学位論文要旨



No 120295
著者(漢字) 山道,信毅
著者(英字)
著者(カナ) ヤマミチ,ノブタケ
標題(和) Brm発現欠失ヒト由来癌細胞株の解析…Brm遺伝子は転写後抑制を受けているがHDAC阻害剤により発現誘導され、抗癌活性を示す。
標題(洋) The Brm Gene Suppressed at the Post-transcriptional Level in Various Human Cell Lines Is Inducible by Transient HDAC Inhibitor Treatment,which Exhibits Anti-oncogenic Potential.
報告番号 120295
報告番号 甲20295
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2444号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 助教授 菱川,慶一
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

 多細胞生物を構成する細胞は基本的に同一ゲノムを有しているが、それぞれが分化して固有の細胞機能を果たしている。これはゲノム上の遺伝子の発現がDNAの塩基配列の変化を伴わない後生的な修飾(エピジェネティクス)により制御されており、選択的な発現様式を確立し維持することを示している。このようなエピジェネティカルな発現制御に関わる機構として、DNAのメチル化、ヒストンの修飾、クロマチン構造変換因子によるヌクレオソーム構造の変換などが知られている。SWI/SNF複合体は、哺乳類では10〜12の構成因子から成る約1.4MDaのクロマチン構造変換因子である。DNA依存性ATPase活性を持つBRG1とBrmはクロマチン構造変換活性を担う構成因子であり、各複合体はいずれか一分子のみしか含まないことから、SWI/SNF複合体にはBRG1型とBrm型が存在している。

 DNAメチル化に代表されるエピジェネティカルな制御が発癌の機構として重要であることは今日では明らかとなってきた。SWI/SNF複合体は癌原遺伝子産物(c-Fos、c-Jun、c-Myc、ALLなど)・癌抑制遺伝子(Rb、p53、BRCAなど)の双方と相互作用することが分かってきたため、この複合体と発癌・癌化との関係は重要な研究テーマである。

 SWI/SNF複合体の癌研究は、その様々な構成因子が多くのヒト癌やヒト腫瘍細胞株で欠失していることが端緒となってきた。Ini1は小児の腎臓・軟部組織・脳神経系に好発するrhabdoid腫瘍で発現欠失が認められ、またKOマウスのヘテロ個体(+/-)で高率に同様の腫瘍を発症することから、現在は癌抑制遺伝子として広く認められている。BRG1は肺非小細胞癌をはじめとする多くのヒト悪性腫瘍で発現が欠失しており、KOマウスのヘテロ個体(+/-)が癌を発症しやすいことから、やはり癌抑制遺伝子と考えられている。しかし両者はともにSWI/SNF複合体の構成因子でありながら、それぞれの欠失によって生じる悪性腫瘍の表現型は明らかに異なっている。この事実は各構成因子の発癌への関与が、必ずしも複合体を介した効果だけでは説明できないことを示している。

 BRG1やIni1と比べ、Brmと発癌の関係はいまだに明らかにされていない。ヒト癌やヒト腫瘍細胞株でしばしばBrmの欠失が報告されているが、KOマウスのホモ個体(-/-)はほぼ正常に発育し、生存に必須のタンパク質であるかも分かっていないのが現状である。本研究ではこのBrmならびにBrm型SWI/SNF複合体と発癌の関係を明らかにすることを目的として、その発現制御と抗癌活性を追及した。

結果と考察

 様々なヒト腫瘍細胞株を用いて、Brm、BRG1、Ini1の発現をWestern Blotting法を用いて解析したところ、既に報告されているものも含めて、Brm欠失株7種類、BRG1欠失株5種類、Ini1欠失株2種類が同定された。このうちBrm発現欠失株に注目し、5'端・3'端にプライマーを設計してmRNA・hnRNAを検出するRT-PCRを行なったが、いずれも検出されなかった。ところが抽出ゲノムDNAを用いて5'端側の第4exon・3'端側の第34exon(3'非翻訳領域を含む)を検出するPCRを行なうと、全細胞株でBrmの配列が検出され、Brm遺伝子がゲノム上に存在することが強く示唆された。

 この発現制御の機構を調べるため、Brm欠失株NCC-IT・NCI-H522・A427に対し、まずBrm全長を検出するプライマーを作成して核Run-onアッセイを行なった。すると驚いたことにいずれもBrm発現細胞と同等の転写開始が起こっていた。次に他のBrm欠失株SW13(vim-)・C33A・PA-1に対し、Brmの5'端・中央部・3'端にプライマーを設計して核Run-onアッセイを行なうと、やはりBrm発現細胞と同等の転写が起きていた。しかもその程度は3ヶ所のプライマーで同等であり、転写の伸長もBrm遺伝子の全領域に渡って正常に進行していることが示唆された。調べた限りでは、Brm発現欠失株に於けるBrm遺伝子の発現は、メチル化などの転写レベルの制御ではなく、例外なく「転写後抑制」という特殊な制御を受けていた。

 Brm発現欠失細胞株ではいずれもゲノム上にBrm遺伝子が保たれていると思われたため、その発現が誘導出来ないかと考えて、エピジェネティクスを制御する様々な試薬を試してみた。すると、CHAP31やFK228などのヒストン脱アセチル化(HDAC)阻害剤の処理によって、例外なくBrm mRNA・Brmタンパク質が誘導されることが分かった。Brm遺伝子の転写と伸長が起こっていることから、ヒストン修飾を介した転写への直接的影響は考えられない。そのため、この誘導効果は、「HDAC阻害剤によりあるタンパク質の発現が誘導され、それがBrmの転写後抑制を解除する」という間接的な影響と考えられた。

 次にBrm発現欠失株SW13(vim-)・A427を用いて、HDAC阻害剤の一過処理を行ない、Brmの発現の持続をWestern Blotting法で調べた。するとBrmの発現は薬剤を除いて7日後まで強く保たれていたが、10〜14日で減少した。HDAC阻害剤の標的タンパク質であるアセチル化ヒストンH3・H4の時系列変化を同一検体を用いて調べると、いずれも薬剤除去後1日程度しか発現が持続せず、Brmの誘導持続よりはるかに短かった。これは、Brmの発現誘導がタンパク質のアセチル化・脱アセチル化とそれに伴う安定性のみでは説明し得ないことを意味し、HDAC阻害剤によるBrm誘導には別の機構が関与している可能性が強く示唆された。

 次に誘導されたタンパク質が機能的かどうかを調べるために、「レトロウイルスの遺伝子発現維持にBrmが必要である」という我々の研究室の成果を利用して、HDAC阻害剤処理が及ぼす影響を調べた。Brm発現欠失株の液体培地に増殖に影響が出ない濃度のHDAC阻害剤を3日間添加し、通常の液体培地に戻して24時間後にLacZウイルスを感染させてその発現を解析した。すると、非処理のBrm欠失株では高度のgene silencingが起こるが、薬剤処理を行なった場合には遺伝子発現が持続するという結果が得られ、HDAC阻害剤で誘導されるBrmは機能タンパク質であると結論した。解析に用いたBrm発現欠失株のうち、同時にIni1を欠失しているG401細胞のみがgene silencingを回復しなかったが、Ini1を同様に欠失するA204細胞でも高率にgene silencingが認められることと考え合わせ、レトロウイルスの発現維持におけるBrmの効果は、Ini1を含むBrm型SWI/SNF複合体を介した効果であると考えられた。

 次に癌形質の関係を調べるために、Brm欠失細胞株を用いて様々なアッセイを試みた。3次元コラーゲンゲル内包埋培養で増殖能を認めたのはPA-1細胞のみであったため、これを用いて浸潤能の解析を行なうと、非処理の細胞ではコラーゲンゲルへの強い浸潤能が認められるが、HDAC阻害剤の一過処理によってBrmを誘導した場合にはこの浸潤能が失われた。軟寒天培地中でのコロニー形成能を認めたのはSW13(vim-)・NCC-IT細胞のみであったため、HDAC阻害剤の一過処理でBrmを誘導させてからコロニー形成をさせると、両細胞とも足場非依存性の増殖が著明に抑制された。SWI/SNF複合体が正常に保たれているHeLa細胞を対照として同様の実験を行なった場合には、HDAC阻害剤によるコロニー形成能に変化は見られなかった。

 続いて様々な遺伝子導入法を用いてBrm欠失細胞株に外来性のBrmを安定に発現させようと試みたが、安定発現株が作成出来たのはSW13(vim-)だけであった。そこでこれを用いて足場非依存性の増殖能の検討を行なうと、Brm導入SW13(vim-)細胞ではコロニー形成の明らかな抑制が認められ、その効果は癌抑制遺伝子であるBRG1を発現させたBRG1陽性SW13(vim-)細胞とほぼ同等の効果であった。この際、Brm導入HeLa細胞・BRG1導入HeLa細胞を対照として用いたが、いずれもコロニー形成能の変化は見られなかった。

まとめと展望

 Brm発現欠失細胞株は癌化のアッセイが困難なものが多く、一部の細胞株でしか解析を行なうことが出来なかったが、様々なヒト腫瘍細胞株でBrmの発現が欠失していることに加え、内在・外来のBrmの発現を誘導することによって浸潤能や足場非依存性の増殖が抑制されたことから、Brmは癌抑制性の機能を担っていると結論した。またBrmの発現抑制は、調べた限り例外なく転写後制御を受けており、癌抑制遺伝子の殆どが遺伝子の欠失・変異(p53、RB、BRG1、Ini1など)やDNAメチル化(p15、p16など)によって発現していないのと比べ、極めて特殊な制御であると考えられた。

 新世代の抗癌剤として期待されるHDAC阻害剤は、Brm欠失細胞株にBrm発現を誘導し、かつその効果が薬剤を除いた後も1週間以上に渡って持続することから、Brmを欠失した悪性腫瘍に対しての抗癌作用が期待された。また今回の実験の過程で明らかになった「Brm型SWI/SNF複合体がレトロウイルスの発現維持に必要である」という知見は、レトロウイルスベクターを用いた遺伝子治療戦略を立てる際に重要であり、HDAC阻害剤の併用によってgene silencingという問題を改善出来る可能性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、ヒト癌由来細胞株を用いてクロマチンリモデリング因子SWI/SNF複合体の触媒サブユニットであるBrmの発現制御とその抗癌活性を解析し、更にHDAC阻害剤の効果を調べて、下記の結果を得ている。

1.SWI/SNF複合体の構成因子であるBrm・BRG1・Ini1はヒト癌やヒト腫瘍細胞株でしばしばその発現欠失が報告されてきたが、この論文ではWesetern Blotting法を用いて約50種類の細胞株のスクリーニングを行ない、既に報告されていたものも含めて、Brm欠失細胞7株、BRG1欠失細胞5株、Ini1欠失細胞2株を同定した。このうちIni1とBRG1は癌抑制遺伝子であることが確立しているが、Brmと癌形質との関係が明らかでないため、その解明を目的としてBrmの解析を行なった。

2.まずBrm欠失細胞株を用いて、Brm遺伝子の発現解析を行ない、RT-PCR法ではmRNA・hnRNAは検出されないが、核run-onアッセイによる転写解析では初期転写が開始されていることを示した。更に核run-onアッセイのプローブをcDNA上の複数箇所に作成し、転写がBrm遺伝子の全領域に渡って正常に進行していることを示した。これらの結果から、Brm発現欠失細胞株ではBrm遺伝子は例外なく転写後制御を受け、しかもそれは転写が起こってから非常に早い段階で抑制されていることを示した。

3.転写後抑制を受けているBrm欠失ヒト細胞株に対して様々な薬剤を用いてBrmの発現誘導を試みたところ、ピストン脱アセチル化(HDAC)阻害剤の一過的な処理によってBrmが例外なく発現することが発見した。次に細胞増殖に影響がない濃度のHDAC阻害剤を用いてBrm欠失細胞株を3日間処理すると、Brm mRNA・Brmタンパク質が強く誘導され、薬剤を除去しても発現誘導が10〜14日間まで保たれることを確認した。さらに「Brmの発現がMuLV型レトロウイルスの発現維持に必須である」という知見を利用して、HDAC阻害剤の処理前後でBrm欠失細胞株におけるレトロウイルスの発現維持を調べ、転写後抑制が解除されるという結果を得た。このことから、誘導されたBrmタンパク質が全て機能的であることを示した。

4.Brmと癌形質の関係を調べるために、Brm欠失株PA-1を用いて3次元コラーゲンゲル内包埋培養による浸潤能の解析を行ない、PA-1の持つ強い浸潤能がHDAC阻害剤の一過処理によってBrmを誘導した場合に失われることを示した。次にBrm欠失細胞2種類(SW13(vim-)細胞・NCC-IT細胞)を用いて軟寒天培地中でのコロニー形成能の解析を行ない、HDAC阻害剤の一過処理でBrmを誘導させた場合には、足場非依存性の増殖が抑制されることを示した。

5.さらにBrm・BRG1の安定発現株が作成出来たSW13(vim-)細胞を用いて軟寒天培地中でのコロニー形成能を調べると、Brm導入SW13(vim-)細胞では足場非依存性増殖の明らかな抑制が認められ、その効果は癌抑制遺伝子であるBRG1遺伝子を発現させたBRG1導入SW13(vim-)細胞とほぼ同等の効果であることを示した。

 以上、本論文は、クロマチン構造変換因子SWI/SNF複合体の触媒サブユニットBrmの発現が数多くのヒト腫瘍細胞株で欠失しており、その発現が転写後抑制という極めて特殊な制御下にあることを示した。また、こうしたエピジェネティカルな発現抑制を受けているBrmがHDAC阻害剤の一過的な処理によって長期間誘導され、それによってBrm型SWI/SNF複合体の機能が回復することを示した。さらに浸潤能・足場非依存性増殖能の検討から、Brmが癌抑制遺伝子としての側面を持つことを示した。これらの結果はクロマチン構造変換因子の発癌への関与を明らかにし、さらには「転写後抑制」という新たな制御機構の解明に貢献することが考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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