学位論文要旨



No 120272
著者(漢字) 松浦,徹
著者(英字)
著者(カナ) マツウラ,トオル
標題(和) 新規指示薬によるイノシトール1,4,5三リン酸の時空間的解析
標題(洋) Spatiotemporal inositol 1,4,5-trisphosphate dynamics revealed by quantitative real-time imaging with a new FRET-based indicator
報告番号 120272
報告番号 甲20272
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2421号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 講師 森島,真帆
内容要旨 要旨を表示する

 細胞はホルモンや成長因子、神経伝達物質などの細胞外刺激により、細胞内Ca2+濃度を様々に変化させる。細胞外刺激は、ホスホリパーゼC(PLC)によるホスファチジルイノシトール4,5二リン酸(PIP2)の分解を促進し、イノシトール1,4,5三リン酸(IP3)を産生する。IP3は2次伝達物質として細胞内Ca2+ストアに存在するCa2+チャネル、IP3受容体(IP3R)からのCa2+放出(IP3induced Ca2+release:IICR)を促す。例えばCa2+上昇が周期的に起こるCa2+振動や、Ca2+半昇が細胞内または周囲の細胞に広がるCa2+波のように、細胞は時間・空間的に複雑なCa2+変動を引き起こす。このようなCa2+変動は、様々な細胞機能を調節していることが知られている。特にCa2+振動では、周波数に依存した酵素活性や遺伝子発現の制御が報告されており、その生理的意義が明らかになってきている。一方、Ca2+振動の制御機構については未だに議論が残っている。

 現在、Ca2+振動の制御機構として、主に2つの仮説が提唱されている。1つはCa2+によるIP3Rへの正・負のフィードバックがCa2+振動を制御する、Ca2+誘導性Ca2+放出(CICR)優位モデルであり、もう一つはIP3濃度の振動がCa2+振動を制御する、IICR優位モデルである。1989年に報告されたWakuiらの実験では、パッチクランプした細胞に一定の濃度の非代謝型IP3類似体を与えることで、Ca2+振動を誘導することに成功している(Wakui,M. et al. 1989,Nature 339,317-20)。この実験からIP3濃度の振動はCa2+振動の誘発に必要でないことが示唆された。しかし、近年Hiroseらのプレクストリンホモロジードメイン(PHD)を用いたIP3観測では、Ca2+振動と同期したbaseline IP3振動が観測されており(Hirose,K. et al. Science, 1999 284,1527-30)、どちらの仮説がより有力であるのかはっきりとはしていない。

 私はこのCa2+振動の制御機構を明らかにする目的で、IP3の可視化技術を開発した。現在までに、細胞内のIP3をリアルタイムに観測するいくつかの技術が報告されている。これらは、ほとんどが上述のPHDを利用したものである。IP3観測にはPLCδのPHDが使用される。しかし、このPHDはPIP2とIP3双方に親和性を持つことから、得られたシグナルの解釈には常に注意が必要である。このことから、私はIP3特異的な指示薬の開発を試みた。私はIP3RのIP3結合部位(224-575a.a)のN末に黄色蛍光タンパク質Venusを、C末に青色蛍光タンパク質ECFPを融合した。この分子はIP3との結合によりECFP、Venus間の蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)効率が変化し、その蛍光スペクトラムが変化した。この分子の蛍光変化を指標とした見かけ上のIP3への結合定数はおよそ400nMであり、蛍光変化は生理的条件の範囲内のpHやCa2+濃度変化に影響を受けないことを確認した。また、この分子は他のイノシトールリン酸に比較して有意にIP3への親和性が高かった。以上の結果から私はこの分子がIP3指示薬として有用であると判断した。私はこの分子をIP3R-based IP3 sensor(IRIS)と名付け、細胞内でのIP3動態を観察した。

 私はIRISを用いて、アゴニスト刺激によるHeLa細胞とCOS-7細胞のCa2+振動時のIP3動態を観察した。IRISを発現させた細胞にIndo-1を取り込ませることで、IP3とCa2+を同時に測定することを可能とした。3μMのヒスタミン刺激は細胞内のIP3濃度を連やかに上昇させた。刺激中、上昇したIP3濃度は小さな増減を繰り返しながら、ほぼ一定に保たれた。この振幅の小さなIP3の振動は、Ca2+振動と同期して観測された。これに対して、0.3μMのATPによって刺激されたCOS-7細胞ではCa2+振動と同期したIP3濃度変化は観測されなかった。

 HeLa細胞とCOS-7のIP3動態の相違はどのような分子機構により作り出されるのであろうか?細胞外からのアゴニスト刺激を受け取るGタンパク質共役型受容体、そしてPLCβがCa2+により制御されていることが報告されていることから、人為的に細胞内のCa2+濃度を制御することで、IP3産生に対するCa2+濃度の影響を調べた。その結果、HeLa細胞では、Ca2+濃度上昇によりヒスタミン刺激によるIP3濃度上昇が一過的に促進され、続いて一過的に抑制されることが示された。この一過的な抑制はPKCを抑制することで失われた。それに対してCOS-7細胞ではHeLa細胞と異なり、促進効果は見られたが、抑制効果は見られなかった。そこで、COS-7細胞にPKCαを強制発現させると、Hela細胞同様に抑制効果を観測することができた。以上の結果から、IP3産生に対するCa2+からの一過的な負のフィードバックはPKCによって担われていることが示唆され、HeLa細胞とCOS-7細胞ではPKCの活性に差があることが示された。

 Ca2+振動時のHeLa細胞とCOS-7細胞のIP3動態の違いが、両者のPKC活性の違いに起因するのかを調べるために、PKC活性を抑制したHeLa細胞でのCa2+振動時のIP3動態を調べた。PKC活性を抑制したHeLa細胞をアゴニスト刺激することでCa2+振動を誘起することができた。この細胞ではCOS-7細胞で見られたのと同様に、Ca2+振動と同期したIP3濃度変化が観測されなかった。この結果から、HeLa細胞とCOS-7のIP3動態の相違は、IP3産生に対するPKCを介した、Ca2+からの負のフィードバック活性の相違に起因することが示唆され、IP3濃度の振動にはCa2+からの負のフィードバックが必要であることを示すことが出来た。またこの実験は同時に、HeLa細胞においてもIP3濃度の振動がCa2+振動の誘起に必須ではないことを示している。

 次に、私は受精時のIP3動態を観測した。試料としては原索動物であるホヤの卵を使用した。棘皮動物から哺乳動物まで、多くの生物種で受精後の卵内でCa2+振動が観察されている。受精後のCa2濃度変化は卵賦活に必須の現象であり、ホヤやマウスではIP3によって制御されることが報告されている。COS-7細胞で観測されたIP3動態と同様に、ホヤ卵では、IP3の濃度は上昇後、およそ定常状態を保ち、Ca2+振動と同期したIP3の振動は観測されなかった。この結果はWakuiらの実験同様、一定濃度のIP3がCa2+振動を誘発することを示している。

 ホヤ卵のCa2+振動では一つ一つのCa2+spikeが卵の一点から始まり、全体に広がるCa2+波である。IRISによる観察では、最初のCa2+ spike時にCa2+波と同調したIP3波が測定された。しかし、それ以降のCa2+ spikeでは卵内のIP3濃度に空間的な不均一性は観測されなかった。この結果は最初のCa2+ spikeはIP3濃度変化が引き金となるが、それ以降のCa2+ spikeはIP3濃度変化を必要としないことを示唆している。2回目以降のCa2+ spikeが観測されたときには既に卵内に産生されたIP3が貯まっている状態である。このことは、ホヤ卵では十分量のIP3によって活性化されたIP3RがCICRによる制御によりCa2+振動を作り出していることを示唆する。

 以上の結果から、Ca2+振動時のIP3動態には2つのタイプがあることを示すことが出来た。1つは、Ca2+振動と同期して小さくIP3が振動する、HeLa細胞で見られたタイプであり、もう1つは、IP3振動が観測されないCOS-7細胞と受精卵で観測されたタイプである。IP3振動が観測されない後者では、Ca2+からのIP3Rへの正・負のフィードバックがCa2振動を制御していることが予測される。小さなIP3振動が観測されるHeLa細胞においても、PKC抑制によりIP3振動が失われても、Ca2+振動が観測されることから、IP3振動はCa2+振動の誘起に必須ではなく、Ca2+からのIP3RへのフィードバックがCa2+振動の制御に重要な役割を果たしていることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 Ca2+上昇が周期的に起こるCa2+振動や、Ca2+上昇が細胞内または周囲の細胞に広がるCa2+波のように、細胞は時間・空間的に複雑なCa2+変動を引き起こす。このようなCa2+変動は、様々な細胞機能を調節していることが知られている。特にCa2+振動では、周波数に依存した酵素活性や遺伝子発現の制御が報告されており、その生理的意義が明らかになってきている。その一方、Ca2+振動の制御機構については未だに議論が残っている。本研究ではCa2+振動の制御機構の解明に、その上流因子であるIP3とCa2+との同時イメージングを行うことで迫った。

1. 現在までに、細胞内のIP3をリアルタイムに観測するいくつかの技術が報告されているが、これらはPLCδのPHDを利用したものがそのほとんどである。PHDはPIP2とIP3双方に親和性を持つことから、得られたシグナルの解釈には常に注意が必要である。このことから、私はIP3特異的な指示薬の開発を試みた。私はIP3RのIP3結合部位(224-575a.a)のN末に黄色蛍光タンパク質Venusを、C末に青色蛍光タンパク質ECFPを融合した。この分子はIP3との結合によりECFP、Venus間の蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)効率が変化し、その蛍光スペクトラムが変化した。この分子の蛍光変化を指標とした見かけ上のIP3への結合定数はおよそ400nMであり、蛍光変化は生理的条件の範潤内のpHやCa2+濃度変化に影響を受けないことを確認した。

 また、この分子は他のイノシトールリン酸に比較して有意にIP3への親和性が高かった。以上の結果から私はこの分子がIP3指示薬として有用であると判断し、IP3R-based IP3 sensor(IRIS)と名付け、細胞内でのIP3動態観察に用いた。

2. IRISを用いて、アゴニスト刺激によるHeLa細胞とCOS-7細胞のCa2+振動時のIP3動態を観察した。IRISを発現させた細胞にIndo-1を取り込ませることで、IP3とCa2+を同時に測定することを可能とした。3μMのヒスタミン刺激は細胞内のIP3濃度を速やかに上昇させた。刺激中、上昇したIP濃度は小さな増減を繰り返しながら、ほぼ一定に保たれた。この振幅の小さなIP3の振動は、Ca2+振動と同期して観測された。これに対して、0.3μMのATPによって刺激されたCOS-7細胞ではCa2+振動と同期したIP3濃度変化は観測されなかった。PKC活性を抑制したHeLa細胞ではCOS-7細胞で見られたのと同様に、Ca2+振動と同期したIP3濃度変化が観測されなかった。この結果から、HeLa細胞とCOS-7のIP3動態の相違は、IP3産生に対するPKCを介した、Ca2+からの負のフィードバック活性の相違に起因することが示唆され、IP3濃度の振動にはCa2+からの負のフィードバックが必要であることを示すことが出来た。またこの実験は同時に、HeLa細胞においてもIP3濃度の振動がCa2+振動の誘起に必須ではないことを示している。

3. 次に、私は受精時のIP3動態を観測した。試料としては原索動物であるホヤの卵を使用した。棘皮動物から哺乳動物まで、多くの生物種で受精後の卵内でCa2+振動が観察されている。受精後のCa2+濃度変化は卵賦活に必須の現象であり、ホヤやマウスではIP3によって制御されることが報告されている。COS-7細胞で観測されたIP3動態と同様に、ホヤ卵では、IP3の濃度は上昇後、およそ定常状態を保ち、Ca2+振動と同期したIP3の振動は観測されなかった。この結果は一定濃度のIP3がCa2+振動を誘発することを示している。

 ホヤ卵のCa2+振動では一つ一つのCa2+ spikeが卵の一点から始まり、全体に広がるCa2+波である。IRISによる観察では、最初のCa2+ spike時にCa2+波と同調したIP3波が測定された。しかし、それ以降のCa2+ spikeでは卵内のIP3濃度に空間的な不均一性は観測されなかった。この結果は最初のCa2+ spikeはIP3濃度変化が引き金となるが、それ以降のCa2+ spikeはIP3濃度変化を必要としないことを示唆している。2回目以降のCa2+ spikeが観測されたときには既に卵内に産生されたIP3が貯まっている状態である。このことは、ホヤ卵では十分量のIP3によって活性化されたIP3RがCICRによる制御によりCa2+振動を作り出していることを示唆する。

 以上、本論文は、Ca2+振動時のIP3動態には2つのタイプがあることを示し、どちらにおいてもCa2+からのIP3RへのフィードバックがCa2+振動の制御に重要な役割を果たしていることが示唆された。本研究は10年以上にわたり論争が続いている、Ca2+振動におけるリズムの生成の起源をどの分子が担っているのかという議論に対して、新しく開発したIP3指示薬を用いて、Ca2+からのIP3Rへのフィードバックが大きな役割を担っているということを提唱したものであり、Ca2+シグナルの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク