学位論文要旨



No 120276
著者(漢字) 大野,悦
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,エツ
標題(和) 上部消化管造影検査からみた"逆流性食道炎"の危険因子
標題(洋)
報告番号 120276
報告番号 甲20276
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2425号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 助教授 川邊,隆夫
 東京大学 講師 丸山,稔之
 東京大学 講師 下山,省二
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 日本人における逆流性食道炎の成因を調べ、逆流症と関連するとされる胃噴門部、食道の腺癌のハイリスクグループを同定する目的で、多数の一般成人を対象に、さまざまな因子(年齢、性別、食道裂孔ヘルニア、食道逆流、症状)と逆流性食道炎との関係について、X線検査に基づき検討を行った。

研究の背景および目的

 胃食道逆流症(GERD)は、本邦において近年その増加が指摘されているが、逆流性食道炎の頻度や重症度は欧米と比べると低い。すなわち、本邦では、中高年のきわめて高いH.pylori感染率と胃酸分泌の低下があるため、重症型の逆流性食道炎は少ないが、若年者ではH.pylori感染率や萎縮性胃炎の頻度が低下しつつあり、社会環境の変化とともに胃酸分泌が増加していることも考慮すると、今後、逆流性食道炎は本邦で増加し、重症化する疾患と予想される。

 逆流性食道炎の診断は通常は病歴聴取と内視鏡検査で行われている。これは、粘膜の微細所見を上部消化管造影検査で診断することが、内視鏡検査と比較すると容易ではないためといえる。しかし、逆流性食道炎においては症状を含め、食道裂孔ヘルニアの有無と形態、程度、逆流の有無と程度、胃内への排出時間など多角的な把握が重要であり、食道裂孔ヘルニアやバリウムの逆流像が描出される上部消化管造影検査には多角的な視点から検討できる利点があると思われる。

 以上を考慮に入れて、一般成人を対象とする人間ドックの上部消化管造影検査受診者2260例において、逆流性食道炎と様々な因子との関連を検討した。

方法

1) 対象:2000年10月より2002年3月の間に、東京顕微鏡院において人間ドックの上部消化管直接X線検査を受診した者から、胃切除後の者と1ケ月以内にPPI、H2-blocker、NSAIDを服用している者は除外した。解析対象者は2260名(男1680名、女580名、平均年齢50.1才)であった。

2) 上部消化管直接X線検査:前処置として、禁忌がないものにおいて臭化ブチルスコポラミン20mgの筋注を行い、210%(w/v)高濃度バリウム計130ccを用いて、食道、胃、十二指腸球部を22曝射で10枚撮影した。検査法は、食道所見を精密に撮影する方法を用いた。食道内粘液除去のため胃の二重造影の後に食道撮影を行い、腹臥位第3斜位を取り入れ、VTR録画を併用した。

3) 逆流性食道炎:逆流性食道炎については、(1)granular aspect(顆粒像),(2)thickening of the longitudinal fblds(2mm以上の皺襞の幅),(3)small erosions(streaksあるいはdotsのようにみえる所見),(4)ulcer(食道胃接合部の潰瘍),(5)polypoid structure(食道胃接合部の皺襞あるいはポリープ様組織)以上5項目のうち2項目以上を有する症例をX線上の逆流性食道炎ありと定義した。筆者が読影した後、放射線科専門医が読影し、95%所見が一致した。一致しなかった5%については、筆者と専門医が協議して所見を確定した。

4) 食道裂孔ヘルニア、食道逆流:腹臥位第3斜位二重造影で食道裂孔よりも2cm以上口側にSCJが位置するものを食道裂孔ヘルニアと診断した。仰臥位正面二重造影において噴門部・下部食道にバリウムが充満するもの、または腹臥位第3斜位二重造影において胸部食道下端部の膨大部(ampulla)の口側をこえてバリウム逆流像がみられるものを食道逆流ありと定義した。

5) 症状:問診票の中の「食べ物が喉につかえる」「はきけ」「胸やけ」「胃のもたれ」「みぞおちの痛み」「胸痛」「せき・たん」「声がしわがれる」の8項目について、それぞれの欄に"○"をつけた受診者をそれぞれの症状ありとした。

6) 統計解析:比率の差はカイ自乗検定により検定した。多変量解析は多重ロジスティック回帰法を用い、性、年齢を補正したオッズ比と95%信頼限界を算出した。p値0.05以下を有意と判定した。

結果

1) X線上の逆流性食道炎頻度:総数2260名中276例の逆流性食道炎(平均年齢57.8才)が見出され、全体の頻度は12.2%であった。男女別では、男性が15.0%,女性が4.1%で、年齢別では、加齢とともに頻度が上昇する傾向を示した。

2) 男女別、年齢別の逆流性食道炎頻度:男性における頻度は、加齢とともに上昇し、60才代をピークとしてそれ以後低下した。女性における頻度は、50才代以後、加齢とともに上昇し、特に70才以上において顕著であった。

3) 性、年齢、食道裂孔ヘルニア、食道逆流(腹臥位第3斜位)、症状による多変量解析:逆流性食道炎の危険因子に関して多重ロジスティック回帰法による多変量解析を行った。男性および高齢(60才未満群に対する60才以上群のオッズ比)は有意な危険因子で、性・年齢を補正すると、食道裂孔ヘルニア(+)群、食道逆流(+)群、胸やけ(+)群のオッズ比は、それぞれ(-)群に対して有意に高い危険度を示した。

4) 食道裂孔ヘルニアの(+),(-),および食道逆流(腹臥位第3斜位)の(+),(-)により4群に分類した検討:X線所見の相互の関連をみるために、全受診者を食道裂孔ヘルニアおよび食道逆流により4群に分類し、1群:両方なし,2群:ヘルニアのみ,3群:逆流のみ,4群:両方ありとした。逆流性食道炎の頻度は、1群4.1%,2群13.6%,3群20.8%,4群33.7%と増加傾向を示した。性、年齢を補正すると、1群に対するオッズ比は、2群2.8,3群5.6,4群11.0であった。

5) 食道逆流と逆流性食道炎との関係:仰臥位における食道逆流による逆流性食道炎の診断率は、感度16.7%、特異度96.2%で、一方、腹臥位第3斜位における食道逆流による逆流性食道炎の診断率は、感度74.6%、特異度71.7%であった。

6) 男女別、逆流性食道炎の危険因子の解析:逆流性食道炎の危険因子に関して多重ロジスティック回帰法による多変量解析を男女別に行った。60才未満群に対する60才以上群のオッズ比は、女性においてのみ有意に高い危険度を示した。年齢を補正した各因子のオッズ比は、男性では、食道裂孔ヘルニア(+)群,食道逆流(腹臥位第3斜位)(+)群,胸やけ(+)群が、それぞれ(-)群に対して有意に高い危険度を示した。女性では、食道裂孔ヘルニア(+)群,食道逆流(腹臥位第3斜位)(+)群が、それぞれ(-)群に対して有意に高い危険度を示したが、胸やけ(+)群はX線上の逆流性食道炎と有意な関連がみられなかった。

7) 前項で有意差のみられた因子により8群に分類した検討:男性においては、食道裂孔ヘルニア,食道逆流(腹臥位第3斜位),胸やけの3因子、女性においては、食道裂孔ヘルニア,食道逆流(腹臥位第3斜位),高齢化(60才以上)の3因子の組み合わせを併せ持つ者が、最も有意な危険度が高い群として同定された。

8) 男女別、逆流性食道炎と胸やけの関係:男性においては、胸やけ(+)群は、どの年代においても(-)群よりも危険度が高い傾向を示した。女性においては、60才代までの危険度は胸やけの有無でほとんど差がみられず、70才以上においては、むしろ胸やけ(-)群の危険度が(+)群を上回る傾向を示した。

考察

 逆流性食道炎のX線診断は、1970年代に二重造影法が食道においても多く用いられるようになって、微細な変化を確実に診断できるようになった。内視鏡検査と比較した逆流性食道炎の診断率は感度73%,特異度96%,一致率84%という報告があり、かなり良好と考えられる。

 仰臥位における食道逆流は特異度が高く感度が低かったが、腹臥位第3斜位における食道逆流は感度が高く、逆流性食道炎の拾い上げとしては優れていると考えられる。

 男女別、年齢別の検討では、高齢女性の危険度が高いことが示され、その原因としては、閉経後の体重増加、腰椎後彎によるLES圧を超える腹圧の上昇、食道裂孔ヘルニアの合併、H.pylori感染の有無にかかわらず女性の方が高齢となっても酸分泌能が高く維持されていることなどがあげられる。

 症状については、本研究において逆流性食:道炎と関連するのは胸やけのみであったが、男女別に解析すると、男性においては胸やけが逆流性食道炎に対して強い関連がみられたが、女性においては関連がみられなかった。欧文の'heartburn'は胸痛に近いニュアンスで解釈されているが、日本語の'胸やけ'は不快感も含めた包括的な意味合いに解釈されている可能性があり、症状から逆流性食道炎や逆流症の可能性がある者を抽出するためには、単に'胸やけ'の有無を問診するだけではなく、痛みを伴う'heartburn'の要素をとりいれた、逆流症に特化した問診が有用であるかもしれない。

結論

 上部消化管造影検査からみた逆流性食道炎の危険因子としては、男性では食道裂孔ヘルニア、食道逆流(腹臥位第3斜位)、胸やけの3因子、女性では食道裂孔ヘルニア、食道逆流(腹臥位第3斜位)、高齢化(60才以上)の3因子が同定された。逆流性食道炎の診断には食道逆流の所見が重要であるが、仰臥位における食道逆流は特異度は高いが感度は低く、拾い上げとしては腹臥第3斜位が有用である。上部消化管造影検査と客観的で的確な問診を組み合わせることにより、逆流性食道炎のハイリスクグループを早期に囲い込むことができる可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、日本人における逆流性食道炎の成因を調べ、逆流症と関連するとされる胃噴門部、食道の腺癌のハイリスクグループを同定する目的で、多数の一般成人を対象に、さまざまな因子(年齢、性別、食道裂孔ヘルニア、食道逆流、症状)と逆流性食道炎との関係について、X線検査に基づいて検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. 総数2260名中276例の逆流性食道炎(平均年齢57.8才)が見出され、全体の頻度は12.2%であった。男女別では、男性が15.0%,女性が4.1%で、年齢別では、加齢とともに頻度が上昇する傾向を示した。

2. 男性における頻度は、加齢とともに上昇し、60才代をピークとしてそれ以後低下した。女性における頻度は、50才代以後、加齢とともに上昇し、特に70才以上において顕著であった。高齢女性の危険度が高い原因としては、閉経後の体重増加、腰椎後彎によるLES圧を超える腹圧の上昇、食道裂孔ヘルニアの合併、H.pylori感染の有無にかかわらず女性の方が高齢となっても酸分泌能が高く維持されていることなどがあげられる。

3. 逆流性食道炎の危険因子に関して多重ロジスティック回帰法による多変量解析を行った。男性および高齢(60才未満群に対する60才以上群のオッズ比)は有意な危険因子で、性・年齢を補正すると、食道裂孔ヘルニア(+)群、食道逆流(腹臥位第3斜位)(+)群、胸やけ(+)群のオッズ比は、それぞれ(-)群に対して有意に高い危険度を示した。

4. X線所見の相互の関連をみるために、全受診者を食道裂孔ヘルニアおよび食道逆流(腹臥位第3斜位)により4群に分類し、1群:両方なし、2群:ヘルニアのみ、3群:逆流のみ、4群:両方ありとした。逆流性食道炎の頻度は、1群4.1%、2群13.6%、3群20.8%、4群33.7%と増加傾向を示した。性、年齢を補正すると、1群に対するオッズ比は、2群2.8、3群5.6、4群11.0であった。

5. 仰臥位における食道逆流による逆流性食道炎の診断率は、感度16.7%、特異度96.2%で、一方、腹臥位第3斜位における食道逆流による逆流性食道炎の診断率は、感度74.6%、特異度71.7%であった。仰臥位における食道逆流は特異度が高く感度が低かったが、腹臥位第3斜位における食道逆流は感度が高く、逆流性食道炎の拾い上げとしては優れていると考えられる。

6. 逆流性食道炎の危険因子に関して多重ロジスティック回帰法による多変量解析を男女別に行った。60才未満群に対する60才以上群のオッズ比は、女性においてのみ有意に高い危険度を示した。年齢を補正した各因子のオッズ比は、男性では、食道裂孔ヘルニア(+)群,食道逆流(腹臥位第3斜位)(+)群,胸やけ(+)群が、それぞれ(-)群に対して有意に高い危険度を示した。女性では、食道裂孔ヘルニア(+)群,食道逆流(腹臥位第3斜位)(+)群が、それぞれ(-)群に対して有意に高い危険度を示したが、胸やけ(+)群はX線上の逆流性食道炎と有意な関連がみられなかった。欧文の'heartburn'は胸痛に近いニュアンスで解釈されているが、日本語の'胸やけ'は不快感も含めた包括的な意味合いに解釈されている可能性があり、症状から逆流性食道炎や逆流症の可能性がある者を抽出するためには、単に'胸やけ'の有無を問診するだけではなく、痛みを伴う'heartburn'の要素をとりいれた、逆流症に特化した問診が有用であるかもしれない。

7. 前項で有意差のみられた因子により8群に分類した検討を行ったところ、男性においては、食道裂孔ヘルニア、食道逆流(腹臥位第3斜位)、胸やけの3因子、女性においては、食道裂孔ヘルニア、食道逆流(腹臥位第3斜位)、高齢化(60才以上)の3因子の組み合わせを併せ持つ者が、最も有意な危険度が高い群として同定された。

8. 男性においては、胸やけ(+)群は、どの年代においても(-)群よりも危険度が高い傾向を示した。女性においては、60才代までの危険度は胸やけの有無でほとんど差がみられず、70才以上においては、むしろ胸やけ(-)群の危険度が(+)群を上回る傾向を示した。

 以上、上部消化管造影検査からみた逆流性食道炎の危険因子としては、男性では食道裂孔ヘルニア、食道逆流(腹臥位第3斜位)、胸やけの3因子、女性では食道裂孔ヘルニア、食道逆流(腹臥位第3斜位)、高齢化(60才以上)の3因子が同定された。また、逆流性食道炎の診断には食道逆流の所見が重要であるが、仰臥位における食道逆流は特異度は高いが感度は低く、拾い上げとしては腹臥第3斜位が有用であることが示された。さらに、上部消化管造影検査と客観的で的確な問診を組み合わせることにより、逆流性食道炎のハイリスクグループを早期に囲い込むことができる可能性が示唆された。本研究は、今後本邦において増加し重症化すると予想される逆流性食道炎について、簡便性、低侵襲性という点で内視鏡検査よりも優れている上部消化管造影検査を用いて解析しており、食道への逆流と関連するとされる胃噴門部、食道の腺癌のハイリスクグループの同定に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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