学位論文要旨



No 120237
著者(漢字) 藤井,裕子
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,ヒロコ
標題(和) マウス胚性幹細胞におけるDNA複製制御機構の解析
標題(洋) Studies on DNA replication in mouse embryonic stem cells
報告番号 120237
報告番号 甲20237
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2386号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 助教授 宮澤,恵二
 東京大学 助教授 渡辺,すみ子
 東京大学 講師 石井,聡
内容要旨 要旨を表示する

 マウス胚性幹細胞(ES細胞)は、in vitroにおいて分化全能性を維持しつつ無限に増殖することが可能である。未分化ES細胞は、正常2倍体細胞であり正常組織への分化能を有するにも関わらず、その増殖能に関しては、血清飢餓非感受性、足場非依存性など、がん細胞に類似した性質を示す。また、未分化ES細胞はその細胞周期において通常の体細胞に比べ非常に短いG1、G2期を有し、大半をS期に費やすという特徴的なパターンを示すことが知られている。同様の性質はマウス発生初期胚のエピブラストや、マウス胚性腫瘍細胞などの未分化細胞にも共通して認められることから、ES細胞をモデルとした細胞周期制御機構の解析は、発生初期における細胞の分化と増殖との関係を理解する上でも重要であると考えられる。本研究では、ES細胞のDNA複製制御機構についての基礎的な知見を得ることを目的として以下の解析を行った。

1)ES細胞の未分化状態及び分化誘導時における細胞周期制御因子の発現機構の解析

同調条件下における未分化ES細胞の細胞周期におけるDNA複製制御因子の挙動を解析したところ、ASK、Cdc6、Cyclinなど、体細胞では細胞周期に依存した発現量の変動が知られている因子に関して、ES細胞においてはほぼ恒常的な発現が認められた。さらに、未分化ES細胞及びマウス胎児由来繊維芽細胞(MEF)を用いて細胞周期制御因子のタンパク質レベルでの発現の比較を行った結果、Cdc6、ASK、CyclinA2、CyclinB1の大量発現が認められた。また、これらの因子の発現は、ES細胞の分化誘導に伴い速やかに低下した。これらは、それぞれ、(1)G1期における複製前複合体の形成、(2)G1/S期におけるこの複合体の活性化、(3)S期進行、(4)G2/M期進行において中心的な役割を担う因子である。したがって、これらの因子の高発現により、未分化ES細胞特有の増殖サイクルが支持されている可能性が考えられる。また、さらなる解析の結果、ES細胞におけるこれらの因子の発現制御は、転写量の調節、mRNAの安定性の制御、タンパク質の安定性制御等、多段階のレベルで行われていることが判明した。この内、転写調節においてはプロモーター領域におけるヒストンH3N末端のK9及びK14のアセチル化が重要な役割を担う可能性が示唆された。

2)CDC7条件変異ES細胞を用いたin vitro DNA複製系開発の試み

近年、哺乳動物体細胞の単離核及び細胞質抽出液を用いたin vitro DNA複製系が確立された。CDC7はDNA複製の開始機構において重要な役割を果たす因子の一つであるが、我々は誘導的にCDC7遺伝子機能を破壊できる条件変異ES細胞株を樹立し(以下、CDC7(-/-)細胞)、CDC7が哺乳動物細胞においてもDNA複製に必須であることを証明している。しかしながら、動物細胞のDNA複製におけるCDC7の機能の詳細は不明である。したがって、CDC7(-/-)細胞を用いたin vitro DNA複製系の構築による、ES細胞のDNA複製におけるCDC7の機能の生化学的な解析を試みた。

 非同調的に増殖する野生型ES細胞から抽出した単離核は、複製の基質及びATPを含む緩衝液中でDNA複製を行うが、ミモシン処理によりG1期後期に同調した野生型ES細胞由来の単離核では、同じ緩衝液中では複製は観察されず、野生型ES細胞由来の細胞質抽出液の添加に依存して複製能を示す。誘導的にCDC7遺伝子を欠損させたCDC7(-/-)細胞質抽出液中において上記の野生型G1期後期単離核のin vitro DNA複製開始能の有無を検討したところ、この抽出液によってもDNA複製開始が支持されることが判明した。一方、CDC7(-/-)細胞由来の単離核は、S期停止しているにもかかわらず、緩衝液中でのDNA複製伸長反応の顕著な低下が認められた。野生型細胞質抽出液の添加により、複製能の若干の回復が認められたが、これはCDC7活性に非依存的であり、また野生型細胞核の複製能の約50%程度に留まった。以上の結果は、G1期後期の核内にはDNA複製開始の支持に十分な量のCDC7活性が既に存在していること、CDC7遺伝子欠損により核はDNA複製能を喪失し、この核における複製能の回復は、CDC7を含む可溶性細胞質因子の添加のみでは不十分であることを示唆するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、マウス胚性幹細胞(ES細胞)のDNA複製制御機構についての基礎的な知見を得るために、1)ES細胞の未分化状態および分化誘導時における細胞周期制御因子の発現機構の解析並びに2)CDC7条件変異ES細胞を用いたin vitro DNA複製系の開発を試みたものである。これらの解析の結果を以下に記す。

1)ES細胞の未分化状態および分化誘導時における細胞周期制御因子の発現機構の解析

 (1)ES細胞の細胞周期におけるDNA複製制御因子の挙動を解析した。この結果、ASK、Cdc6、Cyclinなど、体細胞では細胞周期に依存した発現量の変動が知られている因子に関して、ES細胞においてはほぼ恒常的な発現が認められた。

 (2)未分化ES細胞及びマウス胎児由来繊維芽細胞(MEF)を用いて細胞周期制御因子のタンパク質レベルでの発現の比較を行ったところ、Cdc6、ASK、CyclinA2、CyclinB1の大量発現が認められた。また、これらの因子の発現は、ES細胞の分化誘導に伴い速やかに低下した。

 (3)ES細胞におけるこれらの因子の発現制御機構についての解析を行った。Northern blotの結果、タンパク質レベルでの高発現が認められた因子のみならず、今回の解析の対称となった因子のほぼ全てにおいて、ES細胞における転写量の増大が認められた。一方、これとは対照的に、p21、p27などのCDK抑制因子に関してのみ、転写の減少が確認された。さらなる解析の結果、mRNAの安定化や、Cdc6に関してはタンパク質レベルでの安定化も、これらの因子の増産に寄与することが示された。

 (4)細胞の分化に伴う転写調節においてクロマチンの修飾制御が重要な役割を果たすことが報告されている。ES細胞での複製制御因子の発現調節においてもこれらの機構が関与しているのかという点について検討した。クロマチン免疫沈降法を用いたプロモーター領域の解析の結果、ヒストンH3N末端のK9及びK14のアセチル化が、ES細胞における複製制御因子の転写調節に関与することが示された。一方、ヒストンH3K9のメチル化に関しては相関関係が認められなかった。また、DNAシトシン残基においては、細胞増殖を停止した終末分化組織でのみメチル化が検出された。

2)CDC7条件変異ES細胞を用いたin vitro DNA複製系開発の試み

 CDC7はDNA複製の開始機構において重要な役割を果たす因子の一つであるが、我々は誘導的にCDC7遺伝子機能を破壊できる条件変異ES細胞株を樹立し(以下、CDC7(-/-)細胞)、CDC7が哺乳動物細胞においてもDNA複製に必須であることを証明している。しかしながら、動物細胞のDNA複製におけるCDC7の機能の詳細は不明である。したがって、本研究では、CDC7(-/-)細胞を用いてin vitro DNA複製系を構築し、ES細胞のDNA複製におけるCDC7の機能の生化学的な解析を試みた。

(1)同調的に増殖する野生型ES細胞から抽出した単離核は、複製の基質及びATPを含む緩衝液中でDNA複製を行うが、ミモシン処理によりG1期後期に同調した野生型ES細胞由来の単離核では、同じ緩衝液中では複製は観察されず、野生型ES細胞由来の細胞質抽出液の添加に依存して複製能を示す。誘導的にCDC7遺伝子を欠損させたCDC7(-/-)細胞質抽出液中において上記の野生型G1期後期単離核のin vitro DNA複製開始能の有無を検討したところ、この抽出液によってもDNA複製開始が支持されることが判明した。この結果から、G1期後期の核内にはDNA複製開始の支持に十分な量のCDC7活性が既に存在していることが示唆された。

(2)CDC7(-/-)細胞由来の単離核は、S期停止しているにもかかわらず、緩衝液中でのDNA複製伸長反応の顕著な低下が認められた。野生型細胞質抽出液の添加により、複製能の若干の回復が認められたが、これはCDC7活性に非依存的であり、また野生型細胞核の複製能の約50%程度に留まった。したがって、CDC7遺伝子欠損により核はDNA複製能を喪失し、この核における複製能の回復は、CDC7を含む可溶性細胞質因子の添加のみでは不十分であると考えられた。

 以上、本研究1)により、未分化ES細胞においてCdc6、ASK、CyclinA2、CyclinB1が細胞周期を通じてほぼ恒常的に大量発現していることが明らかとなった。これらは、それぞれ、(1)G1期における複製前複合体の形成、(2)G1/S期におけるこの複合体の活性化、(3)S期進行、(4)G2/M期進行において中心的な役割を担う因子である。したがって、これらの因子の高発現により、未分化ES細胞特有の増殖サイクルが支持されている可能性が考えられる。また、ES細胞におけるこれらの因子の発現制御は多段階のレベルで行われていることが判明したが、この内、転写調節においてはプロモーター領域におけるヒストンH3N末端のK9及びK14のアセチル化が重要な役割を担う可能性が示唆された。

 さらに、本研究2)により、ES細胞を用いたin vitro DNA複製系が初めて確立された。CDC7依存的な複製系の確立には未だ至っていないが、この手法の応用による、ES細胞における複製制御機構の生化学的解析のさらなる進展が期待される。

 これらの結果は、未分化ES細胞の細胞周期制御機構に関して新たな知見をもたらすものであり、学位の授与に値すると考えられる。

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