学位論文要旨



No 120239
著者(漢字) 和田,裕美
著者(英字)
著者(カナ) ワダ,ヒロミ
標題(和) くも膜下出血後攣縮血管における遺伝子発現解析
標題(洋) Comprehensive gene expression analysis of spasmic brain artery after subarachnoid hemorrhage
報告番号 120239
報告番号 甲20239
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2388号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 尾藤,晴彦
 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 助教授 中田,隆夫
内容要旨 要旨を表示する

【目的】

 日本はフィンランドとならび、くも膜下出血が10万人あたり23人の発症で、世界平均の2倍に達している。また、その八割以上がウィリス動脈輪という内頚動脈系(前方循環)と椎骨動脈系(後方循環)が癒合して形成される脳底の動脈によるネットワークに存在する脳動脈瘤破裂が原因である。さらに、くも膜下出血患者の多くは亜急性期に脳血管攣縮を発症して,二次的な脳虚血を引き起こすことが生存率とQOLに大きな影響を及ぼしているが,その原因・病態については今だ解明されてはいない。こうした病態を持つ脳血管は,その解剖学的、発生学的に体血管とは異なる特徴を持つことが知られているが、現在までにウィリス動脈輪を単離して遺伝子発現を網羅的に検討し,他の血管との比較によってその特徴を明らかにした研究は報告されていない。

 そこで我々は、一般に疾患の病因・メカニズムを解明する上で遺伝子発現様式を明らかにすることはその作用機序を解明するうえで重要な基盤情報となるため、ラット脳組織を用いて,Willis輪周辺の脳血管をくも膜と脳組織から単離して遺伝子発現を検討し,くも膜,下行大動脈との比較を行った。さらにウィリス動脈輪での遺伝子発現が内皮細胞と平滑筋細胞のいずれの特徴を反映しているかを確認するために,内皮細胞と平滑筋細胞を初代培養して同様の検討を行った。そしてくも膜下出血後の脳血管攣縮時において特徴的な発現様式を示す遺伝子を同定するため,ラットの髄腔に自己血を二度注入するDouble injection modelを用いて同様の遺伝子発現解析を行った。この解析結果から、我々は骨髄由来内皮前駆細胞に関する仮説を立て、骨髄移植ラットを用いて、同様のモデルにおける骨髄由来細胞の分布を観察して仮説の検証を試みた。

【方法と結果・考察】

1. ラット脳血管における網羅的遺伝子解析

 ラットウィリス動脈輪について、下行大動脈およびくも膜組織を比較対象としてOligonucleotide microarrayによる網羅的遺伝子発現解析を行った。脳血管およびくも膜組織という微小組織検体からのtotal RNA回収にあたり、凍結破砕法を用い、効率良く質の高いtotal RNAを回収することを可能とした。また、初代培養細胞を用いて、内皮細胞および平滑筋細胞の遺伝子発現についても検討したが、ウィリス動脈輪からの内皮細胞単離にあたっては、実体顕微鏡下での長軸切開による内腔露出後、collagenase処理を行う方法で、増殖良好な生存性の高い細胞を回収することに成功した。

 組織検体および初代培養細胞における網羅的遺伝子解析を行った結果、神経系発達期において重要な遺伝子群であるNotch system、Ephrin system, Neuropilin-1などが体血管を含め、成体血管系に存在していた。特に脳血管では、内皮細胞においてNotch-1とリガンドであるjagged-1、およびEphrin A1が特異的に発現しており、このNotch systemは、くも膜組織に特異的に発現していたBMP-7と内皮細胞における相互作用が認められたことが報告されている。また、動脈特異的に発現するEphrin B2の受容体であるEph B2がくも膜組織に存在していた。さらに、VEGF受容体であり、血管透過性および内皮細胞のmigrationを誘導することが報告されているNeuropilin-1については、大動脈には発現しているものの、脳血管には発現せず、くも膜組織にのみ発現していた。これらの結果は、脳血管系は大動脈血管と異なる発現型をもち、くも膜組織と機能的相互作用を有している可能性を示唆するものであった。

2.ラットくも膜下出血モデルにおける網羅的遺伝子解析

 Double injection modelによるくも膜下出血後血管攣縮期の遺伝子発現変動を解析した。Double injection model作成にあたっては、成功率を向上させるため、我々は独自に開発したinjection tube(Hiromi injection tube型式;ZSN-01、ABLE Corporation, Japan)を使用することで、くも膜下出血を再現性をもって確実に起こすことが出来た。また、脳血管攣縮の確認にあたり、従来の血管造影法ではなく、侵襲が少なく、ウィリス動脈輪全体の撮影が可能で、信号強度を数値化することで血管径の比較ができる核磁気共鳴血管造影法(Magnetic Resonece Angiography:MRA)を試みた。くも膜下出血後の血管攣縮極期にあたるDay7において、特に脳底動脈を中心とした血管径の減少が確認できた。

 このモデルを用いた網羅的遺伝子解析の結果、くも膜下出血に続く血管攣縮早期には、ウィリス動脈輪・くも膜組織いずれにおいてもFas-Fas ligand apoptosisが関与し、続く攣縮極期にはStress induced/Bax induced apoptosis、さらにウィリス動脈輪ではTNFR induced apoptosisが関与していることを示す結果が得られた。同時期に抽出された遺伝子群には、多くのHematopoietic stem cell(HSC)、前駆細胞に関連した遺伝子群が含まれ、くも膜組織でBMPシステムの活性化が起こっており、このBMPと相互作用を持つNotch/Noggin/FGF/Wnt systemに関る遺伝子群すべてがBMPの経路を活性化する方向に動いていた。しかし、ウィリス動脈輪では、BMPの細胞内シグナルに関る蛋白のOAZが高発現していた以外は、続くシグナル伝達に関る遺伝子の発現が低下しており、この系以外の幹細胞・前駆細胞関連遺伝子群においても同様の結果であった。さらに、内皮細胞におけるNO産生機能回復に関係したKlothoが同時期にくも膜組織で高発現していたものの、Klothoノックアウトマウス同様にcalpastatinが低下しており、ウィリス動脈輪における機能回復が攣縮極期では困難な状況にあることを示す結果であった。攣縮回復期day14においては、くも膜組織においてBMP/FGF/Shh systemに関連した遺伝子群が抽出され、Shh経路の抑制、BMP経路の回復が認められた。このことは、くも膜下出血後の機能回復にくも膜組織とウィリス動脈輪の相互作用が重要性な役割を持っていることを示すとともに、この相互作用が攣縮極期には発揮できないでいることを示唆する結果でもあった。

3. GFP transgenic ratを用いた骨髄移植ラットによるくも膜下出血モデルにおける骨髄由来細胞の動態解析

 これらの遺伝子解析結果をふまえ、我々は、くも膜下出血に続く脳血管攣縮の病態に、アポトーシスを主体とした血管内皮細胞障害によるNO産生低下などの機能障害が攣縮発生に関与し、攣縮からの回復にはこれらの機能修復として骨髄由来内皮細胞の動員による内皮再生が必要とされているのではないかという仮説を立てた。この仮説を検証するため、攣縮血管における内皮細胞のアポトーシスについては、TUNEL染色法により攣縮極期Day7におけるアポトーシスを確認し、さらにGFP transgenic ratを用いた骨髄移植モデルによるくも膜下出血モデルを用いて、共焦点顕微鏡による骨髄由来幹細胞の分布を観察した。

 その結果、攣縮回復期にあたるDay14をピークに骨髄由来内皮細胞の増加が確認された。このことは、骨髄由来内皮細胞の動員がくも膜下出血発症後、二週間かけて行われ、かつ攣縮からの回復に寄与している可能性を示唆するものであり、我々の仮説を支持する結果であった。さらに,攣縮回復後のDay21にはその細胞数が統計学的には有意でないものの減少傾向を認めていることから,骨髄由来内皮細胞は攣縮からの回復後、自家内皮細胞に置き換えられている可能性も考えられた。

【結語】

 我々は,脳血管における網羅的遺伝子解析に始まる特異な遺伝子発現型の検討によって、脳血管系は体血管と異なる発現型をもち、くも膜組織と機能的相互作用を持つ可能性が示唆された。また、くも膜下出血における血管攣縮期の遺伝子解析に基づいて、アポトーシスを主体とする内皮脱落が攣縮の誘因の一つと考え、骨髄由来内皮細胞による内皮修復によって攣縮が解除されるという仮説を組み立て、骨髄移植ラットを用いた解析によりそれを支持する結果を得ることができた。網羅的遺伝子解析で明らかとなった攣縮極期におけるウィリス動脈輪の骨髄由来前駆細胞動員に関与するサイトカインの低下や、くも膜組織のBMP-7発現量増加が示唆する如く、脳血管においてはBMP-7を含めた骨髄由来内皮前駆細胞の動員作用が攣縮回復に効果を発揮する可能性が充分に考えられる結果であった。

 これらの事実は,未だ解明されていない、くも膜下出血における血管攣縮発生の機序に新たな知見を与えるものである。また、内皮前駆細胞を動員することによって,攣縮血管の内皮化を促進することが新たな治療法になりうることを示唆する結果であった。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,我が国において世界平均の2倍の発生頻度である「くも膜下出血」について,その病態を明らかにするため,ラットを用いて網羅的遺伝子解析を行った.正常脳血管の遺伝子レベルでの臓器特異性,およびくも膜下出血モデルにおける経時的遺伝子発現の変化を解析し,仮説を導き出したうえで,GFP トランスジェニックラットを用いた骨髄移植モデルにより,仮説検証を試みたものであり,下記の結果を得ている.

1.組織検体および初代培養細胞における網羅的遺伝子解析を行った結果、神経系発達期において重要な遺伝子群であるNotch system、Ephrin system, Neuropilin-1などが体血管を含め、成体血管系に存在していた。特に脳血管では、内皮細胞においてNotch-1とリガンドであるjagged-1、およびEphrin A1が特異的に発現しており、このNotch systemは、くも膜組織に特異的に発現していたBMP-7と内皮細胞における相互作用が認められたことが報告されている。また、動脈特異的に発現するEphrin B2の受容体であるEph B2がくも膜組織に存在していた。さらに、VEGF受容体であり、血管透過性および内皮細胞のmigrationを誘導することが報告されているNeuropilin-1については、大動脈には発現しているものの、脳血管には発現せず、くも膜組織にのみ発現していた。これらの結果は、脳血管系は大動脈血管と異なる発現型をもち、くも膜組織と機能的相互作用を有している可能性を示唆するものであった。

2.ラットくも膜下出血を用いた網羅的遺伝子解析の結果,くも膜下出血に続く血管攣縮早期には,ウィリス動脈輪・くも膜組織いずれにおいてもFas-Fas ligand apoptosisが関与し,続く攣縮極期にはStress induced/Bax induced apoptosis,さらにウィリス動脈輪ではTNFR induced apoptosisが関与していることを示す結果が得られた.同時期に抽出された遺伝子群には,多くのHematopoietic stem cell(HSC),前駆細胞に関連した遺伝子群が含まれ,くも膜組織でBMPシステムの活性化が起こっており,このBMPと相互作用を持つNotch/Noggin/FGF/Wnt systemに関る遺伝子群すべてがBMPの経路を活性化する方向に動いていた.しかし,ウィリス動脈輪では,BMPの細胞内シグナルに関る蛋白のOAZが高発現していた以外は,続くシグナル伝達に関る遺伝子の発現が低下しており,この系以外の幹細胞・前駆細胞関連遺伝子群においても同様の結果であった.さらに,内皮細胞におけるNO産生機能回復に関係したKlothoが同時期にくも膜組織で高発現していたものの、Klothoノックアウトマウス同様にcalpastatinが低下しており,ウィリス動脈輪における機能回復が攣縮極期では困難な状況にあることを示す結果であった. 攣縮回復期day14においては,くも膜組織においてBMP/FGF/Shh systemに関連した遺伝子群が抽出され,Shh経路の抑制,BMP経路の回復が認められた.このことは、くも膜下出血後の機能回復にくも膜組織とウィリス動脈輪の相互作用が重要性な役割を持っていることを示すとともに,この相互作用が攣縮極期には発揮できないでいることを示唆する結果でもあった.

3.これらの遺伝子解析結果をふまえ,我々は,くも膜下出血に続く脳血管攣縮の病態に,アポトーシスを主体とした血管内皮細胞障害によるNO産生低下などの機能障害が攣縮発生に関与し,攣縮からの回復にはこれらの機能修復として骨髄由来内皮細胞の動員による内皮再生が必要とされているのではないかという仮説を立てた.この仮説を検証するため,攣縮血管における内皮細胞のアポトーシスについては,TUNEL染色法により攣縮極期Day7におけるアポトーシスを確認し,さらにGFP transgenic ratを用いた骨髄移植モデルによるくも膜下出血モデルを用いて,共焦点顕微鏡による骨髄由来幹細胞の分布を観察した.結果,攣縮回復期にあたるDay14をピークに骨髄由来内皮細胞の増加が確認された.このことは,骨髄由来内皮細胞の動員がくも膜下出血発症後,二週間かけて行われ,かつ攣縮からの回復に寄与している可能性を示唆するものであり,我々の仮説を支持する結果であった.さらに,攣縮回復後のDay21にはその細胞数が統計学的には有意でないものの減少傾向を認めていることから,骨髄由来内皮細胞は攣縮からの回復後,自家内皮細胞に置き換えられている可能性も考えられた.

 以上,本論文は,脳血管における網羅的遺伝子解析に始まる特異な遺伝子発現型の検討によって、脳血管系は体血管と異なる発現型をもち、くも膜組織と機能的相互作用を持つ可能性を見出し、くも膜下出血における血管攣縮期の遺伝子解析に基づいて,アポトーシスを主体とする内皮脱落が攣縮の誘因の1つであり,骨髄由来内皮細胞による内皮修復によって攣縮が解除されるという仮説を組み立てるに至った.さらに,骨髄移植ラットを用いた解析によりそれを支持する結果を得て,骨髄由来内皮前駆細胞の動員作用が攣縮回復に効果を発揮する可能性を明らかにした.よって,未だ解明されていない、くも膜下出血における血管攣縮発生の機序に新たな知見を与え,新たな治療法の確立に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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