学位論文要旨



No 120270
著者(漢字) 米倉,一郎
著者(英字)
著者(カナ) ヨネクラ,イチロウ
標題(和) マウス全脳虚血モデルの確立および同モデルを利用した海馬CA1領域の虚血性神経細胞死におけるp53の役割の評価
標題(洋)
報告番号 120270
報告番号 甲20270
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2419号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 北,潔
内容要旨 要旨を表示する

内容

 本論文はPart1マウス全脳虚血モデルの確立及びPart2海馬CA1領域の虚血性神経細胞死におけるp53の役割の評価の2部構成になっており要旨もこれに準じるものである。

Part1

【背景】 脳虚血はわが国において非常に多くの背景人口を有する病態である。しかし、臨床の現場において虚血に対し脳を保護する治療は未だ不十分な状態にあり、新たな治療法の開発が求められている。開発に先立ち、脳虚血損傷の機序を理解するために、ラットや砂ねずみを用いて海馬CA1領域に選択的に神経細胞死を生じる全脳虚血モデルが利用されてきたが、未だにこの機序は十分に把握されていない。

 本研究では、多くの遺伝子変異動物が利用可能になった時代背景を受け、メカニズムを解明するための新たな手段としてマウスの全脳虚血モデルの作成を試みた。これまでにも、マウスにおける脳虚血モデルの報告はあるものの、均一で再現性のある脳損傷あるいは神経損傷をもたらすモデルは報告されてはいないのが現状である。

【方法】 遺伝子変異動物作成にしばしば用いられる系統であるC57BL/6マウス及びSV129マウスを用いた。麻酔下に両側総頚動脈と脳底動脈を同時に8-18分間遮断した。脳底動脈を遮断したクリップは今回新たに開発したもので、直径0.2mmのステンレススチール製で先端を細く加工した。すべての動物で虚血後30分まで直腸温、側頭筋温を37℃で維持した。虚血4日後に海馬CA1領域における生存細胞数を定量化した。また虚血侵襲を評価するために皮質脳血流と海馬CA1における直流電位を測定した。

【結果】 C57BL/6マウス、SV129マウス両群において平均脳血流は虚血前に比べ10%以下で虚血後の脱分極は1分以内に生じた。これほどの虚血侵襲にもかかわらず、手術成功率は94.0%であり、C57BL/6マウスにおいて4日間の生存率85.9%を維持した。SV129マウスの生存率は14分虚血では100%だが18分虚血は51.9%と低下した。C57BL/6マウスでは虚血後4日目に海馬CA1領域の神経細胞の変性を認め、神経損傷は虚血時間に依存した。8分間の虚血では78.5±8.5%の神経細胞が確認されたが、14分間の虚血では8.4±12.7%しか認められなかった。SV129マウスでは、脳血流と虚血から脱分極までの時間はC57BL/6と差が無く、同等の虚血侵襲を与えたにもかかわらず、14分間の虚血で同様の変化を認めなかった。

【考察】 C57BL/6マウスにおいてはCA1領域に均一な神経損傷を生じ再現性のあるモデルが確立できた。この結果は遺伝子背景がC57BL/6である遺伝子変異動物ならば、その野生型と変異型の虚血に対する反応を比較することで、変異させた遺伝子の機能を解析できる可能性を示唆するものである。また本実験における系統の間での虚血脆弱性における差は、マウスにおける虚血実験においてその遺伝子背景を十分考慮する必要があることを示している。

Part 2

【背景】 転写因子p53は神経のみならず細胞の生死を支配する蛋白であることはすでに知られている。しかし脳虚血後の神経細胞死とp53の因果関係は十分に理解されていない。本研究では、p53欠損(p53-/-)マウスと野生型C57BL/6(p53+/+)マウスにおける全脳虚血後の海馬CA1領域での神経細胞死を比較し、全脳虚血後の神経細胞死に対するp53の影響を検討した。

【方法】 p53以外の背景遺伝子の影響を除くためC57BL/6へ12回戻し交配されたP53-/-マウスとP53+/+マウスを使用した。そして全脳虚血は3血管閉塞モデルを使用した。虚血後4日目すべての動物を灌流固定し、海馬CA1の神経細胞数を計測した。別の動物群で海馬CA1領域における直流電位を計測した。また海馬CA1領域におけるp53蛋白の変化を評価するため免疫組織化学を施行し、さらに全海馬にてp53及びその下流分子であるBaxのmRNAをRT-PCRにて解析した。

【結果】 p53+/+マウスとp53-/-マウスにおいて海馬の直流電位と皮質脳血流に統計学的有意差は認められず、遺伝子型によらず同等の虚血侵襲を負荷していることを確認した。しかし虚血後の神経細胞数はp53+/+マウスでは9.3±3.0%、p53-/-マウスでは61.3±34.0%と遺伝子型により有意差を認めた

(Fig.2)。

 また免疫組織化学において、p53+/+マウスでは虚血12時間後後海馬CA1の神経細胞においてp53と考えられる蛋白の発現の増加を認めた。さらにp53により転写制御を受けるBaxのmRNAは虚血12-24時間後に増加することを確認した。

【考察】 本実験で得られた神経損傷の差はp53以外の背景遺伝子や脳血流の差によるものではなく、p53遺伝子が存在したか否かにより生じたと考えられる。またP53+/+マウスでは虚血後p53蛋白に何らかの変化を生じていると考えられ、このp53がBaxを介し神経細胞死を誘導している可能性が示唆された。これらの結果は全脳虚血後の神経損傷においてp53が重要な役割を果たしており、p53は虚血治療のターゲットになりうることを示唆している。

Fig.1 CA1 neuronal density in C57BL/6 at day 4 After diffrent ischemia duration

Fig.1 CA1 neuronal density in SV 129 at day 4 After diffrent ischemia duration

Fig.2 CA1 neuronal density at 4 days after 14-minute ischemia

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は虚血性神経細胞死の機序解明し治療法を確立するため、新たな手段としてマウス全脳虚血モデルの作成を試みたPart1および、同モデルをp53遺伝子欠損マウスに応用し、得られた結果からp53の虚血性神経細胞死における役割を検討したPart2の2部から構成されており、下記の結果を得ている。

Part 1

 遺伝子変異動物を作成する際に利用される、C57BL/6およびSV129の両系統において、両側総頚動脈と脳底動脈の3血管を閉塞した結果、C57BL/6マウスでは14分の虚血で海馬CA1領域に均一で再現性のある神経細胞死を引き起こすモデルを確立した。一方、SV129マウスでは同等の虚血侵襲では同様の結果を認めず、系統間に虚血脆弱性に差があるとこが示唆された。この事実により、遺伝子変異動物を用いる虚血実験においては、戻し交配を行うことの重要性が示された。

Part 2

 C57BL/6系統へ12回の戻し交配を行ったp53遺伝子欠損(p53-/-)マウスと野生型C57BL/6(p53+/+)マウスに確立したモデルを応用し、海馬CA1領域において神経損傷を評価したところ、p53-/-マウスの方がp53+/+マウスより損傷が軽度であった。脳血流あるいは生理学的パラメーターにおいて両群に有意差を認めなかったこと及び、背景遺伝子が結果に影響を与えた可能性が低いことより、得られた神経損傷の差はp53遺伝子の存在と非存在によることが示された。

 野生型p53抗体を用いて、免疫組織化学を施行したところ、非虚血動物やp53-/-マウスでは免疫反応を認めなかったが、虚血動物では手術後6時間から海馬CA1領域において免疫反応の発現を認め12時間後に発現の増強が観察され、虚血後にp53タンパク質が変化していることが示された。p53が可視化されるようになった1つの機序として、虚血後海馬において(mRNA)p53が増加していることから、タンパク質量が増加した可能性が示唆された。

 虚血後(mRNA)Baxがp53の免疫発現に一致して増加しており、この結果はBaxがp53により制御されている事実に矛盾しないことから、虚血後海馬に転写活性を有するp53の存在が示唆された。

 以上より本論文はPart1では、遺伝子変異動物を利用し虚血性神経損傷の分子機構を解明する上で非常に有益であると考えられるモデルを確立し、Part 2では虚血神経損傷におけるp53の役割をin vivoにおいて解明し、この分子が虚血治療の目標の1つになることを示した。本研究は、臨床的に非常に多くの背景人口を有する虚血性脳損傷において、機構の解明および治療法の開発に重要な貢献をなすと考えられる動物モデルを確立し、また同モデルをp53遺伝子変異動物に応用したことでp53が虚血性神経細胞死における重要な分子である可能性を導き出しており、学位の授与に値するものである。

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