学位論文要旨



No 120251
著者(漢字) 野中,孝浩
著者(英字)
著者(カナ) ノナカ,タカヒロ
標題(和) 膜型マトリックスメタロプロテアーゼ1(MT1-MMP)ヘモペキシン様ドメインによる腫瘍抑制
標題(洋)
報告番号 120251
報告番号 甲20251
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2400号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斎藤,泉
 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
 東京大学 助教授 山下,孝之
内容要旨 要旨を表示する

 癌細胞の浸潤・転移機構は(1)原発巣からの離脱と細胞外基質(Extracellular mathx;ECM)の分解、(2)脈管系(血管、リンパ管)への侵入、(3)脈管系からの侵出、(4)二次臓器への生着と二次増殖の4段階に分けて考えられている。癌細胞は、脈管系で運搬されるとき以外は周囲をECMに囲まれていることから、増殖や浸潤過程では周辺のECM分解を必要とする。そのECM分解で中心的役割を担っていると考えられているのが、マトリックスメタロプロテアーゼ(Matrix metalloproteinases;MMPs)である。実際に、腫瘍組織内で多種のMMPsが過剰発現し、ECMの分解や蛋白質の機能調節をすることで細胞の増殖、浸潤・転移に関与することが数多く報告されている。

 しかしながら、MMPs活性全体を広範に抑制する合成低分子MMP阻害剤(MMPI)を用いた最近の臨床試験では、必ずしも良好な抗腫瘍効果が得られなかった。その原因としては、MMPsが正常組織を含む多くの細胞で発現しているために関節や骨格筋に副作用が生じること、また、酵素の種類や酵素を分泌する細胞によって抗腫瘍効果を含む多種多様な機能を担っていることが考えられる。MMPsを標的とすることで、がんに対する著明な治療効果を引き出すためには、制御すべきMMPに関する正確かつ詳細な情報に基づいた選択性の高い阻害法が待たれている。

 MMPsはその構造的特徴から、細胞から分泌される13種類の分泌型MMPsと、細胞膜に結合する6種類の膜型MMPs(Membrane type-MMPs;MT-MMPs)の2つに分類される。分泌型MMPsは産生細胞より比較的離れた部位でその活性を発現できるために、広範囲のECM分解に関与する。一方、MT-MMPsはC末端側でI型膜貫通ドメイン、あるいはGlycosylphosphatidylinositol(GPI)により細胞膜表面に局在することによって、細胞周辺部に限局したECM分解に関与する。細胞の増殖や運動、浸潤には、基質の広範な破壊よりも、局所的な分解が必要であると考えられる。そのため、がんの進展を効果的に抑制するためには、分泌型MMPsよりもMT-MMPsを標的とすることの方が妥当であると考えられる。

6種類のMT-MMPsの中でも膜型マトリックスメタロプロテアーゼ1(MT1-MMP)は、多くの癌細胞で発現が亢進し、その発現が浸潤・転移能とよく相関する。また、MT1-MMPは細胞の運動や浸潤能にかかわる多彩な機能を有する分子であることが知られている。例えばMT1-MMPの機能として、I、II、III型コラーゲン、フィブロネクチンなどのECM分子を直接分解することが知られている。それだけでなくMT1-MMPは、基底膜の主成分であるIV型コラーゲンの分解酵素として働くproMMP-2を活性化することから、MMPs活性化カスケードの上位分子として広範なEGM分解を誘起すると考えられている。その他、CD44やインテグリンαv、組織トランスグルタミナーゼ、ラミニン5γ2鎖の切断酵素としても働き、その結果として細胞の運動能を変化させることや、MT1-MMPが細胞表面においてサイトカインを不活性化することも報告されている。

 実際に、MT1-MMPを癌細胞に過剰発現させることによりin vitroにおける細胞浸潤能、およびin vivoにおける腫瘍増殖能や実験的転移能が亢進すること、逆にRNAiによりMT1-MMPを発現を抑制すると他のMMPの発現下でも運動能や浸潤能が著しく阻害されることが報告されている。以上の知見から、MT1-MMPはがんの悪性化に寄与する因子と考えられ、浸潤性がんの治療に対してMT1-MMPが重要な標的になり得ると考えられている。しかしながら従来のMMPIの中にはMT1-MMPに対して特異的な阻害剤は存在せず、MT1-MMPががん治療の分子標的として適当かつ十分であるか否かに関する確たる情報は未だ得られていない。

 MT1-MMPはN末端側からシグナルペプチド、プロドメイン、触媒ドメイン、ヒンジ、ヘモペキシン様ドメイン(HPXドメイン)、膜貫通・細胞内ドメインの5つの基本ドメインから構成されている。MT1-MMPの蛋白質分解活性自体は触媒ドメインによって担われているが、その局在や基質選択性の決定には、MMPファミリーに特徴的な構造であり、多くの蛋白質と相互作用するためのインターフェース機能を有するヘモペキシン様(HPX)ドメインや細胞内ドメインが重要な役割を果たすことが知られている。当研究室においても、MMP-2を活性化する際にMT1-MMPは、HPXドメインを介してホモオリゴマーを形成することでMMP-2を効率よく活性化することを報告している。その際、触媒ドメインを欠失させた変異体(HPX(1))を癌細胞に強制発現させると、オリゴマー形成を阻害し、in vitroにおけるproMMP-2の活性化および再構成基底膜マトリジェルへの浸潤能を抑制した。そこで我々は本研究により、癌細胞にHPX(1)を発現させることが効果的ながん治療となり得るか否かをヌードマウスを用いて検討した。

 はじめに、FLAG標識した4種類のHPX(1)変異体を作製し、内在性MT1-MMPとの複合体形成能を検討した。変異体としては、MT1-MMPの触媒ドメイン欠失させたHPX(1)、膜貫通ドメインおよび細胞内ドメインも欠失させた分泌型HPX(1)(sHPX(1))、HPXドメイン以下をGPIシグナルに置換したHPx(1)gpi、ヘモペキシン様ドメインをMT4-MMPのHPxドメインに置換したHPX(4)を用いた。各HPX(1)変異体に対してFLAG抗体で免疫沈降を行ったところ、HPX(1)およびHPX(1)gpi、すなわち細胞膜に結合した変異体で内在性MT1-MMPが共沈した。一方、sHPX(1)、HPX(4)では内在性MT1-MMPの共沈は確認できなかった。

 また、細胞生物学的な機能に対する各HPX(1)変異体の効果をHT1080細胞を用いて検討した。複合体形成能の結果と一致して、proMMP-2の活性化、およびマトリジェルへの浸潤に対して、細胞膜に結合した変異体で抑制効果が認められた。また、細胞増殖能に対する影響では、コラーゲンゲル上での二次元培養ではどのHPX(1)変異体でも変化は認められなかった。一方、コラーゲンゲル内での三次元培養およびヌードマウス皮下における増殖は、細胞膜に結合した変異体で抑制効果が認められた。以上の結果から、MT1-MMPの機能に対するHPX(1)による抑制効果は、細胞膜に局在するMT1-MMPのHPXドメインが必要であることが示された。

 次に、癌細胞に対するHPX(1)発現系の効果を調べるために、内在性にMT1-MMPを発現する上皮由来胃癌細胞株MKN28細胞およびMKN45細胞を用いた。また、対照として、MT1-MMPを発現しない上皮由来胃癌細胞株TMK-1細胞を用いた。これらの細胞株を用いてマトリジェルへの浸潤能、ヌードマウス皮下における増殖能、ヌードマウスにおける腹膜播種能を検討したところ、MKN28細胞およびMKN45細胞ではこれらすべてに対して抑制効果が認められた。一方、TMK-1細胞ではHPX(1)によるこれらの腫瘍抑制効果は認められなかった。以上より、HPX(1)は内在性にMT1-MMPを発現する腫瘍に対し選択的に進展を抑える効果があることが分かった。

 そこで、より現実に即した治療モデルでの効果を検討するためにHPX(1)を発現するアデノウイルスベクター(AdHPX)を構築し、遺伝子治療の可能性をヌードマウスを用いて検討した。最初にHT1080細胞を用いた皮下移植実験で検討したところ、AdHPXを腫瘍組織中に直接投与した場合、用量依存的に癌細胞の増殖が抑制された。次に、胃癌細胞を用い、胃癌進展過程で広く認められる腹膜播種に対する抗腫瘍効果の有無を検討した。MKN28細胞を用いた場合、AdHPXの投与により腹腔内の腫瘍結節の数は有意に減少した。その際、コントロールウイルスとしてAdLacZ投与した場合には効果は認められなかった。一方、播種された腫瘍によって産生される血性腹水の量も著明に減少し、マウスの生存率も延長した。

 HPX(1)遺伝子導入細胞株を用いた実験結果に反して、AdHPX投与により、MT1-MMP非発現TMK-1細胞の腹腔内における増殖、および腹水の貯留も抑制された。癌細胞に直接HPX(1)を発現させたときには、腫瘍の増殖、腹水の貯留ともに抑制されなかったことから、TMK-1細胞に対するの効果は、腹腔内に存在する宿主由来の細胞にAdHPXが感染することで引き起こされたものと考えられた。

 以上の結果から、MT1-MMPはがん治療における有望な分子標的となり得ることが示唆された。また、従来のように酵素の触媒ドメインを阻害するという非特異的な阻害形式ではなく、基質認識部位と考えられているHPXドメインの機能を特異的に阻害することが、新たなMMP阻害法となる可能性が示唆された。今後、HPX(1)との相互作用により腫瘍抑に関わる標的蛋白質を同定することで、モノクローナル抗体やペプチド、低分子化合物のような、より効果的で現実の治療に即した薬剤の開発も可能になると考えられる。本研究の結果は、近年のMMPIによる臨床応用の限界を克服する新たな特異的MMP阻害方法として注目される。MT1-MMPを分子標的とした新規抗がん薬の開発という新しい方向性の可能性を示している。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、がんの悪性化において重要な役割を果たしていると考えられている膜型マトリックスメタロプロテアーゼ1(MT1-MMP)に注目し、マウスを用いたin vivoでの実験系において、MT1-MMPを分子標的としたがん治療の可能性、およびその作用機構を検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.免疫沈降法を用いた実験により、細胞膜に結合するMT1-MMP HPXドメイン(HPX(1))は、内在性MT1-MMPとの複合体形成能を維持していることが示された。

2.HPX(1)は、proMMP-2の活性化、および再構成基底膜Matrigelへの浸潤能を、MT1-MMP発現細胞特異的に抑制し、一方で、MT1-MMPを発現しない細胞で抑制しないことが示された。

3.HPX(1)は、コラーゲンゲル上における二次元培養下での増殖能には影響を及ぼさないことが示された。一方、HPX(1)は、コラーゲンゲル内における三次元培養下での増殖能を、MT1-MMP発現細胞特異的に抑制し、一方で、MT1-MMPを発現しない細胞で抑制しないことが示された。

4.HPX(1)は、ヌードマウス皮下における増殖能、実験的転移能、腹膜播種能を、MT1-MMP発現細胞特異的に抑制し、一方で、MT1-MMPを発現しない細胞で抑制しないことが示された。

5.HPX(1)発現アデノウイルスベクター(AdHPX)は、ヌードマウス皮下での増殖能を、感染ウイルスの用量依存的に抑制することが示された。

6.AdHPXによる遺伝子治療実験では、MT1-MMPを発現する胃癌の腹膜播種を抑制することが示された。また、HPX(1)発現アデノウイルスベクターによる遺伝子治療実験では、MT1-MMPを発現しない胃癌の腹膜播種も抑制することが示された。

 以上、本論文は、マウスを用いたin vivoでの研究から、MT1-MMPを分子標的としたがん治療の可能性を示唆し、MT1-MMPが、MT1-MMPを発現するがんに対する、有望な分子標的となり得ることを明らかにした。また、本研究は、従来のように酵素の触媒ドメインを阻害するという非特異的な阻害杉式ではなく、基質認識部位と考えられているHPXドメインの機能を特異的に阻害することが、新たなMMP阻害法となる可能性も示めしている。本研究はMT1-MMPを分子標的としたがん治療への重要な貢献をなすと考えられ、学位授与に値するものと考えられる。

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