学位論文要旨



No 120261
著者(漢字) 中武,悠樹
著者(英字)
著者(カナ) ナカタケ,ユウキ
標題(和) 未分化ES細胞におけるポリピリミジン配列結合蛋白PTBの機能解析
標題(洋)
報告番号 120261
報告番号 甲20261
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2410号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 助教授 渡邉,すみ子
 東京大学 助教授 三木,裕明
内容要旨 要旨を表示する

 マウス胚性幹(Embryonic Stem:ES)細胞は、胚盤胞の内部細胞塊より樹立された細胞株である。ES細胞を他の胚盤胞に移植すると、キメラマウスを作製できることから、全ての細胞系譜に分化することのできる多能性を有していると考えられる。しかし、ES細胞を未分化な状態に保つためにどのような分子機構が必要なのかは、未だに不明な点が多い。マウスES細胞は、Leukemia Inhibitory Factor(LIF)を培地に添加することで未分化状態を維持でき、その活性は下流のシグナル伝達因子であるSTAT3の活性化により置き換えることが可能であるが、ヒトES細胞はLIFもしくはSTAT3シグナル依存的に未分化状態を保つことができていない。また、転写因子Oct-3/4や、ホメオボックス因子NanogがES細胞を未分化な状態に保つために必要である事が明らかとなってはいるが、LIFシグナルとの接点は未だ不明である。未分化状態を維持するために必要な、これらの既知因子を用いて、分化した細胞から多分化能を有した細胞に脱分化させることはできておらず、個々の因子間の関連性も不明であるため、未分化状態を構築するために必要十分な分子機構は未だ明らかとなっていない。このため、これらの既知遺伝子の上流および下流で機能する因子を同定・解析し、未分化状態の維持に必要な分子機構の全容を明らかにしてゆく必要があると考えられる。

 本研究ではRox-1と名付けられた未知因子を探索・同定し、その機能解析を行った。Rox-1は、Rex-1遺伝子の転写調節領域に存在するOct-3/4結合部位のごく近傍に配列特異的に結合し、Rex-1遺伝子の転写を制御すると示唆されていた。このRox-1のDNA結合能はES細胞や胚性奇形腫F9細胞において検出され、その結合能はレチノイン酸(Retinoic acid;RA)による分化誘導で減弱することが示されていたが、遺伝子として同定されておらず、機能の詳細は不明であった。

 Rox-1結合配列に対するDNA結合能を指標とすることで、未分化状態の細胞抽出液を分画精製した。精製画分中に含まれるアミノ酸配列を解析したところ、RNA結合性因子として知られるpolypyrimidine tract binding(PTB)タンパクであることが明らかとなった。PTB組み換えタンパクを作製し、そのDNA結合能を解析した結果、精製画分中に含まれるDNA結合能と同等の配列特異性を有していることが明らかとなった。次にレポータージーンを用いて、Rex-1遺伝子の転写制御領域を解析した。その結果、PTBが結合するRox-1結合配列を欠失させると転写活性は減少するが、その領域をPTBが結合することのできる変異型の配列に置換しても転写活性に変化が無いことが示された。これらのことはPTBがRex-1遺伝子の転写制御領域に直接的に結合し、下流のRex-1遺伝子の発現を制御することを示唆している。この知見を検証するため、siRNAを用いて内在性PTBの発現を抑制し、Rex-1遺伝子の発現量に変化がおきるかを検討した。PTBに対して特異的なsiRNAを導入したES細胞では、PTB mRNAの発現量は抑制され、PTBの標的遺伝子と想定されるRex-1 mRNAの発現量も減少することが明らかとなった。このES細胞は未分化状態を維持した形態を有し、Oct-3/4 mRNAの発現量は維持されていたことから、ES細胞が分化することで間接的にRex-1遺伝子が抑制されたのではないと考えられる。これらのことから、PTBはRex-1遺伝子の発現を直接的に制御する因子であり、報告されていたRox-1の有力な候補因子であると考えられる。

 PTBの発現抑制を行ったES細胞では、興味深いことに、NanogもRex-1と同様にmRNAの発現量が減少した。このことは、PTBはRex-1のみならずNanogの発現制御に関与することを示唆する。そこで、Nanog遺伝子の上流に存在する約1.8kbの配列を段階的に欠失させたレポータージーンを用いて、Nanog遺伝子が未分化な細胞特異的に発現するために必要な領域を同定した。その制御領域は(5'-TCCCTCCCTCCC-3')というピリミジンに富む配列を含んでおり、PTBはこの配列に結合した。これらのことから、PTBはRex-1遺伝子のみならずNanog遺伝子の転写調節領域にも結合し、遺伝子発現を直接的に制御すると考えられる。

 Rex-1およびNanog遺伝子は、未分化状態のES細胞をRAで分化させると発現が抑制されることが知られているため、これらの転写制御領域に結合するPTBのDNA結合能は、分化状態により変化することが想定される。ES細胞内に含まれるPTBのDNA結合能を解析した結果、そのシグナルは未分化状態で強く、RAによる分化により減弱した。しかし、PTBのmRNAやタンパク質の発現量は、ES細胞をRAにより分化させても大きく変化しなかった。そこで、PTBタンパク自体が質的な制御を受けることを想定し、ES細胞の抽出液を等電点電気泳動およびSDS-PAGEにて二次元的に展開した後、PTBタンパクの分布を解析した。その結果、未分化状態のES細胞には、RAにより分化したES細胞には見られないスポットが酸性側に検出された。他の等電点と比べ、この未分化状態に特徴的なスポットを含む等電点から得られた画分は、PTBを含むDNA結合能を高く有していた。これらのことから、PTBタンパクは未分化状態特異的な修飾を受けることでDNAへの結合能を獲得すると考えられた。未分化状態のES細胞の細胞抽出物をアルカリフォスファターゼにて処理すると、PTBの持つDNA結合能が減弱した。これらのことから、PTBは未分化状態特異的な修飾を受けることによってDNA結合能を獲得し、その修飾はリン酸化修飾であることが示唆される。

 本研究は、PTBが未同定であったRox-1と多くの共通点を有していることを見いだし、未分化状態のES細胞におけるRex-1およびNanog遺伝子の発現に関与することを示した。このPTBの機能は、PTBタンパクが特異的な修飾を受けることによって発揮されると考えられる。今後、この特異的な修飾がどのような分子により制御されるのかを解明する必要がある。本研究で行ったPTBの発現抑制は、下流の遺伝子発現には影響が見られたが、ES細胞の分化状態には影響が見られなかった。PTBがES細胞の未分化状態維持に必要であるかを解明するためには、PTB欠損ES細胞の樹立とその表現型の解析が求められる。

 本研究によりもたらされた知見は、未分化状態のES細胞におけるPTBの重要性を示すとともに、その機能を解析してゆく礎になると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は多能性を持つ細胞特異的に発現する遺伝子の転写調節機構を明らかにするため、マウス胚性幹(embryonic stem:ES)細胞におけるRex-1およびNanog遺伝子の発現を直接的に制御する因子の解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1.Rex-1遺伝子の上流に存在するRox-1結合配列に配列特異的に結合する因子を、等電点電気泳動とSDS-PAGEにより分画精製し、そのアミノ酸配列をLC-MS/MSにより同定した。各画分のRex-1遺伝子の転写調節領域に対するDNA結合能の配列特異性は、Electrophoretic Mobility Shift Analysis(EMSA)により解析した。その結果、pI9.0、分子量55kDa付近の画分にRox-1結合配列に特異的なDNA結合活性が含まれていた。この画分に対して質量解析を行うと、この画分にはpolypyrimidine tract binding(PTB)proteinと同一のアミノ酸配列が含まれることが明らかとなった。PTB組み換えタンパク質は精製画分と同様の配列特異性を有しており、PTBがRox-1結合配列に配列特異的に結合することが示された。

2.EMSAにより、PTBはピリミジンが連続した人為的な2種類の配列と配列特異的に結合することが示された。これらの配列および野生型の配列を持つRex-1遺伝子のレポータージーンの活性を比較し、Rex-1遺伝子の転写制御領域を解析した。その結果、PTBが結合するRox-1結合配列を欠失させると転写活性は減少するが、その領域をPTBが結合することのできる変異型の配列に置換しても転写活性に変化が無いことが示された。

3.siRNAを用いて内在性PTBの発現を抑制し、Rex-1遺伝子の発現量に変化がおきるかを検討した。PTBに対して特異的なsiRNAを導入したES細胞では、PTB mRNAの発現量は抑制され、PTBの標的遺伝子と想定されるRex-1 mRNAの発現量も減少することが明らかとなった。このES細胞は未分化状態を維持した形態を有し、Oct-3/4 mRNAの発現量は維持されていたことから、ES細胞が分化することで間接的にRex-1遺伝子が抑制されたのではないと考えられた。これらのことから、PTBはR-1遺伝子の発現を直接的に制御する因子であり、報告されていたRox-1の有力な候補因子であることが示された。

4.PTBの発現抑制を行ったES細胞ではNanogもRex-1と同様にmRNAの発現量が減少した。このことからPTBはRex-1のみならずNanogの発現制御に関与することが考えられた。Nanog遺伝子の上流に存在する約1.8kbの配列を段階的に欠失させたレポータージーンを用いて、Nanog遺伝子が未分化な細胞特異的に発現するために必要な領域を新規に同定した。その領域はピリミジンに富む配列を含んでおり、PTBはこの配列に結合した。これらのことから、PTBはRex-1遺伝子のみならずNanog遺伝子の転写調節領域にも結合し、遺伝子発現を直接的に制御することが示された。

5.ES細胞の細胞抽出液内に含まれるPTBのDNA結合能を解析した結果、そのシグナルは未分化状態で強く、レチノイン酸による分化により減弱した。一方、PTBのmRNAやタンパク質の発現量は、ES細胞をレチノイン酸により分化させても大きく変化しなかった。

6.ES細胞の抽出液を等電点電気泳動およびSDS-PAGEにて二次元的に展開した後、PTBタンパク質の分布を解析した。その結果、未分化状態のES細胞には、レチノイン酸によって分化したなES細胞には見られないスポットが酸性側に検出された。他の等電点と比べ、この未分化状態に特徴的なスポットを含む等電点から得られた画分は、PTBを含むDNA結合能を高く有していた。

これらのことから、PTBタンパクは未分化状態特異的な修飾を受けることでDNAへの結合能を獲得すると考えられた。未分化状態のES細胞の細胞抽出物をアルカリフォスファターゼにて処理すると、PTBの持つDNA結合能が減弱することが示された。

 以上、本論文はES細胞において未分化状態特異的に働く転写調節領域の解析から、ピリミジンに富んだ配列の重要性とPTBを介した転写調節機構を明らかにした。本研究はES細胞が未分化状態特異的な遺伝子発現をするために必要な転写因子のネットワーク網の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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