学位論文要旨



No 120277
著者(漢字) 興梠,貴英
著者(英字)
著者(カナ) コウロ,タカヒデ
標題(和) 血管細胞遺伝子の網羅的発現解析による動脈硬化発症機構の解明および動脈硬化治療の研究
標題(洋)
報告番号 120277
報告番号 甲20277
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2426号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 講師 世古,義規
 東京大学 講師 大野,実
内容要旨 要旨を表示する

 日本人の死因として、虚血性心疾患は年々増えつつあり、その対策を練ることは急務と考えられる。

 虚血性心疾患のほとんどは冠動脈の動脈硬化によって起こると考えられるが、動脈硬化の発生と進展には様々な血管細胞、とりわけ、単球、マクロファージ、血管内皮細胞、血管平滑筋細胞が重要な役割を果たしており、これまでにも数多くの研究がなされてきた。本研究では近年用いることができるようになったDNAマイクロアレイ技術を用いて、単球、血管内皮細胞の遺伝子発現プロファイルおよびそれらに薬剤を加えたときの遺伝子発現パターンの変化を調べ、それを通じて動脈硬化に重要な遺伝子の抽出および解析を行うことにより動脈硬化の発生機序や新たな治療方法への洞察を得ることを目的とした。

 初期動脈硬化病変において、マクロファージが脂質を大量に貯め込んだ泡沫細胞が認められることは以前より病理学的に知られてきた。またこのマクロファージは末梢血単球由来であると考えられている。このため、まず、単球およびそれをM-CSFもしくはGM-CSFで刺激してマクロファージに分化させたものをGeneChipTMを用いて網羅的に解析することで、単球からマクロファージに分化する際に重要な遺伝子、特に動脈硬化に関わる遺伝子の新規発見を目的とした。その結果、浮遊細胞であり、無刺激のままであれば約72時間でアポトーシスを起こす単球から、接着細胞であり、長期間生存するマクロファージに分化することを反映して、接着関連、アポトーシス関連の遺伝子の変動が認められたほか、apolipoprotein E,lipoprotein lipase,stearoyl-coenzymeA desaturase,LXRα等の脂質関連遺伝子が分化に際し誘導される遺伝子上位20個の6つを占めた。特に、LXRαは核内受容体遺伝子としてマクロファージ分化時に最も強く誘導されてくる遺伝子で、その後の他の研究者らの報告により、細胞内からのコレステロールくみ出しに関わるABCA1の転写制御に関わることが分かり、マクロファージ特異的に作用するLXRαのアゴニスト薬はコレステロールの逆輸送系を促進し、動脈硬化予防・治療薬となりうることが示唆されている。

 単球やマクロファージは継代培養を行うことはできず、またベクター遺伝子導入も困難であることより、遺伝子発現解析を行うためには細胞株を用いる必要がある。小児白血病患者より樹立されたTHP-1細胞は通常の培養条件では浮遊細胞として単球様の性質を示し、phorbol 12-myristate 13-acetate(PMA)で刺激することにより接着細胞となり、マクロファージ様の性質を示すため、これまでにも単球・マクロファージ系の細胞として頻用されてきた。そこで、THP-1およびそれをPMAで刺激した細胞の遺伝子発現変化を網羅的に解析することにより、単球からマクロファージへの分化機構を研究する細胞として用いることが出来るかどうかを検討した。その結果、遺伝子の変動パターン、もしくは単球・THP-1間、マクロファージ・PMA刺激THP-1間にはそれぞれ類似の遺伝子も認められるが、全体としての類似性はそれほど高くないことが分かった。単球からマクロファージに分化する際に特に注目していたLXRαについてはTHP-1における発現もPMA刺激に伴う誘導も認められず、これらのことよりTHP-1を用いて単球・マクロファージの分化機構の解明を行うに当たっては十分な注意が必要であることを示した。

 単球が血管内に潜り込んでマクロファージに分化する際に起こる最初のステップは単球と血管内皮細胞の接着であり、これもやはり動脈硬化発症に深く関わる細胞である。近年、高コレステロール血症の治療薬として用いられているHMG-CoA還元酵素阻害剤(statin薬)がコレステロール低下作用以上の抗動脈硬化的作用を持つことが知られており(pleiotropic effects)、特に血管内皮細胞において抗動脈硬化的なthrombomodulinやKLF2の遺伝子発現を誘導したり、動脈硬化促進的なPAI-1やPTX-3の遺伝子発現を抑制する等、コレステロール低下を介さない直接的な抗動脈硬化作用がこれまでに報告されている。このような遺伝子発現の変化を起こす機序として、statin薬によりコレステロール合成系の中間代謝産物であるgeranylgeranyl pyrophosphate(GGPP)の合成が阻害され、Rhoファミリー蛋白の翻訳後修飾であるprenyl化反応が阻害されることによる、という報告がなされており、さらに詳細に解析するためにヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)をHMG-CoA還元酵素阻害剤の一つであるpitavastatin、pitavastatinおよびGGPP、pitavastatainおよびfarnesyl pyrophosphate(FPP)、Rho阻害薬であるC3 transferase、Rac1/Cdc42の阻害剤であるlethaltoxin(LT)で処理した後、遺伝子発現解析をGeneChipTMを用いて行った。その結果、これまでpleiotropic effectに関わると報告されているthrombomodulin,KLF2,PTX3,PAI-1を含むpitavastatinにより変動する遺伝子の多くがGGPP添加によりその変動が抑制され、またRac1/Cdc42の阻害剤であるLTとpitavastatinによるHUVECにおける遺伝子変動に類似が認められることから、pitavastatinによる内皮細胞の遺伝子発現への変化はRac1およびCdc42がprenyl化されず機能を失ったためであることが示唆される結果を得た。

 Rac1やCdc42のprenyl化阻害がHUVECの抗動脈硬化遺伝子発現に重要な役割を果たしていることが示唆され、またprenyl化阻害によりRac1、RhoA、Cdc42の細胞膜への結合が阻害されることが予想されたため、それぞれの細胞内局在がpitavastatin添加によりどのように変化するかを検討した。細胞内局在はそれぞれの蛋白のgreen fluorescent protein(GFP)との融合蛋白発現ベクターを作成し(GFP-Rac1、GFP-RhoA、GFP-Cdc42)、HUVECに感染させることにより解析した。感染させた細胞を蛍光顕微鏡で観察したところ、GFP-Rac1、GFP-RhoA、GFP-Cdc42はいずれも細胞内全体への分布が認められたが、pitavastatinを添加するとGFP-Rac1、GFP-Cdc42は核への強い集積を認めようになった。いずれの低分子G蛋白質のprenyl化もC末端より4番目のシステイン残基にGGPPが結合することにより起こるため、それぞれのタンパクのC末端から4つのアミノ酸を削除してprenyl化できないGFP融合蛋白発現ベクター(GFP-ΔRac1、GFP-ΔRhoA、GFP-ΔCdc42)を作成してHUVECに感染させて観察したところ、pitavastatinを添加しない状態でGFP-ΔRac1、GFP-ΔCdc42は核への集積を認めた。このため、GFP-Rac1、GFP-Cdc42の核への集積はpitavastatin添加により細胞内GGPPが減少し、Rac1、Cdc42のprenyl化が阻害されたためと考えた。また、このことが遺伝子発現に影響を及ぼしている可能性を考え、Rac1およびCdc42のC末端4アミノ酸を削除したアデノウィルス発現ベクターを作成し(ΔRac1、ΔCdc42)、HUVECに感染させてGeneChipTMで遺伝子変動を解析した。HUVECへのΔRac1、ΔCdc42の感染に伴い、pitavastatin処理で誘導が認められる、KLF2、KLF4、thrombomodulinの発現誘導が認められ、pitavastatinによる抗動脈硬化的遺伝子発現の機序の一部に、Rac1、Cdc42の核への移行が関わっていることが示唆された。

 以上のごとくGeneChipTMを用いてさまざまな血管細胞遺伝子の網羅的発現解析を行うことにより、単球・マクロファージにおける動脈硬化発症に重要な遺伝子の発見や、HMG-CoA還元酵素阻害剤のpleiotropic effectに関わる遺伝子の発現機序の解明を進めることができたが、今後は個々の遺伝子についても転写調節機構の解明を行うことにより、これらの遺伝子発現の変動が細胞内のどのようなメカニズムにより起こるのかをさらに追求していく必要があると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では動脈硬化病変形成に重要な役割を果たす血管細胞のトランスクリプトーム解析をDNA microarray技術の一つであるGeneChipを用いて行い、下記の結果を得ている。

1. 単球およびそれをMCSFもしくはGM-CSFでマクロファージに分化させた際に誘導される遺伝子、抑制される遺伝子を網羅的に解析したところ、既知であるapolipoprotein Eやlipoprotein lipase等の遺伝子発現誘導に加え、脂質負荷のない状態ですでに脂質関連遺伝子が複数強く誘導されており、その中でも特にLXRαがマクロファージへの分化に伴い誘導されることを初めて発見した。LXRαは細胞内からのコレステロールくみ出しに関わるABCA1を誘導することが知られており、マクロファージ特異的にLXRαを活性化する薬剤はコレステロールの逆輸送系を活性化することによる抗動脈硬化薬となることが期待される。

2. 単球やマクロファージは継代培養を行うことが出来ず、遺伝子導入が困難であることから、それらのモデル細胞株としてTHP-1およびTHP-1をPMAで刺激してマクロファージ様細胞に分化させた細胞(THP-1PMA)をGeneChipでトランスクリプトーム解析してモデル細胞株としての妥当性を検討した。すると単球/マクロファージとTHP-1/THP-1PMA間で共通に誘導・抑制を受けている遺伝子もあるが、遺伝子変動パターン全体としては異なる点が多いことや遺伝子発現プロファイル全体の比較をした際にも、両系統間での違いが大きいことを示した。特にLXRαはTHP-1およびTHP-1PMAのいずれでも発現しておらず、THP-1系を用いてLXRαの解析を行うことは困難であることが分かった。THP-1およびTHP-1PMAは単球・マクロファージのモデル細胞株として頻繁に用いられているが、本研究ではその有用性に一定の限界があり、それに注意して実験に用いるべきであることを示すことが出来た。

3. HUVECをpitavastatin、lethal toxin,FPR,GGPP等の薬剤で処理してトランスクリプトーム解析することにより、pitavastatinがHUVECにおいてKLF2、thrombomodulin等の抗動脈硬化遺伝子の発現を誘導し、MCP-1,PAI-1,PTX3等の動脈硬化促進遺伝子の発現を抑制することを示した。さらに、この遺伝子変動にはlethal toxinによるのと共通のものが多いことや、GGPPがpitavastatinの作用を打ち消す方向に働くこと、Rhoの阻害剤であるC3、farnesyl transfbraseの阻害剤であるFTI-276がHUVECにおいてほとんど遺伝子変動を来さなかったことより、pitavastatinがHUVECに対してpleiotropic effectを発揮するメカニズムにはRacl/Cdc42がなんらかの関わりを持つことを初めて系統的に示すことができた。

4. pitavastatin添加によるRhoファミリー蛋白の細胞内局在変化をGFPとの融合蛋白を用いて解析したところ、Rac1およびCdc42はpitavastatin非添加時には細胞内全体に蛍光発光が認められるのが、pitavastatinを添加することにより、核のみに強く蛍光発光を認めるようになることが示された。さらにC末端から4つのアミノ酸を欠失してprenyl化できない変異体を作成したところ、Rac1、Cdc42の変異体はpitavastatin非添加時にも核のみに強く蛍光発光を認める結果となり、第四章の結果と考え合わせて、Rac1、Cdc42が核内に移行することが、pitavastatinのpleiotropic effects発現に重要な役割を果たしていると推測し、Rac1、Cdc42のC末端4つのアミノ酸欠失体をアデノウィルスでHUVECに発現させ、GeneChipでトランスクリプトーム解析したところ、3.で注目していたKLF2、thrombomodulinの発現誘導を認めることができ、Rac1、Cdc42の核内移行がpitavastatinのpleiotropic effects発現に一定の役割を果たしていることを初めて示すことができた。今後、Rac1,Cdc42がこのような遺伝子変動を引き起こす分子的メカニズムを詳細に解析することにより、血管内皮細胞に対して直接的に抗動脈硬化作用を及ぼす薬剤の開発が進むことが期待される。

 以上、本論文においてGeneChipを用いたトランスクリプトーム解析を行うことにより、単球からマクロファージへの分化の際に動脈硬化発症と密接に関連しているLXRαが強く誘導されることを示したこと、THP-1を単球1マクロファージの細胞株として用いる際の限界を具体的に示したこと、pitavastatinが血管内皮細胞においてpleiotropic effectsを及ぼす機序にRac1/Cdc42が関わっており、さらにそれらの核移行が遺伝子発現に影響を及ぼしていることを初めて報告した。これらの結果は動脈硬化発症のメカニズムの解明に重要な貢献をなし、さらに将来の新しい治療法への手がかりを示していると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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