学位論文要旨



No 120280
著者(漢字) 渡部,宏嗣
著者(英字)
著者(カナ) ワタベ,ヒロツグ
標題(和) 経年的内視鏡検査による、胃癌発生率及び高危険群の検討
標題(洋)
報告番号 120280
報告番号 甲20280
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2429号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 助教授 真船,健一
 東京大学 助教授 大西,真
 東京大学 講師 森屋,恭爾
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景および目的

 胃癌の病原因子としての、ヘリコバクター・ピロリ(H.pylori)の存在は、数多くの疫学的研究及び、基礎実験の結果から明らかとなってきている。しかし、H.pyloriの感染診断に抗体を用いた疫学的研究においては、関連がないとするものから10倍を超えるものまで、胃癌との関連性に大きなばらつきがある。

 最近、Uemuraらは、内視鏡による観察研究において、厳密なH. pylori感染診断を行うと、胃癌はH. pylori感染者からのみ発生し、H. pylori非感染者からは発生しなかったと報告した。さらに同研究において、高度の胃粘膜萎縮、腸上皮化生、胃体部優勢胃炎は胃癌の高危険因子であると報告している。

 一方、我々が以前報告した横断的研究において、胃粘膜の萎縮が胃癌発見率と関連していることが示された。同研究において我々は、胃粘膜の萎縮度を血清マーカーであるペプシノゲン(PG)を用いて評価した。同研究により、H. pylori抗体とPGによる層別は、胃癌発見の有用な予測因子となることが示された。血清マーカーによる層別は、Uemuraらが示した内視鏡所見による危険因子と違い、非侵襲的であり、多数の一般人口を対象とするスクリーニングに適している。

 以上を前提として、一般人口における胃癌発生率を算定することを目的に、一般成人を対象とする人間ドック受診者において、今回の大規模コホート研究を施行した。さらに、H. pylori抗体とペプシノゲン値を用いて、H.pyloriと胃粘膜萎縮の胃癌発生における役割を検討し、これらの血清マーカーを用いて、胃癌発生高危険群の設定可能であるか、検討した。

方 法

 1995年3月より1997年2月の間に、亀田総合病院または同附属幕張クリニックにおいて人間ドックの上部消化管内視鏡検査を受診した者のうち、研究への同意が得られたのは、10234 名(男性7021名、女性3213名、平均年齢 49.1 才)であった。初回内視鏡検査において、胃癌、消化性潰瘍や術後胃例を除外した、9293例に対して、年1回の内視鏡による経年的な検診を勧告した。2002年3月までに、内視鏡による経過観察を受けた、6983例(男性4782名、女性2201名、平均年齢48.9才)を解析対象とした。全ての内視鏡検査は、受診者のH. pylori抗体価およびPG値を検査施行医には通知せずに、施行された。血清H.pylori抗体及びPGは、内視鏡検査当日もしくは前日の空腹時に採血を行った。H.pylori抗体は、富士レビオ社ピリカプレートGヘリコバクターを用いて測定した。検体の吸光度が、陽性対照の8倍希釈液の吸光度を越える場合は(+),8倍希釈液以下の場合を(-)とした。血清PGは、ダイナボット社PepsinogenI/II RIA BEAD Kitにより血中ペプシノゲンIとペプシノゲンIIの測定を行い、胃癌スクリーニングの三木の判定式に則って、ペプシノゲンI≦70ng/mlかつペプシノゲンI/II比≦3.0の場合を陽性とした。カプランマイヤー法により、胃癌発生率を算定した。多変量解析はCox比例ハザードモデルを用い、性別、年齢を補正したハザード比を算出した。

結 果

 解析対象6983名の平均経過観察期間は、4.7±0.04年であった。その間に平均5.1±0.05回の内視鏡検査を施行された。観察期間中に43例(男性37例,女性6例)の胃癌が新たに発生した。全体の発生率は0.62%(95%CI:0.46 -0.83%)であった。人年法により年間発生率を算定すると、発癌率は年率0.13%(95%CI 0.070-0.25%)と算定された。

対象者をH. pylori抗体価(HP)及びペプシノゲン値(PG)により4群に分類し、A群:HP(-)かつPG陰性(3324名、47.6%)、B群:HP(+)かつPG陰性(2134名、30.6%)、C群:HP(+)かつPG陽性(1082名、15.5%)、D群:HP(-)かつPG陽性(443名、6.3%)とした。新規発生胃癌43例のうち、7例はA群、6例はB群、18例はC群、12例はD群からであった。各群の発生率をみると、A群 0.04%(95%CI: 0.02%-0.09%)、B群 0.06%(0.03%-0.13%)、C群 0.36%(0.23%-0.57%)、D群 0.60%(0.34%-1.05%)と、A群及びB群と比べ、C群及びD群の発生率が有意に高い傾向を認めた(p<0.0001、Logrank検定)。各群別の発生率を図に示す。

 Cox比例ハザードモデル法により性、年齢、及びH. pylori抗体とPGの層別による多変量解析を行ったところ,男性(ハザード比 3.2,95% CI=1.2-8.1),高齢(10才増加によるハザード比2.7,95% CI=1.9-3.6)はともに胃癌発生の有意な危険因子であった。そして、H. pylori抗体とペプシノゲン法による層別も独立した危険因子であり、そのA群に対するハザード比は、B群1.1 (95% CI 0.4-3.1; p=0.92)、C群5.0 (95% CI 2.1-12.1; p=0.0004)、D群7.1 (95% CI 2.7-18.3; p<0.0001)であった。性、年齢、及びH.pylori抗体とPGの層別を用いて、各群の発生率を見ると、60才以上のD群は高危険群であり、特に60才以上のD群の男性における年間発癌率は、1.8%(95%CI 0.81%-3.82%)と算定された。

 発癌43例のうち噴門部癌を2例認め、ともにA群からの発癌であった(p=0.01、カイ二乗検定)。胃癌取り扱い規約に基づき、胃癌の占拠部位を上部(U領域)、中部(M領域)、下部(L領域)に区分してみると、U領域癌を3例認め、A群またはB群からの発癌であり、萎縮の少ない胃粘膜からのものであった。病理組織型は、分化型が34例、未分化型が9例であったが、その分布に一定の傾向は認めなかった。深達度は、進行癌は1例のみであり、B群からの発癌であった。23例が内視鏡的粘膜切除術(EMR)を施行され、20例は外科手術を施行された。治療内容の分布に一定の傾向を認めなかった。

考 察

 本研究は、人間ドックの受診者を対象として行った、大規模前向きコホート研究である。そして、H. pylori抗体とペプシノゲンを用いて、対象者を層別化して、それぞれの発生率を算定した。人間ドック受診者を対象としたため、基本的に無症状者であり、さらに胃酸分泌抑制薬投与やH. pylori除菌療法、手術療法を行われる可能性のある、消化性潰瘍、胃癌、術後胃例を対象から除外した。このため、対象者は従来の病院受診者による検討よりも、我が国の健康な一般人口をより反映していると考えられる。さらに、各群の内視鏡による経過観察回数に差はなく、このことは各群において同じように胃癌発生を観察したと言える。よって、本研究は、一般人口における胃癌発生率を正確に評価していると考えられる。

 本研究では、H. pyloriの血清マーカーである抗体と、胃粘膜萎縮の血清マーカーであるペプシノゲン法を用いて対象を4群に層別化した。H. pylori抗体、ペプシノゲン法ともに陰性のA群は、H. pylori感染はしていないと考えられる。そして、H. pylori抗体陽性のB群及びC群はH. pylori感染者であることは明らかである。H. pylori抗体陰性かつペプシノゲン法陽性のD群については、以下の如く考えられる。D群はペプシノゲン法陽性であり、萎縮性胃炎を有していると考えられるが、萎縮性胃炎症例において、胃液を用いたPCR法をgold standardとして判定を行うと、ほとんどがH. pylori陽性であったとの報告があること、ペプシノゲン値をみると、D群が最も低値であり、最も胃粘膜萎縮が進行していると思われること、そして胃粘膜萎縮が高度になるとH. pyloriはもはや胃に生息出来なくなることは良く知られており、胃粘膜萎縮の進行に伴い、H. pylori抗体が陰転化したとの報告もある。実際、本対象から一部を無作為抽出し、平均7.7年後により高感度なH. pylori抗体であるHM-CAP及びヘリコバクターのCagA蛋白に対する抗体である抗CagA抗体を測定したところ、D群16例中13例(81.3%)において、少なくともどちらか一方が陽性であった。以上により、D群の多くは、H. pylori感染者あるいは既感染者であると考えられる。

 本研究において、胃癌発生率は、A群からD群まで徐々に増加し、高危険群である、D群を設定することが可能となった。その一方で、H. pylori抗体陽性かつペプシノゲン法陰性のB群は、その胃癌発生率が、H. pylori非感染者であるA群と比べ大差を認めなかった。B群は、H. pylori感染者の約58%を占めているが、少なくとも5年間は、胃癌発生リスクは非常に低いと考えられる。

 本研究により、内視鏡による経過観察中に新たに発見された胃癌は、そのほとんどが、早期胃癌であり、根治しうる段階であった。このことは、年1回の内視鏡による経過観察が、胃癌発生高危険群において、予後改善に寄与しうる可能性が示唆された。

結 論

 多数の日本人の一般成人を約5年間に渡り、経年的に内視鏡検査を行った結果、胃癌の自然発生率は年間0.13%と算定された。血中H. pylori抗体およびペプシノゲン値による層別は胃癌発生に関連しており、このことはH. pylori感染による胃粘膜萎縮の進行に伴い、胃癌発生は増加することを示している。年齢、性別、及びH. pylori抗体およびペプシノゲン値による層別を用いることにより、胃癌発生高危険群を設定可能である。

A群:H. pylori抗体陰性かつペプシノゲン法陰性

B群:H. pylori抗体陽性かつペプシノゲン法陰性

C群:H. pylori抗体陽性かつペプシノゲン法陽性

D群:H. pylori抗体陰性かつペプシノゲン法陽性

図 胃癌発生率 ―H. pylori抗体とペプシノゲンによる層別―

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、多数の人間ドック受診者を対象に、経年的内視鏡検査を施行して、胃癌発生率を算定し、さらに血中H. pylori抗体価とペプシノゲン値を用いて、胃癌の高危険群の設定を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 4.7年間に渡る経過観察を行い、検討対象6983例から43例の新規胃癌発生を認めた。人年法により、胃癌発生率は、年率0.13%と算定された。

2. 初回内視鏡検査時点での、血清H. pylori抗体(HP)とペプシノゲン法(PG)の陽性・陰性により、4群に層別化して観察した結果、胃癌発生率は、A群(HP陰性PG陰性)、B群(HP陽性PG陰性)、C群(HP陽性PG陽性)、D群(HP陰性PG陽性)の順に上昇することが示された。この理由として、高度の胃粘膜萎縮により、H. pyloriが生息出来なくなり、その結果、抗体価が低下するため、上記の結果になったと考察している。

3. 多変量解析の結果、性別、年齢、及びH. pylori抗体とペプシノゲン法による層別は、胃癌発生に対するそれぞれ独立した危険因子であることが、示された。さらに、これらの危険因子を用いて、対象を層別化して、胃癌発生高危険群の設定を行っており、その結果、60歳以上の男性のD群における発癌率は、年率1.8%と高頻度であることが示された。

4. 新規発生胃癌43例のうち、進行癌は1例のみであり、ほとんどは早期胃癌であることが示された。このことは、年1回の内視鏡による経過観察が胃癌の予後改善に寄与する可能性を示唆していると考察している。さらに胃癌取り扱い規約に基づき、胃癌占拠部位を検討した結果、U領域癌を3例認め、いずれもA群またはB群からの発癌であり、胃粘膜萎縮の少ない胃から発生している可能性が示唆された。

 以上、本論文は多数の日本人の一般集団における、胃癌発生率を、経年的内視鏡検査を行うことにより算定したことに加えて、H. pylori抗体とペプシノゲンという2種類の血清マーカーを用いて、胃癌発生高危険群を設定することを可能とした。本研究は、過去の胃癌発生に関する疫学研究の不充分な部分を補足し、さらに血清マーカーによる高危険群設定により、リスクに応じた今後の胃癌発生予防に関する介入研究の基礎となるデータを示した点で、学位の授与に値するものと考えられる。

なお、審査会時点から、論文の内容中、以下の点が改訂された。

(1)表1において、ABCD各群の実数に加えて、それぞれの比率を追加した。

(2)胃癌取り扱い規約に基づく、各群別の胃癌占居部位のデータ及び考察を追加した。

(3)今回の研究において用いた抗体の限界という視点から、D群における、より高感度な抗体を用いたヘリコバクター感染のデータを追加した。

(4)ヘリコバクター診断における抗体法の有用性についての考察を追加した。

(5)ペプシノゲン法のみでの層別化による各群の発生率のデータ及び考察を追加した。

(6)長期間経過観察後の、各群間の移動についての考察を追加した。

(7)各群それぞれの、リスクと病態に応じた今後の発癌予防の可能性についての考案を追加した。

(8)結論の文章を修正した。

(9)誤字を訂正した。

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