学位論文要旨



No 120269
著者(漢字) 森田,大児
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,ダイジ
標題(和) 肺炎マイコプラズマ脂質成分接種により惹起される液性免疫の検討 : マイコプラズマ肺炎後神経障害の病態解明へ向けて
標題(洋)
報告番号 120269
報告番号 甲20269
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2418号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 講師 三崎,義堅
 東京大学 教授 加藤,進昌
内容要旨 要旨を表示する

序論

 感染後に発症することの多い神経障害として、急性末梢神経障害であるGuillain-Barre症候群(GBS)、眼球運動障害・失調・腱反射消失を三徴としGBSの亜型とされるMiller Fisher症候群(MFS)、中枢神経を障害する急性散在性脳脊髄炎(ADEM)などがある。

 近年、GBS,MFS患者の血清中に、高頻度に糖脂質に対する抗体が検出され、注目されている。糖脂質は神経組織に特に多く存在し、膜表面に局在する分子として抗体の標的となりやすいことを考えると、血清中の抗糖脂質抗体は、診断のみならず、神経障害の発症機序に密接に関連することが推測される。

目的

 Galactocerebroside(Gal-C)は、中枢および末梢のミエリンの主要な糖脂質である。ウサギをGal-Cで免疫すると、脱髄性ニューロパチーを発症することが報告されており、抗Gal-C抗体が脱髄活性をもつことが示されている。抗Gal-C抗体が、一般のGBSやADEMにおいてみられることは稀であるが、マイコプラズマ肺炎後の症例では高頻度に認められ、抗Gal-C抗体の上昇とマイコプラズマ肺炎の関連が推測されている。抗Gal-C抗体活性はMycoplasma pneumoniae(M.pneumoniae)菌体成分で吸収され、また抗Gal-C抗体がこの菌体成分中の糖脂質を認識することより、M.peumoniae菌体糖脂質成分に対する免疫反応として、抗Gal-C抗体が上昇する可能性が考えられている。

 そこでM.pneumoniaeの菌体から得た脂質成分をウサギに接種し、血清中の抗Gal-C抗体上昇の有無とその反応性を検討し、M.pneumoniae菌体の糖脂質成分に対する免疫反応として、抗Gal-C抗体が上昇するという仮説を検証するのが本研究の目的である。

対象・方法

肺炎マイコプラズマからの脂質の抽出

 培養したM.pneumoniaeより、クロロフォルムとメタノール及びイオン交換カラムを用いて中性脂質を抽出した。これを、以下M-lipidと呼ぶ。

ウサギへの抗原接種

 日本白色種のウサギ6羽ずつに、M-lipidあるいは精製Gal-Cを接種した。M-lipid:3.1mgあるいはGal-C:0.5mgを、keyhole limpet hemocyaninを2mg/mlの濃度で含むPBS:0.5mlと混合した。これと、結核菌の加熱死菌を10mg/mlの割合で加えた完全フロイントアジュバント0.5mlを混和し、乳濁液を作成し、両後肢の足底と足背に接種した。初回接種の3週後に同量の抗原乳濁液を背部に皮下接種した。その後、3から4週間をあけ計2回、M-lipid:1.3mgもしくはGal-C:0.1mgを含んだ乳濁液を背部に皮下接種した。対照ウサギ2羽には、M-lipidもGal-Cも含まないが、他は全て同様の乳濁液を同量、同様に接種した。一週間毎に採血し、初回抗原接種から25〜30週間観察した。

ELISA法による抗糖脂質抗体測定

 ELISAプレート1 wellにGal-C抗原200ngを乾燥固相化し、1%ウシ血清アルブミンを含むPBS(1%BSA-PBS)でブロッキングした。1%BSA-PBSでウサギ血清を、IgMクラスの抗体測定の際は200倍から、IgGクラスは400倍からそれぞれ51,200倍まで倍々希釈し、90分間反応させた。その後PBSで洗浄し、ペルオキシダーゼ標識抗ウサギIgM抗体、あるいは同標識ウサギIgG抗体と90分間反応させた。洗浄し、o-Phenylenediamine Dihydrochlorideで2分間反応後、硫酸溶液により停止させ、Microplate Readerで492nmでの吸光度を測定した。Gal-C固相化wellの吸光度から、固相化していないwellの吸光度を引いた値が0.1以上となる最大希釈倍率を、抗Gal-C抗体価とした。

 次に、各々のウサギ血清の中で、抗Gal-C IgG抗体価がピーク時の血清の、GA1,CDH,CTH,GM1,GM2,GM3,GD1a,GD1b,GD3,GT1bに対するIgG抗体活性を測定した。各wellへの固相化抗原量は、全て200ngとした。

TLC免疫染色

 M-lipid(脂質成分確認用には1500μg,免疫染色用は750μg),Gal-C:5μg,GA1:1μgを、プラスチックTLCプレートに置き、クロロフォルム:メタノール:0.2%塩化カルシウム溶液=60:35:8にて20分展開した。各成分確認のため、0.5%オルシノールを含んだ2規定硫酸溶液を噴霧し加熱、各レーンの発色を得た。免疫染色用は、0.4%ポリイソブチルメタクリレートを含むn-ヘキサン溶液に1分間浸透させ、表面を被膜した。その後、1%BSA-PBSで30分間ブロッキングし、PBSで洗浄、1%BSA-PBSでウサギ血清を100倍に希釈し、これを90分反応させた。PBSで洗浄後、ペルオキシダーゼ標識ウサギIgG抗体を90分反応させ、PBSで洗浄、0.01%過酸化水素及び0.05% 3,3'-diamino-benzidine tetrahydrochloride(DAB)を含むPBSで発色させた。

ウサギ組織の病理学的検討

 一部のウサギを解剖し、採取した脊髄、末梢神経、筋肉を固定後、エポンあるいはパラフィンに包埋した後、切片を作成し病理学的な検討を行った。

ラット坐骨神経への抗Gal-C IgG抗体活性陽性ウサギ血清の注入

 基本的な方法は、Saidaらの報告を参考にした。Wistarラット12匹、計24本の坐骨神経を用いた。全身麻酔下に皮膚及び筋肉を切開し、坐骨神経を露出した。M-lipidを接種し両後肢の運動感覚障害を来したウサギ、両前肢の筋力低下を来したもの、Gal-Cを接種して抗Gal-C IgG抗体上昇のみられたウサギのうち1羽の、抗Gal-C IgG抗体価がピーク時の血清各20μlを、それぞれ3本、6本、3本の坐骨神経に31ゲージの針を用いて注入した。対照群として、抗原接種前の血清、対照群ウサギの血清を、それぞれ3本、9本に注入した。

血清注入の5日後に坐骨神経を切除し、病理学的な観察を行った。

結果

ウサギへの抗原接種

 M-lipid接種ウサギ6羽全てに、抗Gal-C IgM,IgG抗体活性が認められた。1羽が3回目の抗原接種後、抗Gal-C IgG抗体活性が上昇を示した時点で両後肢の筋力低下と痛覚鈍麻を発症し、数日の経過で急激に増悪した。また、別の1羽が初回抗原接種から5週間を経過した頃より2週間程度、両前肢の軽度の筋力低下を来した。一方Gal-C接種ウサギは、6羽中4羽に抗Gal-C IgM,IgG抗体活性が認められたものの、いずれも明らかな神経症状を呈さなかった。対照群2羽に抗Gal-C抗体活性は認められなかった。

抗原を接種したウサギ血清の、他の糖脂質への反応

 一部のウサギにおいて、GAl,CDH,CTHの3種の中性糖脂質に対して反応が認められた。一方、GM1やGD1bなど、ガングリオシドとの反応は認められなかった。

TLC免疫染色

 M-lipidを接種し、抗Gal-C抗体高値であった血清を用いた免疫染色と、Gal-Cを接種し抗Gal-C抗体高値であった血清を用いた染色は、ともにM-lipid中の複数の糖脂質が特異的に染色された。

 ウサギの病理所見

 著明な後肢の運動感覚障害を発症したウサギの頚髄、胸髄、腰髄、後根神経節、脛骨神経、腓骨神経、腋窩神経、横隔膜、大腿四頭筋、腸腰筋を観察した。腰髄下部から馬尾にかけての組織が、強い炎症のためか一部出血を伴い溶解しており、標本作製不可能であった。そこで最も変化が激しい領域より若干頭側の腰髄を観察したところ、一部にクモ膜下出血とそれに伴う白質梗塞像と壊死像を認めた。標本作製範囲に明らかな脱髄所見は認められなかった。また、出血の原因と責任血管は不明であった。一方その他の部位に明らかな異常所見を認めなかった。両前肢の筋力低下を来したウサギも同様の部位の観察を行ったが、明らかな異常所見を認めなかった。

抗Gal-C抗体活性陽性のウサギ血清を注入したラット坐骨神経の病理所見

両後肢の運動感覚障害を発症したウサギ血清を注入した3本中1本、両前肢の筋力低下を来したウサギ血清を注入した6本中2本に脱髄所見が認められた。その他に明らかな異常所見を認めなかった。

考察

 今回の実験結果より、M.pneumoniaeから抽出した脂質成分は、これを接種したウサギに抗Gal-C抗体を産生させることが明らかとなった。更に、得られた抗Gal-C抗体活性をもつウサギ血清は、M.pneumoniaeの糖脂質成分と反応することがわかり、M.pneumoniawe菌体の糖脂質成分への免疫反応により、抗Gal-C抗体が上昇することが確認された。M-lipid接種ウサギの2羽が神経症状を呈した。これらの発症機序は完全には明らかでなく、単一の因子によるとは限らないが、今回の実験結果やM.pneumoniae感染後にGBSや横断性脊髄炎を発症することなどから、抗Gal-C抗体が、神経障害因子のひとつとして作用した可能性が考えられる。M-lipidを接種し抗Gal-C抗体活性陽性のウサギ血清により、ラットの坐骨神経に脱髄を生じさせることが出来た。これにより、M.pneumoniae感染後に抗Gal-C抗体活性を認めた場合、末梢神経に脱髄が生じうることが明らかとなった。しかし今回の結果では、M-lipid接種ウサギのみで一部に神経症状が出現し、その血清を注入したラット坐骨神経のみに脱髄が生じた。したがって、今回は精製Gal-C接種による脱髄病変の出現は確認できなかったが、これについては更に例数を増やす等して詳細に検討する必要がある。一方でM-lipid中の何らかの他の成分に対して惹起された因子が、より強い病理作用をもつ可能性も考えられた。

結語

 本研究により、M.pneumoniae菌体の糖脂質成分に対する免疫反応により、脱髄活性を有する抗Gal-C抗体陽性血清が得られることが確認できた。この結果は、M.pneumoniae感染後の神経疾患の発症機序も、分子相同性によるものであることを示していると考える。今後は、M.pneumoniae感染後に認められる抗体などの因子の作用により脱髄が生じるまでの病態機序の解析が望まれる。また、今回TLC免疫染色で染色された糖脂質成分の精製により、診断精度の向上や、治療方法の一助となることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 Mycoplasma pneumoniae(M.pneumoniae)感染後には、血中に脱髄因子として知られる抗galactocerebroside(Gal-C)抗体が上昇することが報告されている。本研究は、M.pneumoniae感染後の神経障害の病態機序解明を目的とし、M.pneumoniaeから抽出した脂質(M-lipid)をウサギに接種して血中抗体価を検討し、また得られたウサギ血清のラット坐骨神経内への注入を行い、免疫学的、病理学的検討を行ったものであり、以下の結果を得ている。

1. 日本白色種のウサギ6羽ずつに、M-lipidあるいは精製Gal-Cを4回接種し、抗Gal-C抗体活性を測定しつつ、経過を観察した。また、2羽に完全フロイントアジュバントのみを接種し、対照群とした。結果、M-lipid接種ウサギ6羽全てと、Gal-C接種ウサギ4羽に抗Gal-C IgM,IgG抗体活性を認めた。対照群2羽に抗Gal-C抗体活性は認めなかった。

2. M-lipid接種ウサギのうち、1羽が3回目の抗原接種後、抗Gal-C IgG抗体活性が上昇を示した時点で両後肢の筋力低下と痛覚鈍麻を発症し、数日の経過で急激に増悪した。また、別の1羽が初回抗原接種から5週を経過した頃より2週間程度、両前肢の軽度の筋力低下を来した。従来の報告と異なり、精製Gal-C接種ウサギと対照群は、いずれも明らかな神経症状を呈さなかった。

3. M-lipidとGal-Cを、薄層クロマトグラム(TLC)プレートに置き展開し、ウサギ血清によるTLC免疫染色を行った。結果、M-lipidを接種し、抗Gal-C抗体高値であった血清を用いた免疫染色と、Gal-Cを接種し抗Gal-C抗体高値であった血清を用いた染色では、ともにM-lipid中の複数の糖脂質が特異的に染色された。これにより、M.pneumoniae菌体にはGal-C様の糖鎖をもつ糖脂質成分が存在することが確認され、同成分への免疫反応により抗Gal-C抗体が上昇することが示唆された。

4. 神経症状が出現したウサギの病理学的検討では、著明な後肢の運動感覚障害を発症したウサギの、腰髄下部から馬尾にかけての組織は、強い炎症のためか一部出血を伴い溶解していた。観察し得た腰髄では、一部にクモ膜下出血とそれに伴う白質梗塞像と壊死像を認めた。標本作製範囲に明らかな脱髄所見は認められなかった。その他の部位に明らかな異常所見を認めなかった。両前肢の筋力低下を来したウサギも観察を行ったが、明らかな異常所見を認めなかった。従来報告されているGal-C接種ウサギのような脱髄モデルとはならなかったが、肺炎マイコプラズもしくはその抽出物質の接種により神経症状を来した動物の報告はなく、今回の結果は意味があるものと考えた。

5. 各々のウサギ血清の中で、抗Gal-C IgG抗体価がピーク時の血清の、他の糖脂質に対するIgG抗体活性を測定したところ、一部のウサギにGA1,CDH,CTHの3種の中性糖脂質に対する反応が認められたが、ガングリオシドとの反応は認められなかった。

6. M-lipidを接種し両後肢の運動感覚障害を来したウサギ(A)、両前肢の筋力低下を来したもの(B)、Gal-Cを接種して抗Gal-C IgG抗体上昇のみられたウサギのうち1羽の、抗Gal-C IgG抗体価がピーク時の血清各20μlを、それぞれ3本、6本、3本のWistarラットの坐骨神経に注入した。対照群として、抗原接種前の血清、対照群ウサギの血清を、それぞれ3本、9本に注入した。血清注入5日後の坐骨神経の病理所見では、(A)を注入した3本中1本、(B)を注入した6本中2本に脱髄所見が認められた。

 本論文はM.pneumoniae感染後のGuillain-Barre症候群や急性散在性脳脊髄炎などの神経障害でみられる抗Gal-C抗体の上昇が、菌体の糖脂質成分に対する免疫反応によるものであることを示し、さらに感作動物血清が脱髄活性を有することを示したものである。本研究は、M.pneumoniae感染後神経障害の病態機序の解明に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

UTokyo Repositoryリンク