学位論文要旨



No 120255
著者(漢字) 原,英之
著者(英字)
著者(カナ) ハラ,ヒデユキ
標題(和) 酵母プリオンを用いたプリオン伝播機構の研究
標題(洋)
報告番号 120255
報告番号 甲20255
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2404号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 笹川,千尋
 東京大学 助教授 俣野,哲朗
 東京大学 助教授 三木,裕明
 東京大学 助教授 渡邊,すみ子
内容要旨 要旨を表示する

[1]序論

 プリオン病は、ヒト及び動物に見られる一群の伝染性神経疾患の呼称である。ヒトにおけるクールー(kuru)、クロイツフェルト―ヤコブ病(Creutzfeldt-Jakob Disease;CJD)、ヒツジのスクレイピー(scrapie)、牛海綿状脳症(Bovine Spogiform Encephalopathy;BSE,狂牛病)などがこれに含まれる。近年、欧州においては狂牛病の拡大、また日本においては、ヒト乾燥硬膜移植後の医原性CJDが深刻な問題を引き起こしたが、プリオン病の発症には、不明な点も多く、治療法も確立していないため、この発症機構の解明は急務である。特に以下の2点は基礎医学的見地からみても重要な点だと言える。

(1)プリオンが伝播する際に、正常型PrP(PrPc)から異常型PrP(PrPsc)へのPrPの立体構造変換が起きる

(2)プリオン感染(伝播)には、異種間(例えばヒトからマウス)のプリオン伝播は極めて効率が悪いが、同種間の伝播は高効率に起こるという「種の壁(species barrier)」が存在する

 上記がプリオン病の特徴であるが、これらの現象の分子機構は現在においても全く不明である。

 酵母は単細胞生物であり、神経も病原性のタンパク質も存在しないが、Sup35と呼ばれるタンパク質が[PSI+]というプリオン様の表現型を示すことが、よく知られており、プリオン病の分子レベルの研究において、極めて有力な研究材料として期待されている。Sup35とPrPには以下のような共通点が存在する。

(1)細胞内でプロテアーゼ耐性の凝集体を形成すること。

(2)コンゴレッドで特異的に染色される繊維を形成すること。

(3)配列の異なる異種タンパク質との間で感染性の障壁「種の壁」が存在すること。

(4)その一次構造においてペプチドリピートを持つこと

である。

 Sup35はタンパク質合成の終結反応に関わる、全真核生物に保存されているペプチド鎖解離因子eRF3と呼ばれる必須タンパク質であり、プリオンを規定する領域は、N末端に接続し、翻訳反応における翻訳終結活性制御スイッチを形成していることも興味深い。

 本研究では、機能解明が遅れている、プリオン伝播現象における「種の壁」の分子機構解明を目指し、S.cerevisiae由来のSup35を中心に用い「種の壁」を規定している部位、及びその反応機構を、遺伝学的・生化学的手法による解析から解明することを目的とした。

[2]プリオン伝播における「種の壁」に必須な領域の検索

 これまでプリオン伝播に必須の部位に関する知見は、プリオン伝播そのものを実験系に用いてはおらず、皆無に近い状態であった。本研究では新たにS.cerevisiae由来のSup35(Sup35sc)とK.lactis由来のSup35(Sup35KL)において、真のプリオン伝播性における「種の壁」を規定している領域を同定することを目的とする実験系を構築した。具体的には、Sup35のいわゆるプリオンドメイン(1-112残基)が、リピート領域(42-112残基)とそれに付随する領域(1-41残基)に分けられることに注目し(図1)、その部位を組み換えたキメラ体を作製した。酵母近縁種間では、リピート領域が特に高い相同性を持っため、N末端に付随する領域の機能性解明がプリオン伝播において鍵になると考え、Sup35scのN末端41アミノ酸領域(以後、NQ領域;N-terminal Q-rich region)の役割には特に注目した。プリオン伝播検出系にはプラスミドシャッフリング法(図2)を用い、Sup35scからのプリオン伝播の可否についての評価を行った。その結果、Sup35scからSup35KLへのプリオン伝播は完全に不可能であるにも関わらず、Sup35KLのNQ領域のみをS.cerevisiaeのNQ領域に置き換えると、「種の壁」を超えてプリオン伝播が可能になることを明らかにした。また、このNQ領域の「種の壁」に対する役割の一般性を確認するために、近縁異種酵母であるC.albicans、C.maltosa、D.hanseniiのそれぞれのSup35についても、NQ領域をSup35scのNQ領域に置き換えた株でも同様の性質を示すことに成功した。出芽酵母に近縁な種のSup35において、これまではその他の領域と未分離であった種の特異性を規定する領域が特定されたことで、酵母Sup35以外のプリオンタンパク質全般においてもNQ領域に相当する種特異性機能領域が特定できる可能性が高まったと期待できる。

[3]プリオン伝播と共凝集の相同性と相違性

 次に、特定したNQ領域の性質を、旧来の研究での伝播性の評価の上で未分離であった、"準プリオン"状態における異種プリオンタンパク間相互作用という観点で検証した。Sup35sc由来の様々な長さのタンパク質と蛍光タンパク質(GFP;Green Fluorescent Protein)とを融合させ、Sup35scがプリオン化した細胞内での融合タンパク質の挙動を調べた。この手法は、プリオン化した細胞内では、すでにSup35scが凝集体を形成しているため、細胞内に蛍光タンパク質を融合させたタンパク質断片を発現させることによって、Sup35scの凝集体と異種タンパク質の"準プリオン状態"もしくは、"真の伝播によるプリオン化状態"における相互作用の有無を、実に簡便に測定することができる画期的なものである。すると、NQ領域及び、リピート領域のみがそれぞれプリオン化したSup35scと共に凝集体(共凝集体)を形成することが明らかとなった(図3)。この結果から、Sup35同士はリピート同士の配列が同一であれば、両Sup35共存下において共凝集体を形成するが、さらにプリオン伝播を起こすためには、リピート領域に加えてNQ領域の相互作用が必要であるということが明らかになった。

[4]プリオン伝播におけるNQ領域の位置と配列の重要性

 ここまでに、NQ領域が「種の壁」を規定していることは明らかにしたもの、その反応の分子機構を理解するためには、NQ領域のプリオン伝播における分子レベルの理解が必須であると考えられた。そこで、NQ領域がN末端に存在する意義とNQ領域を構成する個々のアミノ酸の重要性について検討するために、Sup35scとSup35KLのNQ領域の組み合わせ、4種類すべてを、Sup35KLのNQ領域と置き換えた拡張体やNQ領域に変異を入れた変異体を作製し、プリオン伝播の可否を検討した。その結果、NQ領域はN末端に存在することにより、プリオン伝播が可能となるという位置に関する情報が明らかになった。また、NQ領域においては、チロシン(Tyr)がプリオン伝播において重要なアミノ酸として働いており、なかでも、その芳香族アミノ酸としての特性が、プリオン伝播を可能にしていることが判明した。

 以上の結果から、[PSI+]の伝播において「種の壁」は、タンパク質から最も露出したN末端に存在するNQドメインが、グルタミンに富んだ配列が形成する水素結合により、繊維状の構造を形成し、チロシンのスタッキング相互作用により、自己と他者の選別を行っていることが明らかになった。

[5]まとめ

 本研究によりS.cerevisiaeのNQ領域、中でもチロシンの芳香族アミノ酸としての重要性が明らかとなり、種の特異性を認識するアミノ酸の手がかりが得られた。また、プリオン伝播において、NQ領域が種の特異性を決定しており、リピート領域はプリオンの維持に関与しているという機構を明らかにした。本研究の成果は「種の壁」を規定しているドメインのみならず、アミノ酸までも同定したことから、プリオン伝播における「種の壁」の分子機構の理解において大きな一歩となる。今後、明らかにされた領域をターゲットとし、化学架橋法による相互作用部位の詳細な決定等の実験によって、立体構造レベルでより高精度の分子間相互作用などが明らかにされることが期待できる。さらに、酵母プリオンをモデル研究として、ほ乳類プリオンのプリオン伝播の機構の解明から、プリオン病の治療・予防への発展が可能であると考える。

図1 S.cerevisiaeのSup35の配列

図2プラスミドシャッフリングを用いたプリオン伝播検出系

図3 蛍光タンパク質を利用した酵母プリオンの視覚化

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、プリオン伝播現象における「種の壁」の分子機構解明を目指し、S.cerevisiae由来のSup35を中心に用い「種の壁」を規定している部位、及びその反応機構を、遺伝学的・生化学的手法による解析から解明することを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.分子遺伝学的手法により、プリオン伝播における「種の壁」を規定しているドメインの探索を行った。タンパク質因子の機能ドメインを同定する手段として、分子遺伝学的手法は極めて効率が良い。そこで、S.cerevisiaeとK.lactisのSup35を用いて、各ドメイン同士を交換したキメラ体を作製し、プリオン伝播の評価を行った。この際に、全長685残基からなるSup35のドメイン分けについては、従来のNドメイン(1-123残基)、Mドメイン(124-253残基)、それからCドメイン(254-685残基)といった分け方を採用しなかった。その理由は、構成するアミノ酸に違いはあるが、近縁異種酵母においてリピート配列が保存されていることから、従来のNドメインを、グルタミンが豊富なNQドメイン(1-41残基)、それからリピート配列を有するNRドメイン(42-123残基)に、さらに分割できると考えたからである。また、プリオン伝播を評価する系として、プラスミドシャッフリング法を用いた評価系を確立した。この手法は、2つ以上のプラスミド(キメラ体)を選択培地により、確実に取捨選択することができ、プリオン伝播評価系としては最適である。ここでは、キメラ体を用いた探索から、「種の壁」必須ドメインとしてNQドメインを同定することができ、これまでほとんど具体的な知見が得られていなかった、「種の壁」を超えたプリオン伝播の分子機構に関する知見が得られた。

2.同定したNQドメインの「種の壁」を超えたプリオン伝播における役割を明確にした。ここでは、中屋敷らの提唱した準プリオン状態(Nakayashikietal,2001)に注目して、プリオン伝播の分子機構の解明に取り組んだ。本研究では、この準プリオン状態が、プリオン伝播を完了するまでの一つの過程であると考え、Sup35同士の細胞内での相互作用の解明を試みた。その結果、NQドメイン同士の相互作用が、予想通り存在することが明らかになった。また、驚くべきことに、NRドメイン同士の相互作用も、前者の相互作用ほど安定ではないが、存在することも明らかになった。このことは、準プリオン状態つまり共凝集状態が、NRドメイン同士という弱い相互作用でも成立するが、プリオン伝播を可能にするには、「種の壁」を規定しているNQドメイン同士の相互作用、及びプリオンの安定性に寄与しているNRドメイン同士の相互作用が共に必要であることを示している。

3.NQドメインのSup35分子内における位置、及び構成アミノ酸が種の特異性に及ぼす影響について評価した。ここでは、まず、NQドメインがN末端に存在することに注目し、NQドメインをN末端及びそれ以外の部位においた場合のプリオン伝播について検討した。その結果、NQドメインは、N末端に存在しないと、プリオン伝播が起こらないことが明らかとなった。次に、NQドメインを構成するアミノ酸のうちで、芳香族アミノ酸としてのチロシンに注目し、この部位に変異を導入した。ここで作製した変異体を用いてプリオン伝播について検討したところ、プリオン伝播における種の特異性においては、チロシンの芳香族アミノ酸としての性質が、重要な役割を果たしていることが明らかになった。

 以上、本論文はプリオン伝播においてS.cerevisiaeのNQドメイン、中でもチロシンの芳香族アミノ酸としての重要性が明らかとなり、種の特異性を認識するアミノ酸の手がかりが得られた。また、プリオン伝播において、NQドメインが種の特異性を決定しており、NRドメインはプリオンの維持に関与しているという機構を明らかにした。本研究の成果は「種の壁」を規定しているドメインのみならず、アミノ酸までも同定したことから、プリオン伝播における「種の壁」の分子機構の理解を深める上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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