞株の由来により一定の発現傾向を示した因子はみられなかったものの、いくつかの因子においてその発現の差異がみられた。中でもsialyl Lewis X[sLe(x)]は遠隔転移巣から分離されたCHMm株でのみ強発現を示し、検索した細胞株数は少ないものの、犬乳腺腫瘍における血行性転移との関連が示唆された。 第二章では犬乳腺腫瘍細胞におけるsLe(x)発現とその機能について検討した。sLe(x)はE-selectinと特異的に結合する糖鎖抗原であり、炎症部位における血管内皮への炎症細胞の接着に関与し、また腫瘍細胞の遠隔転移との関連も示唆されている。免疫染色による細胞での発現検索では、CHMm株でのみ細胞膜を中心に強い発現がみられた。また細胞接着実験では、sLe(x)陽性細胞であるCHMm株ではE-selectinを誘導された人臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)に対し有意にその接着性を増し、一方sLe(x)陰性株であるCHMp株では接着性に有意な変化はなかった。フロースルーチャンバーを用いた検索ではCHMm株がHUVECの上を転がるように接着していく過程が観察され、これは炎症細胞と血管内皮の接着で報告されているsLe(x)-E-selectin結合によるローリング現象と同様であると考えられた。これらの結果よりsLe(x)と犬乳腺腫瘍の血行性遠隔転移との関連が示唆された。 第三章では犬乳腺腫瘍自然発症例を対象とし、組織および血清中のsLe(x)発現と転移や予後などとの関連を検討することとした。本学附属家畜病院にて外科手術を受けた犬の原発乳腺腫瘍組織におけるsLe(x)発現を検索したところその約半数で発現がみられたが、健常犬や腫瘍症例の非癌部では発現はみられず、癌化に伴いsLe(x)が発現していることが示唆された。しかし、酵素免疫測定法を用いた血清中sLe(x)濃度測定では、乳腺腫瘍と健常犬における濃度値に有意な差異はみられず、またこれらの発現と臨床データとの有意な関連もみられなかった。 第四章では肺高転移モデルの作製とそこでのsLe(x)発現の可能性を検索した。免疫不全マウスへCHMp株を皮下移植した後、肺に形成された転移巣から腫瘍細胞を分離し、それを新たなマウスへと移植を重ねることでより転移能の高い細胞株を得ることができた。移植を重ねる中で、マウスの生存期間の短縮、肺転移結節数の増加などより高い転移能や悪性化を示す所見が得られた。しかし本モデルの3世代目までではsLe(x)発現はみられなかった。 以上要するに、本研究では犬乳腺腫瘍細胞株にみられたsLe(x)の特異的な発現に着目し、in vitroにおいてその接着性を、また自然発症例において約半数の原発腫瘍組織において癌化に伴うsLe(x)の発現を確認したものの、その発現と転移や予後との関連は明らかではなかった。しかし、本研究はsLe(x)の犬乳癌発生における何らかの役割を示したものであり、また今後の乳癌研究上貴重な細胞およびマウスモデルを開発したことから、その臨床上、学術上貢献するところは少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
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