学位論文要旨



No 120241
著者(漢字) 石井,清朗
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,キヨアキ
標題(和) カルシウム振動機構における細胞内小器官の役割
標題(洋) Organellar Ca2+ dynamics underlying Ca2+ oscillations
報告番号 120241
報告番号 甲20241
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2390号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 浅野,知一郎
内容要旨 要旨を表示する

 カルシウム振動は周期的に起こる細胞内のカルシウム濃度の変化で、多くの種類の細胞でみられる現象である。このカルシウム振動の頻度は免疫反応、シナプスの可塑性、分泌、受精、遺伝子発現といった細胞機能の制御に大きく関わっている。細胞はカルシウム振動を起こすことにより、費用対効果を高めることが出来ると考えられている。このように、細胞内でのカルシウム振動の重要性が広く知られているにもかかわらず、どのように細胞がカルシウム振動を生み出しているのかということはまだ良く分かっていない。カルシウム振動を起こすには、細胞内のカルシウム貯蔵庫である小胞体内腔からinositol1,4,5-trisphosphate(IP3)受容体を介したカルシウムの放出が必要であると共に、細胞質内に放出されたカルシウムをミトコンドリアが取り込むことも重要な要素とされている。しかしこれら細胞内小器官が、カルシウム振動の発生、形成、維持にどのような役割を果たしているのかということは解明されていない。

 今回の実験では、生細胞における細胞内小器官のカルシウム濃度変化を測定するために、蛍光タンパク質をベースとした分子を用いた。小胞体内腔のカルシウム濃度の測定にはCameleonというindicatorを使用した。これは、蛍光の波長が異なる2つの蛍光分子(CFPとYFP)にそれぞれ、calmodulinとM13peptide(カルシウム濃度に依存してcalmodulinと結合する)をfusionさせたindicatorである。カルシウム濃度に依存してfluorescence resonance energy transfer(FRET)の程度が変わるため、CFPとYFPの蛍光の比を計算することでカルシウム濃度の変化を測定することができる。しかし既存の小胞体移行シグナルを持っCameleonでは、calmodulinのカルシウムに対する親和性が小胞体内腔において適切でないため微小な濃度変化を測定することはできなかった。よって今回、calmodulinのカルシウム結合部位のアミノ酸を置換することにより親和性を変化させ、生細胞(HeLa cell)において、カルシウム振動時における小胞体内腔のカルシウム濃度変化を測定することに成功した。

 細胞質と小胞体内腔のカルシウムの相互作用を調べるため、細胞外のカルシウムを無くした環境で生細胞にアゴニスト刺激を加え、カルシウム振動を起こし、細胞質と小胞体内腔のカルシウム濃度変化の同時測定を行った。この際、細胞質のカルシウム濃度変化はカルシウム指示薬(indo-5F)を用いて測定した。刺激直後、細胞質のカルシウム濃度は上昇し、同時に小胞体内腔のカルシウム濃度は減少した。その後、細胞質のカルシウム濃度がピークを迎え減少し始めたが、小胞体内腔からのカルシウム放出はその間も続いていた。この時の小胞体内腔から放出されるカルシウムは、他の細胞内小器官もしくは、細胞外に放出されたものと思われる。この考えを指示するように、カルシウム振動中の小胞体内腔のカルシウム濃度は、刺激前のレベルに戻ることはなかった。もう1つ特徴的なことは、2回目以降のカルシウムスパイクにおいて細胞質カルシウム濃度上昇の立ち上がりが、小胞体内腔からのカルシウム放出以前に起こっていることである。細胞外のカルシウムは無い環境なので、他の細胞内小器官からのカルシウム放出により、細胞質カルシウムの濃度上昇が起こったと考えられる。

 カルシウムを貯蔵する他の細胞内小器官として考えられるのはミトコンドリアである。ミトコンドリアは細胞内において小胞体とかなり近い位置にあり、小胞体から放出されたカルシウムを取り込むことも知られている。したがって次に、小胞体内腔カルシウム濃度測定と同様の環境で、カルシウム振動時の細胞質カルシウム濃度とミトコンドリア内カルシウム濃度の同時測定を行った。細胞質のカルシウム濃度はカルシウム指示薬(Fura-2)、ミトコンドリア内カルシウム濃度はミトコンドリア移行シグナルの付いたPericamを用いた。PericamはCameleonと同様に、YFPとcalmodulin、M13peptideをfusionさせたindicatorだが、YFPの構造変化により蛍光強度を変化させカルシウム濃度を測定する。測定結果から次のことが分かった。1つ目に、刺激直後は細胞質カルシウム濃度とミトコンドリア内カルシウム濃度は同時に上昇するが、ミトコンドリア内カルシウム濃度は、細胞質内カルシウム濃度がピークを迎えた後も上昇するということである。これは細胞質のカルシウム濃度がピークを迎えた後も放出を続けている小胞体内腔からのカルシウム放出を取り込んでいると考えられる。2つ目は、2回目以降のカルシウムスパイクでは、細胞質カルシウム濃度上昇の立ち上がりと、ミトコンドリア内のカルシウム濃度上昇の立ち上がりが同期していないことである。細胞質カルシウム濃度が上昇し始めるとき、ミトコンドリア内カルシウムは減少、つまり放出している。したがって、細胞質内のカルシウム濃度上昇の立ち上がりは、ミトコンドリアからのカルシウム放出によって起こると考えられる。この考えを確かめるため、ミトコンドリアのカルシウムを取り込む機能と放出する機能を阻害した。ミトコンドリアのカルシウムを取り込む機能の大部分は、ミトコンドリアの膜電位に依存している。ミトコンドリアの膜電位を無くし(uncoupler,FCCP添加)、ミトコンドリア内にカルシウムを取り込むことを阻害すると、カルシウム振動は起こらず細胞質内のカルシウム濃度は高いレベルで維持される。一方、小胞体内腔のカルシウムは放出され、低い濃度で維持される。このことからカルシウム振動には、ミトコンドリアによるカルシウムの取り込みが必要であるということが分かる。また、ミトコンドリアからのカルシウムの放出は、Na+/Ca2+exchanger(NCX)が役割を担っている。NCXを阻害し(CGP-37157添加)、ミトコンドリアからのカルシウム放出を無くすと、この場合もカルシウム振動は起こらない。ミトコンドリア内のカルシウム濃度は、小胞体内腔から放出されたカルシウムを取り込んだままの高いレベルを維持し、小胞体内腔のカルシウム濃度はミトコンドリアからのカルシウムの戻りが無いため、低いレベルで維持される。そして細胞質内カルシウム濃度については、刺激直後の上昇以降は刺激前のレベルに戻り、再び上昇することはなかった。このことは、ミトコンドリアからのカルシウムの供給が無かったため、2回目以降のカルシウム上昇が起こせなかったことが原因と考えられる。

 今回の実験による細胞質内、小胞体内腔、ミトコンドリア内それぞれのカルシウム濃度測定の結果から、カルシウム振動時におけるカルシウム動態は次のように考えられる。刺激直後、IP3受容体を介した小胞体内腔からのカルシウム放出が起こり1回目のカルシウムスパイクが形成される。放出されたカルシウムは、細胞質内とミトコンドリア内のカルシウム濃度を上昇させた後、小胞体内腔に戻ってくる。小胞体内腔のカルシウム濃度がカルシウムポンプ(SERCA)の働きによって上昇してくると、徐々に取り込みは緩やかになる。このときミトコンドリアから放出されるカルシウムが、細胞質内のカルシウム濃度を押し上げる。このことがIP3受容体を活性化し、再び小胞体内腔からのカルシウム放出を起こす、つまりcalcium induce calcium release(CICR)が起こる。この繰り返しによって、カルシウム振動が形作られるというモデルが今回考えられた。

 今回の研究により、細胞質におけるカルシウム振動の立ち上がりにミトコンドリアからのカルシウム放出が必須であることが示唆され、小胞体内腔カルシウムと同様にミトコンドリア内カルシウムの役割の重要性が認識された。つまりこのことは、ミトコンドリアからのカルシウム放出の機能障害はカルシウム振動の動態に大きな影響を与えることを示唆している。実際に平滑筋細胞を低酸素状態にすると、アゴニスト刺激によるカルシウム振動の頻度は少なくなり、筋肉の収縮も弱くなることが報告されている。他の多くの研究から、低酸素状態はミトコンドリアの呼吸鎖の阻害、ATP合成を抑制、膜電位の消滅、活性酸素の生産といった機能障害を起こし、ミトコンドリア内のカルシウム濃度を変化させることが分かっている。また低酸素状態のミトコンドリアでは、本来カルシウムを放出する役割のNCXが逆回転して、カルシウムをミトコンドリア内に取り込む様子も観察されている。そして実際に低酸素時の平滑筋細胞において、ミトコンドリア内のカルシウムが上昇している様子も観察されている。よって、今回の研究により示唆されたカルシウム振動におけるミトコンドリア内からのカルシウム放出の作用は、ミトコンドリアの機能障害による病理的、生理的現象を解明する上でターゲットとなると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は細胞内でのカルシウム振動の重要性が広く知られているにもかかわらず、どのように細胞がカルシウム振動を生み出しているのかということはまだ良く分かっていないため、細胞内小器官と細胞質のカルシウム濃度変化を同時に測定することによって、カルシウム振動の発生メカニズムの解明を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.生細胞における細胞内小器官のカルシウム濃度変化を測定するために、蛍光タンパク質をベースとした分子を用いた。小胞体内腔のカルシウム濃度の測定にはCameleonというindicatorを使用した。しかし既存の小胞体移行シグナルを持つCameleonでは、calmodulinのカルシウムに対する親和性が小胞体内腔において適切でないため微小な濃度変化を測定することはできなかった。よって今回、calmodulinのカルシウム結合部位のアミノ酸を置換することにより親和性を変化させ、生細胞(HeLa cell)において、カルシウム振動時における小胞体内腔のカルシウム濃度変化を測定することに成功した。

2.細胞質と小胞体内腔のカルシウムの相互作用を調べるため、細胞外のカルシウムを無くした環境で生細胞にアゴニスト刺激を加え、カルシウム振動を起こし、細胞質と小胞体内腔のカルシウム濃度変化の同時測定を行った。2回目以降のカルシウムスパイクにおいて細胞質カルシウム濃度上昇の立ち上がりが、小胞体内腔からのカルシウム放出以前に起こっていた。細胞外のカルシウムは無い環境なので、他の細胞内小器官からのカルシウム放出により、細胞質カルシウムの濃度上昇が起こったと考えられる。

3.カルシウムを貯蔵する他の細胞内小器官として考えられるのはミトコンドリアである。カルシウム振動時の細胞質カルシウム濃度とミトコンドリア内カルシウム濃度の同時測定を行った。2回目以降のカルシウムスパイクでは、細胞質カルシウム濃度上昇の立ち上がりと、ミトコンドリア内のカルシウム濃度上昇の立ち上がりが同期していなかった。細胞質カルシウム濃度が上昇し始めるとき、ミトコンドリア内カルシウムは減少、つまり放出している。したがって、細胞質内のカルシウム濃度上昇の立ち上がりは、ミトコンドリアからのカルシウム放出によって起こると考えられる。

4.上の考えを確かめるため、ミトコンドリアのカルシウムを取り込む機能と放出する機能を阻害した。ミトコンドリア内にカルシウムを取り込むことを阻害した場合も、ミトコンドリアからのカルシウム放出を無くした場合もカルシウム振動は起こらない。

5.今回の実験による細胞質内、小胞体内腔、ミトコンドリア内それぞれのカルシウム濃度測定の結果から、カルシウム振動時におけるカルシウム動態は次のように考えられる。刺激直後、IP3受容体を介した小胞体内腔からのカルシウム放出が起こり1回目のカルシウムスパイクが形成される。放出されたカルシウムは、細胞質内とミトコンドリア内のカルシウム濃度を上昇させた後、小胞体内腔に戻ってくる。小胞体内腔のカルシウム濃度がカルシウムポンプ(SERCA)の働きによって上昇してくると、徐々に取り込みは緩やかになる。このときミトコンドリアから放出されるカルシウムが、細胞質内のカルシウム濃度を押し上げる。このことがIP3受容体を活性化し、再び小胞体内腔からのカルシウム放出を起こす、つまりcalcium induce calcium release(CICR)が起こる。この繰り返しによって、カルシウム振動が形作られるというモデルが今回考えられた。

 以上、本論文により細胞質におけるカルシウム振動の立ち上がりにミトコンドリアからのカルシウム放出が必須であることが示唆され、小胞体内腔カルシウムと同様にミトコンドリア内カルシウムの役割の重要性が認識された。つまりこのことは、ミトコンドリアからのカルシウム放出の機能障害はカルシウム振動の動態に大きな影響を与えることを示唆している。よって、カルシウム振動におけるミトコンドリア内からのカルシウム放出の作用は、ミトコンドリアの機能障害による病理的、生理的現象を解明する上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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