学位論文要旨



No 120264
著者(漢字) 吉川,健啓
著者(英字)
著者(カナ) ヨシカワ,タケハル
標題(和) 腕神経叢損傷患者における脳の再構築 : 機能的MRIによる長期的観察
標題(洋)
報告番号 120264
報告番号 甲20264
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2413号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 加藤,進昌
 東京大学 助教授 高山,吉弘
 東京大学 助教授 青木,茂樹
 東京大学 講師 星地,亜都司
内容要旨 要旨を表示する

I. 背景

腕神経叢損傷はバイク事故による上肢の牽引などで生じ,患肢全体のあるいは部分的な運動麻痺をきたす.腕神経叢損傷のうち,有連続損傷は保存的治療による回復が期待できるが,神経断裂や鎖骨下損傷に対しては神経移植術が必要である.節前損傷では肋間神経移行術などによる機能再建が行われる.

 腕神経叢損傷患者の脳に対しては外傷による入出力の制限と手術による入出力の回復が数か月の間をおいて生じるので,そのつど,それに適応するための脳の構築の変化,いわゆる脳の再構築が起こっているものと考えられる.入出力が回復するまでは患肢の運動に対応する賦活は縮小し,入出力の回復を契機として賦活も回復するものと推察されるが,これまでに十分なデータは提示されていない.このような長期間にわたる複雑な再構築の過程を明らかにするためには,同一患者群における経時的追跡が不可欠である.

 機能的磁気共鳴画像(functional magnetic resonance imaging:fMRI)は,血中の酸素飽和度の変化がMR信号の変化をもたらすBOLD(blood oxygen level-dependent)効果を利用した手法である.fMRIは大脳生理学の機能研究の分野で大きな役割を果たしている一方で,臨床応用としては,病変部と機能局在との位置関係の把握や,優位半球の決定,てんかん焦点の検討などに用いられている.さらに,脳梗塞などによる機能障害の回復過程に伴い,機能回復が脳のどの領域と関連するかを観察することによってリハビリテーションの方法論にも寄与している.

 本研究では,腕神経叢損傷患者における脳構築の変化を,fMRIを用いて経時的に観察する.特に,患側の運動に対応する対側の感覚運動皮質の賦活に着目し,外傷による麻痺および手術による機能回復の経過中に認められる賦活の変化を追跡する.

II. 方法

 腕神経叢損傷患者20人を本研究の対象とした.男性19人,女性1人であり,年齢は18-41歳(25.1±6.8歳),全員が右利き,右側損傷が14人,左側損傷が6人であった.入院時に,16人は患の肘を意志に基づいて屈曲することができず,4人は屈曲が可能であった.この20人に対し,術前に第1回のfMRIを施行した.その後,受傷から約1年後,約2年後,約3年後を目処に可及的に経過観察のfMRIを施行する方針とした.健常群として,ボランティア10人を選び,同様のfMRIを施行した.男性9人,女性1人であり,年齢は28-42歳(35.1±5.2歳),全員が右利きであった.

 fMRIの課題は肘の屈曲伸展運動とし,これを右肘,左肘,両肘の3シリーズについて行った.患肢の課題で肘を意志に基づいて屈曲することができない場合には,動かすよう最大限の努力をすることとした.box-car型のブロックデザインを用い,30秒ずつのOFFとONを4回ずつ繰り返した.

1.5テスラ全身用MR装置Signa Horizon(GE横河メディカルシステム)を用い,グラディエントエコー型エコープラナー法により全脳のfMRIを撮像した.撮像パラメータは,繰り返し時間3000msec,エコー時間50msec,フリップ角90度,スライス厚7mm,スライス間隙1mm,撮像領域24×24cm2,マトリックスサイズ64×64,スライス枚数18枚とした.この後に,全脳の3次元T1強調像を撮像した.

 ワークステーションSun Ultra 10上で動作するMEDx3.3内のSPM99(statistical parametric mapping 99, Wellcome Department of Imaging Neuroscience,Institute of Neurology),およびWindows PC上でMATLAB6.5によって動作するSPM99を用いて解析を行った.

 前処理として,各スキャン間の動きの補正(realignment),空間的標準化(spatial normalization),半値幅6mmのガウスフィルターを用いた平滑化(smoothing)を行ったあと,設定条件に基づいて実験モデルを決定し,MR信号の変化を評価した.多重比較補正ありp<0.05の有意水準を満たすボクセルを賦活ボクセルとみなし,賦活部位の最大値信号投影画像や軸位断像を作成した.さらに,SPMの拡張ソフトであるMNI Space utilityを利用して賦活部位の解剖学的位置を同定し,左右の感覚運動皮質における賦活ボクセル数を計数した.

 患側の対側の感覚運動皮質について,asymmetry index(AI)を計算した.AI=(Naf-Nunaf)/(Naf+Nunaf),ここで,Naf,Nunafはそれぞれ患側,健側の運動課題における対側の感覚運動皮質の賦活ボクセル数である.健常群についても上の式に準じてAIを計算した.

 術前患者群と健常群との差を明らかにするために,入院時に肘屈曲能が失われていた右側腕神経叢損傷患者11人の第1回検査のAIと健常群10人のAIとの比較を行った.これらの群のAIについて,正規性と等分散性を確認した後,t-検定を行った.

 術前から術後約9か月までに認められた変化を評価するために,入院時に肘屈曲能が失われていた患者群のうち,第2回のfMRIが施行できた11人について,第1回のAIと第2回のAIを比較した.これらの群のAIについて,正規性と等分散性を確認した後,対応のあるt-検定を行った.

 回復が認められた患者7人を対象として,第1回から第3回のfMRIにおいて患側の運動課題で得られた結果についてfixed-effect modelによる解析を行った.また,回復が認められた患者3人を対象として,第1回から第4回のfMRIにおいて患側の運動課題で得られた結果について同様の解析を行った.この解析結果について,MNI Space utilityにより感覚運動皮質における賦活ボクセル数を計数した.

III. 結果と考察

 腕神経叢損傷患者20人について,入院中に第1回のfMRIを施行できた.その後,外来経過観察中に,16人で第2回のfMRI,9人で第3回のfMRI,4人で第4回のfMRIが施行できた.

 入院時に肘屈曲能が失われていた右側損傷患者群の第1回検査のAIと健常群のAIとの比較では,患者群のAIは健常群に比し有意に低下していた(p=0.035).これにより,患側の対側の感覚運動皮質の,健側の対側の感覚運動皮質に対する相対的な賦活は,術前の患者群で小さくなっていることが示された.健側の運動課題では,健側の対側の感覚運動皮質における賦活について,腕神経叢損傷患者と健常者で同程度であることを考慮すると,患側の運動課題による対側の感覚運動皮質の賦活について,術前患者群では健常群より縮小していると言える.

 入院時に肘屈曲能が失われていた患者群のうち,第2回のfMRIが施行できた患者についての,第1回検査のAIと第2回検査のAIとの比較では,第2回検査のAIは第1回検査のAIに比し有意に低下していた(P=0.045).これにより,患側の対側の感覚運動皮質の賦活は,第2回検査で第1回検査より縮小していることが示された.受傷後3か月後までは,興奮性亢進,抑制の除去,あるいは機能回復のための代償性の動きなどにより賦活が増大し,その後はこれらの賦活が縮小したものと推察される.

 回復が認められた患者7人における第1回から第3回までの患側の運動課題のfMRIについての,fixed-effect modelによる解析結果では,対側の感覚運動皮質の賦活は第2回に低下し,第3回に復活する傾向が示唆された.また,回復が認められた患者3人における,第1回から第4回までの患側および健側の運動課題のfMRIについての,対側の感覚運動皮質の賦活ボクセル数の推移を見ると,やはり第2回に低下し,第3回以降には復活する傾向が示唆された.末梢神経の縫合後は,数年にわたって筋力の回復が続くことが知られており,本研究の対象とした患者も今後さらに筋力が回復し,対側の感覚運動皮質の賦活が正常に近づいていくものと期待される.

 一方,回復不良であった1例のfMRIの推移を見ると,術前には患側の対側の感覚運動皮質にある程度賦活が認められたが,その後は第4回検査に至るまで賦活は縮小したままであった.筋力が回復していない状態ではそれに対応する感覚運動皮質の賦活は拡大せず,むしろ縮小していくものと推察される.

IV. 結論

 fMRIにより,腕神経叢損傷患者の脳構築の変化を,経時的に追跡した.肘屈曲能の失われていた腕神経叢損傷患者では,受傷後約3か月の段階で,肘の屈曲運動に対応する患側の対側の感覚運動皮質の賦活が縮小していた.受傷後約1年(術後約9か月)では,患側の対側の感覚運動皮質の賦活はさらに縮小していた.その後,肘屈曲能の回復に伴って,患側の対側の感覚運動皮質の賦活は回復していくものと推察される.これらは外傷および機能再建術による末梢神経の変化に伴う脳の再構築を反映していると考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,腕神経叢損傷患者における脳構築の変化を,fMRIを用いて経時的に観察したものである.特に,患側の運動に対応する対側の感覚運動皮質の賦活に着目し,外傷による麻痺および手術による機能回復の経過中に認められる賦活の変化を追跡した.本研究では,下記の結果を得ている.

1. 入院時に肘屈曲能が失われていた右側損傷患者群の第1回検査(術前)と健常群との比較では,患側の対側の感覚運動皮質の,健側の対側の感覚運動皮質に対する相対的な賦活は,術前の患者群で小さくなっていることが示された.健側の運動課題では,健側の対側の感覚運動皮質における賦活について,腕神経叢損傷患者と健常者で同程度であることを考慮すると,患側の運動課題による対側の感覚運動皮質の賦活について,術前患者群では健常群より縮小していると言える.

2. 入院時に肘屈曲能が失われていた患者群における,第1回検査と第2回検査(受傷約1年後)との比較では,患側の対側の感覚運動皮質の賦活は,第2回検査で第1回検査より縮小していることが示された.受傷後3か月後までは,興奮性亢進,抑制の除去,あるいは機能回復のための代償性の動きなどにより賦活が増大し,その後はこれらの賦活が縮小したものと推察される.

3. 回復が認められた患者群における,第1回検査から第3回検査(受傷約2年後)までのfMRIについてのfixed-effect modelによる解析結果では,対側の感覚運動皮質の賦活は第2回に低下し,第3回に復活する傾向が示唆された.また,回復が認められた少数の患者における,第1回検査から第4回検査(受傷約3年後)までのfMRIについての結果では,やはり第2回に低下し,第3回以降には復活する傾向が示唆された.末梢神経の縫合後は,数年にわたって筋力の回復が続くことが知られており,本研究の対象とした患者も今後さらに筋力が回復し,対側の感覚運動皮質の賦活が正常に近づいていくものと期待される.

4. 回復不良であった1例のfMRIの推移を見ると,術前には患側の対側の感覚運動皮質にある程度賦活が認められたが,その後は第4回検査に至るまで賦活は縮小したままであった.筋力が回復していない状態ではそれに対応する感覚運動皮質の賦活は拡大せず,むしろ縮小していくものと推察される.

 以上,本論文は腕神経叢損傷患者の脳構築をfMRIにより経時的に追跡し,肘の屈曲運動に対応する患側の対側の感覚運動皮質における賦活の変化を提示した.本研究は末梢神経の変化に伴う脳の再構築の好例として脳可塑性の解明に重要な貢献をなすものと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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