学位論文要旨



No 120302
著者(漢字) 藤生,克仁
著者(英字)
著者(カナ) フジウ,カツヒト
標題(和) レチノイド受容体α特異的合成アゴニストは,血管平滑筋細胞の分化誘導,増殖及び遊走阻害することにより,血管傷害後の新生内膜形成を抑制する
標題(洋) Retinoic Acid Receptor a Specific Agonist Inhibits Neointimal Formation after Vascular Injury by Inducing Differentiation and Inhibiting Proliferation and Migration of Vascular Smooth Muscle Cells
報告番号 120302
報告番号 甲20302
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2451号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 大西,真
 東京大学 助教授 上原,誉志夫
 東京大学 助教授 要,伸也
内容要旨 要旨を表示する

 循環器疾患において、急性心筋梗塞、狭心症等の冠動脈疾患は最も多い疾患であり、その治療法として経皮的冠動脈形成術が行われているが、治療後に再狭窄(再発)が生じる事が、大きな問題となっている。脂質降下剤、ACE阻害薬など多数の経口薬により再狭窄を予防し得るか否かを検討する臨床治験が行われてきたが、これまで有効性が認められたものはない。

 経皮的冠動脈形成術後の再狭窄病変(新生内膜)は主に血管平滑筋細胞および同細胞が産出する細胞外マトリックスである。血管平滑筋細胞は、冠動脈治療による血管拡張、血圧を含む外的ストレス、分泌ホルモン、炎症細胞からの直接作用等に応答して、収縮型(分化型)から分泌型(未分化型)の平滑筋細胞に脱分化する。脱分化した平滑筋細胞は、増殖能、遊走能を獲得、多種の分泌ホルモン、細胞外マトリックス、マトリックス分解酵素の産生を惹起し、血管のリモデリングを生じさせ、最終的に新生内膜形成を惹き起こす。従って、血管平滑筋細胞は、冠動脈治療後の再狭窄を予防するための標的細胞として重要である。冠動脈形成術では、主に冠動脈内に留置する金属ステントが用いられるが、最近、ステントの表面に薬剤をコーティングし、局所に高濃度の薬剤を投与する薬剤溶出型ステントが開発され、再狭窄率が劇的に改善することが報告されている。しかし、現在使用されている薬剤(sirolimus及びpaclitaxel)は抗ガン剤、免疫抑制剤であり、強制的に細胞周期を停止させ、新生内膜増殖を抑制するため、ステント留置後の血管壁を安定化するために必要な再内皮化をも抑制してしまう。実際、再内皮化の遅延による亜急性期から慢性期のステント内血栓形成が問題となっており、さらに新しい薬剤溶出型ステントや、経口再狭窄予防薬の開発が期待される。

 これまでに、我々は、転写因子KLF5が新生内膜の脱分化型平滑筋細胞に誘導され、血管傷害後の新生内膜生成が生じない事を見いだし、KLF5が新生内膜形成に必須であることを示してきた。KLF5の発現を抑制することによって、再狭窄を予防できる可能性がある。我々は、KLF5が核内受容体であるレチノイド受容体α(RARα)と相互作用することに着目し、RARαのリガンドがKLF5の転写活性を調節し得る事を見いだした。そこで、私はKLF5の転写活性を抑えるRARα特異的合成アゴニスト(Am80)が平滑筋細胞に作用し、血管傷害後の新生内膜を抑制し得るかを検討し、Am80の臨床応用の可能性について検討した。

 最初に、新生内膜増殖に重要な平滑筋細胞の増殖に対するAm80の効果を検討した。増殖過程にある培養平滑筋細胞に対してAm80が増殖抑制効果を有するかどうか、培養ヒト平滑筋細胞を用いて検討した。Am80は容量依存性に、血清存在下の平滑筋細胞のDNA合成を阻害し、細胞増殖を抑制した。同様に培養ヒト臍帯静脈内皮細胞において検討したが、興味深いことに、内皮細胞ではAm80によるDNA合成阻害作用は認めらなかった。この結果は、Am80が血管壁を構成する細胞においては、平滑筋細胞特異的に細胞増殖を抑制することを示唆する。

 さらに、新生内膜形成には平滑筋細胞の遊走が必要であるため、Am80の平滑筋細胞遊走能に対する効果を、改良型Boydenチャンバーを用いて検討した。Am80は10%血清による培養平滑筋細胞の遊走を0.1μMという低濃度において著明に阻害した。

 また、血管傷害後、血管壁では、血管平滑筋細胞の脱分化が生じ、脱分化した平滑筋細胞が血管壁のリモデリングを進めるため、Am80の平滑筋細胞分化・脱分化に対する効果を検討した。血管平滑筋細胞は、一旦培養してしまうと、通常、脱分化した状態になり、分化マーカーである平滑筋ミオシン重鎖(SM-MHC)及び平滑筋αアクチン(SM α-actin)の発現量は減少し、脱分化した際に誘導されるKLF5及びその標的遺伝子である胎児型ミオシン(SMemb)の発現量は増加する。培養平滑筋細胞に対して、Am80(RARα選択的アゴニスト)及びRARの非選択性アゴニスト(RARα、β及びγをすべて活性化)のトランス型レチノイン酸(atRA)を添加したところ、SM-MHC、SM α-actinがmRNAレベルおよび、蛋白レベルで増加していることが認められた。Am80は培養平滑筋細胞の分化誘導作用があり、またこの作用は、atRAに比較して5倍から10倍の強さを有することが明らかとなった。さらに、Am80の添加により、KLF5の発現量自体も低下しており、Am80はKLF5の共役因子であるRARαを介してKLF5の標的因子に対する転写活性を間接的に抑制しているのみならず、KLF5の発現量自体を低下させ、KLF5の働きを抑制していることが明らかとなった。以上のin vitroの検討から、Am80は0.1〜1μMの間の比較的低濃度において、平滑筋細胞の増殖、遊走を抑制し、さらに低い濃度から分化誘導作用を有する事が明らかとなった。

 続いて、in vivoにおいて、Am80の適切な投与濃度を決定するために、様々な量のAm80をウサギに投与し、その血中濃度を液体クロマトグラフィーにて測定した。その結果をもとに、平滑筋細胞の分化誘導、増殖、遊走抑制に充分な0.1〜1μM付近の血中濃度を維持できる投与量として、Am80 1mg/kg/dayを予想した。実際1mg/kg/dayのウサギへの経口投与にて、目的の血中濃度を得ることが可能であった。ヒトの冠動脈治療の動物実験モデルとして、ウサギの腸骨動脈にヒトの冠動脈治療用ステントを血管内超音波ガイド下に血管径にあったサイズで留置し、Am80 1mg/kg/day投与群とプラセボ群を作製し、7日後及び28日後にステント内の新生内膜を評価した。結果、28日後新生内膜形成はAm80投与群で著明に抑制されでいた。また、血栓形成の予防に重要な再内皮化は阻害されず、良好な内皮の形成を得た。

 Am80の再狭窄予防作用を詳細に検討するために、血管傷害前、血管傷害後早期の7日後、晩期の28日後遺伝子発現、病理を検討した。血管傷害7日後にプラセボ群では、SM-MHC、SMα-actinの分化マーカーの減少、脱分化マーカーの増加(SMemb、KLF5)が生じ、血管平滑筋細胞の脱分化が認められた。これに対してAm80投与群では、分化マーカーの発現減少、脱分化マーカーの発現増加ともに抑制されており、Am80が血管傷害後の平滑筋細胞の脱分化を阻害したと考えられた。また、28日後においても、Am80投与群では、プラセボに比較して血管壁の分化マーカー遺伝子の発現は有意に上昇しており、Am80に分化誘導作用があることが示された。

 血管傷害後の細胞増殖がもっとも盛んになる7日後では、新生内膜において増殖過程にある細胞のマーカーであるPCNAが陽性の細胞が多数認められたが、Am80投与によりPCNA陽性細胞の数が著明に抑制されており、新生内膜においても、Am80が増殖抑制作用を有することが示された。Am80はin vitroでは、1μM以上の高濃度で培養平滑筋細胞のアポトーシス誘導作用を示したが、今回のin vivo実験においては血管壁におけるアポトーシスは認められなかった。従って、今回の検討において認められたAm80の新生内膜抑制作用は、一般的にレチノイドに認められるアポトーシス誘導作用によるものではないと考えられる。以上の結果より、Am80はin vivoにおいても,血管傷害後のKLF5の誘導、血管壁平滑筋細胞の脱分化、平滑筋細胞増殖を抑制し、新生内膜の増殖を抑制してると思われた。また、平滑筋細胞の分化を促すこと、内皮細胞による再内皮化を阻害しないことより、血管傷害後の血管壁の安定化に寄与すると考えられた。

 臨床応用に際しては、今回の投与方法と同様の経口投与が一つの方法として考えられる。Am80は急性前骨髄性白血病の分化誘導療法として、臨床治験が行われており、ヒトにおける安全性が確立されている。また、第二の方法として、Am80溶出ステントを作製し冠動脈局所に投与する事が考えられる。薬剤溶出ステントを作製する際に、その薬剤には金属表面にコーティングする際の消毒、滅菌に耐えられることが必須とされる。また、コーティングに必要な高分子化合物からの徐放性が重要である。atRAは光や滅菌過程において容易に活性を失ってしまうため。薬剤溶出ステントには使用できない可能性が高い。これに対してAm80は非常に安定な化合物であり、薬剤溶出ステントへの応用も比較的容易と考えられる。実際、高分子化合物にAm80を配合し、市販のステントにコーティングを行い、Am80のRARαアゴニストとしての活性を失うことなく、徐放化させることに成功した。今後、Am80の徐放化法を最適化することにより、再狭窄を予防するとともに血管壁を安定化させる薬斉熔出ステントが開発できる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,血管障害後の新生内膜に発現する転写因子KLF5の血管平滑筋細胞における役割の解明,また,KLF5に結合するレチノイン酸受容体αのリガンドを用いて,狭心症,心筋梗塞の治療への臨床応用の可能性を評価したものであり,下記の結果を得ている.

1.KLF5ヘテロノックアウトマウスと野生型マウスの頸動脈結紮モデルを用いて,血管障害後一週間で血管平滑筋細胞の形質変換を評価したところ,KLF5ヘテロノックアウトマウスで平滑筋細胞の形質変換の程度が弱く,KLF5がin vivoで血管障害後の血管平滑筋細胞の形質変換に必要であることが示された.

2.培養血管平滑筋細胞では,血清刺激によりKLF5が誘導され,平滑筋分化マーカーが低下し,形質変換をin vitroでmimicする事ができる.この実験系において,KLF5に対するsiRNAの発現ベクターを細胞に導入すると,血清刺激に対するKLF5の誘導が抑制され,平滑筋分化マーカーの低下も弱まり,in vitroにおいても,KLF5が平滑筋細胞の形質変換に必要であることが示された.

3.KLF5に結合するレチノイン酸受容体αのリガンドの一つAm80は血管平滑筋細胞において,KLF5の発現を抑制し,また,KLF5の発現量が不変の状況であっても,KLF5の標的遺伝子への転写活性を抑制し,Am80がKLF5のmodulatorであることが示された.

4.培養平滑筋細胞に対して,Am80はDNA合成阻害,増殖抑制,遊走能抑制作用があり,さらに,平滑筋ミオシン重鎖,SMαアクチンの誘導を惹起し,分化誘導作用があることが示された.

5.Am80が血管障害後の新生内膜形成に効果があるかどうか検討するために,ウサギ大腿動脈にステントを留置するモデルを使用した.Am80 1mg/kg/dayを投与した群では,プラセボ群に比較して,28日後,新生内膜形成は著明に抑制されていた.また,7日後,血管平滑筋細胞の血管障害後の形質変化は抑制されており,また,28日後の血管の分化度は上昇しており,Am80が冠動脈治療に有効である可能性が示された.

6.現在臨床で使用されている薬剤溶出ステントはラパマイシンを用いており,このステントにおいては再内皮化が傷害されており,抗血小板剤の長期使用が必要とされている.Am80は血管内皮細胞の増殖は抑制せず,また,ウサギのステント留置モデルにおいても,ステント留置後の再内皮化は良好に生じていた.Am80がラパマイシンに対して有効性がある可能性が示された.

 以上,本論文は,KLF5の平滑筋細胞における作用を明らかにし,KLF5のmodulatorであるAm80が血管平滑筋細胞の増殖,遊走阻害,分化誘導を介して,血管障害後に新生内膜形成を抑制することを明らかにした.本研究は,今後,狭心症,心筋梗塞の機序の解明,治療戦略に重要な貢献をはたすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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