学位論文要旨



No 120249
著者(漢字) 河,成鎭
著者(英字)
著者(カナ) カワ,セイジ
標題(和) セリン・スレオニンキナーゼBREKの神経系における生理機能の解析
標題(洋)
報告番号 120249
報告番号 甲20249
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2398号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 助教授 三木,裕明
 東京大学 助教授 渡辺,すみ子
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
内容要旨 要旨を表示する

 細胞内シグナル伝達において、蛋白質リン酸化反応は中軸的な役割を果たす。神経機能においても、プロテインキナーゼの重要性に関しては多くの報告がある。例えば、Ca2+/calmodulin-dependent protein Kinase II(CaMK II)は、神経細胞内におけるCa2+シグナルの主要なメディエーターであり、神経伝達物質の合成と放出、神経伝達物質受容体やイオンチャネルの調節、さらには、シナプスの可塑的変化に対応する様々な遺伝子の発現制御など、多様な生理機能に関係している。またTrkAは神経栄養因子の受容体として、交感神経、感覚神経、中枢では前脳コリン作動性神経細胞の発達に重要な役割を果たしている。

 近年のゲノムプロジェクトの進展によりゲノム上に存在するキナーゼの全容が明らかとなった。しかし、どのようなキナーゼによるリン酸化反応が様々な脳機能を担っているかの詳細は殆どわかっていない。従って、脳で高い発現を示す新規キナーゼの機能解析は神経機能の分子メカニズムに新たな視点を与えることが大いに期待される。本研究では神経機能におけるリン酸化反応の役割を分子生物学的に解析する一環として、脳特異的新規キナーゼの探索を行った。その結果、データベース検索により新規キナーゼAatyk2(Apoptosis associated tyrosine kinase 2)を見出した。発現様式及びキナーゼ活性の検討結果に基づき、このキナーゼをBREK(Brain-Enriched Kinase)と命名し直し、分子・細胞及び個体レベルでの機能解析を進めた。

 BREK/AATYK2はヒトでは1503a.aから成り、N末端側に疏水性領域、キナーゼ領域を有している。BREK/AATYK2は一次構造上、先に同定されたAATYK1及びデータベース上に存在するAATYK3と共に1つのキナーゼファミリーを形成する(図1)。AATYK2及びAATYK3はAATYK1との相同性よりデータベース上で付けられた名称である。AATYKファミリーに属する3つのキナーゼはいずれも神経系に発現が限局している。またそれらのキナーゼ領域は、アミノ酸配列上はチロシンキナーゼとセリン・スレオニンキナーゼの中間に位置する。このようにAATYKファミリーキナーゼはユニークな特徴を持つキナーゼではあるが、その生理機能については殆ど分っていない。本研究の進行中、BREK/AATYK2が、in vitroでPP1CあるいはCDK5と複合体を形成することが報告されたが、in vivoでの会合及びその生理的意義については不明である。

 AATYK1は抗リン酸化チロシン抗体を用いたウエスタンブロット法によりチロシンキナーゼであると報告されている。しかし本研究では、AAYYK1,BREK/AATYK2,AATYK3のキナーゼドメインを用いたin vitroキナーゼアッセイおよびリン酸化アミノ酸分析により、これらのキナーゼは主にセリン残基が自己リン酸化されることを見出した。従って、これらのキナーゼはセリン・スレオニンキナーゼであることが示された(図2)。よって以降は、BREK/AATYK2をBREKと記す。

次に、BREKの発現プロファイルを解析した。まず、各組織に対するノーザンプロット法によりBREKは脳特異的な発現を示す事を確かめた。さらに、マウス成体脳切片に対するin situhybridization法によりBREK mRNAの脳内における発現をaatyk1 aatyk3と併せて詳細に検討した。その結果、aatyk1が広範な発現パターンを示すのに対し、BREK;aatyk3は特に前脳部分の神経細胞層で限局的に高い発現を示すことが明らかとなった。次に抗BREKウサギポリクローナル抗体を作製し、マウス脳におけるBREK蛋白質の発現レベルおよびリン酸化レベルの経時的変化を調べた。その結果、BREKの発現レベル、リン酸化レベルともに生後0-2週間をピークとしており、この時期にBREKが最も活性化していることが示唆された。

 続いてBREKの神経機能における役割を細胞レベルで解析するために、種々の神経系培養細胞におけるBREKの発現を調べた。その結果、ニューロン由来のPC12,B104,IMR32,SK-N-S:H,Neuro2A,P19,NG108-15細胞においてBREK mRNAの発現が確認されたが、グリア由来のC6,CG4細胞では発現がみられなかった。本研究ではさらなる解析を進める系としてPC12細胞を選択し、NGFシグナルにおけるBREKの役割を検討した。まずNGF刺激により早期(5分以内)に、内在性のBREKがリン酸化されることを見出した(図3)。このリン酸化はTrkキナーゼの阻害剤であるk252aにより抑えられたことから、BREKがNGF受容体であるTrkAの下流でリン酸化されることが確認された。さらにBREKのリン酸化に至るシグナル経路を明らかにする目的で、種々のキナーゼ阻害剤の効果を検討した。その結果、PP2(Src kinases阻害剤),KN-93(CaMK阻害剤),PD98059(MEK1/2阻害剤),Wortmannin(PI3 kinase阻害剤)は効果が確認されないのに対し、Chelerythrine(PKC阻害剤)が特異的にNGF刺激に伴うBREKのリン酸化を抑制することが明らかとなった(図3)。また、novel,classical PKCを活性化するPDBu刺激によりBREKのリン酸化が起こることからも(図3)、NGF刺激に伴うBREKのリン酸化はPKC活性に依存していることが強く示唆された。PC12細胞に発現するPKCアイソザイムのうち、PKCεはPC12細胞をNGF刺激した際におけるErk経路の活性化および神経突起伸張を促進することが報告されている。実際に、レトロウィルスにより導入した外来性のBREKは、内在性PKCεと定常状態では細胞膜付近、分化後には成長円錐様構造において共局在した。

 PCI2細胞がNGF刺激により交感神経様に分化する際、初期段階(1時間以内)におけるErkシグナル経路の活性化が神経突起の伸張開始に重要である。レトロウィルス発現系によりBREKのキナーゼ不活型変異体を導入したPC12細胞においては、NGF刺激に伴うErk経路の活性化が増強されていた(図4)。さらに、BREKのキナーゼ不活型変異体を導入したPC12細胞においては、NGF刺激後2日における神経突起の伸張が有意に増強されていた(図5)。以上の結果から、BREKがNGF刺激による神経突起伸張反応を抑制することが示された。

 一方、NGF刺激により分化したPC12細胞において、BREKのキナーゼ活性はLPA刺激に伴い活性化していた。レトロウィルス発現系を用いた同様の実験により、BREKの活性はLPA刺激に伴うPC12細胞の神経突起縮退を正に制御することが明らかとなった。

 更に本研究では、BREK遺伝子座のキナーゼドメインをコードするエクソンをネオマイシン耐性遺伝子と置換することにより、BREKノックアウトマウスを作製した。相同組み換え及びBREK遺伝子の発現確認は、PCR、サザンプロット、ウェスタンブロット解析により行った。BREK-1-マウスは、メンデルの法則よりも若干低い割合(18%)で生まれるものの、見かけ上正常に生育する。このマウスについてまずNissle,AChe染色等により脳の構迄を野生型マウスと比較することを進めている。特にBREKのNGFシグナルへの関与が示唆されていることもあり、TrkA欠損マウスで異常の知られている大脳基底核のコリン作動性神経細胞や種々の末梢神経節に着目している。また、ゴルジ染色、抗ニューロフィラメント抗体による免疫染色を行い、中枢、末梢神経系における神経線維の投射についての解析を進めるとともに、電気生理学的、行動学的解析を計画している。

 本研究では脳特異的キナーゼBREKについて、生化学的特性及び発現プロファイルの解析を行うとともに、NGF-TrkAシグナルおよびLPAシグナルの新たな制御因子としての生理機能を明らかにした。今後、TrkA-ERKシグナル経路、LPAシグナル経路においてBREKが作用する標的分子の同定や、他のシグナル系におけるBREKの役割解析を進め、BREKの作用メカニズムを解明していきたい。またPC12細胞の系により推定された、神経突程の伸張、縮退両面における制御因子としてのBREKの機能を、ノックアウトマウスの解析を通して検証していきたい。

図1.AATYKファミリーキナーゼの一次構造の模式図

キナーゼ領域のアミノ酸配列の相同性をパーセンテージで示した。キナーゼ領域、疎水性領域、PXXPモチーフはそれぞれ、dotted oval、hatched box、実線にて示した。

図2.自已リン酸化AATYKファミリーキナーゼのリン酸化アミノ酸分析

キナーゼドメイン全体を含む部分蛋白質(AATYK1 a.a34-381.BREK a.a94-442,AATYK3 a.a91-442)をGST融合蛋白質として293T細胞に発現させた。精製後、GST部分をプロテアーゼにより分離してから、in vitroキナーゼ反応したキナーゼサンプルを用いて、リン酸化アミノ酸分析を行なった。PS:phospho serine;PT:phospho threonine;PY:phospho tyrosine

図3.BKEKはNGF-PKCシグナルによりリン酸化される

mock処理及びchelerythrine処理(PKC阻害剤.10μM,30分)したPC12細胞を、NGF(50ng/ml.10分)及びPDBn(10μM,30分)にて刺激した。抗BREK免役沈降物に対して、抗リン酸化ヌレオニン抗体(上段)、抗BREK抗体(下段)でのウェスタンブロットを行なった。

図4.キナーゼ不活型BREKの導入によりNGF依存性のERKリン酸化が促進される

Vector,野性型BREK(WT),及びキナーゼ不活型BREK(KD)を、レトロウィルスを用いてPC12細胞に導入した。感染細胞を15ng/ml NGFにて刺激し、ライセートに対し、抗リン酸化ERK1/2抗体(上段)、抗ERK1/2抗体(下段)でのウェスタンブロットを行なった。

図5.キナーゼ不活型BREKの導入によりNGF依存性の神経突起の伸張が促進される

Vector,野性型BREK(WT)及びキナーゼ不活型BREK(KD)を、レトロウィルスを用いてPC12細胞に導入した。感染細胞を50ng/ml NGF存在下、2日間培養した。Bar=50μm

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は神経機能におけるリン酸化反応の役割を分子生物学的に解析する一環として、脳特異的新規キナーゼの解析を試みたものであり、データベース検索により見出した新規キナーゼBREK(Brain-Enriched Kinase)について分子・細胞及び個体レベルでの機能解析を進め、下記の結果を得ている。

1.BREKのファミリー分子であるAATYK1は抗リン酸化チロシン抗体を用いたウエスタンブロット法によりチロシンキナーゼであると報告されている。しかし本研究では、BREKおよびそのファミリー分子であるAATYK1,AATYK3のキナーゼドメインを用いたin vitroキナーゼアッセイおよびリン酸化アミノ酸分析により、これらのキナーゼはセリン・スレオニンキナーゼであることを示した。

2.マウス組織に対するノーザンブロット法によりBREKは脳特異的な発現を示す事を確かめた。さらに、マウス成体脳切片に対するin situ hybridization法の結果、aatyk1が広範な発現パターンを示すのに対し、BREK,aatyk3は特に前脳部分の神経細胞層で限局的に高い発現を示すことが明らかとなった。また、抗BREKウサギポリクローナル抗体を作製し、マウス脳におけるBREK蛋白質の発現レベルおよびリン酸化レベルの経時的変化を調べた結果、BREKの発現レベル、リン酸化レベルともに生後0-2週間をピークとしており、この時期にBREKが最も活性化していることが示唆された。

3.NGF刺激により早期(5分以内)に、内在性のBREKがリン酸化されることを見出した。このリン酸化はTrkキナーゼの阻害剤であるk252aにより抑えられたことから、BREKがNGF受容体であるTrkAの下流でリン酸化されることが確認された。さらに、種々のキナーゼ阻害剤の効果を検討した結果、Chelerythrine(PKC阻害剤)が特異的にNGF刺激に伴うBREKのリン酸化を抑制することが明らかとなった。また、novel,classical PKCを活性化するPDBu刺激によりBREKのリン酸化が起こることからも、NGF刺激に伴うBREKのリン酸化はPKC活性に依存していることが強く示唆された。

4.レトロウィルス発現系によりBREKのキナーゼ不活型変異体を導入したPC12細胞においては、NGF刺激に伴うErk経路の活性化が増強されていた。さらに、BREKのキナーゼ不活型変異体を導入したPC12細胞においては、NGF刺激後2日における神経突起の伸張が有意に増強されていた。以上の結果から、BREKがNGF刺激による神経突起伸張反応を抑制することが示された。一方、NGF刺激により分化したPC12細胞において、BREKのキナーゼ活性はLPA刺激に伴い活性化していた。レトロウィルス発現系を用いた同様の実験により、BREKの活性はLPA刺激に伴うPC12細胞の神経突起退縮を正に制御することが明らかとなった。

5.BREK遺伝子座のキナーゼドメインをコードするエクソンをネオマイシン耐性遺伝子と置換することにより、BREKノックアウトマウスを作製した。BREKノックアウトマウスは見かけ上正常に成育し、種々の染色による形態学的観察からは、脳を含む全身の臓器についての異常は発見できなかった。BREKノックアウトマウス嗅球の糸球体近傍では軸策マーカーの免疫反応性が高くなっていることから、嗅球内における軸策投射の異常が示唆されている。

 以上、本論文は脳特異的キナーゼBREKについて、生化学的特性及び発現プロファイルの解析を行うことにより、BREKは生後初期の脳に発現するセリン・スレオニンキナーゼであることを明らかにした。さらにPCI2細胞におけるNGF-TrkAシグナルおよびLPAシグナルの新たな制御因子としての生理機能を明らかにしたことから、BREKは神経突起の発達を制御することにより、神経回路の形成に寄与することが示唆された。本研究は神経機能におけるリン酸化反応の意義の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考える。

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