学位論文要旨



No 120299
著者(漢字) 武田,憲彦
著者(英字)
著者(カナ) タケダ,ノリヒコ
標題(和) EPAS1はVEGF及び血管内皮細胞特異的受容体発現を亢進する事により、成熟した血管新生を促進する
標題(洋) EPAS1 Promotes Mature Angiogenesis by Upregulating VEGF and Endothelial Specific Receptors
報告番号 120299
報告番号 甲20299
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2448号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 助教授 宮田,哲郎
 東京大学 助教授 大西,真
内容要旨 要旨を表示する

 近年、ライフスタイルの欧米化に伴い、心筋梗塞、脳梗塞、閉塞性動脈硬化症などの動脈硬化を基盤とする疾患が増加している。これまでこれらの疾患に対しては、カテーテル治療、バイパス術などが行われてきたが、び漫性の狭窄や微少な血管などに対してはこれらの治療では限界がある。そこで最近、血管新生療法が大きく脚光をあびるようになったが、まだまだ問題点が残っている。血管新生療法の代表的なものとして、血管内皮増殖因子(vascular endothelial growth factor, VEGF)を利用した治療があるが、この治療では幼若な血管は誘導されるものの生理的な成熟した血管には至らず、また臨床的にも浮腫の合併が問題とされている。VEGFの投与を中止した後は新生血管の消退することも多く、持続的に機能する血管を再生することは困難であった。以上より、私は成熟した血管を、効率よくかつ安全に再生できる血管新生療法を開発ためには、今一度血管新生のメカニズムをより詳しく解明することが不可欠であると考えた。

 様々な原因で、生体は低酸素状態に陥る。特に循環器領域においては、心不全による全身性な低酸素状態、また動脈硬化により心臓、脳など局所の虚血状態を来す。

生体はこのような低酸素状態に対し、ホメオスタシスを保つべく、様々な代償性の反応を示す。個体レベルでは、頻脈、呼吸数の増加、赤血球増加、血管拡張が生じ、細胞レベルでも嫌気性代謝が優位となって代謝を保とうとする。このような低酸素における生体の代償反応の中で、心血管系において最も重要な役割を果たしているのは血管新生の促進である。

低酸素状態では、代償的に血管新生が亢進し、その増加した血管を介して組織灌流を改善しようとする。この際、組織に生じた新生血管は血流を伴う機能的な血管であり、組織を灌流すべく持続して役割を果たす。

そこで、血管新生の仕組みを探るモデルとして、低酸素状態における血管の応答を特に血管内皮細胞において解析することとした。

 最近、低酸素状態に対する生体防御反応の分子メカニズムが急速に明らかになってきた。これらの反応には多くの遺伝子発現を伴うが、その殆どの遺伝子を調節しているはhypoxia inducible factor-1(HIF-1)と呼ばれる転写因子である。HIF-1は、HIF-1αとaryl hydrocarbon receptor nuclear translocator(ARNT)の2量体から形成されている。EPAS1はHIF-1αと高い相同性を有する転写因子で、ARNTと2量体を形成し低酸素における細胞応答に重要な役割を果たしており、HIF-2αとも呼ばれている。ほぼ全ての組織、細胞に発現するHIF-1αと異なり、EPAS1は胎児期、成体を通じてかなり特異的に血管内皮細胞に発現するため、特に血管新生に関与していると考えられている。本研究で、私はEPAS1が低酸素応答として、成熟した血管新生を促す反応を仲介していると仮説を立て、特に血管内皮細胞におけるEPAS1の働きを解析することとした。

 EPAS1により発現が制御されている遺伝子として、VEGF, Flk-1, Tie2が既に報告されているが、未だ明らかにされていないものも多い。まず始めにEPAS1により血管内皮細胞において発現が調節される遺伝子をマイクロアレイを用いて検索することとした。遺伝子導入を高い効率で実現する為、EPAS1遺伝子を過剰発現するアデノウイルスを作成した。一方、コントロールとしてβガラクトシダーゼを同じく発現するアデノウイルスを作成し、両者を培養ヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)に感染させ過剰発現させた後、発現の変化する遺伝子をマイクロアレイを用いて検索した。130個の遺伝子発現が増加、29個が減少していた。この中には、低酸素によりその発現が亢進することが既に報告されている、Adrenomedullin, Chemokine receptor 4, Angiopoietin 2などが含まれていた。私はこれらの中の一つ、VEGF-1型受容体であるFlt-1に注目した。両者ともに血管内皮細胞に比較的特異的に発現し、かつ低酸素により発現が増加する点が共通しているためである。まず始めにEPAS1の過剰発現により、Flt-1 mRNA発現が用量依存的に増加することをノーザンブロットを用いて確認した。次にFlt-1発現調節におけるEPAS1の役割を解析する為に、Flt-1プロモーター領域をPCR法を用いてクローニングし、Flt-1 reporter plasmidを作成した。その結果、EPAS1およびARNTによりFlt-1プロモーター活性が約2.5倍増加することが明らかになった。Flt-1プロモーターを更に詳しく解析したところ、転写開始点より-1160〜-886 bpの領域にEPAS1に応答する領域が存在することが判った。この領域を更に詳細に解析すると、-965bp部位のACGTG配列が重要であることが判った。このことは、-965bpのACGTGをAAAAGへと変異させたFlt-1 reporter/mutはEPAS1に対する応答を消失していたから確認された。更に私はゲルシフトアッセイを用いて、EPAS1とARNTが2量体としてFlt-1プロモーター-965bp部位に結合することを確認した。

 多くの細胞においては、低酸素応答を主に調節しているのはHIF-1αと言われており、血管内皮細胞においてもEPAS1だけでなくHIF-1αも発現が認められている。そこで、私は血管内皮細胞において、低酸素状態でのFlt-1発現誘導がHIF-1αを介したものか、EPAS1を介したものかを解析するために、siRNAを用いた解析を行った。HIF-1αおよびEPAS1に対するsiRNAを作成し、それぞれをノックダウンした状態で、低酸素刺激を行ったところ、HIF-1αをノックダウンしてもFlt-1発現誘導は消失しなかった一方、EPAS1をノックダウンした場合はFlt-1発現誘導が消失した。この事から、血管内皮細胞において低酸素によるFlt-1発現誘導にはHIF-1αではなくてEPAS1が主に関与していると考えた。

また、私はEPAS1を過剰発現させることにより、HUVECのVEGFに対する遊走能が亢進することを見い出した。

以上より、EPAS1がHUVECにおいて、Flt-1を含む下流遺伝子発現を調節し、かつその遊走能を亢進させることが明らかになった。

 次に、EPAS1により血管新生が如何に促進されるかを、血管新生のモデルとして用いられる、マウス皮膚創傷治癒モデルを用いて検証した。

マウスの背部に作成した創部の回復を経時的に観察したところ、EPAS1投与により創部における血管密度が上昇し、創傷治癒過程が促進されることが判った。この組織においては、EPAS1の下流遺伝子であるVEGF, Flt-1, Flk-1, Tie2発現はいずれも亢進していた。血管新生治療に広く用いられているVEGFは、EPAS1によりその発現が上昇する遺伝子の一つである。私はmouesVEGF164を過剰発現するアデノウイルスを作成し、EPAS1との比較を行った。その結果、EPAS1によって生じる血管は、VEGFによるそれと比較して、平滑筋αアクチン(Smαactin)陽性細胞によって周囲を取り囲まれている細胞の割合が高いことが判った。一方VEGFにより誘導された血管は、血管密度こそ高いもののその多くは壁細胞を伴わない未熟な血管であった。以上より、成熟した血管が形成される為には、VEGFの他のEPAS1下流遺伝子が必要であると考えた。私はFlt-1が重要な役割を果たしているのではないか、と仮説を立て、以下の実験を行った。ImClone社との共同研究として、mouse Flt-1をブロックする中和抗体(MF1)を入手した。マウスに3日に1度、マウス1匹あたり1mgのMF1を静注投与し、創傷治癒過程を観察した。その結果、EPAS1と共にMF1を投与した場合、創傷治癒過程は有意に遅延すること、創部に生じた血管の多くはSMαactin陰性の未熟な血管であることが示された。このことから、EPAS1による成熟した血管新生には、VEGFと併せてFlt-1の作用が必須であることが判った。

EPAS1およびFlt-1は血管内皮細胞のみならず、マクロファージでも発現が誘導されることが知られている。最近、これら炎症細胞から分泌されるサイトカイン、プロテアーゼは、血管新生において重要な役割を果たしていると考えられ、今後、これら炎症細胞におけるEPAS1、Flt-1の役割を解析す予定である。

以上、本研究において、私は低酸素においてEPAS1がVEGFのみならず、内皮細胞特異的受容体であるFlt-1, Flk-1, Tie2発現を誘導し、成熟した血管新生を促すこと、更に成熟した血管形成にはFlt-1の役割が必須であることを明らかにした。今後、虚血による血管新生の分子メカニズムがより明らかにされることにより、より良い血管新生療法の開発につながることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は血管内皮細胞に特異的に発現し、低酸素応答及び血管新生に重要な役割を演じていると考えられる転写因子EPAS1の働きに注目し、成熟した血管新生のメカニズムを解析することを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.血管内皮細胞におけるEPAS1の働きを解析するため、その下流遺伝子をマイクロアレイを用いて網羅的に解析した。アデノウイルスを用いてEPAS1をヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)に過剰発現させ、誘導される遺伝子を解析した結果、Vascular endothelial growth factor (VEGF) I型受容体であるFlt-1を含む130個の遺伝子が誘導されることが判った。Flt-1もEPAS1同様、血管内皮細胞に特異的に発現し、低酸素により誘導されることが示されているが、EPAS1によりFlt-1 mRNA発現が誘導されることをノーザンブロットにて確認した。更にその誘導にはFlt-1プロモーター領域 -965bpのHIF-1結合配列にEPAS1が直接結合し、プロモーター活性を上昇させることがレポーターアッセイ、ゲルシフトアッセイにて示された。

2.多くの細胞の低酸素応答はEPAS1と高い相同性を有するHIF-1αにより制御されている。低酸素による血管内皮細胞でのFlt-1発現誘導がHIF-1αを介したものか、EPAS1を介したものかを検討するためにsiRNAを用いて両者をノックダウンして解析を行った。その結果、血管内皮細胞における低酸素でのFlt-1発現誘導にはHIF-1αではなくEPAS1が主の役割を果たしていることが示された。

3.EPAS1の血管新生における働きをin vivoにおいて解析する為、マウス皮膚創傷モデルを用いて検討したところ、EPAS1により血管新生が亢進した結果、創傷治癒過程が促進されることが示された。更に創部における遺伝子発現を検討したところ、VEGF, Flt-1, Tie2およびplatelet-derived growth factor (PDGF) A/B発現が誘導されていることが判った。

4.血管新生に重要な役割を果たすVEGFはEPAS1により誘導される遺伝子の一つであるが、VEGFとEPAS1の血管新生における役割を比較した。VEGFおよびEPAS1投与により、創部における血管内皮細胞の増殖は共に亢進したが、VEGFにより誘導された血管の多くは壁細胞マーカー(Smooth muscle α-actin)陰性であるのに対し、EPAS1により誘導された血管は壁細胞を伴う成熟した血管であることが示された。つまりEPAS1はVEGFと異なり、成熟した血管新生を促進すると考えられた。

5.EPAS1により成熟した血管が誘導されるメカニズムの解析するため、EPAS1の下流遺伝子として同定されたFlt-1の役割に注目した。マウスFlt-1に対する中和抗体を経静脈的にマウスに全身投与したところ、EPAS1による創傷治癒促進効果は減弱した。更に中和抗体を投与した組織では、幼若な血管内皮細胞の増生は認めるものの、その多くは壁細胞を伴わない未熟な血管新生であることが示された。このことからEPAS1はFlt-1を介して成熟した血管新生を誘導すると考えられた。

以上、本論文では血管の低酸素応答に重要な役割を果たす転写因子EPAS1がVEGFおよびそのI型受容体Flt-1発現を誘導することにより、成熟した血管新生を促進することを明らかにした。本研究は、将来的に生理的な血管を再生する治療を行う際に重要である新生血管が成熟するプロセスの解明に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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