学位論文要旨



No 120275
著者(漢字) 武市,尚子
著者(英字)
著者(カナ) タケイチ,ヒサコ
標題(和) 異状死届出制度に関する研究 : 医療関連死の取扱いを中心に
標題(洋)
報告番号 120275
報告番号 甲20275
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2424号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 教授 木内,貴弘
 東京大学 助教授 今村,知明
 東京大学 講師 前田,正一
内容要旨 要旨を表示する

【目的】

 本研究は、医療事故に対する社会的関心の高まりを受けて、現行の異状死届出や検死制度の問題点を医療関連の死亡に焦点を絞って明らかにし、再発防止に資する事故原因究明と適切な情報開示が可能な公的届出及び死因究明制度の設計を行うことを目的とした。

【方法】

 上記目的を達成するためには、我が国の死因究明制度の法的背景や諸外国の事情、関係者の意識についての実態調査などを多角的・学際的に考察する必要がある。そのため、第一部で文献調査と外国での現地調査に基づいて、法制度を比較・分析して問題点を整理した。第二部では全国5地域の医師会員1080名と検視官講習を受講した警察官24名を対象にアンケートを行った(実施は2000年8〜10月)。調査項目は、異状死届出をした経験・受けた経験の有無、異状死の定義、異状死ガイドラインの知識、異状死か否か迷った場合や死因を断定しかねる場合の対応、モデルケース15事例について、それぞれ異状死届出や解剖の要否などどのような手続が妥当と思われるかの判断である。得られた結果はそれぞれの項目を集計し、モデルケースへの回答に影響を与えているかどうか、順位尺度についてはマンホイットニーU検定、その他についてはχ2検定を行った。モデルケースへの回答に影響を与えていた項目を説明変数とし、届出するか否かを目的変数としてロジスティック回帰解析を行った。第三部では、従来の警察届出に替わるいわゆる第三者機関への届出構想につき、保健所を利用した制度を4種類のモデルによってそれぞれの長所と短所、立法・法改正の試案、実現可能性等を比較・検討した。

【結果及び考察】

 第一部 我が国の検死制度は基本的に刑事訴訟法上の規定により解剖が行われるドイツ型(大陸法型)であるが、医師法21条に基づく医師の異状死届出に関しては本来犯罪捜査の端緒だけでなく、死因究明による公衆衛生上の被害拡大防止も目的としていたことが示された。しかし、戦後の行政上の改編等から後者の目的は薄れていった。またアメリカ型である監察医(行政解剖)制度が一部導入されたことにより、解剖が犯罪性の有無により振り分けられるシステムとなって、犯罪捜査の一環としての司法解剖という印象が必要以上に強まる結果となった。この点は、我が国の死因究明制度の歴史的沿革に由来する独特の問題であり、医師が異状死届出をためらい、場合によっては遺族の反対・抵抗の原因ともなっていることが示唆された。次に、司法解剖に基づく鑑定結果は、当該医療機関はもとより、遺族にも開示されないこと、また行政上も医療関連の司法解剖例の情報を集約し、再発防止策に活用するシステムは存在しないことから、刑事手続としての司法解剖の制約によって医療関連死の適正な死因究明・再発防止が阻害されていることが示された。

 第二部 現行制度上の異状死の定義について、厚生省研究班・法医学会の見解を知っていたのは医師・検視官ともに3割程度、法医学会のガイドラインの認知度は4%と低いことが示された。医師と検視官の意識の違いとして、検視官は医師と比べて異状死届出を積極的にすべきであると考えていることが示された。また、医師は医療関連の死亡に関して司法解剖を選択しないのに対し、検視官は司法解剖を選択する人が多く、医療関連の死亡の死因究明に関して届出をする側と届出を受ける側の意識の乖離が認められた。また、医師は異状死届出をした場合は解剖による死因究明が望ましいと考えているのに対し、検視官は、届出を求めるが解剖までは必要ないと考えていることが示された。さらに、監察医制度施行地域及び都市部では、その他の地域より届出することを選ぶ傾向がみられた。これらの結果から監察医制度やその他の検案・解剖態勢の充実度も届出の意識に影響を与えていることが示唆された。

 第三部 死因究明専門機関に求められる機能としては、届出受理と検案・解剖を通じた死因・事故原因究明、情報開示、再発防止のためのフィードバックが挙げられる。沿革上も機能の点でも上記の目的にふさわしく、実現可能性が最も高いのは保健所であると考えられた。保健所を活用するシステムとして医師法21条の異状死届出とは全く別個の医療関連死届出義務を設定する「並列届出モデル」、医療関連死は異状死として一括して警察に届出をし、警察が死因究明を保健所に依頼する「警察一括届出モデル」、医療関連死であれば一括して保健所に届出をし、必要に応じて警察に通告を行う「保健所一括届出モデル」、戸籍係が死亡診断書や死体検案書の審査をして医療関連死を選び取る「死亡診断書・死体検案書審査モデル」を考案した。それぞれを比較検討したところ届けやすさと初期調査の専門性の観点からは「保健所一括届出モデル」が最も優れているが、制度設計上はかなり複雑で、警察届出が始めから免除される点が社会に受け入れられるか否かが問題と思われた。医療事故調査の制度設計としては、(死亡だけでなく重大な傷害も含めることができる)「並列届出モデル」が最も充実したものとなると思われるが、異状死の問題を保留したままであるので、必要な事例をもれなく調査することを可能にする方策を考えなければならないと思われた。「警察一括届出モデル」は既存の制度になじみやすいものの、届出促進を期待できないと考えられた。

 比較検討の結果各モデルのうちこれが最善であるという結論には至らなかった。

【総括】

 現状の異状死届出制度は、医療関連の死亡についての死因・事故原因究明と情報開示による再発防止対策の実施には充分に対応できていない。

 原因究明及び再発防止のために、医療関連死に関わる届出先として保健所を加え、医療機関からの届出促進と適切な検案・解剖を通した死因究明、専門家による評価を行うことが必要であると考えられる。

 遺族や医療機関に(事故情報を含めた)死因等の情報を開示することは遺族の権利を守ると同時に、医療機関自らが再発防止に取り組む姿勢を促進する。刑事責任追及に終始する手続から、事故原因究明と再発防止のための対策・指導までを視野に入れた死因究明制度の構築が望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、医療事故に対する社会的関心の高まりを受けて、現行の異状死届出や検死に関わる制度の歴史的沿革・趣旨をふまえた上で、医師及び検視官を対象とするアンケート調査を用いて現状の問題点を把握し、医療事故の原因究明と再発防止に資する死因究明制度を設計することを試み、下記の結果を得ている。

1. 我が国の検死制度は刑事訴訟法上に解剖手続が組み込まれるドイツ型(大陸法型)を骨格としながらも、医師法21条に基づく医師の異状死届出に関しては本来犯罪捜査の端緒だけでなく、死因究明による公衆衛生上の被害拡大防止も目的としていたことが示された。しかし、戦後の行政上の改編等から後者の目的は薄れ、また監察医(行政解剖)制度導入によって、犯罪捜査の一環としての司法解剖という印象が必要以上に強まる結果となった。この点は、我が国の死因究明制度の歴史的沿革に由来する独特の問題であり、医師が異状死届出をためらい、場合によっては遺族の反対・抵抗の原因ともなっていることが示唆された。次に、司法解剖に基づく鑑定結果は、当該医療機関はもとより、遺族にも開示されないこと、また行政上も医療関連の司法解剖例の情報を集約し、再発防止策に活用するシステムは存在しないことから、刑事手続としての司法解剖の制約によって医療関連死の適正な死因究明・再発防止が阻害されていることが示された。

2. 医師及び検視官を対象とするアンケート調査を行ったところ、現行制度上の異状死の定義について、厚生省研究班・法医学会の見解を知っていたのは医師・検視官ともに3割程度、法医学会のガイドラインの認知度は4%と低いことが示された。医師と検視官の意識の違いとして、検視官は医師と比べて異状死届出を積極的にすべきであると考えていることが示された。また、医師は医療関連の死亡に関して司法解剖を選択しないのに対し、検視官は司法解剖を選択する人が多く、医療関連の死亡の死因究明に関して届出をする側と届出を受ける側の意識の乖離が認められた。また、医師は異状死届出をした場合は解剖による死因究明が望ましいと考えているのに対し、検視官は、届出を求めるが解剖までは必要ないと考えていることが示された。さらに、監察医制度施行地域及び都市部では、その他の地域より届出することを選ぶ傾向がみられた。これらの結果から監察医制度やその他の検案・解剖態勢の充実度も届出の意識に影響を与えていることが示唆された。

3. 現状の異状死届出及び死因究明制度の限界をふまえ、保健所を医療関連の死亡の届出

先として想定した新しい死因究明のためのシステムを検討した。死因究明専門機関に求められる機能としては、届出受理と検案・解剖を通じた死因・事故原因究明、情報開示、再発防止のためのフィードバックが挙げられ、それらの機能に親和性があり、実現可能性が最も高いのは保健所であると考えられた。保健所を活用するシステムとして4つのモデルを考案してそれぞれの長所と短所、立法・法改正の試案、実現可能性等を比較・検討した。

 以上、本論文は現行の異状死届出制度が、医療関連死についての死因・事故原因究明と情報開示による再発防止対策の実施には充分に対応できていないことを示した。さらに、医療機関からの届出促進と適切な検案・解剖を通した死因究明と専門家による評価を行うことを目的とした、保健所を加えた新たなシステムを提案した。本研究は異状死届出に関する医師・検視官の意識を実際に調査した初めての成果であり、その現状をふまえた新しい死因究明システムのモデル提示と併せて、医療事故の原因究明と再発防止を目指す今後の死因究明の制度設計に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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