学位論文要旨



No 120287
著者(漢字) 泉,和生
著者(英字)
著者(カナ) イズミ,カズオ
標題(和) 膵β細胞株INS-1Dを用いた脂肪毒性モデルの確立とアディポネクチンによる脂肪毒性解除作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 120287
報告番号 甲20287
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2436号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 客員教授 河西,春郎
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 講師 戸辺,一之
内容要旨 要旨を表示する

要旨本文

1.研究の背景と目的

 2型糖尿病は、インスリン分泌不全等の遺伝的な素因に環境的な負荷が加わることによって、インスリン抵抗性と相対的インスリン分泌不全を来たし、発症すると考えられている。典型的には、糖尿病の家族歴のある個体に、過食・高脂肪食・運動不足などの相対的エネルギー過剰という負荷が加わり、脂肪組織の肥大、骨格筋や肝のインスリン抵抗性が惹起される。当初、インスリン分泌は代償性に亢進して正常血糖を維持しながら高インスリン血症を呈するが、次第に相対的にインスリン分泌量が低下して代償不全を来たし、糖尿病を発症する。相対的インスリン分泌不全を来たさなければ糖尿病を発症しないため、糖尿病の予防・治療において相対的インスリン分泌不全への対策は重要である。特に、日本人の糖尿病患者は95%が2型糖尿病であり、また欧米の2型糖尿病患者と比較してグルコースに対するインスリン分泌能力が低いという特徴を有するため、わが国の糖尿病診療を考える上で相対的インスリン分泌不全の重要性は極めて大きいと言える。

 高脂肪食や運動不足などの環境因子が糖尿病を発症させる分子メカニズムは、最近になって次第に明らかになり始めた。従来は単なる余剰エネルギーの貯蔵庫として考えられていた脂肪組織が、実はアディポサイトカインと総称される種々の生理活性物質を分泌していることが報告され、その分泌特性の変化が糖尿病発症の重大な要因となることが分かってきた。環境因子によって肥満が生じ、脂肪細胞が大型化したり内臓脂肪が増加すると、脂肪細胞からの遊離脂肪酸(FFA)、Tumor Necrosis Factor α(TNFa)、Plasminogen Activator Inhibitor-I(PAI-1)の分泌量が増加する一方で、アディポネクチンの分泌量は低下する。その結果、全身のインスリン抵抗性が惹き起こされて、糖尿病発症につながっていく。しかし、相対的インスリン分泌不全の発症についてはいまだ不明なところが多い。

 肥満を基礎とする2型糖尿病の相対的インスリン分泌不全では、アポトーシスの増加のために次第にβ細胞の数が減少し、個々のβ細胞のインスリン分泌も低下していく。

 アディポサイトカインのうち、FFAは2型糖尿病発症におけるβ細胞の変化と同様の変化を起こすことができ、長時間刺激でグルコース反応性のインスリン分泌を抑制すること(膵β細胞の脂肪毒性 lipotoxicity)、また膵β細胞のアポトーシスを誘導すること(膵β細胞のlipoapotosis)が報告されている。さらに、前糖尿病段階から既に高FFA血症を多く認めることから、FFAが相対的インスリン分泌不全発症に関与している可能性は以前から指摘されてきた。

 また、アディポネクチンは、次第に生体に果たす役割の大きいことが明らかになり、注目を浴びている分子である。アディポネクチンはインスリン抵抗性改善作用や抗動脈硬化作用が報告されており、脂肪組織から分泌されるにも関わらず、その血中濃度は肥満個体や糖尿病患者で減少しているため、血中アディポネクチン濃度の低下がインスリン抵抗性増悪を介して糖尿病発症を促進すると考えられている。相対的インスリン分泌不全についても、アディポネクチンノックアウトマウスにおいてインスリン分泌不全の存在を疑わせる所見を認めたことから、アディポネクチン作用の減少が相対的インスリン分泌不全発症を促進している可能性が考えられた。

 本研究では、FFAによる脂肪毒性モデルを作成し、脂肪毒性下におけるアディポネクチンの効果とその作用機序について検討することで、相対的インスリン分泌不全発症のメカニズムについて考察することとした。

2.膵β細胞株INS-1Dを用いた脂肪毒性モデルの確立

 膵β細胞は血糖値の上昇、すわなわグルコース刺激に対してインスリンを分泌する。それは、グルコースの細胞内への取り込み、グルコース代謝によるATPの産生、ATP感受性Kチャネルの閉鎖による脱分極、電位依存性Caチャネル開口による細胞質遊離Ca2+濃度の上昇、インスリンの開口放出という過程を経る。INS-1D細胞は、このような正常なインスリン分泌のシグナル伝達が保たれており、実験が行ないにくい膵β細胞の代用として世界的によく用いられている。本研究でもINS-1D細胞を用いることとした。

 相対的インスリン分泌不全の発症において、β細胞数の減少と個々のβ細胞のインスリン分泌能低下という2つの要素の時間的な前後関係は明らかでない。しかし、糖尿病の発症予防や治療の観点からは、β細胞数は減少しないが個々のβ細胞のインスリン分泌能が低下している段階があれば、介入を行なうのに良いステージということができる。そのため、FFA刺激によってそのようなステージが出現するのかという点について検討した。その結果、以下の特徴を持つ脂肪毒性モデルを確立することができた。

 (1)細胞を継代した48時間後から、0.25-0.35mMのパルミチン酸で120時間刺激する。

 (2)グルコース応答性インスリン分泌が大きく低下する。

 (3)(2)は主として細胞のインスリン含量の低下によるもので、分泌率の低下も寄与する。

 (4)グルコース非刺激条件でのインスリン分泌(基礎分泌)はやや増加する。

 (5)アポトーシスは不変または僅かに増加する。

 (6)細胞数は変化しない。

 (7)パルミチン酸72時間刺激ではグルコース応答性インスリン分泌は亢進しているが、120時間刺激では再現性よく脂肪毒性が生じる。

3.アディポネクチンによる脂肪毒性解除作用

 前項の脂肪毒性モデルにおいて、アディポネクチンがインスリン分泌能に与える効果を検討した。アディポネクチンはマウス全長アディポネクチンを導入した大腸菌から発現・精製して用いた。

 生理的濃度の(全長)アディポネクチンは、INS-1D細胞に対して、インスリン分泌増強作用を有しており、分泌率を高めることでグルコース応答性インスリン分泌を増強した。この作用は前項の脂肪毒性系ではより顕著に認められ、脂肪毒性を解除した。また、(全長)アディポネクチンはパルミチン酸刺激で低下した細胞内インスリン含量も回復させた。このような効果が、生体内に生理的に存在する物質を生理的濃度で投与することで得られたのは注目すべき結果であった。

 次に(全長)アディポネクチンがATP産生に与える影響を検討した。通常はグルコースに応答して速やかに細胞内ATPが増加するが、脂肪毒性下ではこれが強く抑制されていた。脂肪毒性下のINS-1D細胞を(全長)アディポネクチンで刺激しておくと、グルコース刺激前の段階からATP濃度が増加しており、グルコース刺激後のATP濃度上昇も回復する傾向が見られた。これらのことから、脂肪毒性下のINS-1D細胞に対する(全長)アディポネクチンのインスリン分泌増強作用の少なくとも一部は、ATP産生の増加による可能性が示唆された。ATP産生に抑制的に作用するUCP2の発現量は(全長)アディポネクチンによって低下しておらず、(全長)アディポネクチンによるATP産生の増加はUCP2発現量の変化によるものではなかった。

 一方、非脂肪毒性下のINS-1D細胞に対しては、(全長)アディポネクチンはATP産生に影響を与えなかった。しかし、インスリン分泌量は増加していることから、(全長)アディポネクチンはATP産生以後のステップでもグルコース応答性インスリン分泌シグナルを増強していると考えられた。

 また、脂肪毒性のマーカーと考えられている細胞内中性脂肪は、(全長)アディポネクチンの投与によって著明に増加していた。脂肪毒性の緩和と細胞内中性脂肪の増加を同時に認めた例はこれまでに見られない。

 これらの現象を説明するため、細胞内脂肪酸プールのパーティションとキャパシティの概念を導入し、次の3つの仮定を置いた;(1)細胞質プールの増加はインスリン分泌を刺激する;(2)ミトコンドリアプールが過剰になるとインスリン分泌が抑制される;(3)ERプールはインスリン分泌能に対して中立的である。すると、これまでに報告されている脂肪毒性の現象に一定の説明を与えることができ、また、(全長)アディポネクチンのグルコース応答性インスリン分泌増強作用が脂肪毒性下でより強力なこと、また脂肪毒性解除作用と同時に細胞内中性脂肪含量が増加することについても整合性のある解釈ができた。

4.考察と総括

 以上の結果から、生理的濃度のアディポネクチンの維持または投与が、相対的インスリン分泌不全の予防および治療に有用である可能性が示された。

 また、INS-1D細胞の培地には10%のFBSを加えているため、通常血漿の10%程度のアディポネクチンを含んだ培地で培養していると考えられる。この状態では、生理的強度のパルミチン酸刺激で脂肪毒性が認められた。従って、肥満、とくに内臓肥満の状態でアディポネクチンの血中濃度が低下すると、膵β細胞の脂肪毒性を招きやすく、相対的インスリン分泌不全の発症リスクが増加している可能性も示唆された。

 アディポネクチン作用の減少がインスリン抵抗性を生じさせることは既に報告されている。さらに、本研究ではアディポネクチン作用の減少が相対的インスリン分泌不全の誘発を介することでも2型糖尿病発症の自然史に関与している可能性が示された。インスリン抵抗性と相対的インスリン分泌不全の両者に関与すると考えられるアディポネクチンは、2型糖尿病の自然史において極めて重要な因子である可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は2型糖尿病の発症において必須の因子である相対的インスリン分泌不全の発生メカニズムを明らかにして2型糖尿病の予防方法および治療方法を検討するため、ラット膵β細胞株INS-1Dを用いてパルミチン酸刺激による相対的インスリン分泌不全モデルを構築し、このモデルに対するアディポネクチンの作用とそのメカニズムの解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.パルミチン酸を始めとする遊離脂肪酸(FFA)は長時間の刺激で膵β細胞のグルコース応答性インスリン分泌(GSIS)を抑制する脂肪毒性の作用を有し、高FFA血症は相対的インスリン分泌不全の誘引と考えられている。本研究ではラット膵β細胞株INS-1Dに対して生理的濃度のパルミチン酸刺激を行い、刺激強度を調節することによって細胞数変化を来たさない状態でグルコース応答性インスリン分泌を再現性良く抑制する脂肪毒性モデルを構築した。本モデルは2型糖尿病発症の際の相対的インスリン分泌不全状態のうち、治療的介入に適するステージの1モデルと考えられた。

2.大腸菌を用いて発現・精製したマウス全長アディポネクチン(fAN)は、生理的濃度の範囲内で濃度依存的にINS-1D細胞のGSISを増強し、構築した脂肪毒性モデルにおいて脂肪毒性を解除することを示した。また、fANのGSIS増強作用は脂肪毒性下でより強力であることも明らかになった。

3.グルコース刺激に対するINS-1D細胞内ATP量の経時変化を測定し、脂肪毒性下ではグルコース刺激に応答するATP量の増加が抑制されていること、fANによる脂肪毒性解除時にはベースのATP量の上昇とグルコース刺激に応答するATP増加量の回復が認められることを初めて明らかにした。また、TaqMan法によるreal-time RT-PCRによってfANはUCP2の発現量を有意に増加させており、UCP2発現量の低下によってATP量が増加しているのではないことも示された。

4.fANによる脂肪毒性解除作用時には同時に細胞内中性脂肪含量が増加していることが示された。膵β細胞の脂肪毒性が解除または緩和される際に細胞内中性脂肪の増加を認めた報告はこれまでにない。また、fANは非脂肪毒性下のINS-1D細胞に対しては、細胞内中性脂肪を増加させないことも明らかになった。

5.fANのGSIS増強作用が脂肪毒性下でより強力なこと、また脂肪毒性解除作用と同時に細胞内中性脂肪含量が増加することについて、細胞内脂肪酸プールのパーティションとキャパシティという作業仮説を提出し、この仮説で多くを説明できることを示した。

6.本研究の実験系が生理的範囲内の血中パルミチン酸と低アディポネクチン血症を再現していることを指摘し、アディポネクチン作用の減少が相対的インスリン分泌不全を介して2型糖尿病の発症と増悪に重要な役割を果たしている可能性を指摘した。また、生理的範囲内の濃度のアディポネクチンを補充することで脂肪毒性を解除できたことから、2型糖尿病の予防と治療においてアディポネクチンが強力な手段となり得ることを指摘した。

 以上、本論文は膵β細胞株INS-1Dにおいて、アディポネクチンが脂肪毒性解除作用を有することを明らかにし、この作用の少なくとも一部はATP産生能の増強にある可能性を初めて示した。また、脂肪毒性と細胞内中性脂肪の関連について、新たな視点を提供した。本研究は、これまで解明が進まなかった相対的インスリン分泌不全の発症メカニズムの解明と治療方法の確立に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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