学位論文要旨



No 120231
著者(漢字) 金,芝璟
著者(英字)
著者(カナ) キム,チキョン
標題(和) プリオン遺伝子欠損マウスにおける嗅覚変動と病理組織学的研究
標題(洋) The analysis of ability of odor discrimination and histopathology in Prnp-/- mice
報告番号 120231
報告番号 甲20231
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2914号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 客員教授 糸原,重美
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 東京大学 助教授 久和,茂
内容要旨 要旨を表示する

序論

 プリオン病は、宿主の正常型プリオン蛋白質(Prpc)が、体内に侵入した異常型プリオン蛋白質(PrPSc)へと変換し発症する神経変性疾患である。ヒトのプリオン病ではクールー、クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)、ゲルストマン・シュトロイスラー・シャインカー病(GSS)が知られており、家畜ではヒツジのスクレピー、ウシの牛海面状脳症(Bovine Spongiform Encephalopathy,BSE)が、知られている。特にウシの場合、神経細胞体および突起内における空胞変性が病理組織学的特徴である。GPIアンカーで膜表面に付着している正常型プリオン蛋白質は感染型PrPScが入ると結合し、連続的にPrPScに変わるものと推定されているが、まだ、PrPCがPrPScに変わる過程は不明である。

 正常型プリオン蛋白遺伝子の生体での機能を調べる研究のため、世界で何種類のプリオン蛋白遺伝子欠損マウス(Prnp-/-)が作製された。これらはプリオン遺伝子の欠損部位によって1型と2型に分かれている。1型であるZrchI型とEdinburg型Prnp-/-マウスは正常に発達する一方、2型であるNgsk型、RcmO型、ZrchII型Prnp-/-マウスではPrP遺伝子と25%の相同性を持つDoppe1(Dp1)遺伝子が脳に異所発現し、行動異常や小脳プルキンエ細胞の脱落を起こすと知られている。Dp1遺伝子はマウスの場合はPrP遺伝子の16kb下流域にcodeされており、ヒトの場合は27kb下流域に存在している。Wild typeマウスでのDp1遺伝子は中枢神経系にはあまり存在していないが、心臓や精巣で発現する。しかし、Dp1の機能についてはまで明らかになっていない。新たに作られたRikn型Prnp-/-マウスはPrnp ORF(open reading frame)とintron 2の一部が欠損され、加齢と伴う運動失調が現れた。そこで、2型Rikn Prnp-/-マウスにおけるDp1蛋白質と嗅覚の機能の関係および組織学的な解析を目的として研究を行った。

 第1章 Type-2 Rikn Prnp-/-マウスの脳に発現するDp1の検出

 第1章では、Ataxiaによる行動異常を起こす2型Rikn Prnp-/-マウスとwild type(Prnp+/+,C57/6BJ)、そして1型Zrch I Prnp-/-マウスを用いてDp1の検出について検討した。Prnp/Prnd chimeric mRNAsは週齢に関わらず2型Rikn Prnp-/-マウスの脳で観察された。さらに大脳、小脳、嗅球に分けてRT-PCRを行った結果、大脳での発現が最も多かったが、918bp,818bp,717bpのバンドは三つの部分で差はみられなかった。RT-PCRの結果、野生型と1型Zrch I Prnp-/-マウスは精巣ではDp1mRNAが観察されたが、脳のPrnp/Prnd chimeric mRNAsは見られなかった。また、週齢別に発現したDp1蛋白質の検出の結果、5週から90週まで、25-30kDのDp1蛋白質が検出された。これらのことから、Dplは2型Rikn Prnp-/-マウスの大脳、小脳、嗅球で週齢に関係なく発現していることが明らかにされた。

第2章 Prnp-/-マウスの嗅覚識別能力の解析

 第2章では、1型Zrch I Prnp-/-と2型Rikn Prnp-/-マウス及びPrnp+/+マウスの週齢と伴う嗅覚識別能力について検査を行った。各groupのマウスは行動異常が開始する60週を基準として二つに分けてデータの分析を行った。Simple olfactory testでは、マウスを臭覚刺激剤(0.1%vanilla extract)に露出時、マウスが刺激源を探すまでの時間を測定した。その結果、Prnp+/+と1型Zrch I Prnp-/-マウスはいずれも週齢に対する変化が認められなかったが、2型Rikn Prnp-/-マウスでは加齢と共に臭覚に対する反応が遅かった。特に70週齢以上の場合は臭覚に反応するまで約3倍の時間を必要とした。Food localization testに用いたマウスは実験の前に節食をさせ、マウスがfood(チーズ)を探したり、食べたりするまでの時間を測定、分析した。この実験でも2型Rikn Prnp-/-マウスは他のgroupと比べて、反応時間が遅く、Simple olfactory testと同一な結果が得られた。さらに、老齢の2型Rikn Prnp-/-マウスにおける運動失調による誤差を排除するために新たな実験が必要となった。それで、ケージの中を仮象の線で二つの区域に分けて各区域にマウスが止まる時間を測定した。Prnp+/+(野生型)と1型Zrch I Prnp-/-マウスは刺激剤(2.5% Lemon extract)に反応してcontrol(滅菌水)の区域に止まる時間が長かったが、2型Rikn Prnp-/-マウスは両方に止まる時間で差が現れなかった。これらの結果から、2型Rikn Prnp-/-マウスは加齢と伴う嗅覚機能の障害が起こると考えられた。

第3章 Prnp-/-マウスにおける免疫組織学的分析

 さらに第3章では、2型Rikn Prnp-/-マウスに起こる嗅覚機能の障害による組織学変化を解析した。野生型と1型Zrch I 及び2型Rikn Prnp-/-マウスの脳は週齢別に採取し、作ったparaffin組織切片を用いて組織学的および免疫組織学的検査を行った。2型Rikn Prnp-/-マウスでHematoxyline and eosin染色を行った結果、大脳の海馬の場合、80週齢でも組織の変性が見られなかったが、小脳は約50週を始め、80週では強度のプルキンエ細胞の脱落が観察し、残存しているプルキンエ細胞の樹状突起は野生型と1型Zrch I に比べて突起の伸展が不良であるのが認められた。さらに、80週の嗅球では存在する僧帽細胞の脱落が起こるのを分かった。しかし、フェロモン識別記憶に関与する副嗅球での細胞の脱落や変性は現れなかった。抗-GFAP抗体を用いて免疫組織学的な観察の結果、2型Rikn Prnp-/-マウスは嗅球の全般で陽性反応が現れたが、特に外叢状層と顆粒細胞層で強度のgliosisが観察された。また、抗-ssDNA(single stranded DNA)抗体と様々なcaspase抗体を用いて染色したところ、嗅球の僧帽細胞で抗-ssDNA抗体、caspase-3抗体に対する反応性が検出された。これらの結果から、嗅球の僧帽細胞ではcaspase-3の活性化から誘導されるアポトーシス細胞死が起こると推測された。

 今までDp1の研究は精巣での機能や小脳のプルキンエ細胞に対して行われていた。

 本研究により、脳に異所発現するDpl蛋白質は小脳のプルキンエ細胞の変性による運動失調以外に、嗅球の細胞で発現し、僧帽細胞における細胞死に関与しているのを新たに分かった。また、Dp1による嗅球の組織学的変性は嗅覚認識及び識別能力の低下に関与すると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 正常型プリオン蛋白遺伝子の生体での機能を調べる研究のため、世界で何種類ものプリオン蛋白遺伝子欠損マウス(Prnp-/-)が作製された。これらはプリオン遺伝子の欠損部位によって1型と2型に分かれている。1型であるZrchI型とEdinburg型Prnp-/-マウスは正常に発達する一方、2型であるNgsk、RcmO、ZrchII型Prnp-/-マウスではDoppel(Dp1)遺伝子が脳に異所発現し、運動失調を起こすと知られている。Dp1 遺伝子は心臓や精巣で発現し、中枢神経系にはあまり存在していない。現在、Dp1の機能についてはまで明らかになっていない。新たに作られたRikn型Prnp-/-マウスはPrnp ORFとintron 2の一部が欠損され、加齢と伴う運動失調が現れた。本研究では、2型Rikn Prnp-/-マウスにおけるDp1と嗅覚の機能の関係および組織学的な解析を目的として研究を行った。

 Prnp+/+(C57BL/6J)、行動異常を起こす2型Rikn Prnp-/-及び1型ZrchI Prnp-/-マウスを用いてDp1の検出について検討した。2型Rikn Prnp-/-マウスの大脳、小脳、嗅球では、PrnpやPrnd 単独のmRNAは見られなく、3種類のPrnp/Prnd chimera mRNAが検出された。この産物はsequence解析により、Prnp promoterから始まるPrnp exon 2、intergene exon、Prnd exon 2などを含むchimera mRNAであることが分かった。さらに、週齢別の大脳、小脳、嗅球を用いてwestern blottingを行った結果から、Dp1の発現は脳の部位による差はなく、成熟した後、脳のDp1発現程度でも差はないことが明らかにされた。1型ZrchI Prnp-/-と2型Rikn Prnp-/-マウス 及びPrnp+/+マウスの週齢と伴う嗅覚識別能力について検査を行うために様々な行動実験を行った。 Simple olfactory testの結果、Prnp+/+と1型ZrchI Prnp-/-マウスは週齢に対する変化が認められなかったが、2型Rikn Prnp-/-マウスでは加齢と供に嗅覚に対する反応が遅かった。Food localization testはマウスがfood (チーズ)を探す時間を測定、分析した。この実験でも2型Rikn Prnp-/-マウスは反応時間が遅く、simple olfactory testと同一な結果が得られた。また、二つの刺激剤を連続的に与え、匂いの区別能力を検査するため、老齢のマウスで行ったhabituration /dishabituration testの結果、Prnp+/+と1型ZrchI Prnp-/-マウスは刺激剤を導入する時すぐ反応を示したが、2型Rikn Prnp-/-マウスは、約2分たった時点で少し反応をみせ、認識能力が低下しているのが本研究で明らかとなった。老齢の2型Rikn Prnp-/-マウスにおける運動失調による誤差を排除するために行った odor recognition testの結果から、2型Rikn Prnp-/-マウスは加齢と伴う嗅覚機能の障害が起こると考えられた。

 さらに、嗅覚機能の障害を現われる2型Rikn Prnp-/-マウスを用いて病理組織学的変化を解析した。老齢の 2型Rikn Prnp-/-マウスでHematoxylin -eosin 染色を行った結果、脳幹部と三叉神経根部で空胞変性が観察された。小脳は強度のプルキンエ細胞の脱落や樹状突起の伸展が不良であるのが認められた。さらに、嗅球では僧帽細胞の脱落が観察された。抗-GFAP抗体を用いて免疫組織学的観察の結果、2型Rikn Prnp-/-マウスは嗅球の全般で陽性反応が観察し、特に外叢状層と顆粒細胞層で強度のglia細胞の増殖が観察された。また、抗-ssDNA(single stranded DNA)抗体と様々なcaspase抗体を用いて染色行ったところ、嗅球の僧帽細胞で抗-ssDNA抗体、caspase-3抗体に対する反応性が検出された。これらの結果から、嗅球の僧帽細胞ではcaspase-3の活性化から誘導されるアポトーシス細胞死が起こると推測された。

 本研究により、脳に異所発現するDp1は小脳のプルキンエ細胞の変性による運動失調以外に、嗅球の僧帽細胞における細胞死にも関与しているのが明らかにされた。また、Dp1による嗅球の組織学的変性は嗅覚認識及び識別能力の低下に関与すると考えられる。従って、本研究の結果は、Dp1の細胞毒性の研究につながり、PrP cとDp1の相互作用の解析に重要な役割を果たすと考えられる。

 これらはプリオン病における研究の上で重要な知見を与えら。従って、審査委員一同は博士(獣医学)の資格を充分に有すると判断した。

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