No | 120294 | |
著者(漢字) | 芝田,渉 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | シバタ,ワタル | |
標題(和) | Helicobacter pyloriが活性化する細胞内シグナルにおけるcag PAIの役割 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 120294 | |
報告番号 | 甲20294 | |
学位授与日 | 2005.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第2443号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 内科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | [研究の背景および目的] Helicobacter pylori (H. pylori) はヒトの胃に持続感染し慢性胃炎や、胃十二指腸潰瘍の原因となるグラム陰性桿菌である。WHO/IARCによりDefinite carcinogenに定義づけられ、胃癌や胃MALTリンパ腫との関連も示唆されている。H. pylori感染によるこれら炎症や発癌のメカニズムは明らかになりつつあるが、種々の細胞内シグナルの活性化がどの程度病態に関わりを持っているのか、またH.pylori側の病原因子と細胞内シグナルの活性化の関わりについて、詳細な報告はない。臨床分離株などの検討からcagPAI遺伝子を有するH. pyloriは、胃潰瘍や胃癌などとの関連が強く病原性が高い菌株と考えられていたが、近年このタイプのH. pyloriが、代表的な炎症、発癌に関わる細胞内シグナル伝達系であるNF-κBやMAPKを活性化することが分かってきた。これらの転写因子の活性化や下流遺伝子の発現が、H. pyloriの惹起する宿主反応にどの程度関わっているのか、網羅的検討をした報告はない。 近年、こうした宿主の遺伝子発現をより網羅的に解析する方法として、cDNAマイクロアレイ法が知られている。現在では、数万遺伝子の種々の条件下における発現状態を同時に解析することができ、宿主反応の類似点や相違点を検出できる。消化器病領域においても、胃や大腸癌組織を用いて、実際に変化を来した機能遺伝子の一群をもとにその発生から予後予測に至る機序の解明するうえで必要不可欠のツールとなっている。癌研究の分野に限らず、感染症の分野においても、宿主遺伝子発現を検出する上で、マイクロアレイ法は広く用いられている。これまでにもin vitroおよびin vivoにおいてH. pylori感染により惹起される遺伝子発現解析がなされている。しかしながら、NF-κBやMAPKなどの細胞内シグナル活性化の遺伝子発現への関与や、病原因子cagPAIとの遺伝子発現への関わりについて、いまだ網羅的検討をされた報告はない。 そこで今回私は、培養細胞およびヒト胃生検検体を用いて、H. pylori感染が惹起する遺伝子発現について、cDNAマイクロアレイを用いて網羅的に検討した。また主要病原因子cagPAIに着目し、cagが機能しない株と野生株との間で惹起する遺伝子発現の違いについて検討した。さらに、細胞内シグナル活性化については、in vitroにおいては阻害剤添加により遺伝子発現への影響を検討し、in vivoにおいてはスナネズミ感染モデルにおける免疫染色を用いて、病原因子の違いによる、シグナル活性化に差異に関して検討した。 [方法] 1)In vitroにおける網羅的遺伝子発現解析 細胞は胃癌細胞株AGSを、H. pyloriはcagPAI陽性のTN2 株と、そのcagE遺伝子ノックアウト株 (ΔcagE) を用いた。H. pyloriを1.5、3、6および12時間、経時的に共培養しRNAを抽出しマイクロアレイにハイブリダイゼーションした。マイクロアレイは消化器臓器(胃、肝臓)ライブラリー由来の4600種類のcDNAを収載したものを用い、結果はクラスター解析などの統計学的手法を用いて検討した。有意に発現上昇した遺伝子を抽出、RT-PCRで発現を確認・比較した。細胞内シグナルの関与の検討はNF-κBおよびERKに関してその阻害剤(APDCおよびPD98059)を用い、これらをH. pyloriを共培養する1時間前に細胞に添加した。H.pylori感染ヒト胃粘膜における検討は、胃前庭部大彎から3点生検により組織を採取し、同様にマイクロアレイを用いて遺伝子発現を測定し、H.pylori感染者と非感染者における遺伝子発現を比較検討した。 2) In vivoでのシグナル活性化におけるcagPAIの役割 病原因子cagPAIおよびそれにより宿主に注入されるCagAタンパクについて、その宿主反応への影響をスナネズミ感染モデルを用いて検討した。TN2ΔcagA を用いることによりCagA蛋白の重要性を、またTN2ΔcagEを用いることによりcagPAIの重要性すなわち4型分泌機構を介したeffecter protein注入の可否による宿主反応の違いを検討した。胃炎は新シドニーシステムを用いてスコア化し、細胞内シグナル活性化についてはリン酸化IkBαおよびリン酸化Erk抗体を用いて免疫組織染色にて評価した。またH. pyloriの惹起するアポトーシス、細胞増殖についても、TUNEL染色とPCNA免疫染色で検討した。動物への接種前後のH. pylori株の細胞内シグナル活性化能を検討するため、レポーター(pNF-kB-Luc)をAGS細胞にトランスフェクトし、ルシフェラーゼアッセイにて検討した。NF-κB活性化への影響をみた。 [結果] 1)In vitroにおける網羅的遺伝子発現解析 マイクロアレイを用いた検討では、有意に発現変化が見られた遺伝子は解析対象遺伝子の約2割に認めた。クラスター解析により、遺伝子発現の経時的変化は4群(早期、恒常発現、早期抑制、晩期抑制)に分けられた。恒常的発現群では炎症性サイトカインIL-8やVCL、TRAF4などが発現上昇を示した。Onto-Expressを用いた、機能的特徴付けでは、早期群には転写因子、シャペロン活性、恒常発現群ではアポトーシス、シグナル伝達および細胞骨格・接着などに関連する遺伝子の発現亢進を認めた。RT-PCRでも6遺伝子(c-fos, DSS1, IL-8, DUSP1, NDRG1, VCL)についてはアレイと同様の発現パターンを確認した。 遺伝子発現におけるシグナル活性化の関与を、発現上昇した遺伝子が最も多かった感染後3時間(566個)において検討した。その結果、発現亢進した遺伝子の約63%にNF-κB経路の関与を、約73%にMAPK経路の関与が示唆され、両者をあわせ約8割以上の遺伝子発現にいずれかの細胞内シグナル活性化が関与していた。 ヒト胃生検検体における遺伝子発現変化をH. pylori感染の有無で比較検討した結果、in vivoにおいても、in vitroで恒常的発現群とした群に分類される遺伝子の発現量が高く遺伝子数も多かった。また、胃癌細胞株とヒト胃生検検体に共通して発現上昇を認めた遺伝子は97遺伝子で、それらの約8割は検討した細胞内シグナルの活性化を介しており、また7割は病原因子cagPAI依存性であった。 2)In vivoでのシグナル活性化におけるcagPAIの役割 TN2野生株(WT)、cagAノックアウト株(ΔcagA), およびcagEノックアウト株(ΔcagE)を5週令雄スナネズミに経口的に接種し、25週後における胃炎および、NF-κB, ERKシグナル活性化の程度を組織学的に免疫染色で評価した。各群H. pyloriの定着菌量に差異は認めなかったが、胃炎炎症スコアでは、野生株が有意に高く、続いてΔcagA, ΔcagEの順に炎症は軽度となった(急性炎症値:3.0対1.0対0、慢性炎症値:3.0対1.0対1.0、リンパ濾胞数:26.33±6.9対6.0±1.63対3.0±0.82。いずれも野生株(WT):ΔcagA:ΔcagEで値は平均±標準偏差)。In vivoにおける細胞内シグナル活性化の検討では、NF-κB活性化については、野生株感染群では強く、ΔcagA感染群では軽度に、その上皮およびリンパ球において活性化を示す陽性細胞を認めたが、ΔcagE群および非感染群では殆ど活性化を認めなかった。ERK活性化は、野生株感染群の表層粘液上皮に強い染色を認めたが、その他の群及びリンパ球では殆ど陽性細胞を認めなかった。 [考察] H. pylori感染が胃粘膜の炎症シグナルを活性化することは、これまでにも多数の報告がある。今回は網羅的遺伝子解析手法を用いることで、H. pylori感染が惹起する遺伝子発現の約9割がcagPAI遺伝子存在下におこり、また約8割の遺伝子発現がNF-κBやMAPKシグナルの活性化を介して起きていることを示した。またスナネズミ感染モデルでも、cagPAI遺伝子依存性に上皮炎症シグナルが活性化されていることを示した。これらはすでに当研究室が報告したCagAタンパクによるSREなどの細胞内シグナルの活性化や、スナネズミ長期感染モデルでの、胃潰瘍、腸上皮化生、胃癌発生へのcagPAI遺伝子の関与を裏付ける結果といえる。また当研究室がin vitroで示したH. pyloriのc-IAP2を介した抗アポトーシス作用の亢進も、スナネズミ胃粘膜の肥厚という表現型で得られた。これらの胃粘膜でのcagPAI依存性のシグナルの活性化とそれに続くサイトカイン産生や炎症の惹起、抗アポトーシス作用などが、cagPAI陽性H. pylori感染患者で胃癌の発症率が高いことの一因である可能性が示唆された。H.pylori感染ヒト胃粘膜を用いた検討でも、遺伝子発現におけるcagPAIの重要性と細胞内シグナル活性化の関与が示された。今回in vivoにおける検討でその活性化が4型分泌機構をコードするcagPAI依存性におき、さらにCagAタンパクも細胞内シグナル活性化への関与が示唆された。この結果はCagAタンパクに代わるeffecter proteinの存在と、CagAタンパクのin vivoにおける新たな病原性の存在をも示唆した。 [結語] 今回私はH. pylori感染による胃癌細胞株、スナネズミ胃粘膜およびヒト胃粘膜におけるシグナルの活性化を検討し、その活性化には病原因子cagPAIのコードするIV型分泌機構およびCagAの存在が重要な位置を占めていることを明らかにした。この結果から、長期間のH. pylori感染にもとづく多様な胃十二指腸疾患の惹起には、菌-宿主の相互反応が必要であり、その表現型が胃炎を母地とした胃発癌機構の一員をなしている可能性が示唆された。胃癌細胞株を用いた実験系が炎症を母地とする種々の胃十二指腸疾患の病態の解明に一定の限界があることを考慮し、今後は更に癌臨床検体や動物発癌モデルを用いた検討を加えることにより発癌のメカニズムを明らかにし、今後の癌治療のターゲットとなりうる分子の解明や薬剤の開発などにも役立てたいと考えている。 | |
審査要旨 | Helicobacter pylori (以下H. pylori) 感染は胃炎や消化性潰瘍、胃癌の発生に関与すると報告されている。本研究は、H. pylori感染が及ぼす宿主細胞内シグナル活性化における病原因子cag pathogenicity island (cag PAI) の役割を明らかにするために、マイクロアレイ及びスナネズミ感染モデルを用いて宿主遺伝子発現や細胞内シグナルの活性化を解析し、下記の結果を得ている。 1 H. pyloriを培養細胞に感染させ、宿主の遺伝子発現に与える影響をマイクロアレイを用いた経時的検討によって明らかにした。全体の2割に有意な発現変化がみられ、発現亢進は感染後3時間、発現低下は6時間にピークを迎えた。 2 クラスター解析により遺伝子は4群の発現パターンに分かれた。持続的に発現する遺伝子群には転写制御活性やシグナル伝達に関わる遺伝子が含まれていた。さらにRT-PCR法を用い遺伝子発現パターンを確認した。 3 宿主遺伝子発現におけるIV型分泌機構(cagPAI)の関与を野生株、cagE欠損株を用いて明らかにした。全体の8割以上の遺伝子発現がIV型分泌機構の有無に依存していた。 4 代表的なシグナル活性化経路であるNF-κBとMAPKの関与を阻害剤を用いて明らかにした。H. pylori感染により発現亢進した遺伝子の約63%にNF-κB経路の、約73%にMAPK経路の関与が示唆され、両者をあわせ8割以上の遺伝子発現にいずれかの細胞内シグナル活性化経路が関与していた。 5 H. pylori感染ヒト胃生検検体における遺伝子発現変化を明らかにした。In vitroで恒常的発現群に分類される遺伝子の発現量が高く、遺伝子数も多かったことからin vivoでも同様の遺伝子発現がおきていることが示唆された。 6 胃癌細胞株とヒト胃生検検体に共通して発現上昇を認めた遺伝子は97遺伝子あり、それらの約8割は今回検討した細胞内シグナルの活性化を介して発現しているとされた遺伝子であり、また7割は病原因子cagPAI依存性であった。 7 細胞内シグナル活性化におけるcagPAIの役割をスナネズミ感染モデルを用いて明らかにした。胃炎症スコアでは野生株感染胃が有意に高く、続いてΔcagA, ΔcagEの順に炎症は軽度となり、IV型分泌機構およびCagAタンパクの炎症への関与が示唆された(多核球浸潤値:3.0対1.0対0、リンパ球浸潤値:3.0対1.0対1.0、リンパ濾胞数:26.33±6.9対6.0±1.63対3.0±0.82。いずれも野生株(WT):ΔcagA:ΔcagEの順で値は平均±標準偏差)。 9 粘膜肥厚に及ぼすcagPAIの役割を明らかにした。胃前庭部においてのみ有意に粘膜肥厚が認められ、IV型分泌機構およびCagAタンパクが粘膜肥厚に関与していた。PCNA免疫染色による細胞増殖反応の検討では、菌株間での差は認められなかった。胃体部では粘膜の厚さに差は見られなかった。 10 In vivoにおける細胞内シグナル活性化をスナネズミ感染胃の免疫染色により明らかにした。NF-κBの活性化は、野生株、ΔcagA株感染群に認められたがΔcagA株感染群では弱く、CagAタンパクの関与が示唆された。MAPKの活性化は、野生株感染群のみに強く認められ、IV型分泌機構およびCagAタンパクの重要性が示唆された。炎症性サイトカインの発現も、野生株感染群でのみ認められ、IV型分泌機構およびCagAタンパクの重要性が示唆された。 11 レポーターアッセイにより、H. pyloriによるNF-κBプロモーター活性化を検討した結果、活性化にはIV型分泌機構が必要不可欠であるが、CagAタンパクがなくても活性化は認められた。 以上、本論文はH. pyloriによる宿主の遺伝子発現や細胞内シグナル活性化における病原因子cagPAIの役割を、マイクロアレイおよびスナネズミ感染モデルを用いて検討した初めての論文であり、学位の授与に値すると考えられる。 | |
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