学位論文要旨



No 120229
著者(漢字) 米澤,智洋
著者(英字)
著者(カナ) ヨネザワ,トモヒロ
標題(和) 雌性動物における成長ホルモンパルスの生物学的意義に関する研究
標題(洋)
報告番号 120229
報告番号 甲20229
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2912号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 教授 眞鍋,昇
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
内容要旨 要旨を表示する

 ヒトや家畜をはじめとする全ての哺乳動物は、代謝・内分泌機構により一定のエネルギー平衡を保っている。ホメオスタシスと呼ばれるこの現象は、個体が生命を維持するうえで重要な機構である。しかし、個体が自己の生存率を高めるような「個体の維持」を目的とする場合と、次世代をより多く残すために繁殖効率を高めるようないわゆる「種の維持」を目的とする場合とでは、最適と思われるエネルギー代謝のバランスは必ずしも一致しない。したがって、状況によって代謝のバランスを変動させる、上位の制御機構の存在が予想される。このような機構の存在は、次世代を残すために妊娠、出産、授乳を行う雌性動物において、特に重要であると考えられる。

 成長ホルモン(GH)は、視床下部の神経ペプチド群による制御をうけて、下垂体前葉より分泌されている。GHは、体成長促進作用のみならず、インスリン様成長因子I(IGF-I)放出や、脂肪燃焼促進などによる糖脂質代謝量の変動という生体のエネルギー平衡を調節するホルモンとして、ホメオスタシス制御に密接に関与している。GHはパルス状/持続的など様々な分泌動態を示し、この多様な分泌動態がGHの生理作用の発現を決定している。したがって、様々な環境条件下で発現するGH分泌動態の解析と、これを形成する視床下部神経ペプチド群のGH分泌制御機構の解明は、個体のホメオスタシスを理解する上で重要な知見を与えるものと考えられる。また、GHの分泌動態には性差が存在し、雌性動物は雄性動物に比べてGHパルスの規則性がみとめられにくいため、詳細な研究・解析が待ち望まれていた。

 そこで本研究では、視床下部近傍の第三脳室から脳脊髄液(CSF)を連続的に採取することが可能なシバヤギの、雌ないし去勢雌(OVX)を用いて、いくつかの環境下でのGHパルスの動態と、これを形成する神経ペプチド群の分泌動態を解析し、雌性動物における成長ホルモンパルスの形成機序とその生物学的意義を解明することを目的とした。

 まず、雌性動物の繁殖活動にともなったエネルギー代謝調節機構を明らかにするために、第2章第1節では性周期およびOVXによるGHの分泌動態の変動について観察するとともに、雌性ステロイド処置のGH分泌動態に対する影響を調べた。2-4歳の雌ヤギの初期黄体期(発情より1-8日後)、後期黄体期(発情より9-18日後)、および卵胞期(発情より19日-次回発情)と、OVXヤギにおける15分毎の血中GH濃度変化を24時間にわたって測定した。その結果、OVXヤギでは、約6時間に1回の明瞭なGHパルスとその間の低い基底値が観察された。OVXヤギのGHパルスは去勢雄ヤギのそれと比べパルス振幅が低く、GHパルスに性成熟前に生じる性差が存在することが示唆された。初期黄体期ではOVXヤギによく似たGH分泌動態を示したのに対し、後期黄体期ではGHパルス頻度、振幅の減少がみられた。逆に、卵胞期ではパルス頻度、振幅の増加がみられた。また、プロジェステロンを留置したOVXヤギでは、GHパルス振幅の下降がみられ、エストラジオールを皮下投与したOVXヤギでは、GHパルス振幅の著しい上昇がみられた。以上の結果から、雌ヤギにおいて、GHパルスは後期黄体期にプロジェステロンの作用により抑制され、卵胞期にエストロジェンの作用により亢進する、性周期変動をもつことが明らかになった。さらに、卵胞期では、GHパルスの亢進と同期して血中IGF-Iや遊離脂肪酸(FFA)の上昇がみられた。以上より、雌性動物は、性周期に伴い変動する性ステロイドによって、GHパルスの頻度や振幅を抑制・亢進させて、蛋白同化・脂肪分解等を制御し、黄体期には脂肪を蓄積して妊娠に備える代謝バランスに、卵胞期には脂肪分解や生殖器官の細胞増殖分化を高める代謝バランスに調節して、個体の維持、および次世代の作出に最も適切な代謝・内分泌環境を保持していると考えられた。

 つぎに、栄養状態の悪化により個体の維持が困難な場合のエネルギー代謝調節機構を明らかにするために、第2章第2節では、低栄養条件に曝されたときのGH分泌動態について検討した。OVXヤギに3日間の絶食条件を負荷し、12時間にわたって15分毎の採血を行うことで、急性的な低栄養条件によるGHパルスへの影響を観察した。また、1日2時間の制限給餌条件を負荷し、制限給餌開始より2週間、1ヶ月、2ヶ月の時点で連続採血を行い、慢性的な低栄養条件に曝されたときのGHパルス動態の変動も同時に検討した。その結果、急性的な低栄養状態や慢性的な低栄養状態の初期において、通常の分泌動態より規則性の乱れた、高頻度で低振幅のGHパルスが観察され、単位時間あたりのGH分泌量は増大した。このときの血中FFAは増大していた。一方、2ヶ月に渡る長期の慢性的な低栄養条件下では、GHパルスの振幅はさらに低下し、単位時間あたりの分泌量も低下していた。以上の結果より、短期の低栄養条件下では、GHは持続的とも表現できるような分泌動態を示し、エネルギー消費量を下げることなく脂肪の利用効率を向上させるような代謝バランスの維持に貢献していると考えられた。一方、長期の低栄養条件下では、GHの分泌が著しく低下することにより、エネルギー消費量を落とし、低栄養条件に適応した代謝バランスの維持が達成されると考えられた。このように、生体のGH分泌動態は低栄養状態において、その深刻度に応じた2種類のパターンを示し、これがエネルギー源の枯渇状況に対応したエネルギー代謝バランスの維持に貢献しているものと考えられた。

 続いて第3章では、状況に応じて変化するGHの分泌動態の形成に、視床下部由来の神経ペプチド群がどのように関与しているかを知るために、GH分泌促進因子であるGH放出ホルモン(GHRH)とGH分泌抑制因子であるソマトスタチン(SRIF)、さらに、近年、GHパルス形成に関与する可能性が示唆されているニューロペプチドY(NPY)の分泌動態について解析を行った。OVXヤギの第三脳室よりCSFを連続的に採取して、上記の神経ペプチド群の分泌動態を、GHの分泌動態と比較することで、OVXヤギにおけるGHパルス制御機構について追究した。

 第3章第1節では、通常状態にあるOVXヤギのGHRH、SRIF、NPYの分泌動態とGHパルスとの関係について、パルス解析、相互相関解析および近似エントロピー解析を用いて詳細に検討した。その結果、OVXヤギのGHパルスは、約3時間周期のNPYのパルス状の分泌減少(NPYトラフ)や、約1.5時間周期のGHRHパルスとの間に相関が認められた。NPYについてはGHに約15分先行した負の相関もみとめられた。これに対し、SRIFは約2時間周期の分泌動態を示すものの、GHに対する明確な相関はみとめられなかった。また、NPYの脳室内投与中にGHセクレタゴーグの静脈注射を行ってNPYのGH放出に対する効果を検討した結果、NPYの存在下ではGH放出刺激に対するGHの反応性が著しく減退することが示された。以上の結果より、通常の状態におけるOVXヤギのGHパルスの発生は、GHRHによる分泌促進作用に影響を受けながらも、抑制性因子であるNPYの分泌動態に特に依存して形成されることが明らかになった。

 以上の知見をふまえて、第3章第2節では、第2章で調べた環境条件下における、GHパルスと神経ペプチドの関係を第3章第1節と同様の手法で解析した。OVXヤギにエストラジオールを皮下投与することによって、NPYの分泌量は著しく減少し、GHとの相関を失ったのに対し、GHRHパルスは頻度の減少と持続時間の延長がみられ、パルスあたりの分泌量が増加し、GHパルスに対する同期性がより強く認められるようになった。すなわち、エストラジオール存在下ではNPYによるGH分泌抑制作用が解除され、同時にGHRHによるGH分泌促進作用が強化されることで、パルス振幅の大きいGH分泌動態が発現したと考えられた。一方、OVXヤギに3日間の絶食条件を負荷した場合、NPY分泌量は低下し、GHとの相互相関を失ったのに対して、SRIFの分泌量は上昇し、GHパルスと負の相関を有するようになった。すなわち、急性的な低栄養条件下ではNPYのGH分泌抑制作用が解除され、かわりにSRIFによるGH分泌抑制作用が強化されることで、低振幅で高頻度なGH分泌動態が発現したと考えられた。以上の結果は、第3章第1節で明らかにしたNPYトラフのGHパルス発生機構が絶対的なものではなく、性ステロイドの影響や栄養条件によってNPYのGH分泌抑制が解除された場合には、GHRHやSRIFによるGHパルス発生機構が表面化することを示すものである。すなわち、GHパルス発生機構とはある特定の一つの因子の変動によって決定されるものではなく、複数のGHパルス発生因子の分泌が栄養状態や生殖環境の変化などに対応して変動することにより、その状況にもっとも適したGHパルス動態が形成されていると考えられた。

 以上、本研究によって、雌性動物も特有のパルス状のGH分泌動態を有し、性周期や栄養状態によって柔軟に変動することが示された。また、GHパルス発生機構は、GHRHとSRIFの単純な二重支配によるものではなく、NPYを含めた包括的な制御機構によって形成されており、状況に応じてパルス形成の主導となる神経ペプチドが変化して、GHパルスの発現を調節していることが示された。このGHパルス動態の変動は、雌性動物が直面する多様な状況に応じて、最も適応性の高い生理状態を維持するために、ホメオスタシスの基準となるエネルギー代謝バランスの均衡点を変化させる重要な代謝調節機構の一つと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 成長ホルモン(GH)は体成長促進作用のみならず、脂肪燃焼促進などによる糖脂質代謝量の変動という生体のエネルギー平衡を調節するホルモンとして、ホメオスタシス制御に密接に関与している。GHはパルス状/持続的など様々な分泌動態を示し、この多様な分泌動態がGHの生理作用の発現を規定している。また、GHの分泌動態には性差が存在し、雌性動物は雄性動物に比べてGHパルスの規則性が認められにくいため、詳細な研究・解析が待ち望まれていた。そこで本研究では、脳脊髄液(CSF)を連続的に採取することが可能なシバヤギの、雌ないし去勢雌(OVX)を用いて、いくつかの環境下でのGHパルスの動態と、これを形成する神経ペプチド群の分泌動態を解析し、雌性動物における成長ホルモンパルスの形成機序とその生物学的意義を解明することを目的とした。

 まず第2章では雌ヤギの初期黄体期、後期黄体期、および卵胞期と、OVXヤギにおける血中GH濃度変化を24時間にわたって測定した。その結果、OVXヤギでは、約6時間に1回の明瞭なGHパルスとその間の低い基底値が観察された。初期黄体期ではOVXヤギによく似たGH分泌動態を示したのに対し、後期黄体期ではGHパルス頻度、振幅の減少がみられた。逆に、卵胞期ではパルス頻度、振幅の増加がみられた。また、プロジェステロンを留置したOVXヤギではGHパルス振幅の下降がみられ、エストラジオールを皮下投与したOVXヤギではGHパルス振幅の著しい上昇がみられた。以上より、雌性動物は性ステロイドによってGHパルスの頻度や振幅を制御し、黄体期には脂肪を蓄積して妊娠に備える代謝バランスに、卵胞期には脂肪分解や生殖器官の細胞増殖分化を高める代謝バランスに調節して、各時期に適切な代謝・内分泌環境を保持していると考えられた。

 次に、低栄養条件に曝されたときのGH分泌動態について検討した。その結果、急性的な低栄養状態や慢性的な低栄養状態の初期において、通常の分泌動態より規則性の乱れた、高頻度で低振幅のGHパルスが観察され、単位時間あたりのGH分泌量は増大した。一方、2ヶ月に渡る長期の慢性的な低栄養条件下では、GHパルスの振幅はさらに低下し、単位時間あたりの分泌量も低下していた。短期の低栄養条件下ではGHは持続的とも表現できるような分泌動態を示し、エネルギー消費量を下げることなく脂肪の利用効率を向上させるような代謝バランスの維持に貢献していると考えられた。一方、長期の低栄養条件下では、GHの分泌が著しく低下することによりエネルギー消費量を落とし、低栄養条件に適応した代謝バランスの維持が達成されると考えられた。

 続いて第3章では、GHの分泌動態の形成に神経ペプチド群がどのように関与しているかを知るために、CSF中のGH放出ホルモン(GHRH)、ソマトスタチン(SRIF)、ニューロペプチドY(NPY)の分泌動態について解析を行った。その結果、OVXヤギのGHパルスは、約3時間周期のNPYのパルス状の分泌減少(NPYトラフ)や、約1.5時間周期のGHRHパルスとの間に相関が認められた。これに対し、SRIFは約2時間周期の分泌動態を示すものの、GHに対する明確な相関は認められなかった。すなわち、OVXヤギのGHパルスの発生はGHRHによる分泌促進作用に影響を受けながらも、抑制性因子であるNPYの分泌動態に特に依存して形成されることが明らかになった。

 さらに、OVXヤギにエストラジオールを皮下投与することによって、NPYの分泌量は著しく減少してGHとの相関を失ったのに対し、GHRHパルスは頻度の減少と持続時間の延長がみられ、GHパルスに対する同期性がより強く認められるようになった。一方、絶食条件を負荷した場合、NPYはGHとの相互相関を失ったのに対し、SRIFはGHパルスと負の相関を有するようになった。以上の結果は、NPYトラフのGHパルス発生機構が絶対的なものではなく、性ステロイドや栄養条件によってNPYのGH分泌抑制が解除された場合には、GHRHやSRIFによるGHパルス発生機構が表面化することを示すものである。

 以上、本研究によって、雌性動物も特有のパルス状のGH分泌動態を有し、性周期や栄養状態によって柔軟に変動することが示された。また、GHパルス発生機構は、GHRHとSRIFの単純な二重支配によるものではなく、NPYを含めた包括的な制御機構によって形成されており、状況に応じてパルス形成の主導となる神経ペプチドが変化して、GHパルスの発現を調節していることが示された。これらの成果は、GHによる代謝制御機構に関する理解を深めるとともに、GHを介した動物の成長や代謝の人為的制御の方法論確立に大きく寄与するものと考えられ、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものとして認めた。

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